国家の代表ではない、最小単位のニール・アームストロング『ファースト・マン』レビュー【ネタバレ】

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アイキャッチ画像: (C)Universal Pictures

こんにちは、前髪で前が見えないワタリ(@wataridley)です。

今回はデイミアン・チャゼルが監督し、人類史上初めて月に降り立ったニール・アームストロングを映した『ファースト・マン(原題: First Man)』をレビューします。

チャゼルの前作『La La Land』に引き続き主演をライアン・ゴズリングが務めながらも、「ジャズ」「夢追い人」とは毛色の異なる「宇宙開発」を題材にしており、監督の新たな方向性を匂わせる作品です。

率直な感想を言うとするなら、『La La Land』『Whiplash』前2作に比べて音楽面の見所は乏しく、古ぼけたカメラによる映像は単調です。しかし、それらを通じて見えてくるindividualなニール・アームストロング像には目を見張り続けていました。

これは華々しい偉人の映画ではありません。もしかしたら功績の中に埋もれてしまった一個人を掘り起こそうとする泥臭い映画なのです。

以降、ネタバレを交えての感想になります。


68/100

ワタリ
一言あらすじ「月に取り憑かれた男の邁進」

一個人としてのニール・アームストロング

今作に映りこむニール・アームストロングは歴史人然とは映らない。血が通い、体温を宿した人間である。

映像の画質はまるで砂粒を散りばめたかのようにざらついていて、その当時のカメラを通して半生を覗き込んでいるような感覚にさせてくれる。カメラは、極端なほどにニールに近づき、彼の実像を捉えんとしている。微妙に揺れ続ける画面は、手で撮ったような拙さと温かみがあった。

カメラに映るニールはとてつもなく俗っぽい。家族たちと遊ぶシーンでは、まるでホームビデオに登場する父親のようにお道化て息子を冷蔵庫に放り込もうとするし、仕事で溜めたストレスから扉を大袈裟にしめるという俗世間の父親像と重なる部分はいくつも収められている。

そうした家庭内風景だけでなく、ニールの表情も執拗に映し続ける。彼は驚くほどに冷静な人物で、娘と同僚の死を経ても、感情の揺れ幅は人前では見せることがない。帰ってこれるかは神のみぞ知る旅立ちの前夜でも、実にビジネスライクな態度で子どもたちと接する。

だが、そんな宇宙飛行士らしい安定した精神の陰には、抑圧された最愛の娘を失った悲しみや思うように事が運べない苦しみ、そして月への憧れが潜んでいる。

放射線治療で弱った娘の世話をするニールの後ろ姿には、切迫した様子がうかがえる。娘のために仕事のオファーも断って今の住まいに居続け、夜な夜な治療法を模索するのを見ているうちに、1人の娘のためにすり減らす父親の姿が浮かび上がってくる。娘の葬儀の最中、息子の前では平然としているものの、人目のつかぬところで独りでに涙をこぼす表情はそれだけに弱弱しく、せつない。

上司も驚くスピードで職場に戻った彼は、仕事を求めて気持ちが逸っているようだった。そんな折に目にしたジェミニ計画の飛行士の求人に応募し、彼はとうとう月へ向けての歩を進め始める。妻のジャネットも彼の新たな門出をどこか不安げな形で見守ることに。

当然のことながら、NASAでの訓練は過酷で、飛行士には多くの知識・技術が求められた。そんな折、多軸訓練装置で体を回転させるうちに意識が朦朧としたニールは、娘のカレンの髪の毛に触れたあの時を思い出す。そして、彼はそれに追い立てられるかのように続行を表明する。

妻ジャネットに思い出の曲を覚えていることさえ驚かれた彼は、おそらく普段は多弁な性分ではないのだろう。家族ぐるみで付き合いのあっただから断ち切れない娘への想いを曝け出さずに、宇宙飛行という試練によってそれを埋め合わせたいのかもしれない。アポロ一号に乗っていたエド・ホワイトら同僚の死や多くの困難に表面上の動揺を見せる様子も描かれることはほとんどないが、その感情の矛先はグラスを握る手や夜空に輝く月へと向かう。

情報を著しく制限された今作のライアン・ゴズリングは、目に見えない形でニールの機微を匂わせる。『La La Land』のセブとは異なる方向性の人物に変貌を遂げており、同一人物とは到底思えない。『ブレードランナー2049』のKを観た時にも、彼の無表情から想像を大いに煽られた。非常事態に耐えられる精神力を持つ宇宙飛行士であり、宇宙開発の時代を切り分けたニーム・アームストロングに相応しいパフォーマンスに拍手を送りたい。

(C)Universal Pictures

 

死と隣り合わせの彼が目指したもの

ニールは、着陸時の事故で亡くなった友人のエリオット・シーの葬儀で、冷徹な理屈を振り回すバズ・オルドリンに批判の言葉を返し、去り際に娘を幻視する。常に死の危険性が付きまとう任務に従事するニールは、ある意味では死んだ娘と近い場所にいるのかもしれない。

何もない暗い宇宙からは死が連想され、狭い宇宙船に押し込められる飛行士は棺桶の中にいるかのようだ。打ち上げ直前は外の景色を僅かにしか見ることができず、船内に入り込んだハエの音は喧しく鳴り響く。

作中では、アポロ一号の飛行実験中に生じた小さな火花が酸素によって燃え広がり、なす術もないまま3人のパイロットが焼死するという衝撃的な事件が描かれた。焦り狂う船内では身を自由に動かすことはかなわず、通信という繋がりがなければ悲鳴すら外に到達することはない。事が終わった時、宇宙船の入り口から微かに漏れた炎は、この上なく気味が悪い。

ニールが置かれている状況は、常人には考えられないこと尽くしだ。物語の冒頭、三半規管が強い刺激を受けそうな高度上昇を行うニールが描かれ、強い衝撃を受ける機体、喧しくなり続けるアラート音、空気摩擦によってとうとう熱される羽等が目まぐるしく活写される。遠方から機体を映すカットを用いず、機内のニールへのフォーカスと僅かな機体パーツの映り込みが、この間の窮屈さに拍車をかける。

人類は飛行機の誕生によって空を飛べるようになったと言われているが、人間を乗せた機械への負担や人体に及ぶ影響を鑑みれば、強引に天に続く扉をこじ開けているに過ぎないのではないか。一連の激しい上昇訓練からは、そのように思わせられた。

(C)Universal Pictures

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ところが、そんな不信感を覆すほどの景色があの空の向こうには広がっている。大気圏を抜けた先にある静寂を、我々が味わったより大きな感慨がニールには訪れたのではないだろうか。地上で起きていた娘の病から物理的に離れることで、景色が変わる。おそらくはそんな想いがカレンの死後、彼を突き動かし、ジェミニ計画に足を向けさせたのだと考える。彼は適性を測るインタビューにおいて、宇宙開発に期待するのは、資源などの物質的リターンではなく、見方の変化であると語っていた。振り返ってみると、地球外に出ることで、現状を覆そうとする意図がこの言葉に含まれているように思えてくる。面接官が娘のカレンの不幸で揺さぶりをかけようとした際、平然と「質問は何か」と切り返していた彼の胸の内では、決意と不安がうごめいていたのかもしれない。

宇宙に取り憑かれた男は、ジェミニ計画におけるアジェナとのドッキングで引き起こった想定外の事故にも驚くほど冷静に対処し、計画を成功させる。同僚のデイヴィッド・スコットが急回転に失神する中でも解決策を模索し、迅速な判断を下し、宇宙外から生還できたものの、ニールの顔には九死に一生を得たという感情が見えてこない。帰還するシーンは省かれ、あの夜空の月に向かい続ける興味は以後も映される。計画が事故により中断となった時に、彼が割れるまでグラスを握りしめた挙措からも、ニールの執着心が窺える。

苦難を経て、ニール・アームストロング、バズ・オルドリン、マイケル・コリンズの3人はいよいよ人類史上初の月面着陸に挑む。

数日間暗闇の中を漂流した末にたどり着いた先には、無が横たわっていた。窮屈でざらついた映像はここで切り替わり、クリアで果てのない風景が広がる。このシーンは、IMAXの巨大なスクリーンのお陰で、ニールの憧憬がとうとう目の前に現れた達成感が強調されていた。

無線で逐一指示が入り、周りは機械でまみれていた窮屈な空間とは異なり、月面はぞっとするぐらい何もない。

(C)Universal Pictures

“That’s one small step for (a) man, one giant leap for mankind.”

これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。

by Neil Alden Armstrong 1969年7月21日02:56(UTC)

かの有名なこの台詞は、苦難に満ちた経緯と、月に持ち込んだ”ある物”によって異なる色を帯び始める。

酸素も音もない真空、その奥に浮かぶ月のような地球、そして灰色の地面で構成される景色を歩いた先で、彼はカレンの形見をクレーターに投げ落とす。

地球はあんなに遠くにあって、ここには自分たち以外誰もいない。それなのに、たったひとりの娘のことが、尚も頭から離れない。これほど壮大な計画の担い手が人知れずに抱えていたのは孤独だったのかもしれない。はるか遠くの何もない場所へ到達した彼は、その孤独を切り離すかのように、月へと置き去りにし、地球に帰還する。

ガラスを隔ててクレアと対面するところで、今作の幕は閉じられる。家族でありながら見守ることしかできないクレアと、そんな妻を置いて月にまで旅をしたニールの間にある隔たりが、不安交じりの安堵を自分の胸に落とした。

独りでに未練を断ち切ったニールは、すんなりと家族との平穏な日々に戻っていくことができるのだろうか。あるいは、ニールの変化がジャネットとの間に生じていたしこりを浮かび上がらせてしまうことも考えられる。

孤独を埋め合わせるための旅は彼を安らぎに導いた反面、失ったものも少しばかりはあるのかもしれない。苦い達成感を味わいながら、黒い画面を眺め続けていた。

(C)Universal Pictures

 

国家をも背景化するチャゼル

『ファースト・マン』のニールに対するアプローチのように、傍から見るだけでは理解できない人間に迫り、その狭い価値観の中に在る至上の喜びと苦しみとを描きだそうとする作風は『Whiplash』『La La Land』と通底している。

特に今作では、一個の人間たるニールを扱うために、歴史的な文脈の上での語り口を極力排除している印象があった。作中、高額な財政出動をしてまで行われる宇宙開発への市民の反発や、旧ソ連との宇宙開発競争などが映りこむ。とはいえ、それらはニールの心理に何ら影響をもたらす様子もない。月から帰還した彼が、各国から届いた新聞に目を配る描写は些細なことのように映り、その後に映りこむジャネットにとっての専らの関心は無事に帰ってきた夫なのだ。

個人では抗いようのない社会情勢と時代の波に逆らわず、あくまでニールは自身の目的のために邁進する。家で夜遅くまでラジオに耳を傾けていたジャネットの頭の中には、アメリカの宇宙開発競争よりも上に夫がいたはずだ。この映画は、かつて国家が拍手を送ったニール・アームストロング船長ではなく、父親であり夫のニールに重きを置いていることは言うまでもない。

本国では、人類史上初の月面着陸を象徴するアメリカ国旗を立てるシーンがないとして、批判的な意見もあったようである。しかし、これは上記に述べた作品の構造を鑑みれば、不合理な見方である。アメリカ国旗は無かったことにされたわけではなく、月に立ったニール達を小さく捉えた遠景にポツリと映りこんでいた。その一方で、月を体感するニールの主観を重視し、国家の一大プロジェクトそっちのけで娘を想う。作品の精神に忠実なのは、堂々と立てられる国旗よりも、いつのまにか立てられたそれなのだ。

(C)Universal Pictures

 

まとめ: 疲労を覚えながらも、次に期待。

ライアン・ゴズリングの、寡黙でありながら雄弁な演技には舌を巻いた。緊密に近寄るカメラにも負けない、奥深さがあった。このライアンのパフォーマンス、しいてはニール個人に集中させる意図から、カメラは窮屈なほどに寄り添ったのであろう。

とはいえ、その意図を理解しつつも、やはり退屈さは拭い去れない場面は多々みられた。141分という集中力を要求される上映時間の中、変化が感じられるのはごく一部の空を飛んでいくシーンに限定されてしまっており、登場人物の会話や挙動についてはこちらから積極的に働きかけねばならない。そのため、少々疲労感を覚える映画ではあった。

少々大変さを覚えながら、ニールの人物描写になるべく齧りついていった結果、以上述べてきた感想を抱くに至ったわけだ。チャゼルの最小単位の個人や狭い社会を重んじつつも、その負の側面も忘れない均衡感覚は、相変わらず面白い。『Whiplash』『La La Land』、そして『First Man』の次には、どんなチャレンジが来るのか。彼に注目していきたい。

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