ひとつの映画としては瑕疵が目立つ高級な実写化『キングダム』レビュー【ネタバレ】

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アイキャッチ画像: (C)原泰久/集英社 (C)2019映画「キングダム」製作委員会

こんにちは、最近新しいバイクを買ったワタリ(@wataridley)です。

実写映画『キングダム』を観てきましたので、その感想を書きます。

原泰久による原作漫画『キングダム』は2006年より週刊ヤングジャンプにて連載され、今や50巻を超える人気作。

その実写化にあたって、監督を『アイアムアヒーロー』『いぬやしき』『BLEACH』などの実写作品を担当してきた実績を持つ佐藤信介が務めています。

そして主演は『氷菓』『オオカミ少女と黒王子』『ヒロイン失格』などの山崎賢人。「実写化請負人」とさえ言える山崎賢人を筆頭に、キャストを橋本環奈、吉沢亮、長澤まさみなどの邦画界のスターで固めています。

更に、大人気実写化映画『るろうに剣心』シリーズで実績を持つONE OK ROCKをこちらでも主題歌に起用するという布陣から、必ずヒットさせようという強固な意志を感じられます。

映画冒頭でも、『スパイダーマン』シリーズの配給を行うソニー・ピクチャーズとコロンビア・ピクチャーズのロゴから今作のバジェットの大きさを窺うことができました。

これだけの好条件が揃っているとあって、近年の実写化邦画の中でも指折りの大作映画という印象を受けます。

自分は原作漫画は数年前にちらっと覗いた程度で「始皇帝が中国統一を成し遂げるまでをアクション交じりに描いた歴史スペクタクル」といった基本の知識しかないのですが、壮観な風景と本格的な装いの役者、そしてダイナミックなアクション描写のモンタージュである予告編を目にする度に、期待は上昇していきました。

役者の立ち姿はたしかに漫画のキャラクターを忠実に再現しており、それでいて二次元の嘘を大胆に変換する工夫なども随所に見られ、製作費に支えられた高級な実写化作品になっていると思いました。

一方で、演出面では不釣り合いなぐらい気になる部分が目立ってもいました。脚本に関しても、あくまで「序章」止まりで、感情が昂ぶる機会があまりないまま終わってしまい、消化不良に感じられました。

以下に、実写化されて良かった部分、映画としては不満に感じられた部分を書いていきます。ネタバレしていますので、ご注意ください。


62/100

ワタリ
一言あらすじ「奴隷の少年が天下の大将軍への第一歩を踏み出した。」

マンガをリアルへ変換しきった高級な「実写化」

映画『キングダム』は、原作マンガの再現に努めつつ、実写にするにあたっての調整も行われており、舞台である中国とそこにいる人々に嘘を感じさせることなく、物語を最後まで突っ切らせている。

 

潤沢な予算が実現した壮大な絵

オープニングに表示されるソニー・ピクチャーズとコロンビア・ピクチャーズが意味する通り、映画は壮大な景色を見せつけ、リッチな気分を味あわせてくれる。

冒頭では、王騎が軍勢を率いる様子が映る。地平線が見えるくらい開けた土地や遮るものがなく延々と降り注ぐ日光といった自然風景により、ちっぽけな奴隷少年が初めて遥か彼方の夢を見出すに相応しい雄大なシーンに仕上がっている。

いわゆるハリボテ感みたいなものは皆無で、広くて立体的な世界は場面転換ごとにダイレクトに映り込むので、中国の大地に相応しい絵が見られる。8万人の兵士が並ぶ映像が広がった時には、その後の戦への期待を抱かずにはいられなかった。(これについては、不満はある。後述。)

洞窟の中へ漏れてくる日差しを嬴政と信が2人並んで見つめるシーンや、3人で竹林や原っぱを通るシーン、断崖絶壁を大勢で歩くシーンなど、壮大な絵巻物を彷彿とさせる旅風景もある。宮殿も部分的に組まれたセットではなくフルスケールのものを用いているようで、歴史物語を見ているような気分になれた。応急奪還の際も大掛かりなエキストラを動員することで、50人VSその倍以上の敵という戦闘をフルに描くことは出来ていた。

邦画とスペクタクルはあまり等号で結びつかないイメージを持っていたが、今作はお金をかけてロケーションを拘り、そこに凝った人や物を大量投入したことで、ゆくゆくは中国統一を目指す壮大な大河ドラマに見合った映像を実現している。

(C)原泰久/集英社 (C)2019映画「キングダム」製作委員会

 

二次元のウソを派手に実写化したキャスト

『キングダム』は紀元前の中国、春秋戦国時代を舞台に奴隷の少年・信が、後の始皇帝である嬴政と共に、中国統一を目指す壮大な歴史スペクタクルである。

とはいえ原作が漫画であるためか、出てくる登場人物はみないくらか創作を含んだなり形をしている。冒頭、奴隷の身分である信と漂こそパッと見て特徴のない着物に身を包んではいるが、位の高い嬴政は朱色の着物を身にまとい、真ん中分けの凛々しく清潔な佇まいで戦場に挑む。また、長澤まさみ演じる楊端和は山に住まう部族らしい木や草で出来た衣装からしなやかな四肢を伸ばしている。冷静に考えれば、まず現実の歴史にこんな奴らいないだろうとなる。

言ってしまえば二次元由来の嘘がどのキャラクターにも漂っている。上記に挙げた役を演じた吉沢亮と長澤まさみは立ち姿もさることながら、台詞とアクションに至るまでもが、派手である。その派手さを巧みに演じきってくれているおかげで気持ちいとさえ思えた。

吉沢亮は奴隷の少年・漂と、一国の王として生まれた・嬴政の二役を演じている。漂は野に生まれ育ち、信という友と一緒に夢を見て過ごしてきた少年であり、柔和な表情を浮かべる。もう一方の嬴政は王族の身分であるため、言葉遣いも振る舞いも格式高く、表情も堅い。顔は瓜二つだが生い立ちがまるで異なる2人を演じるにあたって、微妙な顔の動かし方から、台詞読みに至るまで変化をつけている。ここに吉沢亮の技量を思い知らされた。劇中、信が目を覚まして漂を幻視する場面では、直前まで行動していたのが嬴政と知っていても、信と同じ錯覚を起こした。

楊端和の長澤まさみは、膨大な数の山の民を率いる頭として終始鷹揚に構え続ける姿勢が印象的だった。表情をほとんど動かさず真っ直ぐとした目つきを保つ様子は、今年に観た『マスカレード・ホテル』のサービス精神豊富なコンシェルジュと全く重ならない。

本郷奏多演じる成蟜のサディスティックなキャラクターも物語の推進力のひとつだ。純血主義で、権力主義で、野心家だが、そのくせ自分では手を汚さない意地の悪さと彼のシャープな顔つきがマッチしている。それに、本郷奏多に感じられる少年らしいあどけなさというものが、物語の最後に露呈する成蟜の脆さを表していた。

極め付けは大沢たかお演じる王騎は、創作物でなければありえない存在だ。鎧を纏ったがっしりとした体躯、垂れ目気味で穏やかな顔つきから滲み出る静かなる強かさ、3つにピシッと分けられた顎髭、オールバックの長髪など、あまりに大胆な格好である。しかし、大沢たかおの堂々とした着こなしと、大仰な演技が王騎というキャラクターの存在そのものに爽快感を与えていた。天下の大将軍という物々しい肩書きからは想像もつかない、高めのトーンでで発される台詞の数々は、周囲の人物を猫でも撫でるかのような余裕を伝えてくれる。今作に出てくる人物がいずれも緊迫感や危機感を纏っているのに対して、王騎だけは不沈の戦艦の如き頼もしさがあるのである。

登場人物の堂々とした立ち振る舞いは、漫画由来の派手さを再現しつつも、実写映画に向けての工夫が随所に見られた。だから、単なるコスプレ映像とは全くなっていないし、キャラクター表現の大仰さが観ている側の気持ちよさに繋がる瞬間も大いにあった。時代劇的とも、舞台演劇的とも取れる形で漫画のキャラを再構築した今作は、近年の中でも指折りに良質な「実写化」である。

(C)原泰久/集英社 (C)2019映画「キングダム」製作委員会

 

目立ってしまった映画としての瑕疵

キャラクタービジュアルと中国の春秋戦国時代のスケールを大資本で実現したという意味においては今作は成功したと言ってもいい。しかし、これを映画という評価軸で測るのであれば、話は違ってくる。

映画『キングダム』は、漫画を現実に置き換えることに心血を注ぐ一方で、その映画的技法に関してはかなり疎かになっている。見た目のインパクトを削いでしまう短所を振り返っていこう。

 

演者のアプローチの一貫性のなさ

先程はキャクターの再現性について評価したが、気になる点もあった。自分には、芝居のアプローチが全体を通して一貫しているように見えなかった。

上記で称揚した吉沢亮、長澤まさみ、大沢たかお等は、堂々とした振る舞いと台詞読みから舞台の芝居とも言える誇張が見られたし、それでいて腰を据えた落ち着きがある、微妙なバランスが保たれていた。

片や、山崎賢人と橋本環奈は彼らとは融け合わない軽さが終始付いて回る。メインキャラクターである彼らの演技のアプローチに集中力を切らされてしまうこともあった。

山崎賢人演じる信は、両親のいない奴隷として育ったことから礼節を知らず、「天下の大将軍になる」という夢のためにひたすら武力を磨いてきた少年として描かれる。道中では、自身の感情的な性格を政に咎められる場面もあれば、また逆にその純真さが硬直した事態を打破することもある。

しかし、そうした快男児らしい表現が全体的に空回りしているようにしか思えなかった。山崎賢人は徹底して「声を荒げる」「声を大にする」という単調な台詞読みに留まっており、氏の挙措からは旅を通しての変化がまるで感じられない。正直、冒頭の彼とラストの彼とで何が変わったのかは傷などのメイクを除いて見出すことが難しい。表情などの機微からも思慮が全く見られないことも相まって、一面的なキャラクターになってしまっていた。故に終盤の左慈との夢をめぐる戦いにも感情移入できなかった。

橋本環奈演じる河了貂は、そもそも物語に必要とも思えないほど役割が小さい。山の民であることから、政達を本拠地へと案内するというだけで、スクリーンに目立つように映りこんでくる。当初は報酬目的で政に近づいた彼女が、なぜ信たちと仲良くなっていくのか?というのは物語で全く描かれることはないし、橋本環奈の演技からも読み取ることができない。彼女の台詞読みもまた荒くれ者らしい口調を意識するのに手一杯で、そこまで繊細な感情表現がなされることもない。だから、終盤に信の戦いを固唾を呑んで見守る彼女の顔を見ても、いまいち胸に響くものはなかった。

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吉沢亮が見事な演じ分けをするばかりか、為政者らしい厳格な佇まいで画面を引き締めたり、大沢たかおの王騎や長澤まさみの楊端和が気持ちのいい強さを見せつけてくれる中、あまりに不釣り合いな演技が紛れ込んでいるとどうしても鑑賞中に気になってしまうものだ。それが主役級の役ともなると尚更である。

(C)原泰久/集英社 (C)2019映画「キングダム」製作委員会

 

何をやっているのかわかりづらい寄り過ぎたカメラワーク

今作はアクションシーンも見所のひとつである。佐藤信介監督のこれまでの作品を見ても、『アイアムアヒーロー』『いぬやしき』『BLEACH』などアクション面で評価されている作品は多い。これらの作品にアクション監督として名を連ねた下村勇二は、今作においても同様の役割で参加している。

そのこともあって劇中の剣戟は、スピード感にあふれ、スタイリッシュな動きで敵に喰らいかかっていく勢いを感じることができた。アクションそのものは、評価されてしかるべきだろうとは素人目に見て思った。

ただ、そうしたアクション的魅力の全てをこの映画は見せてくれない。全体的に斬り合っている最中に、映るのは動作主のみであったりすることが多く、動作主と対象全体を映したカットは極めて少ない。というか、動作そのものも細かくカットで区切られてしまっており連帯感を欠いてしまっている。そのせいで、せっかくのアクションも「なんだか凄そう」という感想止まりになってしまっていて、印象的な一枚絵のようなものがはっきりとは残らないのである。

同じく剣を用いたアクション映画でなら、『るろうに剣心』の方が格段と一連の動作が記憶に残りやすかった。少なくとも、上記の映画では、役者にクローズアップする瞬間はここぞという所に抑えられていたし、キャラクターの個性を発揮する必殺技も丸ごと映してくれていた。(見た人の間では悪名高い)牙突の描写ひとつ取っても、動作主である斎藤一の体が丸ごと映り、その動作の始めと終わりがきちんと映っていた。

クライマックスで大勢が動き回っているはずの王宮突入作戦も、全体像を上空から俯瞰させるといったカットはおろか、登場人物達がいまどこでどれくらいの敵を相手にしているのかを掴ませる引きの絵が披露されることはない。政と昌文君が今どれだけピンチなのかが共有されないお陰で、裏で動いている信たちに緊迫感を覚えるのも難しい。せっかくの大舞台のはずが、そのスケールが活かしきれているとも言えないのである。

事前に出てきていた8万の兵たちは、政達の作戦がそれを避けるためのものであったために、活用されることなく終わってしまったのも残念であった。

また、アクションパートにおいては全体的にロジックが放棄されてしまっており、「敵対者同士がただ斬り合っているだけ」というシーンになりがちなのも気になった。

例えば、映画の序盤に初めて信が敵対する朱凶にどうして勝つことができたのか、そのロジックは極めて曖昧である。怒りに駆られたとはいえ、それまで抜刀もせずにあしらってきた敵に打ち勝つほどの技術が画面内にはっきりと映ることなく信が優勢に転じる映像には、説得力が欠けている。決着となる信の飛翔も見るからにワイヤーアクションらしい動きで、真に迫った強さが感じられなかった。

今作の実質的なラスボスである左慈に至っては、演じた坂口拓の物々しいオーラと洗練された動きが明らかに山崎賢人の剣を凌いでおり、どう考えても彼が負けるようには思えない。脚本的な都合から決められた勝敗、登場人物の感情であっさりと左右される優勢など、論理を欠いたアクション描写には戸惑う場面さえあった。

登場人物のエモーションに連動したアクションと言えば聞こえはいいが、その登場人物に感情移入させるほどのドラマも希薄なため、単にご都合的な色味が強いだけなのである。

成蟜のいる本堂にたどり着いた一行は、左慈と信が斬り合っている最中、なぜか棒立ちしてその勝負を静観する。ここに、今作のご都合主義が明確にある。成蟜の命を取れば戦は終わるはずだが、河了貂の持っている吹き矢は何のために持っていたのか。あのチープな命拾い描写のためでしかなかったのだろうか。

(C)原泰久/集英社 (C)2019映画「キングダム」製作委員会

 

こちらの創造意欲を減退させる回想・説明のオンパレード

豪華な舞台、壮絶な時代に生きる人々がいるのだから、彼らの表情に委ねて語れば、見応えのある映像になることだろう。しかし、今作は愚直な説明台詞と回想シーンを連続させて淡々と話を進めていく。

信の目的は観客のレベルを低く見積もったのか、実にわかりやすく語られる。ずばり、天下の大将軍という夢のために邁進する役目が信である。それ以上でも以下でもなく、執拗に言語化されたが故に限定されてしまった役割のために、彼は存在させられている。幼少の頃に遠くから眺めるしかなかった天下の大将軍の王騎を近くで見ることができるようになるまでを描いたのが、映画『キングダム』だというらしい。

しかし、夢というテーマを物語ったところで、こっちとしては何を感じればいいのかは不明だ。信が夢への距離を詰めたことによる変化や心情は示唆されることもなく、ただ単に夢への第一歩を踏み出しただけである。その第一歩の重要性を描くわけでもない。それこそ宣伝で謳われている「夢が世界を変える」というわけでもない。死んでいった漂の意志を継いで、王宮奪還を成し遂げ、中国統一までの道を進み始めたらしいのだが、現実的にはこの時点では何も変わっていないだろう。今作は結局のところ単なる序章に過ぎないし、夢というテーマを物語る上でのアプローチも単調なために、ひどく薄味に感じられてしまった。

語られる内容に厚みを感じないばかりか、興醒めする場面さえ多々ある。漂が死んでしまった場面が直後にもまた再生された時には眉をひそめてしまったし、いちいち漂が生前にどう思っていたとかこうだったという事実も明確な回想と説明で隙間なく語られてしまう。

中盤、生き残った昌文君ら反政府勢力が漂の武勇を語る部分は最も酷く、暗い映像、寄りの画の連続で何をやっているのかよくわからない中、彼の活躍を台詞で明示してしまう。映像で漂が扇動して走り去る部分は確かに映るものの、周囲との位置関係や王騎との距離感は適当に流されているため、どうにも話者が持ち上げている印象を受けてしまい、苦笑いしてしまった。

また、朱凶が敗北した際に命乞いで「家族がいる」と語り出した時と、それに続く政の容赦のない止めのように、単に物語を停滞させるようなやり取りまで見られる。そしてこれらの描写が後の展開に役立つこともなく、少なくとも今作限りでは、ただ無駄な描写に終わっている。王騎の暗躍や昌文君によるその説明も「その先」は続編へお預けであり、今作の物語そのものを楽しませてはくれない。

今作の説明的な描写のせいで軽薄なキャラクターになってしまったのが、山の民だ。彼らは数百年にも及ぶ長い負の歴史を持つ抑圧された民族である。秦の国と一時は手を取り合ったものの、裏切られて多くの血が流れた。未だに文化的に分断され、交流もないまま山奥で暮らしてきたという壮大なバックがある。

しかし、上記の背景もすべては口頭で語られ、それでおしまいにされてしまうのだから驚いた。苛烈な差別を受けた彼らの苦しみや秦の国の人間に対する怒りや憎しみも台詞で語られても、役者の表情やアイテムを用いた映像的演出によって増長されることは全くない。政達が休憩していた建物が和平への未練だとする解釈はあったが、それすらもあっさりと台詞で説明されてしまう。その前後に殺すか殺さぬかの話し合いをしていたはずなのに、時間にして10〜20分程度で話し合って和平交渉が結んだようにしか見えず、被差別民族との和解というカタルシスはまるで感じられなかった。

必然的に、その後に来る応急奪還作戦も全く感情移入できない。なぜなら、山の民がそれほど奮闘するだけの背景が全く伝わらないからである。昨日今日歩み寄ってきた少数の反政府派と手を組んで、どうして命を賭すのか。前半部分でもしっかりと描写しておくべきだったのではないだろうか。

付け加えるなら、今作の主要なテーマである「夢」を否定する存在であるはずの左慈の描き方にも不満がある。最終決戦前にいきなり経歴を語り、夢を否定する台詞を語り始める様は、あまりに唐突に感じられる。即席に過ぎない信との対立は、在るべきコントラストを燻らせてしまっていた。2人が剣を交えても、両者の間にはドラマが無いので、燃え上がるはずもない。

心情や状況を口頭で説明されると、こっちとしては想像力を働かせる機会もなく、ただ受け身に話を聞くしかできない。だから、今作はとにかく話が進んでも面白いとは思えなかった。

(C)原泰久/集英社 (C)2019映画「キングダム」製作委員会

 

まとめ: 二重の意味で次章を見ることは出来るのか

実写化部分は楽しめることはできても、登場人物の心情に寄り添わせる演出や外連味ある台詞回しやアクションなどの映画らしい楽しみ方には不満が色々と出てしまう作品であった。

とはいえ、そうした不満を「惜しい」と感じるほどには、今作のキャスト陣の再現度や舞台のスケールに驚きを得ることは出来た。

続編が公開されるには、通常の邦画以上に多くの人に見てもらう必要があるらしい。しかし、単に採算が取れるというだけでは続編のスケールアップも厳しいだろう。自分としても、きちんとした合戦描写を続編で展開するにあたっては、より一層の予算をかけ、工夫を凝らす必要があると思っている。

果たしてそれに見合うだけの興行収入を稼ぎ、順当にパワーアップした作品を作ることはできるのだろうか。二重の意味で、次章が気にかかる作品である。

 

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