その名を叫ぶ輪を広げよう『シャザム!』レビュー【ネタバレ】

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アイキャッチ画像: (C)2019 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC.

こんにちは、シャザムと同じくビールを飲むとお口からリバースするワタリ(@wataridley)です。

今回は『スーパーマン』などで知られるDCコミックスの実写化シリーズ、DCEUの第7作『シャザム!(原題: Shazam!)』のレビューとなります。

『シャザム!』は、その名を叫ぶと瞬く間に大人のヒーローへと変身する力を得た少年ビリー・バットソンの奮闘を描いた映画です。主人公が未成年でありながら能力を行使する際の肉体は大人というチグハグな設定は、背伸びをする青臭いジュブナイル的なノリと、肉体に見合う精神性を身につけるまでの成長過程の両面を備えています。

鑑賞する前は前者のギャグ描写に期待を寄せていました。実際にも期待通りにスーパーパワーを手に入れてはしゃいだ様子が見られ、更にヒーローになるための要件をビリーの成長と重ねて描く実直なヒーロー映画に仕上がっていました。

以下、ネタバレを含めた感想を書いていきます。未見の方はご注意くださいませ。


70/100

ワタリ
一言あらすじ「シャザーム!」

ビリーとシャザム、分離したままの肉体と精神

幼い頃に母親とはぐれて以降、孤児として生きてきたビリー・バットソンは、事あるごとに揉め事を起こして里親を転々としていた。

ある日迎え入れられた里親の家には、ヒーロー好きな少年フレディを筆頭に、大学進学に熱心なメアリー、ゲーマーのユージーン、無口なペドロ、人懐っこいダーラなど、個性的な子供たちが各々好き好きに暮らしていた。

当初はそんな家族にも馴染もうとせず、フレディに対しても冷淡に当たっていたビリーだったが、ある日松葉杖をつく彼に突っかかってきたいじめっ子達を追い払った逃げ道で彼の運命は劇的に変化する…。

怪しげな祠にいた謎の老人導師から、Solomonの叡智、Herculesの剛力、Atlasの体力、Zeusの全能、Achillesの勇気、Mercuryの神速を与えられたビリーは、その名を口にした途端に精神はそのままに超人的な肉体を持つヒーロー・シャザムに変身する。

(C)2019 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC.

精神はそのままに、というのがこの映画における肝要な設定である。

既往のヒーロー映画では、その肉体に宿したスーパーパワーと精神性が不可分に結びつくようにして物語が作られていた例が多い。DCコミックスの『スーパーマン』の主人公クラーク・ケントはその超人的なパワーを世界平和のために用いておきながら、普段は新聞記者として慎ましく生きる高潔な精神の持ち主として描かれる。『バットマン』の正体であるブルース・ウェインは、少年時代に両親を殺されたことがきっかけで、自身の地位と財力を活用して闇夜を駆ける騎士バットマンとして悪を倒す。

DCコミックスに限らず、スーパーヒーローとはスーパーパワーに加えて、それに相応しい精神性をも有する存在として定義されてきた。マーベル・コミックの『スパイダーマン』におけるかの有名な「大いなる力には大いなる責任が伴う」は、それを端的に言い表している。

スーパーマンとバットマンは、クライマックスのバトルシーンの最中に子供が遊んでいたフィギュアとして登場し、バットマンは玩具屋の場面でも人形がシャザムによって投げられていたが、この世界にいるヒーロー達が既に認知され、憧れの対象となっていることが示されている。そうなっているのも、彼らが世界のために戦ってきたからである。

それに対して、『シャザム!』における当初のシャザム=ビリーは、ヒーローたる要件を満たした人物とはいかない。

単なる偶然に等しい形で能力を手に入れた彼は、その力の使いどころ以前に、自身の持つスーパーパワーさえも把握していない状態であった。オシッコの仕方や変身を解く条件すらわからないのは、ヒーローとしての自覚を著しく欠いた状態を示している。

それらのスーパーパワーは、親友フレディとのチャイルディッシュな悪ふざけによって徐々に見出されていくこととなる。引ったくりに遭っていた女性の元へ駆けつける時には超高速の移動に、コンビニ強盗を退治する時に強靭な肉体に気づき、ビリーとフレディは2人で秘密を共有しつつ、様々な実験を重ねてスーパーパワーを解明していく。

子供がスーパーパワーを得たら、もうはしゃぐしかないだろう。優位に立てるという高揚は少年を駆り立て、様々なチャレンジをさせる。女性をナンパしてみる、ビールを飲んでみるといった背伸びをすることもあれば、実験では空を飛び、物体を破壊してみるといった試みを大いに楽しむこともある。QUEENのDon’t Stop Me Nowに乗せて、悪ふざけをするビリーとフレディの微笑ましい様子は、スーパーヒーロー映画の中でも異彩を放っている。

しかしいくら能力を把握しても、彼らの力の使いどころは目先の娯楽に限られたままだった。YouTubeに動画のアップによって注目を集めたり、学校をサボるために保護者のフリをしたり、小銭稼ぎのためにパフォーマンスを行なったりするだけで、一向にシャザムのパワーはビリーの手元で都合のいい道具として使われ続ける。

ビリーとフレディの間に生じた摩擦も、結局ビリー自身が他人のために力を使わないことに端を発している。大学に合格し、家族との別れに俯くメアリーに「他人のことより自分のことを考えるべきだ」とアドバイスしていたのも、母親を求めてここから離れたいと願う彼の心情故である。

バスの事故に際して、ビリーはただ目の前の状況に困惑し、バスの落下地点にマットを設置することで解決を図ろうとしていた。彼自身は、他者のために力を使う発想がなく、その怪力も飛行能力も必要に迫られて使用したに過ぎない。

成熟した肉体を得ようとも、その中身は相変わらず未熟なまま。サデウス・シヴァナの接触と彼からの逃走によって、ビリー自身もそのことを知らしめられることとなる。

(C)2019 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC.

 

力を独占するサデウスと分け与えるシャザム=ビリー

サデウスは子供の頃にシャザム導師と一度は邂逅するも、一方的に資格を否定されてしまった過去を持つ。不仲な家族との確執もあって、屈折した心を育んできた。

このサデウスという人物は徹底してビリーと重複する部分もある対比者として映される。

占い玉のメッセージを受けて、シャザム導師の居場所を追ってきた執念は、幼少期に貰った方位磁石の玩具を大切に持ち母親を追い求めてきたビリーの姿と重なる。両者とも何かに固執し、「それさえあれば自分の中の問題がすべて解決する」と思い込んでいた点で、同類なのである。

サデウスは七つの大罪を得てから、恨みを晴らすべく父と兄を襲い、更にシャザムの力を得て、世界を征服しようとする。どこまでも利己的であり、そのためなら残虐な手口をも辞さないサデウスに対して、ビリーは太刀打ちできるほどの主義を持たず、最初の戦いでは歯が立たなかった。ビリーもまたシャザムのパワーを自分の都合で用いていたために、サデウスとの間にある境界は曖昧だったのだ。

(C)2019 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC.

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しかし、物語の最中に生じた特異点が、ビリーとサデウスの2人をヒーローとヴィランに分かつ。

ビリーは棚から牡丹餅といった偶然で手に入れたパワーを当初は利己的に用いていたが、母親との再会において彼は初めて利他的行動を選択する。自分が求めていた母親は既にもうひとつの家族を得ていて、今更自分がそこに入れる隙間もないと悟ったビリーは持っていた玩具を彼女に手渡し、事を荒だてまいとその場を立ち去る。自分の幸福よりも母親の幸福を優先したのである。

その直後、自分の「今の家族」が危険な状態にあると知り、いち早く駆けつけるためビリーが屋上からダイブするシーンは、ヒーローとしての精神の萌芽とエモーションの爆発がシャザムという叫びと稲妻のような加速に託され、印象的なシーンに仕上がっていた。

ここから、ビリーとサデウスは明確に異なった道を歩み始める。家族を守るために戦うビリーは、力を得るために他者の危険も顧みないサデウスとは相容れない。ビリーが自分たちのために戦ってくれていると知る兄弟たちはビリーが力を奪われそうになった時に助け舟を出し、逃げ込んだ先の遊園地でも共に戦う。

サデウスの襲撃に怯えていた子供に対してビリーがとある物をあげたシーンにも、利己から利他への変化が見て取れる。かつて母親に「虎のぬいぐるみが欲しい」と言って座っていた幼きビリーは与えられる側でしかない。しかし、そんな彼が今度は虎のぬいぐるみを差し出す。他の誰かのために戦わなければならないという決意をし、彼は再びサデウスに立ち向かっていく。

あくまで力を自分に集中させんとするサデウスに対し、ビリーは力を分け与えるという真逆の方向に舵を切る事で優勢に転じる。ビリー=シャザムを含めて6人のスーパーヒーローの誕生という意外性のある展開と、そこに続く中身はコドモらしい愛嬌あるリアクションには笑みがこぼれた。

また、アクション的な面でも「シャザム!」と叫んでの変身もアイデアのある運用がなされていて、見応えがあった。一言で叫べば変身できることを利用して敵前逃亡を図ったかつてのシーンとは異なり、今度は機転を利かせて体のサイズを変えることで拘束から逃れたり、サデウスに窒息させられそうになったことで逆にピンチに陥ったりと、叫ぶだけのルールを観客に共有させて見せ場を作る鮮やかな手口には感心した。よくよく考えると、「シャザム!」と叫んだ時の落雷や咄嗟の変身については、フレディと一緒に悪ふざけしているパートでお披露目されていたことが自然な前振りになっていた。最後の決着で使われた落雷は、膝を打つほどの巧さだった。

サデウスを倒した後に、6人はシャザム導師のいた祠を秘密基地とし、これから秘密を共有していくようだ。フレディと一緒になってランチを食べようとする彼らは幸福な時間を共有する。シャザムの力の受け渡しは、他者への信頼を表し、それはやがて誰かを救うことに繋がるのだという訓示になっていた。

(C)2019 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC.

 

冗費された部分もある132分

ヒーローになるということを単なる個人の自覚に留めず、他者にまで波及させることを持って描いた今作のストーリーは、実に斬新であるし、ファミリーの人種や年齢のばらつきと重ねて、今後のヒーローの多様性を推し進めてくれそうな期待感を抱かせてくれる。

とはいえ、そうしたことを内包したストーリーテリングにも、若干息切れを起こしている箇所も見られている。

後半部分において、サデウスとシャザムの繰り広げる戦いは非常に長く、ビジュアル的にも既往のヒーロー映画と代わり映えしない。多くの状況変化や場面転換を入れることで興味を引っ張り続けようという姿勢は垣間見えるのだが、あまりに長い尺をカバーしきれるほどの魅力を持ち得ていないように感じられた。

具体的には、ビリーが一旦サデウスに従わされ、7つの座席がある場所へ連れられた場面は全体の中でさほど重要に思えない割には、しっかりと尺が割かれてしまっているし、イマジネーションであっさりと脱出できてしまうという呆気なさ含めて、構成的な疑問を抱いてしまった。あの無数にある扉はそれぞれどうなっているのか?という興味は1つの扉に潜む怪物を映して、それをもって簡略的に流されてしまうのも惜しい気持ちになった。

サデウスが普段は体内に飼っている7つの大罪達の造形にしても、よくある怪物のそれでしかなく、目新しさに欠ける。2000年代の映画かと思うぐらい荒いCGに加えて、それぞれ固有の能力や性格も不明瞭なまま最終決戦に突入されてしまうと、どうしても引き込まれることがなかった。7体全てを体外に放出するとパワーを失うらしいが、1体につき具体的にどれだけ弱体化していくのかもわからず、そもそもサデウスの倒し方などの説明もない。その割に最後の最後に「嫉妬」の個性だけは勝ちの目として用いられ、サデウスから力を取り除く過程はかなりあっさりと済んでしまったりと、「シャザム!」と叫ぶ変身の活用を除くと、戦闘シーンには緻密さないように思えた。

クライマックスの空中戦にしても、『マン・オブ・スティール』ほどの魅力も感じられなかった。ちなみに、これはマーベルの方の『キャプテン・マーベル』でも同じ感想を抱いている。

また、テーマで言えば、分け与えるという部分に至る上で重要になってくるフレディ以外の家族達との交流も希薄なままあのクライマックスの全員集合に至ってしまうので、映像とアイデアに興奮しつつも、ドラマとしては思いのほか冷静に見てしまった。結局、ビリーを引き取った里親であるバスケス夫妻は話の本筋にほとんど絡んでこないため、最後の食事前の「手合わせ」も感慨深いものは得られなかった。

シャザムになるまでがスローテンポな前半やかなり尺が長く間延びした後半を見ると、132分という尺は少々重たかった。あるいは、浅く拾われていた七つの大罪や家族のエピソードをもっと描き込むなどしてくれたら、上映時間に見合う濃度になっていたかもしれない。

(C)2019 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC.

 

まとめ: シャザム!と叫びたくなる

『シャザム!』は、内向的な考え方の少年が外交的になる過程を、ヒーローの能力に目覚めてしまった戸惑いに絡めて展開したことによって、唯一無二のヒーロー映画となっている。

遮二無二に少年の成長を肯定し、家族との絆の構築をパワーの根源にする王道の作風はかえって新鮮に思える。家族までもがヒーローになるという展開はテーマと照らし合わせれば順当なものではあるが、他の映画では見られないものだ。

主人公のビリーの「シャザム!」という叫びは耳に残るし、みんなで叫ぶ所を見れば、俄然自分も口にしたくなる。『シャザム!』はビリー視点でその能力に驚きつつ、子供たちがみんな変身する映像を見て、自分もその輪に加わりたいとも思えてくる。

見た目はオトナ、中身はコドモという異色めいたキャッチに相応しく、しっかりと個性的な作品になっている。次回作の企画は既に進んでいるらしいが、仲間が増えた状態での続編では一体どうなるのかがとても気になる。今作で見せてくれた「らしさ」を失わず、それでいて6人のシャザムファミリーの活躍を見せて欲しいと思う。

 

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