第1話「新しい朝」
番組開始のたった2分のアバンでとてつもない作品が始まった。そんなことを思い知らされ、気づけば全13話のアニメシリーズを最後まで鑑賞しきっていた。
セル画を用いたアナログ撮影の懐かしく温かい画調はさることながら、小林プロダクションの手がける思い出を映した絵画のような美術の中、しとどに啜り泣く少女を置いていく通学路をよそに、ため息をつきながらも濡れ落ちていた教科書を拾い上げる少年という光景からごく自然と流入してくる両者の関係。彼の抱える傘が揺らめき、持ち手という軸を失って回転する挙動の細やかな演技。そうした実感のこもるアクションがひけらかされることなく挿し込まれた末、今やあまり見なくなった(出﨑統を彷彿とさせる)ハーモニーカットによって、少女の見ていた情景は見ていた側の網膜にまで焼き付けられる。もうこの時点でこの作品の虜になったと言っても過言ではない。
アニメ『ToHeart』はこうした静謐な空気の中でキャタクターの細やかな表情と動作を示す演出が全編に渡って光っていた。監督:高橋ナオヒト、キャラクターデザイン・総作画監督:千羽由利子らを筆頭とした各セクションが緻密に仕事を果たして生み出された画面は終始見応えがある。
特に千羽由利子が手がけるキャラクターデザインは全編に渡って目を画面に釘付けにさせたと言っても良い。画面に華を与えるキャラクターは愛嬌を振り撒くのみならず、時折その表情に奥ゆかしい翳りを映し、限られた30分アニメの枠組みの中に豊かな情緒をもたらしている。瞳が大きく描かれたアニメ絵の美少女キャラクターという数多ある類型の中でも、その瞳や口元の線の微かな筆使いにそれらとはかけ離れた温もりが宿っている。
とりわけ1話において、主たる視点を神岸あかりに据えながら、彼女が「ひろゆきちゃん」と呼び慕う幼馴染の藤田浩之へと向ける視線が印象的に描かれる。これはこの作品全体を通しての特徴でもあるのだが、その視線によってある時には微笑ましくも、またある時には緊張をもたらしている。
1話は主役二人の幼少期から幕を開け、新学期の朝の景色を流し、その中でこれから物語を彩っていくキャラクターを登場させるというオーソドックスなスタイルを踏襲してこそいるが、AパートとBパートを跨ぐ話の中心はホームルームで催されるただの「席替え」である。一見すればなんの変哲もない日常風景に過ぎない話であるが、等間隔に机と生徒が並んだ教室はカット毎に緻密に設計されたレイアウトやガヤの芝居によって奥行きが与えられ、その空間をあかりの一筋の視線が通り抜けていく秘密裏のドラマは、静謐だが確かなものとして実感される。視線を向ける、視線を外す、視線を交わすというシンプルな日常動作を、ここまで健気なものとして映せるのも、その外堀が埋まってこそなのだ。激しい感情が衝突するような重大な事件はたしかに起きていないが、ごく身近な出来事に接して発生する些細なアクションや機微が丁寧に拾われており、あかりの内情に同期すれば、それは十分ドラマティックに映る。
この作品の主題は、言ってしまえば、あかりのモノローグで語られている通りである。浩之とずっとこの時を刻み続けていくという信愛を持ち続けているあかりであるが、当の浩之はというと、夢で見た景色とはすっかり変わって気だるげな高校生へと変わってしまったようにも見える。しかし、あかりが夢で見た景色は後半にさりげなくリフレインされ、劇中に流れる変わらぬ時への情緒がたしかなものに感じられるようになっている。気取らずあっけらかんと席替えの準備に助け舟を出し、志保やあかりの半額サービスでカラオケに行きたいという望みにも表面上は不満を垂れながらも結局は付き合ってくれるという浩之の人柄。そして、それを見つめ続けるあかりの視線。その両者の変わらぬ関係が、「席替え」というありふれたイベントで捉え直されるというのがこの1話の、そしてこの作品の最終話に至るまで一貫するテーゼなのである。
正直、始業式や夜のシーンで流れるあかりのモノローグは、人によって過剰と感じられることもあるかもしれない。1話の構成から受ける印象と緻密な描写の連続だけでも、上記のような感覚は得られると個人的にも思う。とはいえ、これがTVアニメーションの1話という物語の導入にして、この作品がどういった内容であるかを視聴者に伝えなくてはならない位置づけである事情を汲めば、ここはオーソドックスなTVアニメらしい選択を取ったと解釈できる。視聴者はこの1話を踏まえてさえいれば、方向性を見失わずに済むように作られているのだ。
いずれにせよ、この1話は時間内に描かれたことがある意味では作品の全てとも言え、魅力をたっぷりと詰め込んだ珠玉のパッケージと言っても全く誇張にならないだろう。
ところで、OP曲「Feeling Heart」をアップテンポにアレンジしたBGMが流れる次回予告での登場人物の会話は、次回予告用に録った台詞ではなく、実際のシーンから抜粋して流しているだけである。それにしてはきれいなぐらい次回予告が成立しているという妙を感じ、近年あまり見なくなったTVアニメのパッケージごとの作りの丁寧さを垣間見れて密かにこの次回予告は毎回の楽しみでもあるのだった。
コメントを残す