戦士であり少女であるアリータに引き込まれる『アリータ: バトル・エンジェル』レビュー【ネタバレ】

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アイキャッチ画像: (C)2018 Twentieth Century Fox Film Corporation

こんにちは、好きなサイボーグはメタルギアソリッドのサイボーグ忍者、ワタリ(@wataridley)です。

今回はロバート・ロドリゲス監督による映画『アリータ: バトル・エンジェル』をレビューします。

今作のプロデューサーには『タイタニック』『アバター』を監督したジェームズ・キャメロンが名を連ね、主人公のアリータの造形をはじめとした高度な視覚効果技術やクリストフ・ヴァルツら著名な俳優が作品に投じられ、世界に向けたブロックバスター然としたルックになっています。日本の漫画『銃夢』を原作に、豪華な制作陣のアレンジが加わるという観点でも興味がそそられました。

事前に予告編などで好奇心を煽られ、ワクワクしながら劇場へ足を運びましたが、その期待に応えられる映像を目にすることができました。

宇宙規模の大戦があった未来を舞台にしているとのことで、アイアン・シティは丸ごとが画面一杯に形作られており、IMAX3Dもそのスケール感に大いに貢献していたように思います。

『アリータ』における、書き込まれた世界、エポックメイキングな映像表現、手に汗握るアクションシーンなどの良さを感想として書き記し、また一方で物足りなさを感じた部分も触れていきます。

※今回の記事を書く前に、「カゲヒナタの映画レビュー」の管理人で映画ライターのヒナタカさん(@HinatakaJeF)と映画の感想を語り合いました。よろしければこちらも合わせてどうぞ。17分40秒ごろからネタバレあり。

以降、ネタバレになりますので、未見の方はご注意ください。


74/100

ワタリ
一言あらすじ「最強戦士がディストピアでバトる」

想像を映像化し、魅了する視覚効果

『アリータ:バトル・エンジェル』という作品は、視覚効果によってその魅力の主柱を支えられている。

主人公アリータの瞳は見るからに大きく、肌の表面も違和感を覚えさせる質感となっている。少女型のサイボーグである彼女は、限りなく人間に近い形に作られているが、完全な人間ではない。漫画やアニメのキャラクターと同じサイズの瞳はそのことを表現しているのだろうし、入り組んでいて光沢のある材質で構成されたボディには、機械の工芸品を思わせる美学があった。

当初はその瞳、その身体に不気味な印象を受けながらも、アリータが感情を露わにする度に少女らしいと感じられる微妙なバランスが実現されていた。これはひとえに、演じたローサ・サラザールの情緒豊かな表現力と、これまで実写映画では試みられなかったアリータの造形のコラボレーションによるところが大きい。大きな瞳に迫るショットでは本当に吸い込まれるような感覚に陥ったし、チョコレートを食べて満悦となる表情は、通常の人間であれば意識することのない頰の肉の動きまでも注目していた。片一方では人間らしい親近感を覚えさせておき、片一方では不気味の谷に落とされたような感覚に陥る。実に斬新な映画体験だった。

(C)2018 Twentieth Century Fox Film Corporation

アイアン・シティに蔓延るサイボーグたちにも、人らしさと不気味さの両方を感じることができた。ただ、彼らの場合は、ごちゃついたメカニクスや攻撃的なルックスによっていかにも破壊行為を目的とした兵器であることをアピールするよう設計されていることがわかる。ダマスカス刀を備えたハンター戦士のザバンの背中は、人間でいうところの入れ墨のように、スカルマークが象られている。機械のボディを包み隠さず露出する姿からも、服に身を包むアリータとは、ライフスタイルが大いに異なっていることがわかる。

他にもアリータに立ちはだかるサイボーグたちは中々の粒ぞろいだ。手が刃物という、日常生活の利便性を無視したような設計の女性型サイボーグ。ありがちなパワータイプキャラではあるが、パワーアップして以降は刃物付きチェーンを射出し、対象を破壊することだけに特化したグリュシカ。モーターボールに登場するサイボーグ達も、刃物や鈍器など、破壊を第一に目論んだ物騒なギミックを搭載していることで、あくまて人間らしいアリータとは相反する性質をその見た目で表現していた。こうした大胆な敵キャラクターのデザインのおかげで、ひとりの少女、ひとりの人間としてのアリータが浮き彫りになっていた。己のボディと戦況を最大限活用して、武装にまみれた彼らを倒していくことで、彼女の洗練された機甲術もまた印象に残りやすい。

何より、そんな物騒なサイボーグが跋扈し、弱肉強食のディストピアが形成されるアイアン・シティはスクリーンに大きく映えていた。所謂サイバーパンクものに類されるであろう今作では、未来の世界をいかに見せるかという点は重要である。それは技術力と資本力によって真正面から表現されたことで、冒頭の瓦礫の山から観る側を引き込んでくれる。空中に浮かぶ壮観な都市ザレムと、それが見下すアイアン・シティの錆びついた空気感が画面いっぱいに広がっているビジュアルから、独自の世界観が持つ魅力と負の空気感が伝えられていた。イドに連れられ、アリータが初めて街に出て行くシーンも、隅から隅まで書き込まれたエキゾチックな街の風景に、さも当然のように歩く機械仕掛けの義手義足を身につけた人間、風変わりな乗り物といった観る物の多さに驚かされ、その時のアリータと同様の感覚を抱くことができた。

嘘を本物に見せかけるVFXの意義が大いに感じられると同時に、魅力的なビジュアルによって観客を引き込んでくれる。『アリータ: バトル・エンジェル』は、これだけでも十分に評価されるべき映画だ。

(C)2018 Twentieth Century Fox Film Corporation

 

有象無象を突き放す“機甲術”の使い手、アリータ

視覚面で著しく優れている要素としては、もうひとつにアクションにも触れないわけにはいかない。

アリータは、かつて起こった大戦を経験し、機甲術(パンツァークンスト)と呼ばれる格闘術を会得している戦闘兵器だ。既に失われた兵器、伝説の格闘術という要素は、それだけで強いロマンを感じさせる。そして、情報から感じられる魅力に相応しいアクションもしっかりと視覚化されていた。

アイアン・シティで蔓延るサイボーグは、揃いも揃ってごつい武器やギミックを身体に搭載し、戦闘時になるとなりふり構わず破壊行為に及ぶ。最初にアリータと交戦する女性型サイボーグは、カマキリのようなフォルムから連想されるように、鋭利な刃物でアリータに襲いかかり、ホラー映画的な恐怖感を味あわせてくる。片やグリュシカは、強靭な機体でモノ言わせる戦法によって、獰猛な戦闘狂らしいキャラクター性が語られる。再登場した際には、切れ味抜群のチェーンカッターを備えつけ、アリータを破壊すべく、容赦のない射出攻撃の応酬を浴びせる。こうした破壊行為を通じて、アイアン・シティのサイボーグには一般的な理性や倫理も通用しない凶暴性が前面に押し出されているわけだ。

彼らの荒々しい猛攻撃を的確に回避していくアリータは、まさに対照的な存在だ。武器を身にまとい、兵器らしい容貌に偏るのでもなく、人らしい形を保ちながら、躍動する。パンチやキックといったシンプルな攻撃手段で立ち向かって行く彼女の姿には、余計なものには頼らない武骨な格闘家の精神性を見出すことができる。戦闘中も、グリュシカの巨体を打ち破るべく、高さを活かして攻撃に走ったり、敵の鎖を逆利用して圧縮機に巻きつけて撃退するなど、機転を効かせる戦闘センスも見せつけてくれる。

サイボーグであるという建前で、腕や足を切断したり、破壊描写を入れてくるあたりも、衝撃が大きく、目を奪われた。

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特に自分の印象に残ったのは、腕一本を残して、切断されてしまった時に見せたガッツの強さである。どう見ても不利な形勢においても、活路を見出し、敵の隙に付け入る形で、大打撃を喰らわそうとするアリータは、まさしく大戦で猛威を振るった脅威にも思えるが、どんな絶望にも打ちひしがれることのない頼もしい戦士のようにも映った。

クライマックスのモーターボールも見応えがあった。ボールや加速、跳躍を活用して自分以外の全員を次々と倒して行くことで、強力無比なアリータの戦闘力が克明に描かれいる。スローモーションも極力抑えられ、ほとんどリアルタイムに展開していくとあって、そのスピードに興奮を引き起こされた。

(C)2018 Twentieth Century Fox Film Corporation

 

素朴な少女としてのアリータを浮き彫りにするドラマ

『アリータ』は、その壮大な世界を舞台にしながらも、アリータとイド、そしてヒューゴとの素朴な交流が印象に残るようになっていた。振り返ってみよう。

 

亡き娘とアリータを重ねるドクター・イド

暴れていたならず者達でさえ一声で収めるほどの評判を持つ医者のドクター・イドは、瓦礫の山から見つけ出したアリータを修復し、以降彼女の世話をする。

同じくサイボーグの研究者チレンとは夫婦であったものの、娘を事故で亡くして以来別れ、別々の道を歩んでいた。娘を亡くした遠因が少なからず自分にあったという後悔から、イドは夜な夜な街へ繰り出し、“ハンター・ウォリアー”として違法なサイボーグを狩っていた。

そんな後悔に取り憑かれた生活を送っていた中、イドはアリータを亡き娘と重ね合わせ、彼女と交流し、父性愛を取り戻していくことになる。

目覚めたアリータにオレンジの食べ方を教え、街を案内する。ヒューゴと出会った時には、勤勉だと言いながらも、どこか不良少年的な彼とアリータの接近を警戒しているようでもあった。後に彼女が自分のあずかり知らぬところでチョコレートの味を知った時の表情は、娘が成長していく親の寂しさを思わせるように見えた。

アリータのボディは、娘のために用意したものであると語られていたように、やはり彼はアリータを通じて、娘の不在を埋め合わせたかったのだろう。門限を設けて過度な外出を禁じていたり、モーター・ボールの参加を否定的に見ていたりするのも、親心からきているはずだ。彼女が持ってきた古代兵器のボディの装着を拒否する背景には、口で語っていたようにあまりに危険な兵器だという不安の他にも、自分の技術が娘を破滅に導くことを恐れていたからというのもあるかもしれない。

しかし、アリータが自分のために、危険な仕事に手を染め、悲惨な姿になっていたことを顧み、彼はボディの結合を施す。翌朝、アリータからのキスを頰に受け、安心するイドは、まさしく親娘関係を思わせる。また、終盤にモーターボールの参加を認め、彼女に自作のローラーを備付けるシーンは、さながらスポーツに励む我が子を応援する親のようであった。

戦う姿が多く描かれたアリータは、実はその存在によってイドに癒しをもたらしてもいるというわけだ。クリストフ・ヴァルツの滲み出る父親らしさもあって、イドのドラマはたしかに映画の見どころとなっていた。

(C)2018 Twentieth Century Fox Film Corporation

 

ヒューゴとの青い恋愛劇

ザレムから捨てられ、記憶までも失ったアイアン・シティの新参者アリータは、この街に精通している青年ヒューゴと共に過ごすうち、彼と惹かれていく。

ヒューゴというキャラクターには、二面性がある。ひとつは、アリータといる時に見せる、アイアン・シティから這い上がりザレムに行くことを望む夢追い人しての顔。もうひとつは、友人と隠れて違法行為に手を染める日陰者としての顔である。

本来ならばヒューゴはサイボーグを解体し、金を稼ぎ、ベクターに利用されるがままの操り人形に過ぎなかったはずだ。しかし、アリータと出会うことによって、その裏の顔は、徐々に後ろめたい行いとなり、二面性が彼にとって苦しい矛盾となってしまう。

片手では夢を語りながら、片手では過酷な現実に加担するヒューゴは、アリータとの恋愛を通じて、変容していくことになる。本物の人間ではなくとも、アリータを愛することで、自分の行いに葛藤が生じて、遂には彼女の心臓を拒むというところまで変化する。

ところが、目先の金のために他者から奪う行いをやめ、彼女との愛を優先しようとした矢先に、不幸にもザパンにつけ狙われてしまう。サイボーグ化し、生きながらえることができたものの、ザレムへの憧憬を捨て切ることができず、結局は死んでしまうという一連の行動は、彼の強い葛藤を示している。死ぬ間際、アリータの説得に応じたヒューゴは、遠い夢よりも目の前の愛を選び取っていたし、アリータにとってもひとときの安らぎとなっただろう。だからこそ、ヒューゴを奪い去ったノヴァへの復讐心は、いっそう激しくなったはずだ。

ヒューゴを失ったアリータの怒りが、ノヴァへ向くところで映画は幕を閉じる。これは是非とも、続きを見せて欲しい。

(C)2018 Twentieth Century Fox Film Corporation

 

続編ありきだから、続編を見ないことには何とも言えない

架空の存在を実在にように見せかける高度な映像表現、アリータが披露する卓越したアクション、そうした中で敢えて質素に描かれるアリータとイド、ヒューゴのドラマを通じて、『アリータ』という作品の魅力は大いに伝わってきた。

しかし、今作は一本の映画としては不整備な面も目立つ。

例として、ヒューゴとの悲恋は黒幕を打ち倒す決心に使われてはいるが、着地としては要領を得ない。彼との恋愛を通じてアリータを人間らしく描くという目的は達成されてはいる。だが、ヒューゴ自身のザレム行きの願いの挫折はこの世界の無情を訴えかけながらも、それ自体が物語のカタルシスを与えているでもない。ヒューゴの死は物語のオチとはならず、ただ単に前振りでしかないのだ。

また、ドクター・イドとアリータのドラマも、モーターボール前の会話を持って物語からさ完全にフェードアウトする。その後にくるヒューゴとのドラマや、アリータとノヴァの因縁を語るために、押し出された結果、「イドとアリータの出会い」で幕開けたはずの今作は、道をそれて決着してしまったように思えてくる。

チレンのアリータへの微妙な心情に至っては、その葛藤の過程がひどく不鮮明なままで、結果だけは一丁前にひけらかされるために、ただただ唐突な話運びに思えてならなかった。

特にさらに大きな敵の存在を示しておきながらも、その実態をほとんど描かかずに幕を引いてしまったのは、中途半端と言わざるを得ない。『スター・ウォーズ 新たなる希望』では、帝国の脅威を食い止め、何者でもなかった青年が姫君に讃えられるという物語の着地描かれていた。しかし、アリータにおける物語は、末端のならず者と小競り合いを繰り広げ末に、敵と対立するというところで終わってしまうため、カタルシスを抱くこともままならない。期待感を抱きはするが、今作一本では満足しきれないという消化不良な気持ちになるのも事実である。

(C)2018 Twentieth Century Fox Film Corporation

 

まとめ: アリータに再会することを願って

よって、今作を傑作ということはできないし、続編を見せてくれないことには評価も難しいという作品である。

だが、これまで述べてきたように、目を見張る映像表現は徹頭徹尾続いていたため、この刺激をさらに求めたい気持ちは十分にある。だから、続編は望んでいるし、そのためにもヒットしてほしいも願うばかりだ。

ジェームズ・キャメロンを味方につけたロバート・ロドリゲスによって構築された荒唐無稽にも思える大スケールの世界と、「機械犬」やバーのならず者といった思わず笑ってしまうような小ネタの数々、そして残酷描写も辞さない思い切りの良さなど、クセになるような要素は数多い。大資本を投じられたブロックバスター作品でありつつも、強い作家性を感じられる稀有な作品なだけに、続編で更に強化されたこれらを見ることができるよう、微力ながらエールを送ることにしよう。

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