星の王子さま in くまのプーさん『プーと大人になった僕』レビュー【ネタバレ】

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アイキャッチ画像: (C)2018 Disney Enterprises, Inc.

こんにちは、ペンギン・ハイウェイを7回劇場で見てしまったワタリ(@wataridley)です。

世界一有名なクマと言っても過言ではない「くまのプーさん」。

彼の親友の少年クリストファー・ロビンを主役にした実写映画「プーと大人になった僕(原題: Christopher Robin)」をレビューします。

今作の肝となるのは、原作「くまのプーさん」から数十年後である舞台設定です。少年クリストファー・ロビンが大人になり、プーとは疎遠に。妻と子がいて、そして働いているという、現実の大人たちと同じ目線のキャラクターとなっています。

プーさんらしい呑気で、でもどこか核心をついた台詞の数々が、日々に忙殺されるクリストファー・ロビンに気づきを与えて行く映画となっており、それはすなわち見る側にとっての気づきにもなっています。

今作はキャラ物を実写化した映画の中でも飛び抜けた表現力を発揮しています。一方で、結構単純なお話でもあります。

結局のところプーさんを知っているかどうか、親しみがあるかどうか、でこの映画の評価は決まってくるんじゃないかと思います。

自分はスクリーンで、しかも実写で見ることのできるプーは、とても可愛く、心癒されるキャラクターで安心しました。

以下に映画の詳しいレビューをネタバレ交じりに書いていきますので、よろしければお付き合いを。


67/100

ワタリ
一言あらすじ「親友と再会し、語らい、今を生きるようになるお話」

100エーカーの森から現実に飛び出してきたプー達

プーは原作通り、映画においてもぬいぐるみの姿形をしています。これがとてもキュートなルックに仕上がっており、動くのを見ているだけでも楽しい気分になりました。

プーの肌はディズニーのアニメでは黄一色で表現されていることが多いですが、今作では毛がフサフサと生えており、黄色は薄められ、くすんでいます。実写作品にあたって現実に溶け込ませるための工夫だと思いますし、この毛並みの汚れや乱れといったものから、たしかにそこにいるように感じられます。

また、黒い眉がオミットされており、感情が露骨に読み取りづらいのも彼を見るうえでのポイントですね。黒目は艶のある小さな丸ボタンになっており、基本的には可愛らしいのですが、クリストファー・ロビンに突き放された時などは悲しい目をしているように映る絶妙なパーツです。黒い眉、黒目を現実に合わせて調節することによって、実在する生き物とも、テディベアともつかぬキャラクターになっていたことに感嘆としました。

彼が、大好物の蜂蜜に触れると毛はベタつき、小柄な体を一生懸命に動かしては周囲のものに干渉する様子を目で追っているだけでも、いちいち小さな感動がありました。

ハチミツが大好きで、のんびりやさんなプー以上に、見ていて心が和むキャラクターはいないかもしれません。

(C)2018 Disney Enterprises, Inc.

他に特筆すべきは、100エーカーの森の住人たちの表皮の質感にそれぞれの特色が滲んでいるところですね。

ピグレットはフエルトのような肌を持ち、ポツポツとした糸玉が浮かび上がっている古ぼけた布が、味わい深いですし、プーに比べても一層小さな体に気弱そうな声がキュート。

イーヨーは気怠そうな声をそのまんま体に映したかのような鼠色に、くたびれた感じの毛並みや尻尾が個性的。

ティガーは、元気溌溂とした性格に似合ったフサフサで明るい色の毛に、飛び回るのに最適な太い尻尾から彼のキャラクターが読み取れます。

カンガ&ルーやオウル、ラビットは顔出し程度の出演ではありましたが、カンガ&ルーは毛は短めで本物のカンガルーに即していながらもマスコット的な可愛さのある作りになっていたり、オウルとラビットはリアル寄りな外見になっていたりして、それぞれ拘って作られていることが画面を通して伝わってきました。

このように、原作のぬいぐるみという設定、そしてディズニーアニメで世界中に知れ渡っているプー達のビジュアルを実写映画に持ち込むにあたって、細心の注意を払って人形を作ったようです。そうした拘りは、観客に違和感を与えることなく、それどころかむしろ現実にプーがいたらこうなのかと驚きを与えるきっかけになっていたと思います。

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クリストファー・ロビン=わたしたち

今作におけるクリストファー・ロビンは、週末返上で仕事をし、妻と娘との間にも距離ができてしまう悩みを持つ人間です。

ところが、ディズニーアニメの「くまのプーさん」では、寧ろ小さなトラブルを引き起こすプー達を助ける聡明な男の子という印象が強いです。

子どものころは、想像力豊かで、前向きで、人を思いやる感受性もある。けれども、年を取って社会に出て、たいへんな思いをしているうちに、子どものころに持ち合わせていた色々なものを捨ててしまう。

そういった誰もが心当たりがあるであろう変化を、この映画のクリストファー・ロビンは持っているんですね。

彼は生まれた時代背景から、自分の意志に反して寄宿学校に入学させられ、徴兵されて戦場へ遣わされ、家族と会えない日々を送ってしまいました。こうした理不尽を味わう経験は私たちにだってあることでしょう。生きていく上で何の苦難もない人生などありえません。

オープニングシークエンスでは、プーのことを「忘れない」と言ったものの、時はどんどん流れていき、自分を取り巻く状況は変化し続ける残酷な諸行無常さを訴えかけていました。

「とんぐり」に対する反応を見ても、色々な経験をしたクリストファー・ロビンは子どものころのプー達との記憶を忘れていたわけではないのでしょうが、なにぶん目の前にある仕事に追われ、そんな記憶に構っている暇もなし。遠い国の出来事のように捉えてしまっていたのでしょう。

娘に対してでさえ、彼女の関心をよそに自分が選んだ本を読んでしまうぐらいに、彼には心の余裕がない。そして、自分がされたように、彼女を寄宿学校へ通わせようともしています。

自宅に持ち帰った仕事を夜遅くまでするシーンでは、娘と妻のもとへ手を広げ寄ろうとするのかと思いきや、扉を閉めてしまう姿が実に感傷的でした。

人には心に隙間やゆとりがなければ、他人への興味や関心を持つことも難しい生き物だと思います。クリストファー・ロビンの序盤のふるまいは、まさにそうした心の在り様を可視化していました。

そんな彼に、心に余裕を持つことが大切だと伝えてくれたのがプーとの再会です。

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クリストファー・ロビンの前に現れた「星の王子さま」=プー

この物語は、発達した生産社会に自らの率直な欲求を埋没させ苦悩する俗人の前に、自分の心に向き合うように哲学的なメッセージを与える賢人が現れる、という筋書きになっています。サン=テグジュペリの「星の王子さま」を連想します。

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名作として時代も国境も越えて語り継がれているため、ご存知の方も多いでしょうが、念のために概要に触れながら話していきます。

「星の王子さま」では、砂漠に墜落した飛行士と何故かそこに現れた「王子さま」との交流を描くお話です。「プーと大人になった僕」ではクリストファー・ロビンは砂漠にこそ墜落してはいませんが、目の前の物事を解決できずにいる様子はさながら「遭難している」と形容しても不適切ではないかもしれません。

砂漠に墜落したパイロットは、パイロットという夢を抱く前、小さいころに「画家になる」という夢を一瞬抱きかけましたが、周りの大人に役に立つことをしなさいと言われて諦めてしまいました。こうした大人によって正直な気持ちを抑えつけられる理不尽いうものは、クリストファー・ロビンにとっての寄宿学校への入学、それに続く徴兵といったものにも通じているのではないでしょうか。彼にとっては学校へ通うことも、その先のいい会社に入ることも、根っから望んでいたというわけではなく、本当は100エーカーの森でプー達との日々を過ごしたかったはずです。

人生の酸いを知ったクリストファー・ロビンにとって、プーというのはまさに「星の王子さま」です。子どものころに抱いていた気持ちを依然持ち続けているばかりか、自分の心のうちにある本当に大切なことを思い起こさせてくれるのですから。

「星の王子さま」では飛行士が描いた象を丸呑みにした大蛇ボアの絵を、それまでは大人たちから帽子の絵だといわれ続けていたあにもかかわらず、王子さまが理解するやり取りがあります。これは、子どもにしかわからない領域を彼らが共有していることを深く印象付ける描写です。

クリストファー・ロビンとプーもまたお互いに過ごしたあの頃を共有しているが故に、仕事が大変であっても無下には出来ませんし、プーはプーで彼の家の前を毎日訪ねていたぐらい想っていました。

発達した資本主義においては、競争の名のもとに強いストレスを感じる瞬間もたしかにあります。そんな忙しい中で、ふいに訪れる理解者との出会いというのは、とても強い輝きを放つはずです。

プーのもつ赤い風船。そして、書類カバン。2つのアイテムを巡るやり取りは、王子さまが故郷の星に残してきた赤いバラの安否を尋ねるも、それに目もくれず飛行機の修理を試みる飛行士とかなさなります。

風船とバラがどちらも赤い色をしているという偶然の一致は非常に興味深いです。赤は愛情を示すカラーとして頻繁に用いられてきました。人を人たらしめる感情はやはり愛であって、家族や恋人や友人はもちろん、過去、未来、今、そして宇宙の事物すべてを人は愛することができ、中には愛を原動力に研究する人もいます。愛を失った人は、忽ち元気を失くしてしまうものです。

このように、プーと星の王子さまが赤いものに強いこだわりを示し、クリストファー・ロビンと飛行士がいったんはそれをぞんざいに扱ってしまう対立項は、彼らが彷徨っていることを示しています。

最終的に、飛行士は王子さまがバラに会えることを心から願い、クリストファー・ロビンは風船を愛娘へのプレゼントにしていました。2人とも遭難の末に、他者にかける愛情と心のスキマを取り戻したことを意味しているのではないでしょうか。

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“何もしない”を毎日すること=今を生きること

今作で最も印象的なセリフは、おそらく観客の多くにとって「”何もしない”をする」というプーらしい言葉のはずです。

額面通りに受け取ってしまえば、本当に何もしない。つまりは、勤労や運動といったあらゆる社会的・生物的活動をしないという「ちょっとそれはどうなんだ」と言いたくなる言葉です。

しかし、プーがこのセリフに込めている意味は、ラストのクリストファー・ロビンの選択によって大いに日々の生活に活力を与えてくれるものだとわかります。

これは、本当に字面通り何もしないのではなく、自身が無意識的にできることをするという意味です。気を張らないと出来ない仕事や勉強といったものばかりを毎日している状態は、「”何か”をする」という”何もしない”とは真逆の状態です。

クリストファー・ロビンはイヴリンに、日々仕事をしているから忙しくて家族に構えないことを口にしていました。ここで彼が何気なく用いている「将来」という単語からは、彼が目を向けている先は今現在ではなく、いつか来るであろう未来だとわかります。

上司に言われるがまま、週末返上で仕事をし、コストカットのためにリストラのプランを立てる様子は、時間としての今は楽しむためのものではなく、とにかく苦を凌ぐためのタスクと捉えているように映ります。

図らずもプーの導きで、仕事から離れ、久々に100エーカーで笑い、遊んだ彼こそ、今を楽しんでいました。この時間は、「将来のため」といって寄宿学校に通ったり、「会社の危機を回避するため」といって仕事に明け暮れることとは、まるで別種のことなのです。

そして、人生を豊かにするために、「今、ここ」を楽しむということは不可欠だというのが映画のテーマになっているのだと思います。プーは毎日毎日好きな時にハチミツを食べ、眠たくなったら眠り、特に何かをするのでもなく暮らしており、自分のしたいようにしかしていません。誰もがここまで極端に過ごすことはできないのかもしれませんが、それでも余暇や休養といったものは自分の心赴くままに楽しむための大切な時間です。

書類の中にあった一枚の所得層ピラミッドから、彼が有給休暇によって旅行用カバンの消費を拡大させるという案は、リストラの案で頭がいっぱいだったら思い浮かばなかったでしょう。この発想の転換には、妻の言葉が起点になっていましたし、それを聞き入れるだけの心のスキマを生んだ100エーカーでの遊びも大事な要因だったのです。

「”何もしない”が最高の何かに繋がる」という台詞は、物質や情報の膨大な流れに接する我々がつい忘れそうになってしまうアイデアを含んでいます。この台詞は、自然体に生き、そこから生まれる精神的余裕こそが、人生の次の楽しみへとつながっていくのだと楽観的に肯定してくれています。

「未来がどうなっていくのか」は神のみぞ知る話で、我々にはどうやってもわかりません。しかし、わからないからこそ、自分のしたいように今を過ごし、未来に希望を抱くことだって出来るのだと、心に余裕と前向きな気分を貰える映画でした。

(C)2018 Disney Enterprises, Inc.

 

まとめ: 可愛い上に気づきも貰える心のオアシス

今作は、プーというキャラクターが魅力を与えている部分が大きく、お話そのものは「星の王子さま」に似た話をかなり単純化したものになっています。

暗喩というにはあまりに明白に示される対比表現や、現実でそれを徹底するのは無理だろうと思ってしまうような寓話を含んでもいます。メッセンジャーとして観たときに、その単純さは、ややアダになるというのは否定できません。

なので、今作の評価は、プーさんというキャラクターにいかに魅力を感じられるかにかかっています。

とはいえ、世界的に人気を博しているキャラクターということもあり、これは日本でも沢山の人に響く映画だと思います。毎日毎日働いている大人ももちろん、勉強や習い事がいやだという子どもにとっても、クリストファー・ロビンと一緒に、気ままに生きることの重要性を知ることのできる今作は良き逃げ場になることでしょう。

閉塞感が漂う今の日本に過ごす人にとってのオアシスのような作品でした。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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