『侍タイムスリッパー』感想:すれ違い時代ギャップSFコメディに笑っていたら本気すぎる殺陣に刮目

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池袋シネマ・ロサにて上映中の『侍タイムスリッパー』を鑑賞。最初は単館で1日1回だったのが、自分が行った時点では好評により2回の上映に増えていたようだ。とはいえ、今後上映機会はシネマ・ロサのみならず全国的に広まっていくんじゃないかと思う。(8月末時点、既に川崎チネチッタにて上映開始)

なんせ映画はとてつもなく面白かったからだ。これを単館の1日数回、そこに足を運んでくる映画好きだけが観て知る人ぞ知るという位置に留まるとは思えない娯楽性に溢れていた。

タイトルがアピールしている日本の時代劇やタイムトラベルSFを聞いて少しでも思い浮かぶものがあるのであれば、ぜひ劇場へ観に行ってほしいと思える作品だ。その思い描いた楽しさと、思いがけない展開、最後にはあっと言わせて刮目してしまう熱いラストが待ち構えている。滑稽な様に笑っていたら不意に真剣で斬りかかられたような衝撃を味わえる。

まだまだ多くの人に知られていく過程にある作品だと思うので、ここではネタバレなし、オチを含めた展開の詳細は控えながらも、オススメしたいポイントを挙げて作品を語っていく。この序文の時点で少しでも興味がある方は、以下は読み飛ばして劇場へ行ったって楽しめることだろう。

 

とにかく「本物の武士っぽい」主人公・高坂新左衛門

140年前の幕末期から現代へタイプスリップしてしまった会津藩士・高坂新左衛門を務めるのは山口馬木也。1998年から活動している俳優で、過去の出演歴を見ても直近の『麒麟が来る』『鎌倉殿の13人』など大河ドラマや時代劇などの出演経験が多い。無学ながらテレビに疎いので認知していなかったのだが、かえって今回それが良い方向に作用していた。

終始、高坂新左衛門の出立ちが本物っぽいのだ。刀の携え方はもちろんのこと、着物と刀を着用している故の腰が少し落とした走り方も、ぎらついた光を宿していたのに現代において自らの役割を見出して和らいでいく瞳に至るまで、それにしか見えない。この作品の中じゃなく、この映画に対して、本物のお侍を連れきましたかと言いたくなる佇まいである。

これは怪我の功名というべきか。顔の知れたアイコニックな俳優だと、いくら出演経験が豊富で実力が伴っていても、顔を見ていると役名よりも役者名の方が思い浮かんでしまうというジレンマはしばしば演劇の分野で発生することである。

映画は会津藩士が倒幕派の政敵に闇討ちを仕掛けようとするいかにもザ・時代劇なシーンから幕を開ける。その時点でこちらは居住まいを正したくなるようなディティール描写がある。新左衛門の話す言葉は会津の方言であることに加え古めかしい物言いもあって、字幕をつけないととても仔細は聞き取れないほどで、辛うじて雰囲気だけは察することのできる台詞回しになっているし、それによって政敵を討ち取らんとする動機を背にした緊迫感、そしていざ相手に斬り掛かってからお披露目されるあまりにも俊敏で本格的な殺陣もあって、この冒頭パートは断片的な1シーンながら、こちらにかつて主人公がいた時代の空気を想像させてくれるに十分な作り込みを感じた。

この本当に時代を生きたような山口馬木也氏の侍っぽさがあるおかげで、現代の撮影村にタイムスリップしてからの主人公の顔つきが非常に面白いことになっている。服装こそ撮影している役者とおんなじなのだが、本物が期せずしてそこに居合わせてしまった異物混入の様相に観客も主人公共々動揺するし、すれ違い故に起きる撮影現場でのズレを内包したやり取りにはスリルがある。

 

スリルと隣り合わせのすれ違いコメディ

そんな彼が現代で出会う人々と織りなすギャップコメディも、徹底して安易な変顔や一発芸的なギャグに陥らないのが面白い。脇を固める役者たちがその役にピタリとハマっており、現代の物事にいちいち奇天烈な反応を示す新左衛門を見守ってくれる周囲の温かな人柄があってこそ、この物語は安心して見ていられた。

身元不明の浮浪者をおかしな包容力で受け入れるお寺の住職とその奥さん等、出てくる人物にみな好感が持てるような造形で、基本的に悪人が出てこないという安心できる作り。劇中で事あるごとに主人公を助けてくれる助監督役の沙倉ゆうのは実際に本作の助監督を務めるなど、ミニシアター系ならではな裏方・表方兼役のキャスティングもあり、また劇中でも中高年メインの撮影現場で頑張る姿が重なってそれらしい雰囲気を醸し出していた。中でも東映剣会所属の殺陣師・峰蘭太郎が、劇中でも殺陣師・関本を演じており、それ故に撮影現場での出で立ちからベテランのオーラがあり、それ故に本物の侍である新左衛門が、見世物たる殺陣のプロである関本と稽古をするシーンは抱腹必至

映画の前半は体感1分に1度は「本物の侍が撮影現場に紛れ込んだら」という考察に基づく笑いが襲いかかってくる。撮影現場のモブに道を尋ねようとするも声を発さない彼らを不審がるとか、作り物の時代劇を現実と勘違いして乱入するといった、あるあるなやり取りは交わされるのだが、その描写はこちらがそのシチュエーションから連想される期待のツボを綺麗に押してくれるし、あるいはこの映画にしかないような独創的なすれ違い劇もきちんとある。斬られ役として起用されておきながら、彼は旧幕府軍側の会津藩士であったことから、とある撮影現場で出くわした(役者が演じる)坂本龍馬に役柄を超えた敵意を抱く…のだが、ここから先に起こるある撮影アイテムを駆使した本作ならではな展開と、やたら丁寧な走馬灯描写は思わず膝を打ち笑いが漏れた。先に挙げた殺陣師・関本とのやり取りも、本物の侍だからこそ殺陣の世界の勝手がわからないというすれ違いが生じている訳で、納得づくの描写になっている。壮大なジェネレーションギャップに由来するコメディは尽く滑稽なのに、描かれている事柄のすべてが単なるおふざけに留まらず、新左衛門やものづくりに励む撮影スタッフのキャラクターに奥行きを与えているのだ。

ある場面では、主人公の新左衛門はそれまでの丁髷に着物という格好から脱し、身なりもマナーも現代の生活に適応するシーンがある。それまで肩入れするほどシリアス・コメディの両面で丁寧に人物造形がなされていたからこそ、その「普通の装い」が逆にシュールに見えてしまう倒錯が巻き起こるのも今作ならではのポイントだろう。

 

後半の意外な展開、そして思いがけない熱さ

こうしたコメディを挟みながら主人公が斬られ役として身を立てていく過程が前半かなり丁寧に描かれており、全体尺の上映時間も131分ある。正直、この手の軽い調子で楽しめるコメディ作品としてみた際に、120分を超えてくるというのはかなりハードルが上がってしまいはする。セオリーに則っていくなら100分程度に収めるべきところだ。

しかし、前半で上質なコメディを一通り楽しみ慣れてきたところ、物語が後半に差し掛かったその時、こちらをあっと言わせる意外な展開が訪れる。そして前半の高坂新左衛門が戸惑いながらも現代に適応していく様を観客に印象付けたからこそ、ここで設定される物語の目標に対してそれまでとは異なる別種のスリルへと物語の軸が切り替わり、退屈を遠ざける。

この後半の意外な転調はネタバレなしでぜひとも見てほしいのだが、あの時代を生きた者を再現する装置としての時代劇、そして実際に生きてきた者がタイムスリップしてそれを演じるというSFの双方が交わる熱いシーンがあり、クライマックスは劇場に座っていた観客全員が目を釘付けにしながら固唾を呑んで見守る時間が生まれていた。かつて国の将来を憂いて戦っていた主人公の侍は現代では時代遅れの存在であるし、彼が参加する時代劇ももはや製作本数が年々減少し、今や地上波のテレビでは絶滅状態にあるという二重の危機に対する回答として、それでも後世に残していこうとする情熱は、トム・クルーズ主演の『トップガン マーヴェリック』を彷彿とさせた。また、過去の名作時代劇では黒澤明の『椿三十郎』や小林正樹の『切腹』に匹敵するにらみ合いの緊張感、そして太刀筋の一振り一振りに目が離せない殺陣が再現されており、去りゆくあの頃を幻視してしまうほどの死合いがそこにあった。

侍が現代にタイプスリップし、時代劇に斬られ役で出演するという設定。攘夷派・新政府軍が争う幕末時代劇、タイムトラベルSFを筆頭に、時代錯誤な過去の存在が現代に紛れ込みカルチャーショックを受けていくシチュエーショコメディ、あるいは本物が周囲にそれとは知られずに功績を上げていくお仕事サクセスストーリーといった要素を切り分けて見ていくと、パーツ単位ではどれも新鮮味がある訳ではない。それぞれ連想される過去の作品は枚挙にいとまがないことだろう。

しかし、この映画はそのどれもが高品質で観客席を沸かせながらも、そこで緩んだ口元を引き締めあげるほどの真剣な殺陣が同時に存在している。時代劇という過去のカルチャーへの賛辞を捧げつつも、それが廃れゆく今この時に作り続ける矜持を込めた作品として、唯一無二の味わいを感じられる作品だった

 

太鼓判を押せる面白さ

繰り返しになるが、この『侍タイムスリッパー』は、本物の侍がそうとは知られずに現代社会で「斬られ役」として身を立てていく、というあらすじに少しでも興味のアンテナが反応すれば観に行って損はない。躊躇なく太鼓判を押せる出来だ

細かなカット割りや寄りの画で誤魔化さない見応えのある殺陣も、本物にしか見えない主人公の侍らしい佇まいも、撮影に励むスタッフたちの温度感も、大きな予算をかけた邦画ではこぼれ落ちてしまいがちな拘りがそこかしこにある

コメディ作品としても間のとり方や編集のリズムも冴え渡っており、お約束にきちんと応えるサービス精神と観客の予想を裏切ってくる意外性もある。

かつて同じくミニシアター発で最終的に全国の映画館へ拡大するムーブメントを起こした『カメラを止めるな!』とはまた別種の丁寧さに満ちた作品だが、この映画が大きな動きを生んでくれると単なる一観客としても喜ばしい。

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