ゲームに没頭したことがあるすべての人に向けられた物語『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』レビュー【ネタバレ】

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アイキャッチ画像: (C)2019「DRAGONQUEST YOUR STORY」製作委員会 (C)1992 ARMOR PROJECT/BIRD STUDIO/SPIKE CHUNSOFT/SQUARE ENIX All Rights Reserved.

こんにちは、最近になってコミケに初参加したワタリ(@wataridley)です。

今回は国民的大人気RPG『ドラゴンクエスト』シリーズの1作『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』を題材にした3DCGアニメーション映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』をレビューします。

総監督・脚本は『ALWAYS 三丁目の夕日』『永遠の0』などを手掛けた山崎貴。監督には花房真と、『STAND BY ME ドラえもん』『friends もののけ島のナキ』などで山崎貴と共同で監督を務めた八木竜一の2人がクレジットされています。

自分はゲームのドラゴンクエストをプレイしたことが一切ありませんが、それでも『ドラクエ』が日本を代表するフランチャイズであることは身に染みて理解しています。ナンバリングタイトルは出る度にミリオンセラー級のヒットを出し、そのあまりの人気ぶりから新作の発売日にはズル休みが多発したという逸話やゲームに出てくる「イオナズン」「メラ」「ぱふぱふ」「スライム」などの専門用語は何度も耳にしてきました。

今度の映画化も第一報が出た時には、相応に注目されていた印象を受けました。「あの『ドラクエ』が遂に映画化」という文脈に加えて、更に「あの山崎貴が総監督」「キャラデザが鳥山明ではない」というセンセーショナルな話題まで重なり、夏休み興行を大いに沸かせることは容易に想像できました。

しかし、です。一方で、自分の中ではこの映画化企画に対する疑念も生じていました。それは「どうして今、このタイミングで『ドラクエV』なのか?」というものです。

勿論『ドラクエV』はシリーズの中でも花婿論争が激烈な勢いでなされているように、ファンから注目されてきたゲームではあるようです。それでも、途中リメイクや移植作が挟まっても、オリジナル版が発売されたのは27年も前。スーパーファミリーコンピューター、通称スーファミのソフトだから、もう立派なレトロゲームなわけです。

『ドラクエ』シリーズももう11作目まで発売されている今、わざわざこのゲームを振り返る意図がどこにあるのかわかりませんでした。

そして、この映画のラストを見届けた時、その答えを見せつけられました。たしかに「今」に『ドラクエV』を語る意義を感じ取ったのです。

ちなみに、ラジオでも今作について語っています。

以下、ネタバレを交えて映画の感想を書いていきます。未見の方はご注意ください。


66/10075/100(2回目の鑑賞後加点)

ワタリ
一言あらすじ「ゲームに没頭したことがあるあなたの物語」

白組が生み出す国内屈指の映像表現

映画は、世界観を説明するナレーションから幕を開ける。ここで表示される文字やイラストは古めかしいドットで表現され、その後に続くリュカなる人間の幼少期もあくまでスーパーファミコンでプレイしているゲームの画面のように流れていく。

今見ると荒っぽいグラフィックではあるものの、デフォルメ化された人々が声もない文字で言葉を語り、縦横斜めの単純な動作で冒険を繰り広げていくこの光景に、懐かしい気分にさせられた。こんなにも限られた情報に、無限の想像を膨らませてコントローラーを握っていたのだ。このシーンでは幼馴染であるビアンカ、そして後に結婚話が持ち上がるフローラとの出逢いもさらりと描写され、パパスとリュカの冒険がゲームのプレイ映像として集約される。

それから画面が暗転した後、突如として映し出される雪景色には直前までの映像とのギャップも相まって、思わず息をひそめた。温かな日差しを浴びた雪原の眩しい様子や、その光を吸う黒ずんだ木々が空撮で捉えられ、やがてリュカとパパスが現れるこのカットは、鮮烈な印象を与えてくれる。スーファミなら雪はせいぜい指で数える程度の色の組み合わせで表現されたことだろう。だが、現代において数々のヒット作品でVFXを手がけてきた白組の技術力を持ってすれば、ライティングを考慮したグラデーションや足跡や雪の深度による色味の変化をすべて再現し尽くすことができるのだ。最初に見せた映像と、この真のオープニングカットのギャップ効果はうまく機能していたように思う。

このように背景は質感がきちんと描き込まれている一方で、人間のキャラクターは肉感を与えつつ、頭の輪郭はきれいな丸みを帯びて、鼻が目立たないといった漫画的な顔立ちを志向している。鳥山明が手がけていた原作のデザインとは異なるのは、瞳孔やそばかすといった細部までも描き込む上でバランスを調整する目的があったのだろうと思われる。驚いたり、なよなよしい表情を見せる主人公リュカの造形は、この映画を見ている我々が親しめるものであるし、そういう意味ではまるっきり漫画のキャラとなってはならない立ち位置でもある。漫画とリアルを折衷したデザインと言えるだろう。フローラの清涼感ある髪色と瞳はきれいだったし、ビアンカの快活な表情の動きなど、キャラクターごとに設定された個性を見ているのも面白かった。

(C)2019「DRAGONQUEST YOUR STORY」製作委員会 (C)1992 ARMOR PROJECT/BIRD STUDIO/SPIKE CHUNSOFT/SQUARE ENIX All Rights Reserved.

モンスターの表現については、ブオーンの毛並みやロボットの錆や光沢といった細部の描き込みがうまく機能して、迫力と実在感が生まれていた。人間たちと異なり、架空の存在であるそれらは半端なCGで再現してしまうと、あくまで作り物としてしか捉えられないリスクがある。それを精細なグラフィックで補えば、例え空想であったとしても、「リアルにいたらこんな感じかも」と、片時でも想像することができる。しかし、人間のキャラクターと同様に、リアルに凝り過ぎず、どこか愛嬌を感じることのできる造形になってもいた。特にゲマの尖った顎と狂気で濁った瞳は恐怖心をかきたて、一目でその邪悪さを理解させてくれた。

また、フルCGの映画として披露される魔法表現は、スクリーンで目にするに相応しいものばかりだ。終盤に、ゲマ相手に使用したバギクロスは、ゲームのリアルタイムプレイでやったらまず間違いなく処理が落ちてしまうことだろうし、あれほどの巨大魔法を組み込んでバランスを保つということも難しいはずだ。これらの魔法は映画でしかできないハッタリをうまく効かせている。ブオーンとの戦闘描写を見ても、いちいち粉塵が起こり、周囲のオブジェクトが倒壊していく描写は、まずコンシューマーゲームでは不可能だろう。しかし、従来なら省略されても仕方ないものを映画なら一から十まで表現できる。このあたりの映像作品ならではなハッタリと作り込みも今作の見どころになっている。

個人的には、リュカの息子アルスが初めて天空の剣を引き抜くシーンが気に入っている。音楽や剣の展開ギミックを大写しにして、徐々に全容を見せていくカット割、そしてとうとう来る派手なエフェクトの猛撃が組み合わさったこのシーンは、ここから急旋回していくクライマックスへの繋ぎ目に相応しいインパクトを与えていた。

(C)2019「DRAGONQUEST YOUR STORY」製作委員会 (C)1992 ARMOR PROJECT/BIRD STUDIO/SPIKE CHUNSOFT/SQUARE ENIX All Rights Reserved.

 

人の半生を描く『ドラクエV』の真髄

冒頭述べたように、自分は『ドラクエV』をプレイしたことがない。又聞きで内容を知っていた程度である。

だが、どうして『ドラクエV』が自分のような直接プレイしたことのない人間の耳にも届く作品なのかを、この映画で具体的に掴むことができた。

『ドラクエV』は、主人公の半生を追う筋書きになっている。結婚相手を選ぶイベントに代表されるように、プレイヤーに人生のライフステージを追体験させて、やがて主人公と化していく作風となっている。『ドラクエ』シリーズが属する「ロールプレイングゲーム」というジャンルを、局所的にではなく、より壮大に体験してもらおうという作り手の意図が読み取れる。そしてこれは他のゲームにはなかなか見られないものだ。とりわけゲームのジャンルの分化と多様化が今に比べて途上にあった当時には、画期的な取り組みであったであろうことは想像に難くない。

例えば、「伝説の傭兵」というロールをプレイする『メタルギアソリッド』シリーズでは、確かにプレイヤーをスネークという主人公に没入する体験を与えてはくれる。しかしどの作品においても、干渉できるのは彼の人生の一場面に過ぎない。『メタルギアソリッド』であればシャドーモセス事件、『2』であれば実質的な主人公雷電が体験するS3計画、『3』なら冷戦時代の裏で行われたスネークイーター作戦である。事件が解決すれば、スネークや雷電はプレイヤーの手の及ばない次へと歩みを進めるのだ。つまるところ、刹那的な関係と言ってもいいだろう。

一方で、『ドラクエV』は「ひとつの事件」という単位ではまとめられない、壮大な時間をかけたドラマである。誕生、父と過ごす時間と死別、独り立ち、数々の出逢い、結婚といったライフイベントを包括したストーリーを追う。故に、プレイしている実時間がせいぜい数十、数百時間であっても、きっと人生を体験したという感覚が擬似的にでも残るはずだ。

あくまで短期の物語がRPGの主流である中で、子どもだった時代から子どもをもつ時代までを扱う『ドラクエV』は、それこそ思い出のひとつにまで数えられてもおかしくはない。花嫁の選択が未だに熱っぽく語られるのも、それだけプレイヤーの心理に介入してくる作りになっているからだろう。魔王ミルドラースを倒したら確かにゲームはエンディングを迎え、「その先」は存在しないのだけど、体験した人生への憧れや様々な苦難へのちょっとした不安は、主人公と同化したプレイヤーの胸に残り続けるのかもしれない。

今作がどうして映画化の題材になったのか?という疑問もこの独自の魅力が回答になっている。もうひとつの人生を描いたゲームとは、もうひとつの現実とも言える。「勇者が旅をして魔王を倒す」という短期の物語ではなく、幾多もの苦難や喜びの詰まった半生の物語こそ、この映画がクライマックスにて訴えかけるメッセージに説得力をもたらすのだ。

(C)2019「DRAGONQUEST YOUR STORY」製作委員会 (C)1992 ARMOR PROJECT/BIRD STUDIO/SPIKE CHUNSOFT/SQUARE ENIX All Rights Reserved.

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所詮は作り物だという事実に対抗する本物の感覚

伝承通りに息子のアルスが魔界の門めがけて天空の剣を投げ込んだ瞬間、突如として世界は停止する。そんな異常事態の中で自意識を保ったのはリュカ1人だけで、ビアンカも、アルスも、仲間の兵たちも、そして敵の魔物たちさえも時を止めたまま動かない。そこに現れたミルドラースであるはずの者は次々と世界の皮を剥ぎ、その正体を暴き出してしまう。

ここで『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』の作品世界は、ただのVRゲームだったということが明らかになる。リュカ、と言う名の青年が体験していたことは全てが虚構だったというのである。

詳細は不明だが、ミルドラースのデータに忍び込んだウイルスはフィクションに耽溺する人々を嫌悪する「誰か」によって作られたものであり、真っ向から青年を否定する。「現実ではない、虚無だ」というセリフはゲームをはじめとしたフィクションにとっては揺るがせない事実である。そうした事実を突きつけた上で「大人になれ」と諭されると、まるで熱中している最中に冷や水を浴びせられたかのように感じられる。それは子供時代に「遊んでばかりいないで勉強なさい」という言葉を使ってきた大人にも似ているかもしれない。

思えば、自分たちがそれまで見てきたものがまるっきりの嘘だったという事実は、常にどの作品を見ていても隣り合わせにあった。最近では『スパイダーマン: ファー・フロム・ホーム』においても、ヒーローが演出された存在であるという内省を作品の主題としていたし、そうでなくとも作り物であるという事実はオーディエンスも自覚しているものだ。だから、作中で誰かの死を目撃しても、映画館を出た後はレストランで食事をすることができる。現実の世界における事件や問題をフィクションで言い換えて解決したとして、現実のそれらが解決に向かうことはない。近年では暴力的な表現に対する規制がしばしば取り沙汰されるが、逆に穏健な物語ばかりを世に放ったとして、果たして暴力が一切なくなるかは別の問題である。

今作は、その事実を一旦ウイルスが語り、青年ひいては我々のフィクションへの向かい方を根底から揺さぶる。どれだけ感動しても、その元は嘘なのだ、と。

しかし、青年は「フィクションももうひとつの現実なんだ」と反抗する。そして、その反抗にゲームに仕込まれたウイルスバスターだったスライムが加担し、ウイルスは消滅する。

ここで重要なのは、青年があくまで「ゲームはゲームである」という事実を認識した上で、「僕にとってはもうひとつの現実」と結論づけて抗ったことである。このVRゲームはプレイ中は現実の記憶を眠らせて、あたかも現実かのように錯覚させるという仕組みであることが語られていた。実際にだって、周囲に目もくれずに何かに没頭していれば、客観的な見方を失いかねない。ウイルスに事実を突きつけられたことで、青年はその没頭状態から脱し、プレイしていた自分自身を俯瞰する。幼少期にゲームに触れて、成長してからもコントローラーを握り続けてきた自分自身を振り返る。この時に彼が追想しているのは、「画面の中」ではなく「コントローラーを握る自分」である。すなわち、彼が全力でウイルスに反撃する材料は、紛れもない現実だ。そして虚構と異なり、現実は自分の意思で変えていくことのできる世界である。

ゲームを称賛する試み自体はこれまでに沢山目にしてきた。奇しくも今年に公開された同じスクウェア・エニックス原作の『劇場版ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん』もそれに該当する。同作は、まさにゲームをプレイすることで現実の人間関係にも影響が及んでいくという物語であり、今作と共通する部分が見られる。他にも『レディ・プレイヤー1』はゲームに限らず、多様なポップカルチャーを披露しており、それらを大事にしない企業に立ち向かう主人公たちの姿が描かれる。

それらと比較して、この『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』は、「ゲームは所詮フィクションに過ぎない」という冷酷な視点を含ませている点で、大いに異なっている。だが、今作はそうした厳然たる事実を突きつけたことで、単にメタフィクションに留まらない、リアルな開き直りがなされている。それが「もうひとつの現実」という青年の反論だ。虚構と捉えた上で、それでも楽しいという気持ちは現実なのだという開き直りは、あらゆるフィクションを改めて肯定する。

ウイルスを打破し、ゲームの世界は元に戻っていく一方で、青年の「これはゲームだ」という認識は修復されることはない。平和を取り戻した世界において、家族で水入らずの時間が訪れようかという時に至っても、「エンディングを迎えたらこのゲームは終わる」という意識が頭にある。しかし、ここでビアンカに耳を引っ張られた時に青年は痛みを感じる描写から、フィクションがたしかに人間の感覚に訴えかけてくるものだという含みを読み取ることができる。

ゲームはエンディングを迎えたら終わる。そして、ゲームを終えた自分の人生はまた続いていく。現実に何ももたらさないはずの虚構から得た感覚を持ち帰って、この現実で生きていくのだ。「Continue Your Adventure」の文字は、そんな意味が込められたメッセージに感じられた。

(C)2019「DRAGONQUEST YOUR STORY」製作委員会 (C)1992 ARMOR PROJECT/BIRD STUDIO/SPIKE CHUNSOFT/SQUARE ENIX All Rights Reserved.

 

結末に対して過程が不整備という勿体無さ

最後の種明かしによって説明がつくとはいえ、やはり単体の映画として見ると納得いかない描写は多い。

そもそもの話、この幼少期のスキップに始まる幾多もの省略は、原作『ドラクエV』をやっていればある程度描写の不足を補うことは出来るだろうが、やっていない自分からすれば単なる急ぎ足にしか感じられない。それどころか、100分程度という一般的な映画に並ぶ尺の割には、掛け合いの際のキャラクターの台詞にほとんど間や溜めといったものが見られない。一部のシーンを除いてはキャラクターの機微を描く気がないのかと言わんばかりにあまりにスピーディに展開していくために、全体を通して淡々とした印象を受ける。そのせいで、ヘンリー王子やマスタードラゴンといった人物達との出会い、別れ、再会というイベントもさほど胸にくるものはない。幼少期に住んでいた地に戻ってきたリュカが感慨深げな表情を浮かべるシーンひとつ取っても、全く予備知識のない自分からすると、つい十分前に見た場所でしかないので、何の実感も湧いてこない有様だ。

物語の序盤は省略された事の発端を占め、中盤ではフローラとビアンカのイベントに尺を割き、終盤はゲマ、そしてあのサプライズという具合に隙間という隙間がなく話が進行した弊害として、RPGらしい旅の道中描写が簡素なカットの連続で済まされてしまっていたのも個人的には残念である。こういうファンタジーというのは、『ロードオブザリング』然り壮大な旅路がひとつの見どころだと思う。

また、これ見よがしにかかる『ドラゴンクエスト』のテーマはあまりに多用されすぎて、終盤には背景曲に成り下がってしまっていた。こういう作品を象徴し、かつインパクトを与える曲はせいぜい2回ぐらいが使用限度だろう。それをストーリー上然程重要でもない段階で使用してしまったらせっかくの場面で印象が薄れてしまう。この映画において、自分が最も印象に残っている曲の使い方は剣が抜けない時の間の抜けた曲の演出だったが、これは明らかに作り手の意図するところではないはずだ。

テンポが良い、というよりも性急な話の進み具合は終盤の真実によって説明がつくとはいえ、やはり釈然とはしない。人気曲に頼りきりな音楽面もかえって一曲あたりの印象を薄めてしまっている。この映画が実はゲームだったという真実で観客を驚かせたいのであれば、尚更これらの道中の緻密な描写や心打つ演出は必須になってくると思われるが、そのあたりで観客を没入させきれていなかった点が今作の明確な欠点と言える。

 

まとめ: まさに「あなたの物語」と呼べるメッセージ

終盤の展開を目にした時は、驚きと戸惑いが入り混じっていた。それと同時に、単なる『ドラゴンクエストV』の映像化に留めまいとする野心が剥き出しになっている様を見て、嬉しい笑いも自分の中で起こった。

映像作品におけるメタフィクションとは、かなりデリケートな問題ではある。また『メタルギアソリッド』で例えることになるが、自分が『メタルギアソリッド2』をプレイした際、発狂する大佐から「ゲームの電源を切れ」とまで言われてリアルにゾッとしたのを鮮明に覚えている。あくまで現実と切り離して楽しみたいという気持ちは、フィクションがひとつに現実逃避の役割を担っているとされていることからも、十分に理解できる。

だが、どこまで行っても「フィクションはフィクション」という事実から逃れることはできない。現実逃避として、仮想現実の疑似体験としてみなしても、それは現実には作用しない。甘い言葉を吐かれても、現実には辛く厳しいことが待ち受けている。そんな中で、現実に持ち帰ることができるのが、作中でリュカ=青年が語る「もうひとつの現実なんだ」という思い出である。フィクションから得た精神的な充足感は、たしかなものとして蓄積されていく。

今作は人の半生を体験できる『ドラクエV』の魅力を利活用したメッセージを伝えているが、これは他のフィクション体験にいくらでも適用できるものだ。「YOUR STORY(=あなたの物語)」という題にある通り、ゲームに没頭した経験がある人に向けられた、それだけ広いテーマになっている。

27年もの時を経ても支持され、ロールプレイの醍醐味が詰まった『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』をわざわざ「今」に映画化した意義はたしかに感じられた。ゲームの実写化という難題を理由づけしながら一本にまとめた工夫も見られる。定期的に内需向けの商業映画を撮ることで知られる山崎貴であるが、今作はこの挑発的とも取れるトリックによって決してルーティーンとはなっていないように思う。

 

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