俺にとっての主人公はリサでもサトシでもなくカガチ『劇場版ポケットモンスター みんなの物語』レビュー【ネタバレ】

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アイキャッチ画像: (C)Nintendo・Creatures・GAME FREAK・TV Tokyo・ShoPro・JR Kikaku (C)Pokemon (C)2018 ピカチュウプロジェクト

こんにちは、新谷真弓の声にハートをキャッチされたワタリ(@wataridley)です。

公開から大きく間が空いてしまいましたが、今回は『劇場版 ポケットモンスター みんなの物語』をレビューします。

鑑賞からレビューまで時間が空きすぎた理由としては、夏映画の大作ラッシュをさばいているうちにいつのまにか…という自分の不手際です。

そのため、やや内容に関する記憶は薄れているのですが、寧ろそれによってこの映画で記憶に残りやすい長所と短所を書くことができるのではないかと思います。

『みんなの物語』は、劇場版ポケモンの前作『キミに決めた!』に続いて、テレビアニメ版『ポケットモンスター』から独立したストーリーが展開します。劇場版第19作『ボルケニオンと機巧のマギアナ』までは「テレビシリーズの旅の道中」で起きた出来事という体裁の話でしたが、一転して『キミに決めた!』と『みんなの物語』はテレビシリーズとの繋がりがなくなり、一作勝負となりました。

更に『みんなの物語』はサトシのみならず、劇場版オリジナルキャラクターにも主体的な物語を付与した群像劇となっています。

監督も20作品連続で指揮を取ってきた湯山邦彦から矢嶋哲夫に交代し、制作体制面でもリフレッシュが図られているようです。

中身も外見も変化した新世代の劇場版ポケモンに対する自分の感想は、それなりに好感触でした。至らぬ点も許容してしまいたくなるぐらいに、目新しさを重視した作品になっています。良くも悪くも初々しい印象を受けました。

以降、ネタバレを交えた感想を書いていきます。


66/100

ワタリ
一言あらすじ「老若男女誰彼構わず、それぞれに物語がある」

群像劇という挑戦

『みんなの物語』というタイトルが指す通り、今作の主役はサトシに限らない。映画で始めて顔を見知ることになるリサ、トリト、ヒスイ、ラルゴ、カガチらは決してサトシのために存在するゲストキャラクターではなく、それぞれバックボーンを持っている。

これには群像劇というジャンルが最もあてはまる。映画においてそれは新鮮でもなんでもないだろう。

しかし、こと「劇場版ポケットモンスター」において、非常に新しい試みであるし、果敢に挑んだ姿勢にまずは拍手をしたい。

これまでは主人公たるサトシとその仲間たちが、旅先で問題を抱えた誰かと出会い、やがて伝説のポケモンに巻き込まれて行くというプロットがあまりに惰性的に続いてきた。これからも永久に続くであろう人気コンテンツ『ポケモン』に、挑戦的な作風はリスク大きいのだ。

劇場版第1作『ミュウツーの逆襲』、第2作『ルギア爆誕』などは、今見てみると思いの外型破りな展開を含んだアニメとなっていたが、毎年公開していく上でルーティーン的に作ることはかなわなかったのだろう。そうしてアニメ『ポケモン』は、ポケモンリーグに向かって旅をするという作劇上の都合もあって、極めて当たり障りのない消費物たる顔を強めていたことも否定できない。

それを打ち破ったのが2016年に開始したアニメ『ポケットモンスター サン&ムーン』と、2017年夏に公開された『キミに決めた!』である。前者は「リーグに向かって旅をする」というステレオタイプのサトシ像から脱却し、旅をしないどころかポケモンスクールに通うなどという大幅な刷新が図られている。カキ、スイレン、マオ、マーマネ、リーリエのクラスメイト5人に加えて、保護者的立ち位置のククイ博士までもがいる。

アニメ版では、そんな気ままなスクールライフを謳歌しつつ、劇場版では必ずしもアニメに縛られない展開を取るようになった。これはひとえに日本における年齢別人口動態の変化やポケモンファンの高齢化が原因にあるのだろう。

実際、筆者のようにゲーム版を毎作買うようなファンであっても、テレビアニメ版に従属する劇場版を観に行くハードルはとても高いものだった。

旅の仲間たちやサトシの所有するポケモンについては、アニメ版を観ていなければなかなか実感を伴って顔見知りと認識することは難しい。ゲームやアニメを毎作追っていない人間にとっては、次々と投入される新ポケモンや良くも悪くも趣の変わってきた伝説のポケモンのルックスなど、躊躇してしまう材料もほどほどにあった。

しかし、そうした問題を前作『キミにきめた!』は突き崩し、『みんなの物語』はその流れに則りつつもまた新たな要素を加えてきた。肥え過ぎた古来の伝統より、観客にとっての新たな体験を重視しているという姿勢が見えて、好印象だった。

それでいて、サトシとピカチュウのお馴染みのキャラクターは堅持しつつ、ルギアといった誰もが一度は目にしたことがあるポケモンをキーに据えた判断もバランスがいい。

さて、今作の群像劇を語る上での前置きが少々長くなってしまったが、本筋に入るとしよう。

『みんなの物語』に登場するサトシ含めた6人は、みんな応援したくなるような共通点や自分もこうありたいと思わせる見所を持っていた。一人ひとり、触れないわけにいかないため、全員分の感想と考察を書くことにする。

 

リサ

2017年冬の特報映像にて初めてお披露目となった主人公の1人リサは、見る限りはポケモンを教育カリキュラムに取り入れていない普通高校に通う女子高生。

この時点でかなり興味をひく設定であるが、彼女が抱える個人的な悩みがポケモンとは無関係のところで自立している点も見逃せない。

彼女は足の怪我がきっかけでかつて所属していた陸上部と疎遠になってしまい、それについて密かに暗澹とした心持ちでいる。驚くことに、ここにポケモンとの関係性は一切ない。

「ポケモンとの関わりを持とうとしない」という問題を抱えた例は過去にもあった。『裂空の訪問者デオキシス』におけるトーイや、現在放送中のテレビアニメ『サン&ムーン』のリーリエが該当する。

しかしトーイやリーリエらと異なり、リサの心の中にはそもそもポケモンが存在しない。ポケモンが苦手なので所持したことがないという背景は、あくまで別問題である。

彼女はそんな非ポケモン的問題を、イーブイとの交流によって克服していく。ゲットしたばかりで、未熟なトレーナーである自分のせいでイーブイを傷つけてしまうも、それでも街のために死力を尽くそうとするイーブイの姿に心打たれ、自身の気持ちに向き合う決意をする。

正直、彼女の背景描写については不足している部分があるため、陸上少女という設定や川栄李奈のチャーミングなボイスアクト、派手だが見ているうちに可愛いと思わせるキャラデザなどを除いて残る「リサの物語」については少々不満ではある。葛藤が台詞で済まされてしまう、クライマックスの決心に至るまでのイーブイとの交流が十分には感じられないといった問題は明らかに存在するからだ。

それでも興味深く観ていられたのは、彼女がポケモンというコンテンツとちょっと距離を置いた設定のキャラクターであるためだろう。おかげで、自分には等身大の人間に映ったし、灯台に向かって人間が走るというポケモンらしからぬシーンには応援したくなる疾走感が灯っていた。

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トリト

トリトはポケモンを愛する優秀な研究者でありながら、人前で緊張してしまう気弱な性格の持ち主だ。

「トリトの物語」もまた、リサと同じくポケモンとはあまり関係がない。彼のパートナーであるラッキーも、マスコット的かわいさを持ってはいるが、あくまでそれだけという色が強い。

肝心の彼のドラマは、自分の訴えたいことが訴えられず、それ故に人間関係においても齟齬が生じてしまうという観客にもダイレクトに伝わってくる短所やコンプレックスに起因している。

濱田岳のいかにも弱々しそうな声の演技がばっちりとハマり、対照的なカガチとの掛け合いも6人の主人公の組み合わせの中で最も印象に残っている。

そんな自己主張の苦手な彼が変化していく様子を、自分ごとのように見ていた。ミスをおかし同僚の期待を裏切ってしまった時の落胆や恥は、こちらの共感性羞恥を呼び起こしとても痛々しかった。挙句、自分の研究材料を持ち出されてしまい街が大混乱に陥るという事態も、絶望的である。

しかし、そこから彼は自分の持てる知識を振り絞って、街を救う力になっていく。大声で同僚に協力を呼びかけ、オボンの実を材料にした解毒剤を調合し、それをヒスイとカガチに繋ぐ彼の姿はくすぐったくなるほど頼もしかった。

悪く言えばありきたりな成長劇ではあるが、陰気と可愛らしさが融合したキャラデザや濱田岳の好演、カガチとの掛け合いによって魅力を付されてたように思う。

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ヒスイ

老婦人ヒスイは街でも有名なポケモン嫌いであり、ポケモンと関わろうとしない変わり者。

正直に言ってしまうと、他の5人に比べて彼女は描写不足が目立つキャラクターになってしまっていた。

クライマックスにて明らかになる、「最愛のパートナーポケモンとの死別」は、タイミングが悪いことに前作『キミにきめた!』でも描かれていたもので、やや新鮮味を欠いている。

また、そもそもその死別を匂わす描写が前半部分においてはほとんど見られなかった点も惜しい。化学薬品のせいでポケモンたちに付き纏われるようになってしまった折に、思い出の品(風車のパーツ)を大事そうにしているという描写ぐらいしか見当たらず、彼女の胸の奥を覗きたくなる要素が極端に少ないのだ。

ポケモン達を嫌いだと言いながらも慕われてしまうコミカルな様子は面白かっただけに、ヒスイについては「ヒスイの物語」の完成に向けての積み上げやパズルピースのはめ込みをもっと丁寧にやってほしかったと切に思う。

ちなみに、野沢雅子が年相応の役を演じている奇妙な倒錯感はなかなか面白く、聞いているうちにもっとこうした役を聞いてみたいと思うぐらいであった。

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ラルゴ

フウラシティの市長の娘であるラルゴは、街の名物「風祭り」に参加することもなく、山奥であるポケモンを気遣っている訳ありげの少女。

ヒスイが前半において含みが提示されずに物足りないキャラクターとなっていたのに対し、ラルゴは十分すぎるほど尺を与えられているのに何がしたいのかわからないキャラクターである。

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山に潜んでいたゼラオラの安全を優先すべく、「風祭り」を中止にし、人々がフウラシティの外れにある山に立ち入らないようにしたとの動機は、無垢な子どもワガママと済ますにはあまりに重大な被害を与えてしまっている。

そもそも、このゼラオラがどんなポケモンなのかといったことが作中極めて説明的な台詞の上で済まされた挙句、ラルゴにとって「命の恩人」という表面的な事実の奥にどんな心情があったのかについてはまるで触れられていないように思えて仕方がなかった。助けてもらったからという理由だけで、あれほど甚大な被害を街にもたらしていいとは思えなかった。

一時しのぎな行動をサトシ達に突き止められていなかったら、彼女はゼラオラをどうしたかったのだろうか。治癒した後も一緒に遊びたかったのか、それとも街の人に誤解を解くよう諭したかったのかといった彼女の思惑の先が全く見えて来ず、ただ単にクライマックスのゼラオラとサトシの衝突を引き起こすトラブルメイカーに映ってしまった。

芦田愛菜のあどけなさの残るキュートな声が耳に心地よく響いたし、装いも一見女児向けアニメ的な愛嬌を持っていただけに、意外と過激なことをしでかすギャップに戸惑ってしまった。

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カガチ

6人の登場人物のうち誰が1番好きかと問われたら、自分は真っ先にカガチをあげる。

カガチはその軽妙な話術を武器に人を惹きつける才に長けている人物だが、姪のリリィにいい顔を見せるために嘘をついてしまう。

ポケモンを所持していないのにしている素ぶりを見せ、又聞きした情報を飾り付けた上で自らの知識かのように喧伝する。リリィにとってのポケモンに詳しく頼れる叔父さんでいるために、本当ではない自分を演じてしまうのだ。

その堂々とした振る舞いに惹かれたトリトと裏取引し、彼に支援された形で参加したポケモンゲットレースにおいて、彼はウソッキーに枯れた共感を示す。

ウソッキーはどう見ても草木でできた外見と、実は岩タイプを持つポケモンだ。木のフリをして行く手を阻むオブジェクトとしても、『ポケットモンスター 金銀』で登場し、プレイヤーにインパクトを与えたことがある。

そんな嘘つきと嘘つきの組み合わせは、弱いもの同士が寄り集まってひとつの力となっていくドラマを生み、観客に身近で親しみやすいヒーローとなっていく。この過程は、カガチの個人的な悩みとウソッキーの生態がうまく結びついており、コンビたる理由がそこで納得できてしまうのが面白かった。

後半、カガチは嘘をついていたことがバレて、リリィに拒絶されてしまう。不貞腐れていた彼についてくるのが同じく嘘つきのウソッキーという、心の穴の埋め方はいままでのポケモンにはないパートナーの成立である。ゲットそのものを劇場版の後半の見せ場とする型破りな話運びも、カガチの人間的な弱みを前半見ていたからこそ、まるで気にならない。

その後、ヒスイをおんぶし、トリトの開発した解毒剤を散布するために奔走する彼は、見違えていた。

それまで嘘で自分を塗り固めていた彼が、ほんとうの特技であるボール投げで活躍し
リリィたちを救う。序盤でボール投げを披露していたシーンがきれいに結びつきつつ、彼の成長を描き出してる。

大倉孝二演じるカガチは、喋りが上手く、それでいてリリィに弱みを隠してしまう人間臭さが自然となだれ込んでくる。彼は『フリクリ』においても、弱点を隠そうとするアマラオを演じていたが、あちらと合わせてカガチもはまり役だと思った。ダメなんだけど見捨てられないというキャラクターを演じさせて彼の右に出るものはいないのではないだろうか。

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サトシ

20年以上アニメ『ポケモン』シリーズの主人公を務める10歳の少年サトシ。

彼はこの物語において、他の5人とは異質な役目を持っていた。

サトシ自身には、悩みを持ち、それを解決するという意味においては「サトシの物語」が存在しない。代わりにあるのは、観客を「みんなの物語」へと導く狂言回しのような機能だ。

考えても見るとポケモン初心者であるリサにイーブイとの出逢いを後押しできたのは、サトシを置いて他にいない。ポケモントレーナーではないヒスイ、ラルゴ、カガチは無論のこと、トリトも研究者としての発表に勤しむ身だ。

サトシは「ポケモンマスターになる」という遠くの目標を除くと、なんの利害も持たずに、好奇心を振りまきながら旅をする少年でしかない。だからこそ、他の人の物語に積極的に関与していくことができるし、それが今回は5人との接点という形になった。

毒が撒き散らされ、絶望的な光景が広がる中、それでも前向きにみんなで力を合わせようという姿は、少年らしくあると同時にほかの5人にとっての理想像でもある。自己の問題よりも人助けを志せるサトシらしい精神性は、「みんなの物語」にとってのゴールとも言える。

ゼラオラに真っ向から和平を訴えかけるストレートな姿勢も、サトシにしか担えまい。このバトルは、作画面でも2つの雷がぶつかりあう迫力があり、王道の主人公らしい活躍をすることで、従来のポケモン映画らしさを最低限保ってくれていたようにも思う。

サトシだけは感情移入するためのキャラクターとなっておらずヒロイックに描かれている点は、他の劇場版に比べても異質ではあるが、見応えがあった。序盤にラルゴに投げつけられた果物を颯爽とキャッチするサトシに、その可愛らしい絵のタッチと相まって、ドキッとしたのは内緒である。

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群像劇の短所がそのまま出てしまった面

以上に挙げてきた通り、思わず肩入れしてしまうカガチに加えて、トリトやリサといった非定型のポケモンキャラの登場、いつも通りのはずのサトシが異質な存在となる物語構造などは面白かった。ヒスイとラルゴに関しても惜しいというだけで、この作品に爽やかな賑わいを与えてくれている。

このように群像劇の面白味を感じた一方で、群像劇であるが故の欠点も浮上しているように感じた。

100分にも満たない上映時間の中で6人の主要キャラクターをまんべんなく描くことは、とてつもなく難しいだろう。今作では、その難しさが画面を通じて伝わってきてしまった。

既に述べた通り、リサとヒスイには唐突な台詞でバックボーンが明かされるというシーンがあった。逆にラルゴはゼラオラとの関わらせ方で四苦八苦している様子が窺え、少女と異種族の交流という胸躍るシチュエーションがうまく活かせていないように思えた。誤解によってゼラオラとサトシのバトルが繰り広げられてしまい、ラルゴのピンチで互いの想いが一致するという展開には、強引な執筆者の裁量が見え隠れしてしまった。

6人の主要人物に注意の向いた脚本は、そのゼラオラについても消化不良な印象を与えている。まず、今作のゼラオラは幻のポケモンのように扱われておらず、珍しいポケモン程度にしか思えない。市長やラルゴの話の上では伝承上の生物とされているものの、人々がゼラオラを恐れる、あるいは神格視するといったシーンがないため、内輪な揉め事の中で暴れたポケモンという印象が強い。

ゼラオラが過去に起こした事件というのも、リサが前半山に立ち入った際の夜警の注意によってさらっと済まされている。後半になってこの事件が直接に言及されるが、その事件を完成させるパズルのピースが山への立ち入り禁止の決まりしかないのである。だから、観客としてはゼラオラとフウラシティの間にある確執がまったく他人事のように聞こえてしまうし、それによって和解のドラマが軽薄になってしまっている。

そして結局バトルの中でラルゴを助けるためにあっさりと雪解けするものだから、余計に感慨のないストーリーと化してしまった。

この取ってつけたようなバトルシーンは、明確な悪役が不在のため、盛りあがりとして設定された感が強い。ロケット団のうっかりで引き起こってしまったものと描写されている今回の事件は、6人の主人公をまとめるのすらやや無理が見え、ゼラオラや市長などのキャラクターを端に追いやってしまったようだ。

6人全員が結びついてこそというシーンもなく、個々の成長劇に熱をあげるところはあっても、物語全体のカタルシスを得られるシーンも自分には見当たらなかった。

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まとめ: 次回作以降も楽しみに待つ

しかし散々述べてきた通り、6人のキャラクターには愛着が沸く部分が必ずあった。

『ポケモン』は、ポケモンももちろんだが、やはり人間のキャラクターにも見所があると再認識させられた。

今作はトレーナーではない人物をポケモンの物語に組み込んだり、様々な世代と容姿に分けてキャラクターを形作っており、根柢のテーマには多様性の訴求があるのかもしれない。

ポルノグラフィティの歌う主題歌「ブレス」の歌詞が、まさにそれを語っている。

少年には遠回りをする時間が与えられ

老人には近道を知る知恵が授けられて

どちらかを笑うことなかれ 羨むことなかれ

それぞれの道がある 誰も君の道はいけない

(ポルノグラフィティ「ブレス」より引用)

『みんなの物語』のリサ、トリト、カガチ、ヒスイ、ラルゴ全員が世代も背景も異なっており、それぞれの個性を否定しあうことなく共存している。ポケモンというコンテンツがこれまで重視してきた低年齢層のみならず、幅広く老婆にまで物語を与えて、ドラマを展開したスタンスには賛同を示したい。

ポケモンの楽しみ方も、彼らのように多様であっていいのだと肯定してくれているみたいで、とても爽やかな気持ちになれる。

自分はカガチという弱みを持つキャラクターに対して最も肩入れした。だから、自分にとってはこの映画の主役は宣伝上目立っていたリサでも、従来のサトシでもなく、カガチなのだ。

最後の予告映像からリメイクではと噂されている来年以降も、劇場版ポケットモンスターを楽しみに待ちたい。観客に寄り添いながら、新たなチャレンジを続けてくれることだろう。

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