芸術家達との出会いで広がっていく少女の未来『ディリリとパリの時間旅行』レビュー【ネタバレ】

スポンサードリンク

アイキャッチ画像: (C)2018 NORD-OUEST FILMS – STUDIO O – ARTE FRANCE CINEMA – MARS FILMS – WILD BUNCH – MAC GUFF LIGNE – ARTEMIS PRODUCTIONS – SENATOR FILM PRODUKTION

こんにちは、左利きのワタリ(@wataridley)です。

今回はミッシェル・オスロ監督のアニメーション映画『ディリリとパリの時間旅行(原題: Dilili a Paris)』の感想を書いていきます。

今作の舞台は19世紀末〜20世紀初頭あたりの所謂ベルエポック真っ只中のパリ。実写で切り取られたパリの街をコンピューターグラフィックで形作られた登場人物たちが活気づけます。

ジャンルとしては謎の組織による少女連続誘拐事件の真相を突き止めるというミステリーなのですが、見てみると意外にもそうした事件解明に向けての切迫した空気よりも、数々の著名なアーティストとの出会いや道中に起こるちょっとした出来事を経ていくほのぼのとした旅行記のテイストが強いです。とはいえ、単なる懐古主義というわけではなく、フランスらしい現代風刺もきちんと込められています。

単に外見を楽しむもよし、歴史に想いを馳せるもよし、こういうことは今もよくあるよねと考えるもよし。シンプルな筋書きの中に色々な感情を誘う風景が出てくるのです。

以降、ネタバレを含めた感想を書いていきますので、未見の方はご注意ください。


71/100

ワタリ
一言あらすじ「見られる側から見る側になって世界は広がる」

ディリリとオレルがパリで経験すること

パリで起きた誘拐事件を解決すべくディリリとオレルが奔走するというきわめてシンプル筋書きの中、今作は単なる事件解決のバディものに留まらない、豊かな経験を示してくれている。

多くのシーンにおいて、カメラワークは基本的に固定的であったりするし、激しいアクションシーンや凝った仕掛けの演出があるというのでもない。しかし、その絵本のページをめくるようにして次々と出来事に立ち会っていくと、ディリリの目線から世界が広がっていく心地が広がっていくのである。

 

パリ万博における民族展示

今作の物語はどこか見知らぬ土地に住まう民族の生活の様子から始まる。言葉もファッションも暮らしの様式も何もかもが異なっている。やがてカメラが引き、ギャラリーの1人であるオレルとエッフェル塔の根元が映ることで、パリの中にある見世物であることがわかる。

フランス植民地であるニューカレドニアからやってきたという少女ディリリは、博覧会における民族展示の1人として働いていた。この描写は、19世紀後半〜20世紀前半のパリ万博では黒人村や植民地の原住民集落といったものが展示され、人々がそれを娯楽として楽しんでいたという実際の歴史に基づいている。『グレイテスト・ショーマン』のモデルとなったP.T.バーナムも本来はこうした人間動物園ビジネスをした興行師として知られており、1870年代〜第二次世界大戦までドイツやベルギー、スペイン、イギリス、イタリア、アメリカなどの列強の国々では自国中心主義に後押しされた途上国への偏見がこうした興行に繋がっていた。人間を展示するなんて今では考えられないことではあるのだけれど、差別や偏見がひどかった時代には、植民地主義やレイシズムへの疑いは向けられることなく、商業的な成功を収めた。今となっては負の歴史である。

そんな苛烈な状況に置かれていたディリリは、パリの人々から見られるばかりの身である。しかし配達人オレルとの出会いを契機に今度は自らがパリを見て回る側になる。その光景は、ディリリを囲っていた後ろ暗い負の歴史を軽はね除ける多様性に満ちていた。

(C)2018 NORD-OUEST FILMS – STUDIO O – ARTE FRANCE CINEMA – MARS FILMS – WILD BUNCH – MAC GUFF LIGNE – ARTEMIS PRODUCTIONS – SENATOR FILM PRODUKTION

 

当時のパリを生きたアーティスト達との出会い

男性支配団を追う過程で、ディリリとオレルは様々な人と出会いながらヒントを得る。サラ・ベルナール、ドビュッシー、パスツール、ピカソ、ルノワール、セザンヌ、ロートレック、ドガ、マリー・キュリー、エマ・カルヴェ、ロダン、カミーユなど、枚挙にいとまがないくらい多くの巨匠が登場し、ディリリに助言を与えてくれる。

しかし、ここで重要なのは事件に関する手がかりというよりも、当時を生きたアーティストがみなディリリの興味や関心に寄り添ってくれることにある。ディリリは彼らの分野に大きな憧れを抱き、出会った人々の名前を記録し、将来の夢を増やして行く。そんな彼女の心意気を容認するアーティストの姿が優しい。ディリリを絵のモデルにしてみたいというピカソら洗濯船の人々、ディリリと並んで絵を描いて彼女の作品に感想を述べるロートレック、抱擁を教えるエマ・カルヴェなど、芸術に生きる人々が外国人の年端もいかない少女を見る視線は寛大で温かい。こうありたいと思わせる景色が、かつての時代と実在した人物によって実現していくというだけでも、この『ディリリとパリの時間旅行』はディリリのようにつらい現実に生きる人々にとっての心のオアシスになり得るのではないだろうか。

スポンサードリンク

また、彫刻家ロダンの数ある作品の中でディリリが一番だと指した作品は、ロダンの弟子で不倫関係にあったカミーユ・クローデルのものだったという描写も愉快だった。カミーユを真っ当に評価するディリリがいたように、身の回りにつきまとう翳なんか気にせず、作品を鑑賞してくれる人は必ずいるものだ。

捜査過程において他の芸術家に比べて長めに登場するロートレックも、密かに作品の見どころのひとつになっている。遺伝子疾患を抱えていたことから背が低く、不遇な青年時代を過ごしていたという彼は、男性たちのコミュニティに参与せず、娼婦と関係を持ったり、ムーラン・ルージュなどのダンスホールに入り浸っていたらしい。お日様を堂々と浴びることのない「夜の住人」である彼がディリリと親交を持ち、絵の題材にしていたムーラン・ルージュが出てくるのも納得がいく。

(C)2018 NORD-OUEST FILMS – STUDIO O – ARTE FRANCE CINEMA – MARS FILMS – WILD BUNCH – MAC GUFF LIGNE – ARTEMIS PRODUCTIONS – SENATOR FILM PRODUKTION

 

支配されてしまう性と年齢

「男性支配団」なんて、かなり直接的な名前で、もはやメッセージを包み隠す気などないようだ。しかし、今作が訴えたいからこそ、こうなっていると言える。

描かれている誘拐事件は、まだ社会性を獲得しきっていない少女を攫って、自分たちの都合のいい情報を垂らし込むという計画の一端だったことが明かされる。男性優位の思想は女性たちを腰掛けに使うこととして例えられる。

ディリリとオレルが夢を膨らませて行く楽しげで長閑な芸術家との出会いとは対照的に、これらの男性支配団の一連の描写はどれも生々しくジメッとしている。はっきりと嫌悪感を抱いてしまうものである。ディリリを抱擁してくれるエマ・カルヴェらのように、むやみやたらに誰かを虐げ、抑圧するを否定し、各々が志す多様な表現を認めていくことが芸術にとっての理想だ。逆に、他者への想像力を欠いた態度は団長の如く醜くなってまうのだという警鐘が男性支配団という敵なのである。

無知な少女たちを攫うという構図は、皮肉にも『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でも話題となっているマンソン・ファミリーなどにも共通している。男性による支配と搾取が似通ってしまう背景には、ディリリと芸術家が持っている想像力がどこかしこも欠けているからなのかもしれない。

やり口は少々明示的すぎるきらいがあるけれど、男性支配団の暗躍というものは他人事の問題ではないからこその居心地の悪さを覚えた。

 

絵本と写真の世界にトリップしたと思えるビジュアル

種々様々な芸術家たちとの出会いがディリリの世界を広げていく物語において、その舞台の描写にかかる責任は重大である。そんな今作のビジュアルは他に類を見ない独特な雰囲気を放っている。

全編にわたって目につくのが美しいパリの景色だ。ざらざらした石畳があって、手すりや電飾が優雅な形を取っていて、古風なお屋敷からシンボリックなエッフェル塔まで様々な建物が綺麗に画面内に並んでいる景色は、洒落た絵本を見ているようだ。だが、写真のようにリアルで、その質感や空気が伝わってくる。

一方でそこを動く人々は、画用紙の上にアクリル絵の具で描いたような手触りに見える。陰影は大胆に排除され、着ているファッションの主張を強めしている。背景からとても浮いている人物絵は、まるで折りたたみ絵本の人形みたいにも思えて、童話の世界を旅している気分にもなれる。主要人物だけではなく、背景に出てくる人物も当時の装いで皆それぞれの動きを取っていたりもするので、とても密に作り込まれていることがわかる。

実写風の背景がベルエポックのパリへのトリップ感を強めると同時に、紙に描かれたように見える人物の作画がおとぎ話のような浮遊感も持たせてくれる。鑑賞している最中、現実ともファンタジーともつかない、独特な世界に迷い込んだという感覚を得られて、これは面白い表現だと思った。

(C)2018 NORD-OUEST FILMS – STUDIO O – ARTE FRANCE CINEMA – MARS FILMS – WILD BUNCH – MAC GUFF LIGNE – ARTEMIS PRODUCTIONS – SENATOR FILM PRODUKTION

 

まとめ: 夢を見る人を後押しするパリへの憧れ

エッフェル塔の周りを飛ぶ、たくさんの子供を乗せた飛行船。それを目撃する晩餐会の大人たち。この映画は首尾一貫して未来に向かう子供に広い世界を見せようとする。そして大人たちがなすべきはそれを否定するのではなく、このように見守ったり、その夢を後押しすることなのだ。

現実には想像力を欠いてしまうと、いつのまにかそれとは気づかない形で男性支配団となってしまう。男性支配団にまつわる描写は説明的であるし、特に後半は尺に対して性急な展開に感じられるのだけれど、実際に解決しなくてはならない困難にはちがいない。

この映画に描かれている創造的な人々は、苦境を経験してもなお自分たちの夢を追い、他人の夢も後押ししてくれる。ディリリとオレルのような人達が際限なく夢を増やせる世界を仄かに求めたくなる映画だった。

 

関連記事: 子どもの可能性にかけている作品

▼時代の荒波を駆け抜ける少年少女を描いた新海誠最新作『天気の子』

 

▼想像することを諦めてしまった”敵”に立ち向かうドラえもんとのび太達『映画ドラえもん のび太の月面探査記』

 

▼探求心を持つことのたいせつさが少年のひと夏の研究から見えてくる『ペンギン・ハイウェイ』

スポンサードリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です