こんにちは、この世で最も避けたいのは早起きだと思うワタリ(@watari_ww)です。
雨は止んだ
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原作との違い
「あきらに傘を差してあげる店長というシチュエーション」も原作には出てきていますが、ここではまだ物語は続いており、あきらは陸上復帰への決意はしません。沈んだあきらを心配した店長は、そのあとガーデンで出会った日のようにコーヒーをふるまう…という風に続いていきます。あきらを休息場所としてのガーデンへと留める店長のロールが象徴されているシーンであるわけです。
ところが、アニメではこの傘のシーンを2人の岐路の出発点として描いており、思わず唸らされました。傘を差し伸べた店長はあきらのことを見守る大人です。しかし、あきらにはもうその傘は必要なくなり、空が晴れ渡っていく…。そしてお互いに相手を想いながらも別離する。原作とは真逆なのです。
最終回において重要な風景になった「水たまり」も実は原作では違った形で出てはいました。店長と連絡先を交換できたあきらが、その日の帰りに浮かれ気分で飛び越えたのが水たまりだったのです。このエピソード自体はアニメでも扱われたのですが、水たまり描写はカットされていて、最終回にて異なった意味をもつアイテムになりました。
アニメ「恋雨」の振り返り
全12話で原作全10巻(予定)をどのように扱うのか、はとても興味深い動向でした。大幅にカットして進めるのか。そもそも2期前提で途中までしか進めないのか。
結果として、そのどちらの予想も外れました。前半は原作に忠実に進行しつつ、後半からは原作後期の内容から「あきらの巣立ち」にかかわるエピソードを適切に拾って再構成し、最終回はオリジナル色の強い幕引きとなりました。
原作を読んでいた身からしても、とても新鮮な再体験を味わうことができ、感心しました。原作でいう4巻あたりまでは、あきらと店長が徐々に距離を縮めていく過程にハラハラさせられる恋愛色に楽しみの重点がありました。原作後半に深まるあきらの陸上への未練を、アニメではすっきりと簡素化する一方で、ヴィクトル・ユゴーの一文字の逸話や、勇斗から教わる約束といったオリジナル描写を込めて、あきらの心の赴く対象を適切に書き出すことに成功しています。
この物語は、あきらがガーデンで一時的な雨宿りをし始めた事がきっかけで始まった話です。あきらの秘めたる想いを伝えてからは、店長も「日の当たる場所」への憧憬を抑えきれなくなりました。そうして店長が、若き日の自分自身との約束に向き合う様を見て、あきらも自分の心の向きを自覚し、元へ戻っていく…そんな話なのです。アニメで映し出された景色は、2人にとっては休息でしかなかったのです。
アニメ「恋は雨上がりのように」は、そんな何気ないひと時を美しい絵、静かな音楽、感情を滲ます役者、不可視なものを可視化する演出によって彩った素晴らしいアニメーションであると思います。
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