『ToHeart』12話「想いの季節」感想

スポンサードリンク

12話「想いの季節」

「ジングル・ベル」が流れる街中を歩く志保とあかり。試験が終わり、大きなイベントも残すところ球技大会とクリスマスだという。「想いの季節」というタイトルに示し合わせるように、志保はクリスマスを共に過ごせる理想の相手がいないかと冗談めかしながら口にするのだった。

この冒頭の街中の掲示によると1999年が舞台だったらしい。だから体操着がブルマだったり、携帯電話もまだ一般的でなかったりするのかと納得するが、考えてもみると単にこの作品が制作された年を舞台にそのままセッティングしただけだ。それにしても、このアニメを見ていて覚える学生時代への妙な郷愁は、当時の視聴者も同じように感じていたのかは少し気にかかる。

浩之と雅史は球技大会の練習、あかりは料理クラブの打ち合わせと各々用事があり志保は一人で街をぶらつくも、クリスマスシーズンということもあってか肩を組んで歩くペアばかり。クリスマスシーズンの街を覆う、このちょっとしたロマンティックイデオロギーの気配は誰しも思い当たるところがある。加えて、この時に再開した中学の同級生に「何十年ぶり?」みたいなことを言ったり、あかりとの電話で中学時代を指して「あの頃って若かったよね」と、志保がその歳にしては妙に可笑しなことを言うのだが、こういうことを言う子って学生時代に割といたことを思い出すのだった。こういう見たことあるような台詞のセンスは、見掛けるにして実写作品ばかりで、今のアニメではほとんど見ないので新鮮ですらある。

この回ではこうした志保単独の描写から始まるように、浩之達の友人の一人として毎回のように顔を出していた彼女が、ここにきてモノローグなども交えて内面や背景が描かれることになる。クリスマスという「想いの季節」に際して浩之に対する感情を自覚するエピソードな訳だから順当な語り口だ。

志保は中学時代の思い出のあったライブハウスでクリスマスパーティを開催することに決める。ここで回想シーンを一旦保留してから、あかりとの電話にてかつて喫茶店で浩之と雅史とも仲良くなった件を語り、球技大会の練習を見ている最中に、そのシーンの続きが志保の脳裏でリフレインされる。見る側の注意を惹きつけるような順番で、徐々に志保の動機の革新が浮き彫りになっていく流れを取っている。回想を引き出すきっかけは相変わらずな調子で球技大会に励んでいる浩之であるし、回想の中ではやはり浩之との気の置けない会話がある。静かなノスタルジーを纏ったサキソフォンの音色が華を添えつつ、そこでは出会った時から今と変わらない調子の志保と浩之の様子があり、他愛のない内容であるはずが、今に至るまで連綿と続いてきた二人の起りを目撃したかのような気分になれる。気づけばそれを感慨深く浸っている志保の表情にごく自然と同期している。

それだけに突然響く雅史の叫び声とボールが当たって志保の崩れ落ちる志保の姿には、かなりひやっとさせられる。ここの志保とボール二つの動きの生々しさがいい意味で浮いていて、ここまで志保というキャラクターがあくまで浩之の友人の一人として纏ってきた能天気なイメージの膜を、痛みを想起させ得る確かなアニメーション表現が突き破ったと言わんばかりだ。

単にボールにぶつかるイベントだけを目的にするのなら、不意に飛んで来たボールだけ描けばいいだろう。しかしここでは浩之から待ってろと言われてボールを受け取り、一緒に弾け飛ぶような余分なアイテムをわざわざ描いているというのが示唆的である。些細なアイテムだが、この浩之から何気なく受け取ったボールを見つめ思い出に浸りながら、それを落としてしまうという一連の流れが、その後の志保の心の揺れ動きに説得力をもたらしているとさえ思う。浩之が怪我した志保を見て最初は少しムッとするような事を言ってきてから結局怪我の様子を見たりバッグを拾って気にかけてくれるという行動は、普段の浩之と何ら変わらないが、それが今の志保にとってはこれまでとは異なるニュアンスを帯びて映るのだ。

ここでやっと、浩之が怪我した志保に顔を近づけてそこから目を背けるという、「らしい」イベントが訪れる。しかしこれが陳腐に感じられないのは、ここまで描かれてきた志保が、2話の自販機前で零していた浩之たちとの間にある微かな隔たりを抱えながら、あくまで友人として振る舞ってきた志保という「友人キャラ」の一貫性とその魅力が、写実的な枠組みの中でもきちんと質量を持って感じられてきたからだ。また、思い返せば、あのシーンにおいて表面上はチケットの件を伏せて出てきた中学時代からの付き合いである浩之、あかり、雅史に対する発言は、志保自身が無自覚に出来上がった関係に対しての焦燥が表出したものではないかと思えてくるような仕掛けになっている。この12話で志保が抱いた感情は何も急拵えされたものではなく、実は背後で燻り続けていたところに、クリスマスを契機に薪をくべられたに過ぎないのではないか、といったことを大いに想像させる。

スポンサードリンク

最終エピソードらしく、Bパートではこれまで出てきたヒロインキャラクターが総出で出演。台詞はないが、ここまでの蓄積から、それぞれのやり取りの様子を脳内で再生したくなるようなシークエンスである。そんな中で頷くだけの芹香がやけに際立つ。

球技大会では、あかりが浩之を応援する傍らで、志保はいつもとは異る様子でいる上、あかりからの買い出しの手伝いの申し出も遠回しに断ってしまう。志保が部屋で突っ伏している際、8話で映り込んでいた写真がここで再登場するも、浩之達のグループの歴史の一端を垣間見せるアイテムから一転して、その関係が終わってしまうのではないかという予兆へとニュアンスが変質して映る。これら一連の志保の内面は台詞にせずとも、その身にのしかかっているであろう等身大な重圧を表情と仕草によって掴ませており、語らない演出が貫かれている。直前のパーティに次々と知人たちを誘っていく賑やかなシークエンスからの落差も、志保個人の憂いを浮き彫りにしていると言えるのかもしれない。

そんないつもと異なる様子でいる志保に話しかける形でレミィが再登場。今まで何かと浩之達と接点を持ってきた扱いからすると、Bパート始めに真っ先に出てきてもおかしくないキャラクターだったのが、ここまで登場を控えていたのは、6話にあったように志保とは仲が良く、それ故にあかり以外から志保の背中を押せる人物として登用したかったからなのだろう。もっとも、レミィは主役回がなく、本作では一貫して浩之達の他のクラスにいる友達という扱いであり、それ故に恋愛にまつわる人の機微に関与する描写・展開もなかったため、ここでの「灯台下暗し」の恋愛の話は、やや唐突さが否めないのが率直な所。レミィ曰く「志保はとっても女の子らしい」そうだが、そう言う彼女たちふたりの具体的な関係は(ゲーム未プレイなせいもあって)よくわからないのだ。

レミィについては、ミックスルーツを美少女文脈に合わせてデフォルメ化(俗っぽく言い換えれば属性化)した造形の特性上、主役回でフォーカスするよりも、それを用いて準レギュラーとして賑やかしを演じさせる方の選択を取ったのではないかと推測できるが、その反面キャラクターを持て余してしまった印象も持たれる。これは本作の明確な不満点でもあるが、むしろ本作ならではのアプローチで、レミィの具体的なドラマも見てみたかったという興味の裏返しでもある。

レミィからの言葉を受けて、志保は浩之を一方的に引っ張り出して買い出しに行き、とうとう抜け駆けの様相を呈していく。6話で志保が浩之と理緒のデートを目撃してあかりに知らせていたのとは打って変わって、今度は自分が浩之と出掛けてそれを雅史に見られるという逆転が起こっている。ここで6話の時以上にはらはらさせるのは、浩之達にとっては知り合ったばかりの闖入者だった理緒と異なり、志保は浩之ともあかりとも親友の関係であり、今度ばかりはあの時志保が言っていたような「爽やかでささやかな出来事」で終わないかもしれないからだ。それは、これまで何気なく続いてきた当たり前の関係がそうでなくなる兆しにほかならない。したがって、あかりの代わりに寝ている浩之を起こしに行くという行為は、ここまでの積み重ねてきた描写の上では、ある面では一線を超えているようにも映るのだ。穏やかな音楽に乗せて、もはや本作の十八番とも言えるハーモニーカットで次々と浩之とのショッピングを楽しむ志保の様子は、動作と場面の省略によりあっという間に時が過ぎる感覚をもたらす一方で、感情に身を任せて先走る高揚感も醸している。

これだけ浩之に対して志保の心情を漸近させておきながら、最後を締める志保のモノローグは「あんな奴、好きな訳ないんだから」である。こういった展開を想定するなら凡そ「好きなんだ、アイツのこと」といった台詞を言わせてしまいそうなところを、最後まで志保にクリティカルなことは言わせない。つまり、そうした決定打を、胸の内であれ、誰かに対してであれ、言うか言わぬか自体は持ち越されるのだ。しかし見ている側としては、十分すぎるほどに波乱の到来を予感させるものであり、ひいてはここまで見てきた浩之達の関係が終わるかもしれないという予兆が示されているのだから、最終話を前にとても穏やかではいられない幕引きになっている。

スポンサードリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です