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こんにちは、腕に浮かび上がる血管が発達しすぎていつか破裂するんじゃないかと心配なワタリ(@wataridley)です。
2009年にインドで公開された映画「マガディーラ 勇者転生」について、バーフバリと比較しながら語っていきます。
今作はあのバーフバリを生み出したS・S・ラージャマウリ監督による作品であり、宣伝においても「バーフバリの原点」と打ち出されています。
10年近く前に本国で公開されたはずの今作が今になって日本公開となった経緯としては、「バーフバリ 王の凱旋」のヒットが発端となったようです。日本で公開された「マガディーラ」は、ラージャマウリ監督自らが編集し、日本へ送り出したバージョンとのこと。バーフバリの魅力に虜の自分としては、見ないわけにはいきませんでした。
実際の内容は、バーフバリに通じる要素が散見され、S・S・ラージャマウリ監督らしい荒唐無稽な人物描写・展開が繰り広げられていました。たしかにバーフバリと同じDNAを持っていると感じました。
公開の経緯と実際の作品内容からして、これは比較して論じるべきだと思いましたので、以下に双方の類似点と相違点を書いていきます。
一応「マガディーラ」と「バーフバリ」双方のネタバレを含んでおりますので、未見の方はご注意ください。
60/100
目次
プロット
「バーフバリ」と「マガディーラ」の最たる共通点がプロットの骨格です。
類似点: 1つの物語で2つの時間を描く
「マガディーラ」は、只ならぬ様子の男女が共に奈落へと身を落とすシーンから始まります。
「バーフバリ」においても、前編「伝説誕生」は傷を負った女性(のちにシヴァガミと判明)が赤ん坊を逃し息絶えるという謎を引き連れての幕開けでした。
そして、話が進んで行くにつれて、彼らがあのような状況に至った経緯が判明するわけです。両作品の間には、まず時系列的な配置が似通っていることがわかります。
更には、先代に起こった悲劇を描写するための過去パート、そしてその因縁に決着をつけるための現在のパートという2つの時代を暑かった構成もほとんどそのまま「マガディーラ」から「バーフバリ」に引き継がれています。
「バーフバリ」は前編の終盤に回想が始まり、後編の終盤に回想から再び現在の話へという形式でした。2部作であるために回想シーンは非常に長いもので、もはや回想の域を超えるほどに濃い物語が展開されていたのが脳裏に強く焼きついています。
「マガディーラ」はこの一作で完結している分、回想自体はあっさりしているものの、前半に現在の主役を描き、後半に先祖の物語を展開する構造は変わりません。そして、回想を受けてクライマックスに悪役との決着をつけるというところまでそっくりそのまま。「バーフバリ」は「マガディーラ」を踏襲していることは明らかです。原点という表現はピッタリです。
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相違点: 25年と400年
とはいえ、相違点もここに存在しています。「バーフバリ」が25年前と現在を映し、近しい親子の物語として完結していたのに対し、「マガディーラ」はなんと400年もの時を経た物語です。時間の面でのスケール感ならば、圧倒的なまでにこちらに軍配が上がっています。
主人公の若者は冒頭奈落に落ちてしまう勇者の生まれ変わりであるために、超人的な身体能力や神の加護があるかのような不死性を持ち合わせています。「前世で愛した人と現世で巡り合う」という話は、「バーフバリ」にあったような運命の悪戯を感じますし、何しろ時代が全く異なるためにビジュアル上の変化も大きいです。1609年のウダイガル王国と2000年代のハイデラバードの2つの併存は、2つの物語を1つに展開したといってもいいほどゴージャスです。
ハルシャは勇者バイラヴァとは転生前と転生後という関係ではあるものの、バーフバリ親子に比べると、その時間の隔たりはあまりに大きいです。常識的な見方をすると、2人は瓜二つな外見以外には何の繋がりもない他人でしょう。しかし、それでも前世からの因縁に引き寄せられ、愛する人を守るために悪に立ち向かう姿がかつての勇者と重なっていく様からは、堅実なカタルシスを得られます。
こうしたぶっ飛んだ設定を以ってして、観客を引きつける手法はバーフバリ以上に露骨であり、ここは大きな相違点だと思いました。
冒頭に映り込んでいた古めかしい装いの登場人物に、厳かな神像の出番が終わるやいやな、次に画面に映りこむのは「400年後」という文字。そしてサングラスをかけ、バイクを颯爽と走らせる若者が観客の側に向かってくるインパクトは絶大です。
また、ウダイガル王国とハイデラバードのパートでは、それぞれ明確に作風が変わっているのも特徴的です。バイラヴァをはじめとしたウダイガルの人々はコミカルな挙措をあまり見せず、終始厳かなでシリアスな印象を与えてきますが、片や現代に生きるハルシャ達は恋愛のイザコザですれ違ったりする可笑しなコメディドラマを展開します。「バーフバリ」はマヒシュマティ王国とその周辺を舞台にし、シヴドゥとアマレンドラのパートで特に色合いが変わることはなかったため、「マガディーラ」のはっきりした作風分けには目を見張りました。
時を超えても結ばれんとする勇者と姫君の愛や、彼らに執拗に迫る魔の手、そして勇者の心意気に感服する盟友など、400年を跨るドラマが与える神秘性と奇跡のインパクトもバーフバリにはないものです。
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登場人物
正義の人バーフバリと非道を尽くすバラーラデーヴァの極端なまでの対比は、互いに相手を引き立て合い、物語の方向性をはっきりと示していました。「マガディーラ」でも、同様にはっきりとした勧善懲悪をキャラクターに委ねています。
類似点: 勧善懲悪を貫徹する清々しいキャラクター
王家に忠誠を誓う百戦錬磨の戦士バイラヴァは、重要な決闘の最中に砂地獄に囚われた馬にさえ情けをかけるほどの人格者。自らの危険を顧みずに姫君を守る頼もしさをも持ち合わせており、王族ではない点を除くと面白いぐらいバーフバリと重なります。
転生後のハルシャも愛する者のために、彼女に手を出す男をボコボコにやっつけ、自身もストーカーじみたアプローチを仕掛けるあたりが、アヴァンティカに迫るシヴドゥを思わせます。
姫君を狙う国王候補のラナデーヴは、王族でありながら、卑劣な気性の男。姫君ミトラの意思などまるで無視し、彼女を娶ることを企む姿は、バラーラデーヴァがデーヴァセーナを狙っていたことと符合します。
彼の転生後のラグヴィールも自身の欲望のためなら、肉親をも手にかけ始末する外道で、これもものの見事に母親に矢を放ったバラーラデーヴァに似ています。演じたデヴ・ギルの逆ハの眉もやはりバラーラデーヴァに似ており印象的です。もしかしたら、今作の悪役ラナデーヴ/ラグヴィールがバラーラデーヴァのキャスティングに影響を及ぼしたのかとも思いました。
ヒロインにしてこの物語のマクガフィンともなっているミトラ姫/インドゥは、エキゾチックな美貌から健やかな魅力を放っており、バイラヴァとラナデーヴが彼女をめぐって衝突するのも納得できます。自立した精神の持ち主であり、悪に狙われてしまうという立ち位置的は、デーヴァセーナに近いです。
彼らは非常に役割のはっきりしたキャラクターです。観客がどのようにして物語を追えばよいのかといった点で迷うことなく鑑賞することができるエンタメ性は、この頃からすでに頭角を現していたのだと感心しました。
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相違点: キャラクターのもつコミカルさ
この映画を見始めていきなり戸惑うのが、ハルシャの装いですよ。
なんてったって長髪にグラサン、バイク、ジーンズとどっからどう見ても今風の若者で、こんなのが主人公で大丈夫なのか?と心配になるぐらいでした。
「バイクを異様なまでに乗りこなす」「喧嘩で相手を圧倒」といった前世譲りな高い身体能力を見せる一方で、大勢の親友たちと一人の女性を追い回したり、キレキレのダンスを披露したり、高い身分の装いの人を小ばかにしたり、本命の女性に勘違いされるのが嫌だから距離をとってくれとお願いしたりと、とにかく俗っぽい面をそこかしこに覗かせてきます。
「バーフバリ」にあった親しみやすいユーモアと言えば、クマラ・ヴァルマが真っ先に思い浮かびます。しかし、今作の現代パートは主人公ハルシャとヒロインのインドゥが繰り広げるすれ違いラブコメディに時間を割かれているのです。限定的に脇役が担うのではなく、けっこうなメインどころで披露されているという点で大きく異なります。
その結果として、キャラクターと観客の間にある距離感というものが「バーフバリ」よりも近いように思いました。ラストシーン、崖っぷちでいちゃつく彼らの姿は、厳かに戴冠式を執り行うマヘンドラとはまるで逆です。
現代パートのキャラクター達が醸し出すおかしな雰囲気については、この作品独自の魅力だと思いますし、ラージャマウリ監督のコメディ映画にも興味が沸いてきました。
歌と踊り
インド映画における見どころの歌とダンスも、もちろん「マガディーラ」に存在しています。
類似点: 大人数の大掛かりなパフォーマンス
「バーフバリ」を見るまでは、映画における歌やダンスには懐疑的な部分がありました。特にインド映画ともなると、「踊らないほうが珍しい」ぐらいの先入観があったため、バーフバリに手を伸ばす前にもそういう抵抗は働いていました。
実際に、見てみると豪華絢爛な衣装や装飾、多彩で見ごたえある振り付け、大人数が織りなす迫力といったものに圧倒されました。それ以来、「バーフバリ」の音楽パートは毎回聞き入っていますし、中には鼻歌で歌うぐらいに気に入っている曲目もあります。
マガディーラにおいても、物量攻めの映像と耳に残るリズムは健在でした。とりあえず、エンディング曲のディーラ!という掛け声は耳に響いて仕方ありませんでした。
序盤の埠頭のダンスパートでは、複数の男たちが1人のセクシーな出で立ちの女性を追い回すという危なっかしい映像をコミカルかつシュールに活写していました。CGIを用いた漫画みたいな石化表現、組体操的な人の波、人が後ろについて前列が動くたびに次々と分身していくかのように見せかけた奇抜なダンスといったものが披露され、笑いながら見てしまいました。
やはりここでも「笑い」が含まれており、「バーフバリ」のような厳かな雰囲気はあまりありませんでしたが、物語後半のウダイガル王国におけるミュージカルシーンは、バーフバリを彷彿とさせる作りでした。
彩り豊かな衣装に、情事を彷彿とさせる艶のあるダンス、心惹かれあうバイラヴァとミトラ
の2人の心情を語る歌詞といったものは、さながら「伝説誕生」におけるアヴァンティカとシヴドゥの踊りのよう。
ハイデラバードにおいて、独特なパフォーマンスを披露する一方で、ウダイガル王国では荘厳なビジュアルに相応しい歌と踊りを見せるコントラストは面白かったですね。大掛かりな人数を動員した熱量を感じるパフォーマンスにしても、この経験が「バーフバリ」に活かされているであろうことは疑いようがありません。
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相違点: ミュージカルによって起こる物語の停滞
当然のことながら映画のミュージカルには良さもある一方で、悪さもあります。
良さは上述したようなパフォーマンスで観客の目を楽しませることにあります。しかし、パフォーマンスが物語とうまく融合しなかった場合、物語が停滞しているように見えてしまうリスクも存在します。
「マガディーラ」における音楽は、残念ながら悪い点が浮き彫りになってしまっています。
というのも、冒頭の埠頭のダンスシーンは物語の本筋に特に絡んで来ず、振り返ってみると単なる賑やかし止まり。インドゥとハルシャがやっとお互いに気持ちを通じ合わせるシーンにしても、長いすれ違いの末に、想定通りの展開になっただけなので、どうにも感動するほどの盛り上がりがありません。ウダイガル王国のミュージカルにしても、2人が運命的に惹かれあう関係であることを物語の前半に繰り返し語ってきているため、情報としても重複し、実際物語の進行がストップしてしまっています。
「バーフバリ」がうまいこと登場人物の関係性の「変化」や「状況説明」に歌とダンスを当てはめて進行し、話を一切停滞させていなかった巧みな演出方法に比べると、このあたりは拙さを感じました。
インド映画において多く需要されている要素のため、映画とどのようにバランスを保つかというのは難しいところではあると思います。「マガディーラ」は音楽パートとそれ以外のパートの間にある溝を隠しきれていませんでしたが、それが「バーフバリ」では融和していた成長ぶりに驚かされました。
アクション
バーフバリをバーフバリたらしめる最高の要素がアクションです。マガディーラもバーフバリと同様、見ごたえのあるアクションはいくつかありました。
類似点: 一騎当千の傑物をダイナミックに映す
「マガディーラ」は、前半の現代パートは小粒で既視感あるアクションが連続していたため、いまいちボルテージは高まりませんでした。
ただ、バイラヴァがシェール・カーンの軍団を相手に「100人斬り」するアクションは、そのもどかしさを払拭する出来合いでした。
ここでは足を滑らせたら奈落の底に真っ逆さまの崖の上という危なっかしい舞台装置の上で、前方からやってくる敵の大軍を1人で斬っていく圧巻のシチュエーションです。
バイラヴァ1人が敵の足元にスライディングするなどして、揉みくちゃになるような画が、彼の背後や真横から映しこむダイナミックなカメラワークによって映され、迫力と見やすさを両立していました。崖から落ちる敵は崖の下から映り、落下の様子を崖上から映すあざやかな切り替えも適度に行われており、1対100の長丁場を最後まで飽きさせないよう随所に工夫が見られました。
バイラヴァ役のラーム・チャランの素早い動きに、力強い太刀筋はまさに勇者そのもの。完璧な超人然と描写されているバーフバリとは異なり、息切れや体のブレといったやや人間らしい必死さも動きの中に含ませており、「動きで人物を描写する」というアクション映画の醍醐味も感じることができました。
「バーフバリ」における多数を相手取った戦闘シーンは、どれもダイナミズムに溢れており、それでいて目視しやすいという実に巧みなものばかりでした。今作はアクションの頻度がそれほど多くはありませんが、終盤の見せ場に「バーフバリ」の片鱗を垣間見せるバトルが見られて、ファンとしては満足感がありました。
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相違点: この時点ではまだまだ発展途上
「100人斬り」における満足感はありましたが、やはりそこに至るまでの「溜め」が長く感じてしまったというのは不満ではあります。2時間超の尺の中で、前振りであるべきコメディ描写が長く、溜めを開放して爽快感を与えるはずのアクションは、やや物足りないと感じました。
前半の現代パートにおいて、バイラヴァの転生たるハルシャの超人的なエピソードはダンスや乗馬や腕っぷしといったものばかりで、「そこそこ強い不良」止まりの印象です。インドゥが連れ去られそうになった時、ようやく覚醒し、多人数相手にガソリンを引火させて撃退するというシーンもどこか既視感があります。その後のヘリに掴まるアクションは不幸にも「ミッション:インポッシブル/フォールアウト」を見てしまっていたので迫力面でそれには及ばないと思ってしまいました。
「100人斬り」に関しては満腹感があったものの、それを受けての現代パートでのラストバトルが明らかに消化試合風に進んでいく点も看過できません。
「バーフバリ 王の凱旋」では前半のクンタラ王国のシークエンス終わりに、身分を偽っていたアマレンドラが本領を発揮する見せ場を配置し、ここでひとまずの見せ場を配置していました。これを以て、観客の興味は画面に引き付けられたまま、物語は中盤へ入っていきます。
中盤から終盤にかけてジワジワとした策略が続くものの、これもクライマックスのバラーラデーヴァとのバトルで一気に溜まっていた鬱憤が解放する仕組みになっており、溜めと解放が実にうまく設計されていることがわかります。
一方、マガディーラのラストバトルはというと、敵は車数台程度とヘリが一機、そしてラグヴィール。敵が画面を埋め尽くしていた「100人斬り」よりも明らかに難易度が低く、盛り上がりには欠けています。現代風の若者たちが荒地で取っ組み合うという素っ頓狂なビジュアルなどが、どうにも盛り上がりを阻害してしまうのです。
バーフバリに比肩しうるアクションは「100人斬り」にあったものの、それ以外のパートではまだ発展途上にあるというのが正直な感想でした。
まとめ: これがバーフバリに繋がると思うと感慨深い
比較する中で不満も述べてしまいましたが、今作独自の要素やバーフバリに匹敵する物も確実に見られました。
400年という時間経過に伴って全く景色の違う世界を1つの映画で見せる挑戦はバーフバリにはありませんし、現代を舞台にしているからこそ登場人物は俗っぽい雰囲気を放っていて可愛げがあります。
前半部分では男女のすれ違いやミュージカルシーンが執拗なまでに長かったり、その割に後半ではチャージを開放する展開が足りていない等の欠点は存在しています。そのうえ、宗教的な描写のわかりにくさや独特なコメディセンスについていけない部分もあり、これをバーフバリを知らない人に勧めるのは少し躊躇してしまう作風ではあります。
しかし、壮大なスケールのお話にラージャマウリ監督独特のセンスなどがてんこ盛りになっている今作を見ていると、バーフバリが生み出されたのは偶然ではなく必然だったのだと思わされました。400年の時を超えた愛などという突拍子のない題材を形にしようとする監督のアニマルスピリットは、映画からひしひしと伝わってきましたし、それがあったからこそバーフバリにも繋がっていったのでしょう。
何はともあれ、監督がこれから手掛ける作品が楽しみです。
以前書いたバーフバリの感想も載せておきますので、よろしければ読んでみてください。
ここまで読んでいただきありがとうございました!