ゴージャスな美術がくるむ中庸さ『くるみ割り人形と秘密の王国』レビュー【ネタバレ】

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アイキャッチ画像: (C)2018 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.

こんにちは、親知らずをもうすぐ抜いてもらうワタリ(@wataridley)です。

今回は有名童話をディズニーが実写化した映画『くるみ割り人形と秘密の王国(原題: The Nutcracker and the Four Realms)』をレビュー。監督はラッセ・ハルストレムとジョー・ジョンストンです。

原作の『くるみ割り人形』の名前しか聞いたことがないという状態で鑑賞に臨みました。ただ、予告編に映っていた美術やアクターの装いはさすがディズニーといった見映えでした。原作を知らない自分さえも引き込む巧みさは、大手の映画会社が持てる人材と資本を投じたからこそなのでしょう。

しかし、第一印象をぐっと掴んでくる外装とは裏腹に、中身はこの上なく平凡でした。皮肉なことに、ナッツの中身には満足いく実が入っていなかったのです。

具体的な感想を以降、ネタバレしながら語っていきますので、未見の方はご注意くださいませ。


50/100

一言あらすじ「迷い込んだ異世界で冒険」


深掘りされない4つの国

予告編では「お菓子の国」「花の国」「雪の国」そして悲劇が起こった「第4の国」が紹介されている。そもそも原題の“Four Realms”とはそのまんまこれら4つの領地のことを指す。

だから、観る側が期待を寄せるのはまず第一に異なる国々を巡る「旅の楽しさ」や「ファンタスティックな異文化交流」であるはずだ。

しかし、その期待は呆気なく裏切られてしまう。

主人公メアリーは、母を亡くしてから初めて迎えたクリスマスに乗り気ではないクレバーな女の子である。父との折り合いも悪くなってしまったクリスマスイヴに、自身の名付け親である発明家ドロッセルマイヤーの元を訪ね、母からの贈り物である卵の箱を開けてもらおうとする。彼の導きに乗って屋敷の中を探し回るうちにどういうわけか銀世界に入っいた…という導入になっている。

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思わず『ナルニア国物語 ライオンと魔女』を思い起こすプロットである。ところが、いきなり半人半獣と出くわしこちらの胸を高鳴らせたその作品とは異なり、今作は窮屈でありふれた風景が続いてしまう。

雪原で見つけた卵の鍵をネズミが奪い去ってしまい、メアリーはそれを追う過程で、くるみ割り人形瓜二つの兵士と出会い、彼の協力もあって暗い森に迷い込む。そして、その後は危険な存在から逃れるべくお城へ避難し、体勢を整えたのちまた森へ向かう展開になる。

そう、前述した4つの国はまるで存在感を放たないのだ。冒頭のシーンでは屋敷の中、いよいよ物語が始まるという時に出くわすのは何もない雪原と森。中盤とクライマックスの舞台となるお城もそれのそディズニーファンならば何遍も見てきたような景色でしかない。

お菓子の国を治めるシュガー・プラムは見せ場があるものの、雪の国、花の国の摂政は本当にただ出てくるだけ。それぞれの国はバレエや口頭の説明、および軽いイメージ映像で差し込まれる程度で、冒険の舞台にはならない。

せっかく色とりどりな文化的交流点に主人公はいるというのに、それらにスポットライトが当たらないため、今作はファンタジーらしい世界の広がりや魅力が画面から伝わってこない。

見ていて最も退屈さを感じてしまった要因がこれである。

 

説明的過多なメインプロット

説明不足な4つの国とは対比的に、メアリーに関する物語は非常にはっきりとしている。この物語は徹頭徹尾母の死を乗り越え、父との関係を取り戻すメアリーの物語に注力している。

その結果として、上述した壮大であるべき世界は端に追いやられてしまう。母のかつての知り合いである悪人の手から、母が作った国を娘が守るというひどくこじんまりとしたお話が終始語られ続ける。

最初の母の死に悲しむ様子や父との不和を起こす導入部分からして、冗長に感じるほど直接的な心情描写がなされてしまう。

これらのメアリーの身の回りに関する情報を序盤に映した末、卵を開けるための鍵という目標を得る。

そして鍵をネズミに奪われてしまった後に待ち受けるのは、この世界の現状を教えるフィリップと、過去に何があったのかを教えてくれるシュガー・プラムだ。これまた説明である。

序盤にメアリーの今を説明し、そして迷い込んだ世界の説明。更に母がかつてこの国でいかに偉大であったのかをも説明する。主題である自分の個性を活かせという母からの伝言もやけに明示的だ。

母が作った国であるということをそのまま台詞で伝えるより、国民が彼女を慕っていたという様子や彼女の足跡がどこかに残されているといった描写の方がこっちとしては想像力を刺激されることだろう。

せっかく豪華な舞台美術、才気あふれる俳優、バレエのプロを取り揃えているのだから、言葉ではなく言外に語る術を行使してもよいではないか。

バレエの催しの最中に、シュガー・プラムに「あれが○○の国」などと語らせるシーンがあったが、ここが端的に今作における語りの単調さを物語っていたような気がしてしまう。

異世界では時間の進みが遅いという話にしても、それこそ『ナルニア国物語 ライオンと魔女』の方が観客にあっと言わせる意外性を持たせていた。

今作はファンタジーから想起させられるミステリアスな世界や特殊な法則を親切に言語化してしまった結果、こちらの想像を超える物がないのである。

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凡百な筋書き

ここまで述べたように、世界を広げるはずの4つの国はいかにも末梢でしかないという形で済まされてしまっている。その上、メインストーリーもこちらが想像するまでもない情報量を持って観客を受け身にしてしまう。

そこに今作の至って凡なシナリオがたたみかけてくるのだから、仕方がない。

今作の結末は明らかに最初から見えきっている。母の死に心を暮れさせる様子から、そして父親との不穏なやり取りから、これは死を乗り越え絆を取り戻す話であると手に取るようにわかる。

やはり、どこかで聞いたことのある話だ。

親の死を克服するのは同じファンタジーの『ハリー・ポッター』でも見たものであるし、仲違いした人間との和解を描いた作品ならば最近鑑賞した『判決、ふたつの希望』が生々しくも心地いい共感を与えてくれた。

『ハリー・ポッター』のように壮大な魔法世界の中で親を亡くした男の子の癒しと成長を浮き彫りにするといった工夫はなく、今作は異世界を冒険して心身ともに成長するという凡百なお話でしかない。

実際、最初に抱いた予想は全くうねる事なく一直線にゴールへと突き進み、正解に終わる。

意外性があるとすれば、シュガー・プラムの裏切りと、マザー・ジンジャーが味方だったという種明かしかもしれない。しかし、折角のどんでん返しがメアリーと母親のことに押されて説明不足なので、入り込むことができない。

シュガー・プラムを演じるキーラ・ナイトレイのクレイジーな演技も虚しく、彼女が豹変する過程がヒントとしてさえ提示されていないため、メアリーを引き立てるための矮小なキャラクターと化してしまっていた。

メアリーの母を失い、それによって狂気に陥る境遇は、ありえたかもしれないメアリーのもうひとつの姿だ。そこには確かに人が普遍的に抱える悩みが内包されている。もしかすると共感を呼んだかもしれない。

しかし、仮にこの説明不足なバックボーン問題が解決されたとしても、やはり予定調和である。最初から最後まで母親の過去話を展開し、その結果主人公が立ち直るというストーリーには、意外性があまりに足りない。

だからこそ、見せ場になりえた4つの国の景色やファンタジー描写が勿体ない。

これまでの背景描写の不足とメインプロットの説明過多の問題は、物語を解釈する横幅を寧ろ圧迫してくる。世界観の説明が必要最低限に済まされている以上、自然と観客の注意はメアリーの話に向かう。しかし、これまで述べてきたように、それは特段特筆すべきものはないありきたりな話である。だから最終的に今作に抱く感想は、どうしたって「映像は良いが中身は平凡」ということになる。

おまけに肝心の悪役が唐突に豹変するのだから、見ていて結末ありきな印象は一際目立つ。

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ナッツの殻はしっかりしている

ここまであまりに今作の中庸さについて語ってきたが、もちろんディズニーが作り上げた美術・芸術には見応えがあった

バレエのシーンは、やはり『くるみ割り人形』自体が縁深い作品であるためか、かなり力の入ったシーンとなっていた。足先から花が咲いていく特殊効果や、しっかり振り付けられ調和した全体の動き、肉体美や脚線美を見せつける踊り手など、映画的な演出を交えつつバレエ鑑賞の体験ができたようで新鮮味があった。

また、キャストは魅力的な顔ぶれになっている。主演のマッケンジー・フォイは、はっきりとした目鼻立ちに、感情を豊かに映す様子がとても可憐である。これから注目すべき若手女優に違いない。

彼女をサポートする兵士フィリップを演じたジェイデン・F・ナイトも、プリンセス願望を適度に満たしてくれる兵士を好演していた。礼儀正しく忠実な僕という立ち振る舞いの中に、くだけた雰囲気を持っており、緊迫感の強いプロットへの緩和剤になっていた。

ヘレン・ミレンやモーガン・フリーマンも僅かな登場ながら、思慮を感じさせる存在感が頭に残る。そのため、もっと見せ場が欲しかった。

そして、もっともインパクトがあったのはやはりキーラ・ナイトレイだ。カンカンに響く高い声、最初見た時から危なっかしいと思わせる素っ頓狂な表情から彼女が隠し持っている幼稚さがにじみ出ていた。それだけに、こよシュガー・プラムの描写はもっと深めてほしいと惜しくなる。

美術や視覚効果についてはいうまでもない。再現されたお城や屋敷の背景は本物ののようであり、魔法的なパワーで動く人形やネズミも文句はつけられない。

これらの外見的要素は見所があったと言える。

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まとめ: 殻は硬いが、果実は軟い

今作の外装はディズニーの資本力によって、大作然としている。一方、中身の部分、つまり映画の本質的体験たるストーリーやメッセージ性についてはかなり平凡で、毎シーズン生み出され続けている商業映画のようである。

もちろん、何が本質かなど人によって異なるだろう。これはあくまで自分の考えだ。

だが、いくら外見が好みであっても、長く愛好し続けるには見ている最中の手放しに賞賛できる感動が必要不可欠だ。自分は物語は映画の核と捉えているため、どうしてもこの中庸なストーリーに目を瞑ることはできなかった。

ディズニー映画は『ダンボ』『アラジン』『ムーラン』など、将来のラインナップも充実している。外装的なこだわりはもはやディズニーはこなして当然のハードルであるため、俄然自分は映画で再見するストーリーに注目するつもりだ。

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