こんにちは、ワタリ(@wataridley)と申します。
1月はなかなか映画を観れませんでした。大学の試験やら個人的な用事ごとでキングスマンGC、デスティニー、パディントン2の3本に留まりました。
しかし、数打ちゃ当たる…とは時にあてはまらないもので、数打たなくても当たりました。映画との出会いは奇妙なもので、パディントン2がとてつもない傑作だったのです。
本日は英国紳士クマさんムービー堂々No.1のパディントン2をレビューします。
本文はネタバレを交えていますので、ご注意ください。
Manners Maketh Man(マナーが人を作る)ことキングスマンもいいけど、Bears Make Men Happyなパディントン2もいい。
85/100
クマのパディントン
今作の主人公パディントンは、ペルーの森からイギリス・ロンドンへとやってきた人語を話すクマ。現在はブラウン一家にお世話になっていて、そのあたりの馴れ初めは前作「パディントン」にて描かれているようです。
自分は前作を観ずに2から入りましたが、特に問題ありませんでした。
(C)P&Co Ltd./SC 2017「Paddington 2」
パディントンのバックボーンは今作できちんと示されていますし、ウィンザーガーデンで振りまく彼の親切を見るだけで「クマなのに人に受け入れられている」という違和感はあっさりと解消。
朝起きて耳と鼻の穴と歯を磨いてから、朝食の卓で耳にしまったコインを指されたり、ヘンリーにズレた返答をする丁寧だけどちょっとズレた性格が面白いですね。街へ繰り出して行くシーンでは、流れるようにパディントンと人々が交流していく様子が映し出されます。
冒頭のルーシーおばさんへの手紙の中でブラウン一家の近況を嬉々と語るパディントンからも、この世界の愛おしさが伝わってきました。実にさらりとパディントンのキャラクターと周囲との関係性を描いていくのだから、観ている側も自然に話に乗せられてしまいますね。
こうした些細な彼の日常の中にも後々活きてくる要素が多数示されていおり、画面には終始釘付けでした。
自分がパディントンに肩入れしたくなった最大の場面は、やっぱり絵本の世界です。ロンドンに来ることができなかったルーシーおばさんを想い、「せめて気分だけでも届けてあげたい」という健気な想いだけでも心に響くのに、飛び出す絵本に入り込むファンタスティックな映像美が感動をさらに増長させてきます。パディントンの純真さや他人を想う心根の優しさがこのシーンいっぱいに溢れていて、2から観た自分でも応援したくなりました。
パディントン自身の仕草やルックスにも親しみを覚えました。彼、見た目はデフォルメがあまりなされていないリアルな熊なので、時折生々しい表情や目つきを見せてきます。一見すると怖くもあるその動物らしさと、人間味あふれる語り口や仕種の組み合わせがとてもチャーミングでした。
子グマだからといって幼い声にするのでもなく優しい男性的な声をもつベン・ウィショーをあてたのも見事なマッチングでしょう。真面目な気質でありながら、しばしばウィットに富んだ言葉使いをするパディントンのキャラクターにとても合っています。刑務所をビクトリア調でセキュリティ万全と形容してみたり、かつて人気俳優だったこと(used to be)や現状(now do dog food commercial)をブキャナンにそのまま伝えちゃう悪気のない毒づきは可笑しかったです。
笑いや捻りに満ちたスラップスティック
バイトを始めて、不器用さ故に苦戦する様子は観客を大いに楽しませてくれました。
美容室では後に判事となるおじさんの後頭部を剃り上げてしまう大失敗。ドタバタしてコードが巻きついていくピタゴラスイッチな展開とパディントンのリアクションは、傍観している分にはとても笑える出来事です。
この作品のすごいところですが、単に笑えるだけではなく、くだらない事もきちんと後に繋がってきます。マーマーレードを薬品と称して塗り込むのも、観客にマーマーレードを印象付けて、後にキーアイテムになっていく伏線。出てきた判事も絶対私情まじえてるだろ!という判決を下しますし、最後の列車パートにまで出てくるという天丼ギャグも面白い。
美容室をクビになったパディントン。ブキャナンからかけられた言葉の比喩「梯子を登る」に触発されて、今度は窓拭きバイトを始めます。色々あって自分の体毛を使って窓を綺麗にしていくことに。
この過程で家に閉じこもりがちな空軍大佐の心を開き、図らずも売店の女性と引き合わせるキューピットになるわけです。ここで出てきた梯子も後で使うし、積みあげた「徳」もまた役に立ってきます。
ウィンザーガーデンの窓をあらかた綺麗にし終えて、いよいよお金も目標に達しようかという時、雑貨店に泥棒が入り込むのを目撃したパディントン。ここで、窓にへばりついて付着した鼻の跡をきちんと窓拭き道具で拭き取る始末の良さ。いちいち間にクスッとくる絵を入れてくれるから、どんな些細なシーンであっても退屈しません。
子グマゆえの体重の軽さを活かし野犬のウルフィーに乗っかって泥棒を追いかけますが、かなわず。有罪判決で刑務所入り。なんとスピーディな刑事裁判描写なんだ…。
刑務所でも礼節を忘れない
刑務所に入ってからもパディントンはルーシーからの言いつけを忘れず、mannersと自分に言い聞かせます。娑婆から追放された強面のおっさんに怖気づきながらも、気さくに話しかけようと試みるところに彼の良さを感じますね。
初めての刑務作業は、懲役者の服のお洗濯。大量の洗濯物を捌いていく様子をコマ送りで映したり、洗濯機の蓋を次々閉めてパディントンが手前に迫っていくなど、こんな些細なシーンであっても画作りにも余念がない。なぜか紛れていた赤い靴下もいっしょに回され、懲役者たちがみんなピンクフラミンゴになってしまったのには大笑い。
しかし、やはりここでも一発芸に留まらない演出の巧みさがみて取れます。このピンク、ちゃんと後に活きてくるから素晴らしい。
頑固で巨体、料理なんて繊細な作業に向いてなさそうなナックルズにだってマーマーレード作りの際「オレンジを搾るのにいい腕だ」と言ってあげるパディントン。
(C)P&Co Ltd./SC 2017「Paddington 2」
彼の「人の良さに気づく」優しさが発揮され、やがてはそれが刑務所全体に及んでいくシーンは、「隣人を愛せよ」と歌う音楽を交えて愉快に運んでいきます。
不味い料理を延々と作り続け、またそれを食し続けていた惰性的な空気がパディントンによって打ち破られ、ファニーなピンクが結果として馴染んでいく。ギャグとして使われていた色が、刑務所の空気の変化に後からついてくる演出は見事でした。
笑える面会シーン
劇場で一番笑いが起こったシーンは、面会でした。
(C)P&Co Ltd./SC 2017「Paddington 2」
刑務所に入ってさぞ寂しい生活をしているだろうという家族の心配をよそに、次々と出てくる懲役者のお友達。いくらなんでも多すぎるし、みんなパディントンとソリの合わなそうなおっさん。
中には汚職で捕まったっぽい元政治家らしき人までいて、きちんと個性に沿ったセリフを吐くのだから滑稽です。
防音のスイッチを押したと思ったら、ただの消灯スイッチで悪口丸聞こえだったというギャグで劇場は抑えきれない笑いが起こってました。
こんな感じで下手なコメディ映画より笑えるのだから、脚本も演出も考えこまれてると感心しました。
パディントンに襲い掛かる喪失
おそらく前作で固い絆を結んだと思われるパディントンとブラウン一家を、刑務所で引き裂かせたのもうまいですね。
寝る前に絵本を読んでもらえるように刑務所がいくら快適であっても、家族と会えない日々はとても辛いものです。
ブラウン家は各々、パディントンの濡れ衣を晴らすために頑張るのですが、それが裏目に出て面会に来れなくなってしまいます。
そうして見放されたと思ったパディントンは涙をこぼし、落ちた先から芽が吹き、故郷の森となり、ルーシーおばさんとの再会を夢想。
この場面は、刑務所仲間からも言われていたブラウン家に対する疑心が確信に変わり、もはや外で自分を待つのはルーシーおばさんだけである、という心情を表現したのでしょう。
ルーシーおばさんを演じるイメルダ・スタウントンは、ハリーポッター 不死鳥の騎士団のドローレス・アンブリッジが印象に残っていたのですが、我が子を慈しむ老女声にはうるっとさせられました。
彼女への慕情がパディントンに脱獄を決意させ、束の間ではありますが、喪失からくる孤独を味あうことになります。
この映画、こうしたセンチメンタルなシーンを入れても、次の脱出劇へテキパキと切り替え、観客を退屈させません。
仲間と脱獄するシーンでは、横から捉えた映し方で、軽やかに部屋からダストシュートへ滑り込んでいく様子にワクワクさせられました。振り子を伝うハラハラした画や歯車に挟まれながらも登っていく可愛らしい姿まで挟んできます。刑務所内の設備を取って、気球を完成させるのも実にさりげなく行われていて、見応えある脱出劇でした。
ルーシーしか心の支えが無くなってしまったパディントンの悲しみは、家への電話までの短時間に表現されていたことだと思います。パトカーに怯え背中を丸める姿やズタズタに荒れ果てた電話ボックスが、彼の心情を表していたのではないでしょうか。
擬似的な家族との別れを無理なく描きながら、その合間に目で楽しめるシーンを入れ、必要以上に引っ張らず、クライマックスへ運ぶ脚本の技量に唸らされました。
汝、隣人を愛せよ
終盤、パディントン駅へ向かう際、毎朝勉強を手伝っていたゴミ収集業者が助けてくれることになります。
ウィンザーガーデンから助けに行こうとする家族もまた、パディントンに助けられた人々によって車の後を押してもらうことに。毎朝朝食を食べさせてあげた女性や、鍵を注意してあげていた男性、窓をきれいにしてもらった大佐がここへきて彼を救う力になってくれる描写は、「他人のためにしたことは後々自分のためにもなる」というメッセージを含んでいるのではないでしょうか。
刑務所での歌にもあった話ですが、聖書には「汝、隣人を愛せよ」という有名な言葉があります。愛されるためには愛しなさい、ということです。
ここでの隣人とは物理的な隣ではなく、あなたの身近にいる人、出会う人すべてを指しているのだと広げて解釈していくと、パディントンの行いにも重なってきます。ペルーの奥地からやってきたよそ者であるはずのクマが、その惜しみない親切心によってロンドンの人々を助け、時には刑務所にいる人たちさえ巻き込んでいく構造はまさしくそうです。
この「与えられる前に与えよう」というスタンスは、映画では一貫して善いこととされています。パディントンはどこへ行っても誰に対しても与えるから、どこの誰にでも受け入れられるのです。
ところが、この考えに沿わないブキャナンや自警団のカリーのように、他者に与えるよりも前に利己や保身が先にくる人はあまり喜ばしい境遇にはいられません。
ブキャナンのエージェントは「彼は悪い俳優ではないけど自分が他人に潰されると思い込んでいる」と語っていました。疑心故に、まず他者に尽くすということが出来ないのです。
「誰もが相手のため与えあう利他的世界」と「誰もが相手から奪おうとする利己的世界」。二つを比べてみても、どちらが長続きするかは語るまでも無いでしょう。
自分が思うに、パディントン2は自己愛(ナルシズム)や猜疑心の体現者であるブキャナンとカリーを敵対者に置き、他者愛や他者信頼を貫徹するパディントンが周囲にそれらを伝染させていく物語なのです。
ファミリーが見て楽しめるスラップスティックやマスコット的魅力を交えながら、そうした誠実なメッセージを伝えてくれるすばらしいプロットであったと思います。
確かに美しい…ヒュー・グラント
ヒュー・グラント演じるフェニックス・ブキャナンもこの作品の魅力。一貫して自分が大好きな俳優を演じきっており、本人が滅茶苦茶に楽しんでそうなのが伝わってきました。
(C)P&Co Ltd./SC 2017「Paddington 2」
かつて演じた役柄の衣装を相手に独り喋っているというのも、「今は誰からも相手にされていない」という背景がひしひしと顕れていて、必要最低限の描写からも彼のことが知れて悲しい反面、面白くもある。
落ちぶれてドッグフードのCMに出演している彼が、先祖が狙っていた財宝を手に入れて、どうにか返り咲こうとする過程で次々と衣装が使われていくのも凝っていました。特に尼の衣装は男の警備員も美しさを認めていました。男でも女でもヒュー・グラントは美しいということか。
その美しさゆえに、目の色をうっかり喋ってしまいメアリーに疑われる事になるシーンでもバッチリ自分の写真を飾りまくっており、ナルシストっぷりが半端ではなかった。
とはいえ、あまり頭は良くないみたいで、保険のための査察と称した不法侵入にも結局気づけなかったようですし、絵本にあった暗号を入力して宝箱をアンロックしたはいいものの、パディントンに奪われて忘れてしまっていたりと、演技以外には身の入らない仕事人間だったのかもしれません。
何はともあれ、あまり生々しい悪意を感じさせずに頓馬な悪役を演じきったヒュー・グラント及びにブキャナンを作り上げた脚本その他制作者には頭が上がりませんね。
美しい物語の終わり
ブキャナンの悪事を暴き、釈放されたパディントンは、結局絵本を手に入れられずにルーシーの誕生日を迎えたことに落胆します。
そう、この物語はそもそもルーシーおばさんへの絵本をプレゼントすることが目的でした。
しかし、証拠品として押収され、何も渡せるものが無い。かつて夢想したように、絵本でロンドンを体験させたいという願いは、叶いませんでした。
この当初の目標が否定され、提示されたのは、本当のロンドンを見せてあげるということ。
最初に思い描いていた以上の結末が暗示されたところでお話は終わる。結末としては、これ以上ないくらい良かったです。
ルーシーを連れてくるのに力になってくれた空軍大佐は、パディントンの窓拭き掃除で売店の女性と引き合わされ、塞ぎこんでいた生活からも脱することができました。その恩をまたこうして返していく構造はまさしく「隣人を愛せよ」というテーマがもつ希望を示してくれています。
作品のメッセージ性と登場人物の願いが合わさり、結実した見事な幕引き。
パディントン2は傑作映画です。