「どんでん返し」ありきで乱れてしまった映画のバランス『イソップの思うツボ』レビュー【ネタバレ】

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こんにちは、先日思い切って購入したiPad Proで今これを書いているワタリ(@wataridley)です。

今回は映画『イソップの思うツボ』の感想をしたためていきます。

今作は3人の監督が別々のパートのメガホンを取る体制で製作されているらしいです。しかしそれ以上に、注目したくなるのが、その監督のうちの1人が『カメラを止めるな!』の上田慎一郎であるということ。

 

2018年の初夏、極めて小規模な形で公開された『カメ止め』は、口コミでその評判が広まり、ついにはミニシアターの枠を超えて、大手シネコンでも上映されるようになってしまいました。そうして沢山の劇場で興行をかっさらい、制作費300万と言われていた中で、最終的におよそ31億円の稼ぎあげる大功績。間違いなく2018年で最も本邦を賑わせた作品のひとつに数えられることでしょう。

そんな鮮烈な印象を残したクリエイターの次回作だというのですから、この『イソップの思うツボ』の注目度は高く、大手どころが作った作品というわけでもないにもかかわらず、当初から全国レベルで上映が決まり、ハナからシネコンで見ることができました。かくいう自分も『カメ止め』でそのアイデアのまとまりの良さに見入り、その後も上田慎一郎監督の短編を観に行ったこともありました。

とにかくそうした大きな期待の追い風を受けて今作は世に送り出されているのは明白です。それだけに、裏を返せば、前作の成功との比較は避けられないとも言えるでしょう。

鑑賞する前に評判を見ていると、やはりどうしても『カメ止め』を引き合いに出して論じられることが多かったです。それは個人的には合点がいくものでした。実際のところ、この映画は「どんでん返し」を明らかに重視した作風になっていたからです。

「こうだと思っていたものが実は…」という形式の「どんでん返し」は、『カメラを止めるな!』と別のやり方でありつつも、ほとんどそのまま今作でも再演されてしまっている印象を受けます。そしてそれは前作の評判に不用意に引っ張られているようにも感じられました。

以降、『カメラを止めるな!』と『イソップの思うツボ』に関するネタバレを含んだ感想を書いていきますので、未見の方はご注意ください。


45/100

ワタリ
一言あらすじ「ウサギに噛み付いたカメは、その後ゆっくり歩き出しましたとさ…」

「どんでん返し」を狙った代償故の綻び

今作は「鈍いと思われていたカメがウサギを出し抜く」というイソップ童話の「ウサギとカメ」を踏襲したプロットの上で、一家から別の一家への復讐劇を描いた作品になっている。

一言でまとめると、テレビでスポットライトを浴びるタレント一家の兎草家の娘・早織とは違い、大学ではいつもひとりぼっちの美羽は、実は裏ではある計画を企てており、今作の中盤にてそれが明かされていく…という筋書きだ。

前半部分においては、我々観客はあたかも一見平凡な少女の学校生活を見せられる。中盤部分においてその裏を知らしめられた観客は、まるでゆったりと上昇していったジェットコースターが一気に落下し別の乗り物に変貌するかのような衝撃を味わうことになる、ということを想定しているかのようである。

しかし残念ながら、その試みが自分の琴線に触れることはなかった。『カメラを止めるな!』を巧みな作品だと評するのであれば、今作は拙い作品だとなってしまう。いくらなんでもワンアイデアに頼りきりすぎているのだ。

 

序盤パートのあまりの見応えの無さ

はっきり言ってしまうと、映画の冒頭は言い様もないくらいにつまらない。後に「これには実は意味があったのだ」と明かされても、根本的に映画に求める魅力が不足している。

序盤部分の画面を牽引する石川瑠華は、たしかに冴えない学生らしく演じているのだけれど、それが特段見所になっているわけでもない。ただ淡々と友達ができず恋が実らない様子を映しているだけで、その内情を面白みのある演出で見せようといったことも、キャラクターを魅力的に映そうといったことも皆無に等しい。主人公の少女が恋する大学講師の仕草をキラキラの音で飾り付けたり、あるいは彼に対する周囲の黄色い声といった形で、その魅力を作ろうとしているよう見受けられるが、かなりありふれていて安っぽい演出だと思う。美羽と早織にまつわる「イケてる」「イケてない」の描写も戯画化されすぎて、かなり作り物めいている。極め付けは、取り留めのない母と娘のやりとりを順々に映しているだけの会話シーンは、日常感を出すためとはいえ、何を伝えたいのかもはっきりしない悪手を打っている。これでは「後でどんでん返しがある」という身構えがなければ、劇場を後にする人が出てきてもおかしくはないだろう。

序盤のパートの魅力がこうも不足している原因には、おそらくはそうした「どんでん返し」ありきの構成があるのだと思う。一見して平凡な日常が切り取られているだけだけど、実はきちんと意味があるという事情によって、凝るべきとろに力が入らない。それどころか観客には美羽をはじめとした登場人物の内面を察して欲しくはないがために、表面的なドラマ描写にするしかない。しかしこれらは、自分の目には「後で面白くなるから序盤はこの程度でいい」というような妥協の産物と映ってしまう。

(C)埼玉県/SKIPシティ彩の国ビジュアルプラザ

とにかく冒頭の10分20分は、「どんでん返し」ありきの映像になってしまっている。少なくとも『カメラを止めるな!』における序盤のパートでは、「ワンカット」という強烈な映像上のフックがまずあり、そして次々に映り込む不可解な事象を尻目に廃墟を生かした逃亡劇を見せてくれていた。ゾンビ映画としては低予算なルックであっても、興味を引く仕掛けは確実に存在していたのだ。『イソップの思うツボ』の冒頭はそれが一切合切ないので、単に退屈な映像止まりである。

 

大仕掛けを優先したせいで隅に追いやられてしまう人間描写

見応えのない序盤を耐え忍んだ後、ようやく物語は真の姿を見せてくる。鈍いカメだからとバカにしていたら、ウサギだって酷い仕打ちを受けるんだぞという下克上自体は、自分も痛快な感覚を一旦は味わうことができた。冒頭に行われていた平凡な学生生活の背後では、兎草家を罠に嵌めるための工作が行われていて、ついに復讐計画が成就するまさにその時が、中盤以降の展開である。

次々と明かされていく「実は…」はたしかに大なり小なりの刺激となって受け取ることはできた。正直なところ物語にとっては末梢である戌井家も、なるほどこの場面においては観客のリアクションを画面の中で代弁してくれる存在となっているわけだ。

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しかし、そうした露呈していく真実が登場人物たちの行動に影響を与えたか?と問われれば、そうは見えないというのが率直な感想だ。

この映画に出てくる登場人物たちは揃いも揃って「罠を仕掛けるため」か、「罠に嵌められるため」か、あるいは「ピンチを解決するため」に配置されているような造形である。観客の予想しない方向に展開を転がしていくことに傾倒しすぎていて、感情移入を誘うようなドラマはほとんど端に追いやられている。非日常的な異質なシチュエーションに置かれた時、その人達が体感するであろう葛藤や絶望といったものがフィーチャーされることなく、事実の開示だけで物語が進んでいるので、ただ目の前の出来事を傍観するしかないのだ。

そもそもこの復讐計画自体は物語が始まる前から発進していて、我々は戌井家のようにそれを外部から見せられているだけだ。亀田家がこの復讐計画で殺人をするつもりがなかったということも語られるが、これも当初から決まっていたことである。そこに至る思考のプロセスは作劇のために排除・省略され、ただ他人の決め事を後出しジャンケンで提示されていくだけなので、感情移入は極めて難しい。

また比較になってしまうが、『カメラを止めるな!』の中盤以降では、過不足なく各登場人物の性質を描いていたし、軸にあった父と娘のドラマが「物作りの苦楽」という普遍的な話に通じていたため、広く共感を誘うものになっていた。一方で、「どんでん返し」のために配置された今作のキャラクターには徹底して個性や意思が感じられず(というか殆ど描かれておらず)、ひいては「どんでん返し」が無機質なビックリ箱に感じられてしまう原因になっている。そこに伝えたいメッセージはなく、ただ驚かせたいだけのようである。

(C)埼玉県/SKIPシティ彩の国ビジュアルプラザ

 

観終えた後に残る倫理的な疑問

「どんでん返し」に引っ張られるがあまりに陥った結果、今作が失ったものは面白さや完成度といったものだけではない。

今作の辿る結末に倫理面での欺瞞を感じずにはいられない。

先に述べた通り、今作の「どんでん返し」にはこれといった主義主張が見出せなかったものの、物語は亀田家、兎草家、戌井家の3つの家族を描いていることから、そのまま家族をテーマにしているように見受けられる。

復讐計画によって母親を失った悲しみから踏ん切りをつけた亀田家はゆっくりとだが次へ歩みを進め、血の繋がらない親娘である戌井家は事件を経てよりいっそうその絆を深め、思慮のない兎草家は報いを受けて崩壊するという三者三様の結末をたどる。この結末を見届けた自分にはこの映画から得られる教訓よりも違和感の方が先に立って仕方がなかった。

兎草家の娘・早織は身に覚えがない復讐に巻き込まれ、家族への信頼をすっかり失い、失意のままどこへともなく彷徨っていく。因果応報と呼ぶにはあまりに理不尽な不幸だと思う。一方で彼女をそうした状況に追い込んだ亀田家は次に進むという前向きな姿勢を示し、自身の行いを反省することもしない。人を殺しさえしなければ私的な復讐行為は是認しているようにも取れてしまう展開である。

たしかに映画は必ずしも現実の倫理や価値観を投影し、それを正解とするメディアではないのだが、この映画は「事件を経て海外留学資金を得た戌井小柚」や「歩き続けるカメ」といった形で復讐計画が一面的に肯定され、あたかもハッピーエンドのような装いにされているから、気がかりになってくる。どう考えても、復讐を遂げたからといって良い話にはならないだろう。現実の倫理観に照らし合わせるまでもなく、亀田家や戌井家の思考が不自然に感じられる。今作の作品世界がそうした現実離れした倫理を肯定しているような描写も特にないのに、見た目は単純な「いい話」としているため、この批判は免れ得ない。

そもそもあんなに多くのVIPが目撃している中で犯罪を行なっていた亀田家と戌井家があのまま放免されるとは思えないという根本的な疑問と相まって、とにかくこれはハッピーエンドではないという違和感が大きかった。

(C)埼玉県/SKIPシティ彩の国ビジュアルプラザ

 

まとめ: 『カメ止め』は決してどんでん返し映画ではなかった

『カメラを止めるな!』では、「どんでん返し」に至るまでの過程に工夫があったことと、「どんでん返し」以降の展開に個性的なキャラクターと明確なテーマを据えたドラマがあったことが、成功の要因ではないか、と少なくとも自分は思う。どうしてもインパクトがある部分が作品の魅力だと思ってしまうのはわかるけれど、冒頭の映像が単なる「低予算のゾンビドラマ」だったら、父と娘のドラマがそれ以外に意味を見出せないただの「喧嘩」だったら、と考えていくと、自ずと何が重要だったのかがわかってくるように思う。

そしてその答えこそ、映画の難しさを教えてくれる。何か1つだけが突出した作品というのは得てしてバランスが歪であるが故に、胸の深奥にまで達してくる総合力がない。

ところで、上田慎一郎監督の過去作は小説家やお笑い芸人などといったクリエイターへの温かな視線が印象的である。今作では、そうしたメタフィクショナルなネタ自体は存在していたものの、イソップ=脚本家は最終的に否定され、殺されてしまう。良いか悪いかは別として、上田慎一郎監督の上記のような持ち味があまり感じられなかったという意味において、今作はあくまで『カメラを止めるな!』のヒットを受けて、「どんでん返し」需要に迎合した形で作られたのではないかと察せられる作りになっている。

とはいえ、こうなっているのはあくまで3人監督制という作り方に由来しているか、はたまた予想外のヒットに対する監督自身の実験だという解釈もできる。そういう目線で見ると、10月に公開を控える上田慎一郎単独監督作『スペシャルアクターズ』の中身が実に気になってくるところである。

 

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