無知がもたらす予期せぬ悲劇『バイス』レビュー【ネタバレ】

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アイキャッチ画像: (C)2018 ANNAPURNA PICTURES, LLC. All rights reserved.

こんにちは、ネクタイを極力つけずに社会生活を送るワタリ(@wataridley)です。

自分は、平日を仕事に、余暇を趣味に費やす生活を送っています。5日も働いた後の僅か2日間、勤労の義務から解き放たれるのだからといって自分が楽しいと思える娯楽に寄ってしまいがちなものです。

つい最近、そんな貴重な可処分時間を『マネーショート 華麗なる大逆転』などのアラン・マッケイが監督した政治映画『バイス(原題: Vice)』の鑑賞に費やしました。

この映画には、まさに自分のような人間に対する批判的なメッセージが込められていました。堅いイメージが付き纏う政治劇ではありますが、不意に訪れる指をさされたような感覚があり、いやはや痛快でした。

自分は知らず知らずのうちに無知でいることやそれを誤魔化すことに無抵抗になってしまっていた部分はあるのだと再認識させられましま。皮肉なことに、この映画は政治の2文字を聞いて心に波がたたない人にこそ、響く映画となっています。

実に精巧に実在の政治家を再現する真面目さと自国の政治機構における問題点を明らかにする批判精神がある一方で、政治映画らしからぬ場面転換の軽やかさで息苦しいと感じさせる間も無く事態が進んでいきます。時に喜劇調にも映るライトな作風とキャラクターによって口当たりも良いです。

特にクリスチャン・ベールを筆頭に、本人としか思えない佇まいとなったキャストには目を見張りました。

本作の感想において言いたいことは主に3つ。1つに本人に劇的に似せたキャストや編集といった映画の外装部分について、2つにディック・チェイニーによる悪事の恐ろしさを語り、そして最後に自分たち自身を顧みようと思います。

以降、作品内容についてネタバレしていますので、ご注意ください。


70/100

ワタリ
一言あらすじ「副大統領(vice-president)の悪(vice)をお見せします。」

観客を惹きつけるキャストとエディット

映画冒頭の序文は、秘密主義であったディック・チェイニーを題材とするにあたって、一部想像で補いつつも忠実に再現することに努めたと宣言する。9.11のテロやイラクへの軍事侵攻といった出来事は無論すべてノンフィクションであり、それらをディックの視点で捉えたのがこの『バイス』というわけである。だが単に事実を列挙するだけにとどまらず、映画は観客を引き付けるエサをいくつも仕込んでいる。

そもそも上記の宣言は、「(忠実に再現することについて)我々はベストを尽くした(We did our fucking best)」などという些か品を欠いた一文で締めくくられている。見始めて早々この時点でぎょっとするし、政治インターンで下ネタを発するドナルド・ラムズフェルドや舞台裏では机に脚を乗せて不遜な態度を取るジョージ・W・ブッシュなどが意気揚々と出てくる。これらの描写がこの映画をネクタイを緩めて肩肘張らずに見られる作品に仕立てている。

特に演者達の精巧な役作りには、本筋そっちのけで見入ってしまった。バッドマンならぬバッドマンと化したクリスチャン・ベール=ディック・チェイニーを通じて、彼の落ちぶれていた若人時代、彼の家庭にまつわる事情、強権を振りかざすきっかけとなる政友との出会いなどが様々に描かれていく。メイクアップを用いながら20代から70代までを演じきったベールには感嘆とさせられた。彼の掠れた独特な低音ヴォイスが政治の舞台裏で渦巻く知略と野望を切り立たせ、抑制の効いた顔つきで淡々とことを動かしていく様子には、デフォルメチックなキャラクターを見出すことができると同時に、世界の命運を握っていた政治家らしい生々しさまでもが宿っていた。

スティーヴ・カレルが演じたドナルド・ラムズフェルドの軽薄なバカ笑いや、とことん無知で愚かに描かれるサム・ロックウェルのジョージ・W・ブッシュなど、キャラクターは実に頭に残るようにカリカチュアライズされつつ、それでいて実像に重なりうる造形である。ディックの妻であるリン・チェイニー役のエイミー・アダムスの強かな顔つきや、時代故夫に寄り添ってのし上がっていく知性は、俗臭を放つ政治家達に距離を置いた自立性を感じさせる。ディックを愛し、支援し、寄り添い続ける人らしい気丈さを登場人物の中で唯一見せてくれ、非常に重要な役目を果たしていた。

役者が精巧なパフォーマンスをしてシーンを積み上げていく中で、放たれる演出の変化球も今作の見どころだ。

チェイニーが趣味としている釣りも本人を露悪的に描くためのツールにされる。釣りをするカットはそれまでにも挿入されていたが、意図は分からず仕舞いであった。そして、小ブッシュに副大統領をオファーされた際に、釣りという行為が持つ意味が明かされる。副大統領なんて自身のキャリアに比べて形だけの仕事じゃないかと告げ、政治の経験に乏しいブッシュの代わりに軍事、エネルギー、外交問題などにおいて権力を持たせるよう誘導する行為は、さながら餌を放って獲物が食らいつくのを待つ釣りである。そこにまんまとブッシュがOKを出す時に釣り糸は強く引っ張られる。不可視なディックの思惑を釣りに託し、映像で表現した面白い演出と編集だ。

他にも、微妙なバランスの上で積み重ねられたティーカップの崩壊によってチェイニーの歪んだ政策がもたらした災厄を見せてくれたり、彼が拷問の解釈を捻じ曲げては犠牲が増えていく様子が連続していくなど、映像的な語りを編集で随所に挟み込んでくる。また、石油会社との会合におけるオフレコの発言を電子音で打ち消したり、不都合な情報をモザイクで塗りつぶすといったテレビ的な演出も用いられ、見る者を退屈させまいとするアダム・マッケイの作風が現れている。いきなりチェイニーが弁護士を誤射し、その騒動が被害者側の謝罪で締めくくられるという倒錯した状況さえも、スピーディーな編集によってあっさりと済まされていく様はブラックな笑いを生む。

最もインパクトのあったシーンと言えば、小ブッシュがイラクへの攻撃を発表した時の「揺すり」は異様なまでにきまり悪さを訴えかけていた。自身が決定したわけではないイラクへの攻撃を国民に向けて語る不安と、イラクの民間人がその間にも味わっている不安にみられる共通動作に、乱用された権力の不条理を見ずにはいられなかった。

今作では、第4の壁を破ったナレーションも大きな謎として終盤まで観る側の興味を煽り立てる。見たところ、語り手の彼は家族と共に暮らす民間人であり、ディック・チェイニーはおろか、政界とのコネクションがあるようにも見えない。イラク戦争に従事しているらしき描写はあるが、とことん話題のチェイニーとの関係性は引っ張られ続ける。チェイニーが患っていた心臓の病がとうとう深刻になった時に、彼の正体はショッキングな映像と共に詳らかになる。チェイニーのドナーだったという事実ひとつとっても、ツイストの効いた演出で明らかにされているし、彼の心臓がチェイニーによって「新しい心臓」呼ばわりされたという不平不満によって、チェイニーへの別方向からの批判を果たしている。

今作は退屈な長話に付き合わされて欠伸が出るということはない。笑いや驚きを与えつつ、得心のいく見せ方を志向している。政治劇らしからぬ演出と編集でチェイニーのバイスを暴こうとするアプローチは独特ではあるが、この映画が狙いを定めている観客に対して確かに有効だ。

 

影の大統領による権力乱用と強引な法解釈

ディック・チェイニー副大統領はアメリカに何をもたらしたのだろうか?

映画で描かれるところでは、ドナルド・ラムズフェルドの下で連邦議会インターンとして働き始めたことがきっかけで政界に入り、その後リチャード・ニクソン政権下ではウォーターゲート事件による大統領辞任まで大統領次席法律顧問を務め、ジェラルド・フォード政権下で34歳の若さで大統領補佐官となった。映画ではこの時に知人の弁護士から、一元的執政府論を入れ知恵されたことに端を発して、後々の強大な権限行使に繋がっている。そしてジョージ・H・W・ブッシュ政権下で国防長官を務めたのちに、民間の石油会社のCEOを経て、息子のジョージ・W・ブッシュ政権でアメリカ副大統領となる。

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一元的執政府論とは、多元化された政治権力(=権力分立)とは逆に、執政府にすべての政治機能を持たせることを指している。集中した権力の恐ろしさは、第二次大戦時のドイツ、イタリア、そして日本を見れば、身に染みて理解できる。中央集権国家と称された戦時までの日本の政治体制は、軍部が権力を握り、それを監視する機関の不在が問題点として今でも指摘されている。肥大化した権力は民衆の言論を統制し、やがて勝ち目のない戦争へと突き進んでいく原因となった。そうした反省から、立法・司法・行政が存立し、利害を異にした機関が互いに監視し合うことで権力の過度な行使を防ぐ権力分立制が、現在では先進国のシステムに組み込まれている。

つまり、ディック・チェイニーが敷いた一元的執政府論は近代国家の在り方を否定し、自らの権益確保を優先したきわめて無秩序に近い状態と言い表すこともできる。強いて秩序を決めるのは、ディック・チェイニーの一存である。ましてや9.11という非常事態に陥っ
た時、人々の恐怖や憎悪を利用して非道な行為に及ぶことは容易い。近代国家ではタブーとされる「自白の強要」「拷問」さえも、「国外で行われているから」という解釈によって可能とされてしまう。弁を弄すればいとも簡単に基本的人権も犯されうる事態は、おぞましいという他ない。

石油会社との会合で義務付けられた第三者機関の立会いも形式的なものに過ぎず、実質は機能していない状態であった。さらには小ブッシュに情報がリーチする前に、チェイニーの息のかかったメンバーで塗り固められた側近が彼の知らぬ所で決定を下すという組織構造も組まれていた。一元的執政府論に基づいた権力の集中は、彼らに拮抗しうる組織の台頭を阻み、より独善的で民意とかけ離れた「民主政治」が行われる契機となる。大量のメールや文書も秘匿されてしまえば、とうとう批判するためのネタも掴めない。

イラク侵攻を強行した理由に大量破壊兵器が隠されているという根拠が用いられていたが、実際のところはチェイニーが石油業界とのコネクションを持っていたことが少なからず繋がっていたとみることもできる。もしそうだとすれば、個人の利権が多数の死傷者を出したとも言える。

抑止力を欠いた権力は、こうも世界を崩壊へと近づけうるものなのである。そのことをディック・チェイニーという影の大統領(The shadow president)によって散々と見せつけられる映画であった。

 

チェイニーののし上がりを許した我々の無知

チェイニーはかなりの偶然を経て、イラク侵攻を強行することとなった。『バイス』
において、チェイニーは強固な意志を持って独りでに邁進し、必然的に成功をおさめた政治家として描かれることはない。彼が段階を飛び越える時は、常に近くに誰かがいたのだ。

電線工事の現場で働くブルーカラーだったディック青年の近くには、父君的な家庭環境から逃れるべく猛烈に彼のことを支援する後の妻が姿があった。また、大学を卒業して就いた国会でのインターンでは、民意にも大義にも反したニクソンの政治を見過ごすばかりか、大笑いまで発する理念なき政治家ドナルド・ラムズフェルドの姿があった。

近くの協力者や時の運の助力があってのし上がっていったものの、チェイニー自身は表の政治家としての能力はないという描写もなされている。フォード政権が野に下った後、地元で立候補したチェイニーのスピーチは大衆を盛り上げるわけでもない。運悪く、心臓の病は悪化し、妻に選挙活動を任せる一幕もあった。そこでリンは夫が当選するように保守的女性像を演じる胆力を見せる。此の妻にして此の夫あり、である。

また、チェイニーが政治家になるにあたっての不利は自身のスピーチスキルに限らない。彼の娘が同性愛者であるという事実も同性愛を許容しない保守的な共和党のポリシーとは反しており、チェイニーには不安要素がいくらでもあったのだ。

そこにきて、小ブッシュからのオファーが独善的な権力乱用の契機となる。もし小ブッシュが彼にオファーをださなかったら、彼は家族との静かな時間を過ごし、そのまま映画は幕を閉じるはずであった。更には、あまりに大統領としての能力を欠いた小ブッシュが、チェイニーにとっては格好の付け入る隙であったことは言うまでもない。小ブッシュ自身も選挙で経験不足を補うためにチェイニーを誘ったという動機があり、そのために同性愛者であるチェイニーの娘を見過ごすことを約束させる。

このように、パズルのピースは幾多もの偶然が折り重なって埋まっていったのだ。

しかし、この映画はディック・チェイニーという個人が悪夢的なアメリカン・ドリームを遂げてしまったという文脈で着地させない。思い返せば、映画の最初と最後には我々への痛切な目配あった。労働時間が長くなり、余暇が圧迫された結果、小難しい政治の話なんかしなくなる。投票率が低まったら、ごく一部の有権者に民意が偏っていく。そうなった結果、明らかに無知で経験不足された小ブッシュが大統領として、アル・ゴア候補に僅差で勝つという事態になってしまったのだ。

アメリカでは大統領選挙人を選出してから大統領への投票を行うというシステムがあり、これがブッシュ政権誕生の要因のひとつとして挙げられている。各州で行われる選挙で最多得票を獲得した大統領候補がその州に割り当てられた大統領選挙人を総取りする仕組み(勝者総取り方式)は、必ずしもアメリカ全土の得票数の比率が結果に結びつくとは限らない。

得票数

  • ジョージ・W・ブッシュ:50,456,002
  • アル・ゴア:50,999,897

選挙人獲得数

  • ジョージ・W・ブッシュ:271
  • アル・ゴア:266

得票数ではゴア候補の方に投票数の過半が入っていたにもかかわらず、選挙人による得票ではブッシュが僅か5票上回り、大統領となった。民意の反映を重視するのであれば、ゴアが抗議するのも当然である。言い換えれば、小ブッシュ大統領は、半数を超えるアメリカ国民の民意を死票にした上で、成り立ったとまで言えるのである。結局、ゴア側の訴えは最高裁により取り下げられ、ブッシュ政権は正式に発足した。

チェイニー副大統領の誕生は非合法ではない。紛れもなく選挙という民主的プロセスを経ている。

この映画の最後、政治の討論会で「保守かリベラルか」で口論になり、取っ組み合いを始める市民の姿が映る。実際の政治とは無関係なところで対立心を掻き立て、相手を攻撃する虚しい争いである。そして「ワイルドスピードが楽しみ」だというまた別の市民を映し、映画は幕を閉じる。決定的なまでに市民の無知を見せつけたこのシーンを持って、今まで傍観していた自分もそっち側の人間であると気づかされる。

世界は偶然の連続によって、いとも簡単に崩壊へ向かう不安定な状態にある。我々が自らの利害に直結する政治にまでも無知であったら、チェイニーのような存在をまた生むことになりかねない。2016年のアメリカ大統領選において、またも得票数と選挙人獲得数が逆転してドナルド・トランプ政権が誕生した。ディック・チェイニーの事件は過去のものでも、その暗躍を許した無知は今の今も続いているのだ。

 

まとめ: ディック・チェイニーはどこにでも

長時間労働による政治的無関心というのは、日本にだってあてはまることだろう。政権の不正も見過ごされ、我々に損害が起こっていたとしても、無知はそれを見過ごさせる。そうならないよう、もっと危機感を抱かないといけない。アメリカの負の歴史を描いてはいるが『バイス』が警鐘を鳴らしている矛先は、アメリカの市民のみならない。

ブッシュ政権が推し進めたユニラテラリズム(単独行動主義)は、国際社会との協調を欠いたまま、アフガニスタンとイラクに侵攻してしまった。ドナルド・トランプがメキシコとの間に壁を築き、移民の受け入れを拒みつつある今も、ブッシュ政権にも似た、分断を呼びかねないナショナリズムが着々と進んでいる。日本にただよう閉塞感や諸外国との硬直的な関係もこれらと同種の現象ではないだろうか。

幸いにも戦争は起こっていないが、低い投票率や政治への無関心はいつしか多大な損害として跳ね返ってくるのではないか。日本では『バイス』のような映画が作れない土壌に悔しいと思いつつ、それでも政治への疑いの目を持って、選挙にはきちんと行こうと思った次第であった。

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