こんちには、柿の種ほどおいしいお菓子はあるのかと自問自答しているワタリ(@wataridley)です。
今回は「パシフィック・リム: アップライジング(原題: Pacific Rim: Uprising)」の感想です。
前作にあたる「パシフィック・リム」はギレルモ・デル・トロ監督が怪獣映画をリスペクトし製作した映画で、数多くの熱狂的なファンを獲得しているようです。自分は未だ観ていないのてすが、評判だけはやたらと伝わってきました。
今作「アップライジング」は監督や主要キャストが交代し、前作から10年後を描くということから、作風やストーリーが一旦リセットされると思い、前作未視聴であっても新作公開の機に劇場へ足を運ぶ気が起きました。
本文はネタバレに触れていきますので、未視聴の方はご注意ください。
一言あらすじ「ロボットと怪獣がドッカンバッキン」
1 大スクリーンで見るロボットモノは熱い
1.1 ビッグバジェットで構築されるロボット世界
1.2 ロマンが詰まったロボットアクション
2 ロボ以外にボロが出まくり
2.1 ①薄すぎるジェイクの更正劇
2.2 ②何のために出てきたのかわからないキャラクター
2.3 ③本質的な問題は何も解決していない
3 まとめ
「パシフィック・リム」の世界は一目見ただけで、その奇抜さに目を見張りました。
(C)Legendary Pictures/Universal Pictures.
アメリカで作られた映画でありながら、東洋的なネーミングセンスのカイジュウを始めとし、それに真っ向から立ち向かう巨大兵器を操る架空の軍隊。未知の巨大生物VS人類を代表する組織の戦いといえば、日本の代表的な特撮「ウルトラマン」シリーズや「ゴジラ」シリーズでもお馴染みの構図です。
どこか古臭さを感じさせる設定ながらも、作っているのは日本ではなく、映画大国アメリカのクリエイター。言わば、「パシフィック・リム」とは特撮に見られるお約束要素をアメリカナイズしたものであり、特撮の作りとアメリカの先進的技術が混じり合うことで、独特な匂いを発していると思いました。
主人公ジェイクか搭乗するイェーガーは、視界を表示するのにホログラム映像を空中投影したり、体の動きにシンクロして機体操作を行ったりと定番の描写ひとつとっても、いちいちワクワクさせられます。
またカイジュウの残骸が横たわり、地価が低下したと思われる豪邸や奇妙奇天烈な外見の中国大企業など、現実とSFの組み合わせも抜かりない。
近未来に設定されているからってやりすぎだろうと思えるフューチャーテクノロジーの描写や、カイジュウが現れることで現実とは異なる様相を呈する社会風景なども楽しませてもらいました。
「パシフィック・リム」は前作のCMでも、巨大ロボットのアクションが前面に押し出されていました。
イェーガーと呼ばれる人型ロボットが、太平洋海底の裂け目から現れる怪獣を撃退するというプロットは単純明快、気分爽快。
主人公たちが操るイェーガーの造形はスタイリッシュで未来的。しかし、錆や破損などもしっかりと描き込まれており、実在しているかのように感じられる存在感を放っています。
(C)Legendary Pictures/Universal Pictures.
敵となる怪獣の造形も、刺々しいパーツの組み合わせやダークなカラーが、いかにもおぞましい。
ヒロイックなビジュアルのイェーガーとヴィラン丸出しの怪獣どうしの戦いがこの映画の肝であり、一番の力の入れどころとなっています。
軽快かつ滑らかに動き回り、さまざまなギミックを活用しながら戦うイェーガーの姿はクールでした。時にプラズマガンやブレード状の武器を使いながら敵を倒していく爽快感もありつつ、純粋な殴り合い、取っ組み合いでの骨太な喧嘩を大スケールで見られるのは、ロボットアクションものの利点だなと思いました。
特に中盤のイェーガーVSイェーガーのミラーマッチでは、同じ武器を使いながらも勝負の行方が分かれていくところがベタながら燃える展開でした。シドニーの急襲では、都市のど真ん中で御構い無しに破壊を重ねる正体不明のイェーガーから森マコを守ろうと必死になるジェイクを抱え応援せずにはいられませんでした。氷上の戦いでは、敵の攻撃を避けるために敢えて氷床を割って水中に潜り込むという展開から、敵と同じブレードで行って上回って勝利するという流れが華麗。
格好いいばかりではなく、巨大生物と兵器が市街戦を行うことで生じる二次被害も描写されてもいて、荒唐無稽なテクノロジーを活用した戦いの中にもリアリティを感じさせてくれます。「シン・ゴジラ」でもゴジラの歩行が民間人にもたらす被害や対処しようと走り回る政府の有り様がさながら災害シミュレーションのようであり、こうした現実的な事故描写はけっこう見る側に与える印象を変えるものです。
(C)Legendary Pictures/Universal Pictures.
不良の更正や父親超えといったありきたりな要素はともかくとして、それらのストーリーがきちんと描かれていないのは問題ではないかと思いました。
まず、ジェイクは序盤に違法な転売や窃盗に手を染めていたにもかかわらず、軍への復帰がやけにあっさりとしているのが気になります。
元々軍に所属していたのをドロップアウトしたという経緯が触れられていましたが、その際に喧嘩別れしたとされるネイトとの仲も特段悪いように感じられませんでした。真面目に語りかけるネイトに、ジェイクがアイスを作りながら無神経に応じるシーンでは、多少ピリピリした空気を匂わせてはいました。しかし、マコに対してネイトの冗談を投げたり、2人で意思疎通をしながら操作するイェーガーを難なく動かしていることから、アイスのシーンにおける関係性はあっさりと隅に追いやられてしまいました。
仲の悪い2人が人類存亡をかけた戦いを通じてドラマチックに関係性を変化させていくものかと思いきや、このあたりがすごくあっさりしているのです。
ネイトとジェイクは、工学技師のジュールズを巡って恋のライバル関係に陥りながらも、それが決裂や衝突といった成長のチャンスにもなっておらず、不要な要素に映りました。
緊迫したシチュエーションで、ジェイクがキスしそうになったネイトとジュールズに突っ込みを入れる場面にしろ、出動前にキスを受けて「どっちか本命?」とネイトに投げかける場面にしろ、命の危機・世界の終焉が意識されている緊迫感にデリカシーのない色恋沙汰を持ち込まれた感じがして、この恋愛要素は寧ろ悪い方向に転んでさえいると思いました。
また、不良的な素行で捕らえられたジェイクが軍の教官にあてられる采配もはっきり言って理解できません。次世代の若いパイロットを育成する重要なポストだと思うのですが、いくら腕が良いからと言っても規範を示す人物としては不適合極まりないでしょう。太平洋の平和を守る使命を背負った組織なのに人材不足なのだろうかと考えさせられました。
教官に就いてからも、訓練生たちと積極的にコミュニケーションを取るのでもなく、元から知り合いのアマーラやネイトとの会話に大半の時間が割かれていて、とても狭い範囲で人間関係が完結しているというのも疑問符を浮かべざるを得ません。
ジェイク自身の行動を見返して見ると、上に立つ人間として自立した振る舞いが見受けられないのも、この物語のカタルシス不足の原因になってしまっています。最後まで「自分の意思で」行動を起こすシーンがなく、ただその時その時に起こった出来事に対処しているに過ぎず、実は主体性を感じづらいようになっています。
PPDCに再入隊したのも、「捕まって仕方なく」ですし、教官になったのも「マコに言われたから」、雪原の基地に向かったのも「マコの残したデータを教わって」、最終決戦も「このままだと世界が終わるから」という危機感に駆られたに過ぎません。この物語においてジェイクが自発的に行動を起こし、その結果として得たものが目につかず、観客にとっても掴みどころのない話になってしまっています。
結果的に世界を救うことになったジェイクとアマーラの双方とも、強い意志でクライマックスに至ったという印象を受けず、この物語を作った脚本家の存在がちらつきました。最後の最後までPPDCの命令やニュートンの齎した災害にお膳立てされていたと言っても過言ではありません。
東京へ向かう直前に、訓練生に向かっていかにも教官らしい言葉をかけていたのですが、そもそもジェイクが教官らしく彼らを指導した姿を見たことがなく、彼自身が受動的に物語に乗っているだけに過ぎないため、この演説には説得力が欠けていたように思います。
落ちぶれていた主人公ジェイクが更生していく物語でありながら、爽快感や実感を覚えさせられていないのは結構致命的な短所でしょう。
(C)Legendary Pictures/Universal Pictures.
正式名で呼ばれるとキレる尖った性格の女の子や変なあだ名を持った男の子まで所属している多国籍風の訓練生たちは、最後までその個性を活かすことはありませんでした。
登場人物に対するあまりに適当な姿勢が如実に現れているのがロシア出身の訓練生ヴィクトリアのドラマでしょう。彼女は何度も試験を受けてやっと入隊が叶った経歴の持ち主であり、推薦であっさり入隊してきたアマーラを目の敵にしていました。
ふつう、観客がこの導入を聞かされて想像する後の展開は、2人がイェーガー実戦で徐々に絆を育んでいったり、当初はよそ者だったアマーラが訓練生たちに認められたりといったものかと思います。ところが、そんな展開なかったんですよね。アマーラが処罰を受けて軍を追放される時になって、ヴィクは軟化した態度を取りますが、その言葉をかけるに至る因果の因が抜け落ちているように思います。そのシーンまでに2人が会話を交わすことはなかったし、それどころか直前のシーンで自らの違反行為で他の訓練生を負傷させているので、むしろ関係は悪化して然るべきではないでしょうか。
カイジュウに精神を乗っ取られ事件を引き起こしてしまったニュートンが拘束され、マコを殺されたジェイクがその復讐心を省みることなく幕を引きました。
カイジュウを撃退して世界滅亡の危機を除けた、という結末自体に文句はありません。
ただ、この結末はあくまで対処療法的なその場しのぎでしかなくて、本質的な問題解決にはなっていません。カイジュウに乗っ取られたニュートンは、法的に裁くことは難しかったからか、最後に拘禁されていましたが、結局のところ彼はカイジュウによってコントロールされたままです。この事態は、喉に物が詰まったような消化不良感を覚えました。前作から続投しているキャラクターのようですが、不可抗力でヴィランにさせられてしまうのは、ある意味死亡した森マコよりも扱いがひどいと思います。
(C)Legendary Pictures/Universal Pictures.
また、ジェイクが全面的に肯定されたまま結末を迎えるのも難色を示さざるを得ないところです。彼はシドニーでの襲撃事件以降「マコを殺したカイジュウを倒す」という動機に持ち始め、最終的に仇であるイェーガーと裂け目から現れた3体のカイジュウを駆逐しました。続くラストカットでジェイクは、次は人類がカイジュウの大元へ攻め込むことを宣言していました。尽きぬ復讐心を肥大化させた先の危険性へ警鐘をならすことなく幕引きに至ったのには違和感を覚えました。
ジェイクにとっての目的がカイジュウという種族そのものを排除することにすり替わっていて、マコを死に追いやった個体を倒しても、その目的は止まることなく次のターゲットに向かっています。思想的に健全かどうかという問題ももちろんありますが、それ以上に引っかかるのは今作の物語が明確に終わらないことです。ジェイクにとっての目的と観客にとっての目的にズレが生じていて、富士山の噴火を防いだ後に突然「次はこっちから攻め込むぞ」という突飛な目的を示され、そのための実行は次回に持ち越しになりました。
「パシフィック・リム: アップライジング」はシリーズ2作目でありながら、前作変わらぬプロットを踏襲しておいて、最後の最後に違うことを次回でやると宣言されたら、観客の溜飲を下げるどころか、不満にさえ結びつきかねないような気がしてなりません。
本作はハリウッド資本で作られた王道ロボットアクションものとして観ると、望むものは一通り揃えてくれています。
ジプシー・アベンジャーをはじめとしたイェーガーの造形はクールだし、動きもギミックも力が入っています。敵となるカイジュウの禍々しい迫力もスクリーンに映えていて、劇場に向いている作品であることに間違いはないでしょう。
(C)Legendary Pictures/Universal Pictures.
ただ、肝心のロボットアクションに力点を置いたはいいものの、それ以外の要素がやけにチャチなつくりになっていることは看過できません。
日本の東京を舞台に展開した最終決戦にしても、イェーガーそれぞれの個性を説明することなくあのシーンに突入したため、「全員集合」といったカットを押し出されてもイマイチ感動はしなかったり、そもそも東京と富士山の距離が近すぎて、集中を妨げられてしまうなどの細やかな配慮の無さが気になるところでした。
とどのつまり、今作に期待するものがロボット「のみ」であるならばそれなりに高い満足度を得ることができるでしょう。それ以外に多くを期待してしまうと、評価は下がってしまう。そんな作品だと思いました。
映画が総合芸術である以上、ストーリーや映画の世界を深堀するディティール、魅力的な人間キャラクターを観客が求めるのは自然なことです。作り手が「パシフィック・リム」のユニバースをこれからも拡張していく気ならば、「ロボット以外」により気を使った方がいいのではないかと思います。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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