『レッド・デッド・リデンプション2』序盤感想: 無駄が多すぎて、もはやゲームではない【レビュー】

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こんにちは、つい最近電動歯ブラシデビューしたワタリ(@wataridley)です。

今回はPS4/Xbox oneの専用ゲームソフト『レッドデッドリデンプション2(以下RDR2)』について、序盤時点での感想を書き記します。

ストーリーの核心に触れるネタバレはありませんが、ゲーム内容については触れています。

 

舐めてかかっていた自分に起きた衝撃

自分は前作『レッドデッドリデンプション(RDR)』を触ったことはあるものの、プレイ当時には既に旧作となっていたこともあり、他の新作ゲームへ気移りしてしまい、ほとんど未プレイと言って差し支えない。あとは、プレイ動画などで散発的にゲームの雰囲気を知っている程度だ。

『RDR2』を購入したきっかけは、そもそも自分がオープンワールドゲーム全般に興味があることや、『グランドセフトオート』シリーズで知られる巨大ディベロッパーロックスターゲームズの新作という冠に引き寄せられたことが大きい。前作は中断していたうえ、そもそも西部劇というジャンルそのものに対する拘りもないのだ。

昨年にプレイした『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド(ゼルダBotW)』が自分にとって「この先これを超えるゲームと出会えるのか?」という圧倒的クライテリアとなってしまっていたので、実はそれほど『RDR2』そのものに対する期待は無かった。だから、発売前情報も熱心に追ってはこなかった。

せいぜい2018年の最後の2ヶ月のいい暇つぶしになればいい。そう思っていた。

あくまで上記に挙げたようにオープンワールドゲーム、ロックスターゲームズ新作という曖昧な動機によって、このゲームをなんとなくプレイし始めた。

そして、驚愕した。『RDR2』は、もはやゲームではなかった。

ゲームと呼ぶことが烏滸がましいと思えるほどの世界がそこにあったのだ。

緻密に描き込まれた19世紀末アメリカの原風景。そこに生息する写実的な野生動物や草花。そんな大自然の中、鈍重な動きをする人間や馬。匂いまで漂ってきそうな不潔さも漂白されることなく、情報としてそこに在る。

『ゼルダ BotW』が亡国ハイラルを隈なく冒険できるオープンワールドゲームの傑作とすると、『RDR2』は在りし日のアメリカの一部と化すシミュレーションの傑作かもしれない。

 

あまりに冗長な挙動に魔力がある

プレイしてすぐに驚いたのが、このゲームにおけるあらゆる動作に省略がまるで見られない冗長性・不便性だ。

主人公アーサーは階段を一段一段踏みながら上って行くし、馬に乗り降りする際には体勢を整えようとする。引き出しや戸棚を開く際にもゆっくりと手を伸ばし、それを引く。中に入っている物資をカバンに詰めるまでの一連動作は従来のゲームに慣れているとこの上なく勿体ぶっているように感じられるだろう。

ストーリーの冒頭にアーサーと仲間たちは吹雪の中、とある家屋を発見する。その探索パートの舞台となる室内はどうにも狭っ苦しく、オープンワールドゲームが志向するそれとは真反対だ。だからプレイヤーとしてはさっさと終えてしまいたいのたが、その意図の前に全てをありのままに描写せんとするアニメーションが立ちはだかる。

家の中を歩くときは、我々がそうするように、忙しく喧しくは動かない。方向転換するにしても、頭で考えスティックを動かしてから実際に挙動を取るまでに少しのタイムラグが生じる。更には物を手に取るときの動きまで重い。ひとつひとつ調べているうち、一部屋しかない家の中を体感10分かけて探ったのではないだろうか。

『ゼルダ BotW』では宝箱は入力してすぐに開けるし、入手したアイテムの収納もこれほど冗長ではなかった。大地に転がる素材はボタン入力してすぐに入手できる。宝箱の開閉や収納動作は、最低限のリアリティを担保するオマケでしかないのだ。今でも一部のゲームでは、自動で開く宝箱や扉などが存在しているが、これは中継ぎ動作に労力を割くよりも果実たるゲームバートに注ぐためなのだろう。実に合理的だと思う。

この論調で行くと『RDR2』はひどく非合理的なゲームとなってしまっている。アイテムの入手にかかる手間を丸写し、被っている帽子は殴られると落としてしまう。ボタンを入力すれば即インベントリへ入り、身につけたアイテムは見えない強力な接着剤でくっつく従来のゲームと異なり、とんでもなく面倒くさい。

しかし、それこそ『RDR2』の持つ独自的な魅力であり、世界への没入を手助けする演出となっている。

現実の我々だって、風で乱れる髪の毛に気を使ってしまう。手に入れた物を次の瞬間にはポケットに瞬間移動なんてありえない。それこそ無意識的にゆっくりと丁寧に収納するはずだ。

アーサーが取る現実的で冗長な動作を眺めているうちに、プレイヤーはゲーム内にある切れ間のないひと時に入り浸り、いつのまにか第三の壁が曖昧となる。飾ってある写真を手にとって眺める操作などがあたかも自分がしているかのような錯覚を起こし、アーサーと自分が一体化してしまうのだ。

流石に落ちている弾薬の入手はオートで行われるものの、扉を開ける、ハシゴを登る、物資を入手する、死体から追い剥ぎをする、階段や坂を上がる、馬に乗り降りする、ものを食べるといったアクションは妥協なく作り込まれ、ほとんどそのまま行われる様子には、今作を虚構とは思わせない魔力が潜んでいる。

 

不便だからこそ奥ゆかしい

他のゲームでは考えられないような表現はプレイアブルキャラクターの挙動の面だけでなく、ゲーム内のシステムにもある。

突然だが、2009年に発売された大人気格闘ゲーム『大乱闘スマッシュブラザーズX』において施されたとある改変が今でも記憶に残っている。

『スマブラX』は、任天堂の主要なゲームからキャラクターが一堂に会することで絶大な人気を誇るシリーズのうちの一作である。この『スマブラX』の前作にあたる『大乱闘スマッシュブラザーズDX』は、今でも格ゲーの世界大会のツールに用いられるほど熟練度が問われるゲームだ。

それに比して、『スマブラX』は任天堂のお祭りゲームという色を優先してなのかライトゲーマーにウケのいいパーティ要素を追加していた。誰でも派手な必殺技で場を荒らせる「スマッシュボール」は言うまでもないが、地味にプレイヤーに指摘されていたのがキャラクターをダッシュさせた際にランダムで発生する転倒だ。ファイター同士の戦いに運要素が絡めることで、まさしくパーティゲームのような盛り上がりを期していたのかもしれない。

しかし、この現実に即しているともいえる転倒システムは概ね不評だった。不可抗力な隙を生むことは格ゲーにおいて致命的だ。仮に現実でいくら人が転ぶものであったとしても、ゲームの中にまでそれを求めてはいないのが大勢である。発売後、ネット上で多くのプレイヤーがこのシステムを無駄だと断じていた。

話を『RDR2』に戻そう。

『RDR2』にはそういった無駄が非常に多い。

アーサーは人間だ。だからずっとものを食べないでいると衰弱していく。馬も同様にスピードを出しすぎると基本体力が削れてしまう。また、長時間経つと髭も伸びる。殴られた衝撃で帽子を落とす。2階ほどの高さから着地すると痛そうに呻き、ダメージを受けるし、態勢を立て直すのにやや時間がかかる。

リアリティを演出するためとはいえ、流石にやりすぎではないかと思うぐらいだ。

『GTAV』では床屋に行けば髭や髪の毛の長さを選ぶことができた。裏を返すと他の多くのゲームでも、毛髪の類は店でしか生やせず伸ばせない事実上の「装飾品」という扱いが常識だった。そして普段の操作時はまるで永久脱毛したかのように髭は生えないし、衛生状態も健康も空腹度も一定に保たれたままだ。『ゼルダ BotW』のリンクなんかも、一度も食べ物を喉に通さないままラスボスを撃破することができた。

対照的に『RDR2』の手間のかかりようは、とてつもない。毛むくじゃらを好まないプレイヤーは彼の衛生状態に気を使わないとならないし、ダメージを受けるようなラフプレーをしなくとも常に回復リソースに気を遣う必要性がある。アーサーも馬も繊細なのだ。

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だが、これだけ人間的な挙動と状態を演出されてしまうと、自然と彼らに肩入れしたくなってしまう。アーサーは頼れる西部劇のカウボーイだが、鉄人ではない。馬も無茶な扱いをすればくたばってしまう。秩序も生活インフラも整っていない時代にあって、かよわい生き物はただ毎日を生きるだけでも苦労したはずだ。

カットシーンにおけるアーサーは渋い声で仲間たち一行をリードし、着実に仕事を遂行する男の顔を見せるものだから、プレイヤーも気づかぬうちに彼の惨めな姿を見たいとは思わなくなる。雪山での過酷な生活、敵対ギャングとの戦い、ピンチの仲間を助けに行く局面などにおいて、コンディションを低いままにしておくわけにはいかないという使命感が生じ、いつのまにか『RDR2』の敢えて不便な挙動とシステムは、プレイヤーにとって生きるための糧にして術と化す。

また、今作には選択を迫られる場面が多い。特になんて事のない通行人に対しても友好的か敵対的かを選ぶことができる。この時代をスマートに生き抜くために自分は友好的であろうと努めるうちに、ゲームのキャラクターのリアクションがうれしく感じられ、また一方で「敵対したらどうなるのか」と良からぬことを考えもする。

不要であるはずのシステムも、この世界を奥深いものにしているのだから、憎い演出である。

 

オープンワールド史上見惚れるほと写実的で美麗な西部開拓時代アメリカ

上記に挙げた要素は、本来ならばストレス源として批判に晒されてもおかしくはない。

しかし、それを許容し、あまつさえ美点と認めてしまうのは、この世界が手間をかけるに値する神秘を持っているからだ。

『RDR2』のオープニングシークエンスは、息詰まるような場所で行われる。吹雪で周囲が視認できない雪原、先述した人里離れた場所にある一軒家、アーサーが属するギャングたちが仮住まいとする小さな村跡など、およそ開放感からはかけ離れたロケーションである。それでも見入りながらプレイ出来たのは、ギャング達の立たされた状況を示す寂寥感あふれる情景が適切に表現されているからにほかならない。

少しのムービーを終えプレイアブルになった時、たいした展開もまだ起こっていないというのに、感動してしまった。馬が歩くと、雪は掻き分けられ、きちんと辿ってきた記録が残るのである。積雪の上を歩くアーサー達のバランスを取るようにした慎重な足取りも見事で、たしかに「雪の上にいる」という実感があった。また、吹雪の中を移動した人間と馬の体には霜が付着し、大自然の厳しさが目に伝えられる。

雪山を抜けてたどり着いた緑豊かな自然の美しさについては言うまでもないだろう。開けた場所で臨める太陽光がとにかく美しい。夕日に当たりながら、馬で移動するだけで琴線に触れるワンシーンが生み出されるのだから、『アンチャーテッド』に負けじ劣らない“プレイする映画”と言えよう。

森や林では陽の光が木々の隙間から差し込み、好き好きに大地を照らす。地には草が生い茂り、あるいは肥沃な土地土が露出している部分がある。もちろん足音もそれに反応して変化する。芝の上は細かく柔らかい音、荒地の上は硬く乾いた音がさりげなく耳に入る。最初に訪れた街、バレンタインでは舗装されていない街道が泥濘み、歩くたびに泥が跳ねて水音が鳴る。心底、歩くだけで楽しいのである。

オープンワールドゲームはその広大な面積から、キャラクターがフィールドと接して起こる反応について、やや作り込みが甘い部分があるのが常だった。雪の上だろうと、泥の上だろうと同じ速度・歩き方で踏破できるゲームは今でも多い。『メタルギアソリッドV』ではダッシュが移動手段としてかなり優れていた反面、砂漠だろうと浅瀬だろうと速度変化がない違和感は少なからずあった。あるいは、『Marvel’s Spider-Man』や『FINAL FANTASY XV』のようにロケーションが単調で、そもそもフィールドとキャラクターの掛け合わせパターンが少ないということも考えられる。

しかし、『RDR2』は序盤の時点でも大地との干渉が実感できる音や動きが取り入れられているし、雪山から森林、氷の張った湖、夕日を美しく反射する河、牧歌的な小町、埃っぽい部屋の中などロケーションの種類も豊富にあり、これでもまだ極一部というのだから驚きだ。

店内にしても、販売されているアイテムはすべてグラフィックが作りこまれており、手に取ってディティールをたしかめることもできる徹底ぶりだ。売り物ではない装飾品にも、彫刻や金細工などが施されたりしており、呆気に取られてしまった。

 

まとめ: 非ゲーム的に表現されたこの世界を希釈して味わいたい

『RDR2』はあまりに濃度の高い体験を提供してくる。高級カルピスの原液はちびちびと毎日希釈しながら飲まなければ、胸焼けして冷静に味わい尽くすことができない。(筆者はアルコールを受け付けない体質なので、こういう比喩になる。たいへん申し訳ない。)

旧来のゲームがユーザビリティや適切な開発リソース配分の名のもとに省略し、或いは諦めてきた極限的な仮想現実の構築をこのゲームは試みている。面倒くささがここまで心地よいゲームはいまだかつて経験したことがなく、その意味で今作はゲームというよりも自らが19世紀末アメリカの一部となるシミュレーションだ。まだ序盤しかプレイできていないが、この時点で既に傑作評をくだしたくなるほどに心を奪われているといってもいい。

一方でこのゲームの持っている弱点も、少し感じている。それは、脱ゲーム的なアプローチが驚きに満ちている反面、従来のゲーム的な楽しさがやや薄味ではないかという点だ。

これは『RDR2』に限らず、ロックスターゲームズやほかのディベロッパーのオープンワールドゲームにもみられる傾向だ。広大な世界にフォーカスした結果として、ゲーム部分が他のゲームの流用に終始してしまっていたり、革新的であってもオープンワールドと相反する遊びになってしまい、マップかゲーム部分のどちらか一方に評価点が偏ってしまうのである。

「他のゲームの流用」の例でいくと、『GTAV』は色とりどりの要素を実現してはいるが、他のゲームでできることの集合体でしかないという側面を持っている。

「オープンワールドと相反する遊び」の例は『MGSV』や『FF15』があてはまる。どちらも、広大な世界を用意したにもかかわらず、肝心のメインストーリーがリニアで、寄り道とは分岐しているきらいがあった。

オープンワールドと革新性のどちらもをうまくまとめた作品は、自分にとってはやはり『ゼルダ BotW』だ。簡単なチュートリアルさえ終えれば、360°に広がる世界を好き好きに旅することができ、それがプレイヤーにとっての冒険の物語となる。シリーズお馴染みの謎解き要素は、細分化し世界中に散りばめることで探索意欲を煽る。メインストーリーもフラグメント化し、ラスボスに挑むうえで順番もコンプリート率も問われない。何もかも自由だから探索したいという欲望と、冒険意欲をかきたてる世界がかたく繋がり合ってた。

現時点で『RDR2』は、奥を探りたくなるマップと主人公アーサーを介した臨場感あふれる体験を提供してくれているが、クリアするまで遊びの面で飽きが来ないか、メインストーリーとオープンワールドが有機的に結びついているかについては確認しきれていない。

そういったハードルを軽々と飛び越えて、クリアするまで、いやゲームの隅から隅まで味わい尽くすまで、没頭できることを期待しておく。

▼2018/1/8追記。クリア後の感想は以下の通り。

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