ワタリが選ぶ2020年公開映画ベスト10ランキング

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こんにちは、ワタリ(@wataridley)です。

例年通り、2020年に鑑賞した映画について、ベスト10を組んで振り返っていきます。

今年は自作の小説を書くのに時間をかけてしまい、ブログの方の更新は控え目になってしまいました。ですが、映画鑑賞がひとつの楽しみであることに変わりはありません。

2021年も同じように映画のある人生を送れるよう、2020年の映画の思い出をここに記して、次の年へ進もうと思います。

それぞれネタバレなしで、簡単な感想を述べていきます。

 

10位 勝利への執念と楽しむ気持ち

『AWAKE』

実在の将棋ソフト「AWAKE」の名を冠した今作は、実際に2015年に行われたプロ棋士対AWAKEの一戦から着想を得て生み出された「勝負」映画。一度は夢を諦め燻っていたもののまた違う形で夢を目指し熱意を取り戻していく吉沢亮と、勝負の時が近づくにつれて目に見えぬ将棋界の重圧に呑まれていく若葉達也両名の視線に釘付けになるのはもちろん、将棋を理解していなくとも状況を明らかにする台詞、音楽、編集、照明など、あらゆる手数を有効活用して万人が楽しめる良質なエンタメになっていた。真剣勝負を描いた内容でありながら、勝負事が本来志向していたはずの「楽しむ」という原体験を重んじる着地にも膝を打った。

 

9位 逃れられない戦場体験

『1917 命をかけた伝令』

第一次世界大戦真っ只中の1917年、西部戦線のフランスを舞台に、ドイツ軍によるアベリッヒ作戦の罠から自軍を救うべく戦場を駆ける伝令兵を描いた一作。実際には編集の手を入れてそう見せかけただけではあるものの、全編ワンカット風の映像から受ける息苦しさは、逃れ難い戦場を擬似的に観客に体験させる点において、これ以上ない効果を発揮していたように思う。道中の悲惨な出来事の中で、傷を負い、喪失を経て、略奪に遭った街の光景を目の当たりにした末に消耗してしまった主人公の伝令兵ウィルの姿には、同情というよりは、共鳴に近い感覚を得た。

 

8位 消えない過去の上に積み重ねていく未来

『サヨナラまでの30分』

北村匠海演じる孤独な大学生が、新田真剣佑演じる今は亡きバンドボーカリストの青年に取り憑かれ、仕方なくバンドに参加していく…というプロットだけで言えば、ありきたりに思える青春ドラマ。しかし、冒頭から繰り広げられるMV風の映像では、カメラの動き、アングル、音楽、演者の表情などの要素を駆使して、一気に物語に引き込んでくる。撮影監督の今村圭佑は、他の映画でも画面の見応えを引き上げてくれているが、今作では特にシーンごとに見せる風景の情感がそれぞれ明確で、加えて構図、照明、役者の演技も豊かさに満ちていた。ここ数年で見た実写邦画の青春ドラマとしては、個人的に上位。惜しむらくは、内容に即しているとは思えないタイトルぐらいか。

 

7位 気持ちを伝えるということについて

『mellow』

田中圭演じる花屋と、その周囲で起こるちょっとした出来事を映した一作。常日頃から抱えていた想いを相手に打ち明けるという行為にフォーカスし、伝えたからといって必ずしもうまくいかない人の内面のまどろっこしさを面白可笑しく展開するともさかりえ出演のパートも好きですが、それとバスケ部のエピソードを経てから、花屋とラーメン屋同士が面と向かい合うまでの焦ったさが何より不思議と心地よかった。その場その場で考えながら喋っているような演者の素振りはもちろん、ずっと同じ所から複数の登場人物を見つめるカメラや端端に映り込む通行人や環境音から受ける「どこかでありそうな」空気は、数十本観た中でも独特だった。

 

6位 エンジンの振動とハンドルを握る手の強張り

『フォードvsフェラーリ』

フランスで毎年行われる24時間レース「ル・マン」にて、毎年の王者フェラーリにアメリカの大手自動車会社フォードが挑む企業ドラマ。主人公のキャロル・シェルビーと雇われレースドライバーのケン・マイルズは当然打倒フェラーリのために新車の開発とテストに奔走する一方で、今作独自の味付けとしてフォード社内の政治劇までここに加わり、内外の敵の妨害を現場の整備士達が躱す泥臭いテイストも味わえる。ドラマパートは多少の冗長さやスーツ組対現場組という明け透けな構造が鼻についたりするものの、そうした不満を軽やかに吹っ飛ばして手に汗握らせるレース描写に脱帽。画面いっぱいに映るクリスチャン・ベールの汗滲み眉間に皺寄せる顔つきで24時間レースの途切れぬ緊迫感が伝えられ、底から鳴り響くエンジンの駆動音やタイヤの回転音、猛スピードで追い抜き追い越せの駆け引きを見せるレースカーの姿を次々と切り替えていく編集に、長丁場でも全く飽きが来ない。当年のベスト10の中では、『1917』と今作が邦画ではなかなか見られないスペクタクルを洋画として見せてくれた。

 

5位 匂いという目に見えない隔絶

『パラサイト 半地下の家族』

2020年、まだコロナ禍で映画界が打撃を受ける前に、アメリカのみならずアジア中にも衝撃を与えたのが、この『パラサイト』のアカデミー賞作品賞の受賞劇だろう。ポン・ジュノの貧富の差に対する捉え方で最も鋭いと思えたのが、作中でイ・ソンギュン演じる裕福なIT企業社長が、ソン・ガンホ演じる運転手に対する印象で、匂いを持ち出していたことだった。まんまと一家全員が潜入に成功し、表面上は穏当で全てがうまくいっているように思えても、長年異なる生活を営んできた物同士に流れる、感覚的な違和感を匂いという生理的な感想に託して、隔絶を表現してみせる。もちろん、今作は画面において「半地下と高層の豪邸」というツールに代表されるよう、貧富の対称性を娯楽の領域で見せているのだが、そうした試みが徹底しているからこそ、上記の隔たりが超えられないものとして、また気まずいものとして、感じられるのだろう。後半に一気に転換し、それまでの歪さが明るみになるクライマックスはハラハラとさせられて面白いが、あの着地点といい匂いの件といい、今作は単に面白いだけの作品に留まらない点が、賞レースで頂点に立った要因なのだろうと思う。

 

4位 気まずい優しさから見えるかけがえのない存在

『フェアウェル』

祖母が余命わずかであると知らされ、アメリカ、日本に住んでいた華人一家が、故郷の中国・北京へと戻り、最期のひと時を過ごそうとする。邦画でももはや定番モノと化したいわゆる「余命もの」と今作を分けるのは、中国においてインフォームド・コンセント(患者に自分の病状を知らせて、同意の上で医療を施す考えのこと)が浸透していない状況を背景に、本人に知られないように周囲の家族がドタバタ劇を繰り広げるところにあるのだろう。苦しい想いをして欲しくいはないという気持ちは優しさである一方、真実を覆い隠しているとも言えるわけで、一見家族がひとつの場所で楽しい時間を過ごしているように見えて、常にその気まずさが画面の根底にある。そこで、主演のオークワフィナの思うようにいかない現状に対するフラストレーションと、祖母との別れを惜しむ気持ちの切実な表情が加わるが、しかし当の祖母はいつもと変わらない様子でいてくれ、自分を慮ってもくれる。死の匂いという非日常性と、当たり前の存在たる家族という日常生が同居することで、祖母というのはこんなにもありがたいものなのかと思わせられる。

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3位 他人のがんばる姿を見るうちに

『アルプススタンドのはしの方』

甲子園の一回戦に挑む高校野球チームを映す、のではなくそれを観ている観客の側にカメラを向けた一作。正直、この手の高校生が主人公の作品というのは、概して主人公の年齢層につきまとう精神的・肉体的な未熟さに価値を見出し、その不完全さを美徳とすることが特徴となっている。今作もそれは同様なのだが、捉えている物事は、もっと広い層に通じる事象のように思えた。上記の通り、今作は徹底して試合の様子を直接には映さない。ディティール面で見ても少し安っぽいと感じる部分もある。その作り物っぽさが、高校演劇めいた演出のエクスキュースにしていると批判することも容易なのだが、今作のクライマックスから逆算すれば、個人的にはどれも合点のいく演出効果として見ることができた。細かい台詞や素振りが積み重なって各登場人物の内面の発露に繋がっていく様子はスタンドを徹底して映す演出との噛み合いにより、より身近なものとして感じられるし、むしろ野球描写が皆無なことから、誰かががんばっていることを見守ることへの寓話性を高めているとも思えたからだ。積み重なった上で、終盤に青臭いセリフが出てくる。これが些か唐突な響きを持って聞こえるものの、誰かが何かに打ち込む姿に感化された人というのは、かように青臭いものなのかもしれない。だから今作は高校生を表象にしながらも、誰しもが持つ心象を描いているととることが出来る。自分はそう思った。

 

2位 未来は僕らの手の中

『ドロステのはてで僕ら』

とある床屋の隣にあるとあるカフェ。そのカフェの店長はある日、2階の自宅で5分先の未来と接続されたというモニターを目にして、少し不思議な事件へと巻き込まれていく。まずアイデアが面白い。5分という些細な時間ギャップがまずは悪戯レベルのお遊びとして観客の心を惹きつけ、軽やかにことの性質を暴いていく。そこから三人よれば文殊の知恵ならぬ、悪知恵が働き未来を覗き見た結果、痛い目に遭ってしまうが、このトラブルもまたドロステ効果を駆使した工夫によってなんとか切り抜けるというところまでミニマムな枠組みの中で描いている。こうしてみるといかにもアイデア先行な作品のようにも思えるが、今作で興味深いのはそうしたアイデアの中に込められたカフェの店長の造形でもある。主人公の彼は、こうした奇妙なSFに立ち会いながらも、「未来を見るのは良くない」というスタンスを示す。最初は5分、後半になるともっと先の未来まで見えるという夢のような、ひみつ道具のような、道具を手に入れたのに、である。周囲の登場人物たち含めて、結果的には誰もが提示された未来を再現しようとする。「提示された未来に反する」ということだけでドラマが作れそうなものだが、今作は「人は提示された通りにしか動けない」とでも言っているかのようだ。だが、主人公だけは自らの内側にある衝動のままに動いてたまたま未来像と重なっていく。彼が心のゆくままに動かなければその未来は訪れなかったのだ。最終的に辻褄合わせを強要される局面において、それを拒んで枠組みを超えていく場面には、確かに少しの気味の悪さがあるのだけれど、提示された未来を超えていくことの不確実性とリンクさせているという見方もできるような気がする。少し不思議なアイデアとそこから暴かれる人間の性(サガ)と意思性を、巧みに組み合わせて語った作品であり、小規模公開でもここまで面白くできたという背景と合わせて、評価したい一作。

 

1位 夢追い人にとっての救い

『ジョゼと虎と魚たち』

田辺聖子が1984年に著したわずか30ページ足らずの短編『ジョゼと虎と魚たち』は、2003年にも実写映画化され、ついに2020年にはアニメーション映画となって自分の目に触れることになった。ジョゼという名乗り、フランソワーズ・サガンへの憧れ、そして外へとあまり出ない故のジョゼの夢想の世界といった要素を、現代を舞台に翻案した作品となっている。原作では情事に耽っていたジョゼと恒夫も、今作では海という共通項によって関係を深めるようになっており、言わば夢追い人の物語へと姿形を変えている。アニメにおけるラブロマンスとは既に使い古されていて、ともすれば、凡庸で陳腐化した記号的ジャンルになりかねない。それを今作は、夢への距離あるいは夢の次元という独自の要素によって、アニメーションで『ジョゼ』を描くことの必然性を見事に感じさせてくれていたように思う。清原果耶と中川大志のアニメーションと実写の境を揺れ動く声の芝居もそうだし、水彩画で描画された大阪の景色、車椅子をはじめとした小道具に至るまで、実在するものを見せながらもおとぎ話の心地で、夢という主題への距離を実感させていた。こうした繊細なバランスが、やがては夢を形にするジョゼのとある行いへと繋がっていき、依存からの脱却=自立の物語が浮かび上がる。秘めたるジョゼの決意に日が暮れゆくような寂しさを覚えてしまうのだが、だからこそ、その彼女を受け止める恒夫の姿に息を呑んだ。人が前を向いて歩いていく上で、そばにいてくれる人にいかに勇気づけられるのかを、この映画は描いている。夢追い人にとっての救いを、美麗に繊細に描き出すのは、アニメーションにこそ為せる技だ。

 

まとめ: 映画を映画館で観るということ

自分が昨年17回は映画館で観た『羅小黒戦記』は、ランキングに入れようか迷いましたが、初鑑賞が2019年でそちらのベストに選出していることから見送りました。入れたとしたら『ジョゼと虎と魚たち』と同率1位です。

今年の映画界を取り巻く環境は激変しました。世界的には2019年12月に初めてCOVID-19に関する情報が国際的に報じられ、日本では3月に緊急事態宣言が発令されて以降、人同士が一箇所に集まる機会が劇的に減っています。

それによって、邦画、洋画共に公開延期が続々と決まり、「映画館で見たくても見られない」なんてことが現実に起こるようになってきました。

ベストには挙げていませんが、『ムーラン』『ソウルフル・ワールド』は配信サービスのディズニー+での配信に切り替えられ、劇場予告を見て劇場での鑑賞を楽しみにしていた方にとっては残念な結果となってしまいました。

日本では無事に劇場公開に漕ぎ着けた『ワンダーウーマン1984』も、本国では配信サービスと同時並行での劇場公開になっており、劇場で見られる一点では損がないように見えて、しかし実質的には劇場の役割が以前よりも縮小していると言わざるを得ません。

映画とは、内容を知ることさえできれば、タブレットやモニターで観ても構わない。それもひとつの意見かもしれませんが、それでも劇場公開が持つ意味は、収益的な観点でも、観る側の気持ちの上でも、確実にあるのだと信じています。

2021年は、2020年から延期していた作品が、続々と公開される年です。ある意味では、2020年の延長戦という見方もできるでしょう。

2020年は波乱の年でしたが、そこで得た飢餓感が、映画とは常日頃から映画関係者・劇場関係者の尽力により実現しているのだと、埋没していた気づきを掘り起こすことができた気がします。

自分は肌に合おうと、その逆であろうと、劇場で観るという行為に対して、ありがたみを自覚しながら、2021年も映画を映画館で鑑賞しようと思わずにはいられません。

引き続き大変な年だとは思いますが、1日でも早く今大変な思いをしている方々に安息が訪れるよう願って、前年の総括とさせていただきます。

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