SW帝国の逆襲に並び立つか!?問題作、転換点どちらにも転びうる『ジュラシック・ワールド/炎の王国』レビュー【ネタバレ】

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こんにちは、64ゼルダで好きなのは実は「時のオカリナ」ではなく「ムジュラの仮面」なワタリ(@watari_ww)です。

今回は大人気SF映画シリーズの最新作「ジュラシック・ワールド/炎の王国(原題:Jurassic World: Fallen Kingdom)」をレビューします。

観る前までの今作に対する印象は、実はあまり良くありませんでした。

原題“Fallen Kingdom”からニュアンスを変えられてしまった「炎の王国」といういかにもな邦題。前作で一大プロジェクトが展開された島が噴火するという間の抜けたあらすじ。そしてなによりも、前作「ジュラシック・ワールド」の物語は過程で多くの粗を生みながらも、一作として完結しきっていたため、自分は続編の必要性に懐疑的でした。

そんな辛辣な印象を抱えながら、そうはいっても誰もが認めるブロックバスターには違いないということで、鑑賞。

そして見終えた後、前作を上回る満足感に驚かされました。“Fallen Kingdom”は、ジュラシックワールドシリーズにとって大きな転換点となり、次回作次第では「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」のような位置付けになることでしょう。

ネタバレを含む感想を以下に記していきます。


75/100

ワタリ
一言あらすじ「Wlcome… to Jurassic World.」

まさかの2部構成

自分に限らず多くの方が驚かれたのが、前半と後半でガラリと変わる作風でしょう。

前半ではジュラシックワールド跡地、イスラ・ヌブラル島に取り残されたヴェロキラプトルのブルーを救うために噴火直前の島に乗り込むアドベンチャー&パニックものが展開。

後半はロックウッド邸というひとつの狭い舞台装置の上で恐竜から逃げ惑うゴシックホラーになっている。

この2つのシュチュエーション落差というものの意外性はなかなかに強いです。とりわけパニックSF的な作風で人気を確立したジュラシックワールドでこうした作風を敷いたのは実験的かつ革新的。

それぞれの舞台の特色が活きたピンチと恐怖が目まぐるしく襲ってくるため、鑑賞中はスクリーンから目が離せませんでした。

 

観客のストレスをコントロールする混沌

イスラ・ヌブラル島では予告映像でもインパクトを残す、噴火×恐竜という巨大どんぶりに更に大ボリューム丼を載せるかのような贅沢パニックシチュエーションに驚き通り越して半笑いになる場面もありました。

オーウェンサイドでは麻酔で動けないところに湧き出してきたマグマが徐々に迫ってくるジワジワとした脅かし方をする一方、クレアサイドでは恐竜が暗がりの一本道からやってくるというストレートな絶望感を煽ってくるバリエーションの豊かさ。序盤だというのにこの時点でお腹いっぱいです。

このシーンで出てくるマグマは、オーウェンとクレア達どちらにとっても危機の象徴ですが、クレア達には更にそれが恐竜を近づけさせない障害物になっているというのも中々新鮮です。

なんとかして両者ピンチを脱出した直後、更に噴火流から逃げ惑う最中の喧しさは、それまでのオーウェン達が直面していた一箇所での恐怖とは対比的。人間の足で噴火や恐竜から逃げられるわけないなどというツッコミも勢いに押されて野暮なものに思われてきます。

途中で乗り物のカプセルを見つけた時の懐かしさももはや直ぐに流され、巨大な恐竜に襲われかける時の一瞬の静寂。そしてそこに横槍を入れてくるTレックスの危なっかしい頼もしさ。

これら一連の流れを追ってみると、実に計算高い演出が行われていることがわかります。観客が恐怖を感じるにはどうしたらいいか、どうしたら効果的に恐怖をコントロールできるかというのを考えて、各シーンとその中身の波を操っているために、こちらとしても恐怖疲れを起こすことなく観ていられるのです

例えば、カプセルに入れなかったオーウェンを複数視点のカメラで映すことで、彼だけが危険地帯に取り残された状況を観客に印象付けています。単なる激しさのインフレーションで攻めるのではなく、折々に映し方と状況の変化で緊張感を与えてくるのです。

また、その後の水中シーンでははやくしないと溺れ死にそうな時間をワンカットで映しているからこそ息苦しさを観る側にもアピールできています。

(C)Universal Pictures

 

冷や汗を誘引するようなゴシックホラー的演出

後半に移り変わると、スケール感と引き換えに、こうした静的な演出が更に強化されていました。

船内では危機一髪的なミニゲームを彷彿とさせるまさかの恐竜相手の採血行為に及ぶという異常な画が繰り広げられ、果ては恐竜に跨るなどという暴挙にまで及ぶ。案の定眠っていたレックスが起きて九死に一生を得るところまでダチョウ倶楽部の熱湯風呂的なお決まりではありますが、暗い画面にシリアスな表情浮かべたクリス・プラットとブライス・ダラス・ハワードが緊張感を取り持たせていました。

たった一軒の屋敷(といってもかなりの敷地面積だとは思うのですが)を舞台に、ほぼインドラプトル一体を脅威に据えたクライマックスでは、ゴシックホラー的な映像が目立ちました。これはジュラシックシリーズに対して期待するイメージとかけ離れたものであり、個人的にはそこに強い魅力を感じました。

暗い檻の中から伸びる鋭い手、屋根に立つ怪物のシルエット、部屋に降り立つ影、ベッドに横たわる少女に迫りゆく異形、どの映像もくっきりと頭に残るインパクトを持っています。インドラプトルは、知能が高いと語られているように、着実に詰め寄ってくるような様が実にこちらの不安を呼び起こしてくれました。サイズ感で言えば、Tレックスやモササウルスには到底及ばないものの、室内戦での駆け引きに最適なフォルムや人工生物らしさに満ちた邪悪な外見が舞台装置にもテーマにも合致していると思いました。

照射された対象を襲う習性を利用され追い込まれてしまったのも、人間に備えられた弱点を人間に突かれるという皮肉にもなっています。

そんな人間に対して救いの手を差し伸べたブルーの健気さには胸をうたれます。ラストに育ての親であるオーウェンから去っていってしまった彼女の未来はどう転ぶのか。次回作でひとつ気になる点です。

 

壮大な橋渡し。次回作への興味は最高潮に

ラストにブルーがオーウェンから去っていったのは、彼が直前に恐竜を見殺しにしようとしていたことを嗅ぎ取ったからでしょう。

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今作のキーパーソンだったブルー、インドラプトル、そしてメイジー

彼らはみな、造られた存在。言わば同類です。これはメイジーの顔とインドラプトルの顔がガラスを隔て重なるシーンから既に暗示されていましたね。

メイジーが最後に死に絶えそうな恐竜たちを救うべく、スイッチを押すシーンは今までの映画では試みられなかった問題提起でした。

いのちはたいせつ。教育機関を経た人間ならばだれもがそう聞いて育ってきたはずです。しかし、現実には我々はいのちを食べて生きています。人間は食物連鎖の頂点に君臨し、ピラミッドの下層を常に犠牲にしながら生きている矛盾した存在です。

どれだけペットに寵愛を注ぐ人であっても、食卓には魚や肉を並べますし、ヴィーガン(絶対菜食主義者)であったとしても、植物という生命を食さねば生きてはいけません。

そうした人間による生命倫理の欺瞞をスクリーンの元に晒したのが今作のセンセーショナルな試みです。

クレアがDinosaurs Protection Group(恐竜保護グループ)を立ち上げ死に瀕した恐竜を救おうとしても、結局それは「人間が管理できる下で」という条件付きであったのは、彼女がボタンを押すことができなかったという事実からも明らかです。一旦は檻から解放し葛藤していたあたり、彼女が人間と恐竜の利害衝突の板挟みになっていたことがにじみ出ており、なんともエモーショナルな描写でした。

他方でオーウェンは、檻から解放すること自体への反意を口にしていました。オーウェンはこの直前、ブルーに命を救われたにも関わらず、人間の側で状況を見ていたわけです。

(C)Universal Pictures

彼を非難することは容易いでしょうが、実際恐竜を野に放った先を考れば、人間の考える範囲でオーウェンが最も冷静で合理的にちがいありません。世にまだ知られていない、人間にとって脅威になりうる恐竜を今のうちに排除しておくというのは、防衛本能として当然です。

そして、彼らの目を盗み最後にスイッチを押したメイジーは、人間側のオーウェンと恐竜寄りの人間のクレアとは異なった立場ですね。

ロックウッドの娘のクローンである彼女が恐竜を解放したのは、彼らとの間に境がないからでしょう。ヒトと恐竜という異なる外見以上に、造られた存在というカテゴリーが同類意識を芽生えさせ、幼い手を動かしました。

この行いは、結局のところ、命を救うには相手に近しい存在できなければならないという壁を提示しているのだと思います。オーウェンがブルーを救おうと島に向かったのは、ビデオを見て郷愁と愛情に駆られていたからです。メイジーが恐竜たちを救ったのは、同じバックボーンを持つからです。

裏を返せば、遠い存在だと思えばそれだけ異物化し、いとも簡単に死に追いやれるということです。戦争が起きる時は宗教や文化を理由に敵を遠ざけ、理解し合えない存在だと決めつけてしまう一方で、仲間内の団結や絆は強調されます。人は道徳的な思想を掲げておきながら、それを適用する範囲はあくまで「近しい」者同士でしかないということです

食らう対象、狩る対象、捕らえる対象だったはずの動物が、この世界で人間と並び立ったら、果たして人間は今まで通り道徳的でいられるのか?

圧倒的なパワーを持つ恐竜を世界に放ち、観客に、そして次回作にそれを問うところで今作は幕を引きました。

これは実に難しい問題であることは語りようがありません。あの海に出現したモササウルスによって生態系は大きく乱され、人類にとって海上での脅威になることは確実です。

しかし、散々生態系を乱してきた人間が、散々動物たちの活動領域を奪ってきた人間が、それにどう反論するというのか。

人間が常に食物連鎖の頂点、最も繁殖した種族であるという発想は人類史上根本から覆されたことがないため、当然答えにはっきりした前例もないのです。

ジュラシックワールド特有のクローン技術とパワフルな恐竜を用いて提起した問題に、次回作でどのような答えを出すのか、怖くもあるし、興味をそそられもします。

監督はJ・A・バヨナから再び前作のコリン・トレヴォロウに戻るそうですが、この壮大な風呂敷を畳んでくれることを期待しています。“I am your father.”の衝撃によって最高潮の興奮を次回作に持ち越した「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」、そして旧三部作が永く名作と語られる所以たる解を出した「ジェダイの帰還」のような繋がりになってほしいです。

 

本作の弱点: あまりに整然とした演出について

演出力そのものについては、自分は概ね満足しています。火山と恐竜という荒唐無稽なシチュエーションをうまくコントロールした前半部分、そして比較的スモールスケールな場で工夫を凝らした演出などは冴えわたっています。

ただ、その見事な演出技法が、かえって仇になっている部分もあるかなとも思いました。

というのも、ジュラシックシリーズに共通するであろう「人間の手に負えない」という自然の偉大さを抱えた恐竜と、今作の映画の中で整然と披露される演出が相反しているのです

インドラプトルは人間も騙すような知能と惨たらしく獲物を殺す残虐性を持ち合わせていますが、映画内で用意されたホラー演出の手順にのっとって行動しているような面も垣間見えてしまいました。カメラの長回しでメイジーに迫っていくシーンなどは、たしかに怖さを訴えかける一方で、このシーン自体があまりにウェルメイドであるために作り物感もまた覚えてしまうのです。

火山パートにおけるTレックスの登場も、(シリーズ通してのお約束とはいえ)やはりオーウェンサイドに都合が良すぎる行動を取ってくれましたし、ラストにおいてもオーウェン達のあずかり知らぬところで悪役を処理してしまうなど、出来すぎた話になってしまってもいるように感じました。

火山噴火を逃げ、四方八方敵だらけの屋敷を生存するオーウェン達の幸運については、ご愛嬌で済ませることにします。生存しきった彼らが次回作ではさらなるサバイバルスキルを見せるのか、注目したいです。

 

まとめ

壮大な橋渡し。

自分が今作を一言で表現するのならば、これに尽きます。良くも悪くも、次回作次第で評価が一変する作品になっています。

ただ、監督が交代したことによる作風の変化や独自性については成功したように映りました。全体のスケール感では前作「ジュラシック・ワールド」に引けをとっているにも関わらず、見せ方が巧みでグイグイと引っ張られました。個人的には前作より今作のほうが好みです。

2021年公開の「ジュラシック・ワールド3(仮)」が今作からのバトンをうまく継いでくれることを何よりも祈っています。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

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