岡田准一を脅かす宿敵の不在『散り椿』レビュー【ネタバレ】

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アイキャッチ画像: (C)2018「散り椿」製作委員会

こんにちは、好きな三船敏郎は「野良犬」の時の三船敏郎、ワタリ(@wataridley)です。

今回は、木村大作監督作『散り椿』をレビュー。

今作は、昨年暮れに逝去した葉室麟著の同名の時代劇小説を原作とし、主演を岡田准一がつとめています。

監督の木村大作氏はかつて黒澤明の作品に撮影スタッフとして参加していた方で、『用心棒』では人の手をくわえて歩く犬のカットが彼の手によって撮られたものとのこと。

黒澤明の時代劇の制作現場に立ち会った熟練のカメラマンが、岡田准一を主役に据えて時代劇を撮る。これはもう期待せずにはいられません。

劇場では、木村大作がこだわり抜いて撮ったであろう美しい自然風景に、ドライで静的なタッチで映り込む豪華なキャスト、そして岡田准一の巧みなる殺陣に内心ため息を漏らすこともありました。

ただ、そうした絵の美しさが淡々と切り取られている一方で、2時間の映画を追わせる誘引力が脚本や演出の面で欠けてしまっており、眠たくなる場面も多いです。

岡田准一の印象は強烈に頭に焼きつくものの、映画全体に対する評価はまずまずでした。

感想の詳細は、以降ネタバレを交えて語っていきます。


58/100

ワタリ
一言あらすじ「浪人が藩の不正に立ち向かう」

自然風景を純朴に切り取るカメラ

鑑賞中、目を引くのが折々に挟み込まれる自然。これによって四季の変化を訴え、新兵衛が経験する椿を見るまでの1年を共有できるようになっています。

純粋に映像そのものの美しさにも見とれました。実地ロケーションを敢行した甲斐あってか、木々の葉の揺れ、しんしんと降る雪、眩しい黄昏、早朝の湿った竹林といった風景が、質量感を伴って目に映ります。

若殿様が帰藩する際に見える雄大な河や山々も、本命の登場を祝っているように見えました。

自然を尊重したロケ、そしてそれに心底惚れていることが伝わってくる素朴な映し方は、近年の人工物にまみれた映画にない良さがたしかにありました。

 

キャストの装いと振る舞い

ありのままに映された自然とは裏腹に、人物描写のリアリティには多数の企みが見受けられました。

瓜生新兵衛はその不潔こそバックボーンを物語っています。彼の着物の慣れ具合や伸びっぱなしの髪の毛といった外見を見れば、藩に疎んじられた境遇やその長年の苦労が伝わってきます。演じた岡田准一の眉間の皺やどこか寂しげな眼差しがここに交わると、容易に彼が瓜生新兵衛と信じ込んでしまえます。柳楽優弥の向かいに座る場面の丸まった背中に、人生の辛酸の匂いがしました。

対照的に榊原采女ら公人はピシッとした着こなし。高貴そうな身分を反映した色合いの着物を着ており、頭は当然髷(カツラだとは思いますが)。不潔な瓜生新兵衛とは真逆で、とても清潔そうです。刀の扱い方に至るまでの挙措も格式高く、当代を生きた人間と錯覚する場面が多くありました。

そして、黒木華演じる里美の淑やかな仕草や語り口調は心地よかったです。はにかみながら新兵衛に汗拭きを渡す場面や涙が零れおちるシーンにはくすぐったく、もどかしい。兄姉を亡くしやっと最後に幸せを感じることのできる中、新兵衛を引き止めようとする時の切ない彼女の表情がこの物語に良いも悪いも含んだ余韻を残してくれてもいます。

今の邦画界では豪華な布陣に、当時を生きたと思わせる再現力は中々でした。

(C)2018「散り椿」製作委員会

 

三船敏郎に匹敵する岡田准一の殺陣

何と言っても岡田准一の巧みなる殺陣には、圧倒されました。

無論刀の振りは素早く、敵の攻撃を交わす動きも無駄がない。作中夥しい量の人を切っているにもかかわらず、その軸は常に安定している。的確に急所を狙いつけ、大した抵抗を許さぬまま、息の根を止めていく様は爽快であると同時に恐ろしい。

洗練されたアクションを見せつけるその姿はさながら黒澤明の時代劇に出てくる三船敏郎に匹敵するといっても過言ではありません。

三船敏郎は戦前生まれにしては恵まれた体躯と刺すような険しい眼差しで逞しい戦士然としたパブリックイメージを確立していた一方で、岡田准一は本業がアイドルです。そんな彼が浪人に成りかわるという変化を含めて楽しむことのできる体験を提供しています。「用心棒」の桑畑三十郎が大掛かりな動きで敵を有無を言わさずに斬っていくパワフルな侍とすると、こちらの瓜生新兵衛は敵の攻撃にも俊敏に反応し的確な攻撃を繰り出す技巧派です。浪人侍ということで三船敏郎を意識している部分もあったとは思いますが、岡田准一にしか出せない味もにじみ出ており、感服させられるばかりでした。

岡田准一はお世辞には大柄とは言い難いのですが、剣を手にした際の威圧感と殺気はスクリーンを通じて観客の自分にも緊張感を与えてきたぐらいてす。

今作のエンドクレジットにはキャストのみならず、殺陣の欄にも岡田准一の名前があり、最後まで驚かされました。

『散り椿』にて岡田准一というスターを目撃し、邦画界が重宝すべき演技派兼肉体派は彼だと思うようになりました。これは大きな収穫です。

 

まるで「インディペンデント映画」だ

以上に挙げてきたように、今作は表象部分に眼を見張るものが多数あります。岡田准一の類いまれなる可動性を目に焼き付ける作品として高い評価を受けるのも納得です。

ただ、この映画はそうした美しい個々の表面的要素が裏側でつながってくることがありせん。

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夜に見れば睡魔が襲ってくるような平坦さを映画的技法で誤魔化しを入れるといったことがそもそも試みられていない。

これが今作を岡田准一映画として高評価を与えられても、時代劇映画としてはさほど高くはならない理由です。

 

過度な説明台詞、非映画的な会話

今作はアトラクティブなシーンというものがほとんどチャンバラに託されてしまっており、上映時間の大半を占める会話シーンでは基本的に2人の登場人物が喋るのみです。

しかも、この物語の核となるべき登場人物の心情、関係性、過去が殆ど口頭による説明で済まされてしまっています。

8年前に藩で起こった混乱はどれだけ重大だったのか。新兵衛と篠の愛情のほどは。新兵衛、采女ら平山道場四天王の関係性とは。これらは映像で大胆に魅せるのでも、言外に暗示するのでもなく、全て台詞の中で淡々と提示されていきます。そこに観客が入り込む余地はまるでありません。

黒木華演じる里美が涙を流すシーンも外見的な美しさはあれど、感情移入はできませんでした。義兄が亡くなった姉の願いを叶える覚悟に触れ、涙が流れたのだと説明はつきます。しかし、我々は篠と里美がどれほど仲睦まじい姉妹だったのかを知りませんし、新兵衛の篠への愛情を想像できるような材料は藩に戻ってきたという事実しかありません。

説明的に関係性や事実が並べられた悪影響は、他にも三右衛門の死の呆気なさに繋がります。平山道場の四天王で、新兵衛と采女の友人であることは情報として耳に入ってはいますが、彼がいかほどに彼らと親しかったのかについてはやはりわからぬまま、あの最期を迎えました。こうなると彼の死に藤吾がひどく取り乱す様を傍観するほかありません。死に際に平蔵を斬った事実を吐露する動機さえわかりません。

印象的な台詞もあまり多くない中で、カメラワークも起伏がなく過度に冷静です。そのため何をどう注目したらよいのかといった誘導が見られません。

その端的な例として、登場人物の立ち位置が関係性を示すといったオーソドックスな手法も見られません。新兵衛が藩に戻ってきたと城の前で話し合う際、家老の石田と側用人の采女が肩を並べていますが、これだと2人の間にある身分的格差やどちらがどちらを牽制しているのかが視覚的に伝わってきません。起請文を巡って采女と石田が対立する会議の場面にしても、彼らは向かいに対置されているわけでもなし。他に居合わせている役人たちの反応といったものもフォーカスされず、2人で話し合っているだけという印象に陥っています。

このように、カメラは基本的に会話をする2人を映すのみ。その2人が語る内容も説明的で、情緒に訴えかける演出や台詞回しが皆無なので、ただ情報が陳列され続ける様は正直苦痛で、大いに改善の必要があるように感じました。

 

仲代達矢的宿敵の不在

『散り椿』という題から自分が連想したのは同じく時代劇で政治上の不正を暴こうと浪人が活躍する『椿三十郎』です。

ご存知三船敏郎が素性の知れぬ浪人を演じ、9人の若侍の手助けをする過程で、時に知略家の顔を見せ、時に剛健な侍として刀を振るう。岡田准一の瓜生新兵衛と異なりパーソナリティに迫るドラマこそないものの、不正に立ち向かう凄腕の浪人というイメージは重なるところがあります。

そして岡田准一がかつての大スターとのオーバーラップを物ともせず、劇中強いインパクトを残したのは先述した通りです。

(C)2018「散り椿」製作委員会

しかし、今作は岡田准一が物語を動かすばかりで、それに抗する存在を欠いています。言ってしまえば、三船敏郎だけが物語をドライブしているようなもの。もし『用心棒』『椿三十郎』がそのような映画であったのなら、単なる「雑魚狩り」が繰り広げられるばかりの軽薄な映画に堕していたことでしょう。

そこで物語に緊張感をもたらすのが宿敵の存在です。『用心棒』や『椿三十郎』には仲代達也演じる悪役が三十郎と利害上対立し、彼の行く手に立ちふさがります。卯之助と室戸半兵衛が屈強なる三十郎を脅かすことで、彼が生きてこの物語を終えられるのかというフックが生じますし、果たしてどちらが勝つのか?といった好奇心がそそられます。

仲代演じる卯之助というのはのっけからピストルを手にして物語に飛び込んでくるインパクトがあり、扱いを間違えればこちらの命が危ないという意識が否応なく観客に伝わってきました。だから、三十郎の行動に緊張感が付され、物語全体にも危険な香りが充満していました。『椿三十郎』にも三十郎の策略がバレてしまわないかといったフックが存在しています。

三船敏郎の浪人侍が序盤のシークエンスにおいてそんじょそこらの有象無象より高次の存在であることを提示し、物語は終始彼が活躍する様を描く。そして、三十郎の最初の活躍が描かれたあたりで、仲代達也演ずる悪が彼に対抗する人間として登場する。物語の最中は三船か仲代のどちらかが観客の興味を煽りたて、最後の最後まで目が離せない劇が成立していました。

ところが前述した通り、この『散り椿』は岡田准一という一大スターが存在感を放っているものの、それに相対する役回りが不在なのです。

本来ならば、榊原采女がそのロールを遂行するはずだったのかもしれませんが、彼は物語において明確に新兵衛に対立するよう描かれてはおらず、むしろ序盤から腐敗に立ち向かおうとする公正さを見せています。采女と新兵衛が斬りあうのもクライマックスに差し掛かったあたりですし、ここに至るまでの篠を巡って起きた縺れも描写不足故に、対立項として成立していません。

そうなってくると、新兵衛の敵対者として一貫して映っていたのは奥田瑛二演ずる家老石田玄蕃ただ1人になります。しかし、彼は瓜生新兵衛ほどに腕が立つ剣客でもなく、自身の不正を隠すためにあれこれ奔走する姿は実に矮小です。物語を盛り立てる魅力的な悪とは映りません。

新兵衛という強大な主人公が帰藩したことによって始まった物語は、結局のところ彼の裁量次第で動くしかなく、ひと段落ついてしまった起請文をめぐるやりとりの後は明らかに中だるみが生じています。

更に、采女と新兵衛の間にあるはずの篠を巡ってのすれ違いの描写不足が拍車をかけてこの物語の方向性を惑わせてしまっており、一体どこへ向かっているのかが悪い意味で掴みづらい。石田を討つことは最早既定路線であり、それを凌ぐ展開であるべき篠のドラマは案の定説明台詞で済まされてしまう。

西島秀俊と岡田准一の2人の侍が向かい合い、椿散る中、ワンカットで撮り切られた決闘は非常に見ごたえのある美しい場面だっただけに、そこに至るまでの描写不足と宿敵の不在が実に惜しいです。

当項目名にある「インディペンデント映画」とは、一級の役者・映像・アクションが独立してしまっており、それらが有機的に結びついて映画的面白さを生む段階にまで至っていないことを指しています。これまで述べてきた通り、脚本面では、岡田准一の瓜生新兵衛のみが魅力的すぎるが故に孤立化していました。『用心棒』『椿三十郎』における仲代達也のようなリード役を立てるべきでした。

 

まとめ: 岡田准一の時代劇をもっと観たい

今作の存在意義は、役者岡田准一を知ることができたという一点が非常に大きいと思います。これからも時代劇に出て、日本映画に足跡を残していってほしいです。

岡田准一に加えて、着古された感じの出ている着物といった道具のリアリティや、洗練された殺陣、今では却って見なくなった自然風景、豪華なキャストなど、名作になり得る要素はかなりあったと見受けられました。

ただ、それらが特段の工夫もなく並べられてしまうと、観客としては美しい写真や道具を次々と見せられているだけに思えてしまいます。映画を観に来た人はそこで興味尽きてしまうでしょう。

圧倒的に人に恵まれ、キャリアを重ねてきたであろう木村大作監督の次回の成長への期待を以て、感想を結ばせていただきます。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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