Nintendo Switch版『ゼルダの伝説 夢をみる島』感想: 26年前とまるで同じ夢を見せてくれるリメイク

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こんにちは、子供の頃の遊びのひとつが自作のマスターソードを用いた台座引き抜きごっこだったワタリ(@wataridley)です。

今回は任天堂から発売されたNintendo Switch専用ソフト『ゼルダの伝説 夢をみる島』のレビューをしていきます。

1993年にゲームボーイで発売された同名のゲーム、及びそれをゲームボーイカラーでリメイクした『ゼルダの伝説 夢をみる島DX』を今回また新たに作り直したのが、今作です。

ですから、2017年発売の完全新作『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』とは異なり、新機軸を打ち出すというよりも、従来のゼルダらしいゲームを目指して作られたであろうことは、遊ぶ前からわかっていました。

そして、実際にプレイしてみてもその予想は全く裏切られることはありませんでした。かつての『夢をみる島』がきれいなグラフィックで蘇っている。そうとしか言いようがないのです。

今作について語りたいことは、大きく分けて2つあります。ひとつは、そうしたオリジナル版『夢をみる島』への忠実さ。もうひとつは、忠実であるが故の新鮮味不足。

基本的にはストーリーの核心や謎解きの詳細な攻略方法についてはネタバレせずに、語っていきます。あくまで自分の感想を書き留めるためのものですが、未プレイの方のご参考にもなれば幸いです。

 

長所: オリジナルとまったく変わらないところ

Switch版『ゼルダの伝説 夢をみる島』のゲームデザインは、当時から何も変えられていない。海で遭難したリンク(主人公)は、迷い込んだコホリント島からの脱出を目指してフィールドを探索し、順繰りにダンジョンを攻略する。アイテムを手に入れるごとに行動範囲は広がり、以前には行けなかった場所に行けたり、出来なかったことができるようになる。まさしく『ゼルダの伝説』シリーズの王道的な作りである。リメイクにあたって、その基本形には全く手を入れていないが、現代に蘇らせるにあたっての工夫はたしかにある。

変わらないことを目指した今作への感想を、以下で分解して語る。

 

当時の匂いを残す舞台コホリント島

リメイクにあたってコホリント島はジオラマ風に表現されていて、あたたかみが感じられる。それと同時に、これは「一度入ったら二度と出ることはできない」という島の言い伝えにあるような、外界から隔離された世界を表現する上でも、有効に機能している。

オリジナル版は元が制約の多い携帯ゲーム機とあって、『神々のトライフォース』よりスケール面ではダウンしていた。これをコホリント島という孤立した世界によって言外で説明をつけておいていたわけだ。しかし、表現力が向上した今、しかも据え置きゲーム機を兼ねるSwitchで発売されたのだから、単にグラフィックを作り込んだだけでは、島の小ささは退屈なものに感じられたであろう。

そこにきて、この作り物っぽい質感の大地は、寧ろ可愛らしい人形劇を見ているかのように感じられて趣がある。実際、遠景がボヤけて、画面中央はくっきりと映る画面演出もあり、ジオラマを眺めている感じが演出されている。森に漂う靄、砂漠に舞う粉塵など、オリジナルでは表現しきれていなかった自然風景もしっかりと描写されており、プレイしている最中はリンクが触れている空気を無意識に想像していた。

リンクら登場人物は頭身が低く、ディティールが省略された造形をしており、まるでビニール製の指人形だ。そして、オリジナルから表情も豊かになっており、喜怒哀楽を身振り手振りと掛け声などで示してくれる。かつて遊んだ『夢をみる島』も、ドットで描画されたリンク達の頭身は低かったが、それは制約上の結果という側面があっただろう。だが、今作ではジオラマ上で人形を動かすコンセプトとして好意的な解釈がなされており、オリジナルの味をそのままに、豊かな表現に昇華されている。

このこじんまりとしたルックスと相性のいい、登場人物のどこか浮世離れした言動も健在。どこからどう見てもツルツルのワンワンを「毛並みが自慢」と誇るマダムは、グラフィックが進化したことで、余計に何とも言えない可笑しさが増している。はたまた、パニックを起こし全く要領を得ないことを言って「自分で確かめた方がはやそうである」とリンクに結論づけられてしまう2人組の子供、電話越しでないとまともに会話できない人見知りのうるりらじいさん、カバのヌードデッサンモデル、後に山で遭難することを宣言するNPC感丸出しの子沢山の父親など、記憶に残る彼らも、掛け声やジェスチャーが加わった以外はそのままである。

とある衝撃的なアイテムを手渡すことで有名な人魚のイベントは、残念なことに無難なアイテムに差し替えられてしまったが、そうした例外事項を除けば、フィールドの作りも島民たちもオリジナルそのままであり、これらに対しては「忠実」という二文字がよく似合う。

広い世界の中でオブジェクトを目立たせ、「動物を倒したら肉になる」というゲームの嘘をぼかすのに一役買っていた『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』のハーフトゥーンと比較すると、今作はこのグラフィックを採用するための機能上の必然性は薄いものの、コホリント島というミニチュアを演出するには最適解だったのではないかと思う。このように、『ゼルダの伝説』シリーズは、単純にリアル志向を突き詰めていくのではなく、常にその作品に合った表現を目指しているのだ。今作ではオープニング映像が珍しくアニメーションで描かれていることも、島の成り立ちを考えれば、納得がいくものである。

 

3音しか出せなかったGB時代から生演奏の現代へ

オリジナルから26年もの年月が流れているにもかかわらず、耳に訴えかけてくる情緒がまったく変わっていないことにも静かに驚かされる。それでいて、生演奏で再現されたBGMや多彩なSEにあの時からの進歩がうかがえる。あの頃と同じなのに、感動はちょっぴり増したのだ。

BGMはリメイク前のテイストを尊重し、場面に合わせて用いられる楽器から奏法まで使い分けがなされている。タイトル画面では、オモチャっぽい舞台によく似合うリコーダーの音が主役として高らかに響いて、あの『ゼルダの伝説』のメインテーマが流れる。フィールド探索時には、バイオリン、ヴィオラ、チェロなど複数の弦楽器を組み合わせた優雅な音色で厳かなメロディを奏でてくれるが、細かやかに跳ねる音が連続し、機敏なリズム感を醸し出しており、冒険に繰り出すプレイヤーを高揚させる。どの曲も余計なアレンジは加えず、オーケストラで正統な『夢をみる島』の音が再現されている。

これはBGMに限った話ではなく、アイテム入手時のサウンドエフェクトや浜辺で響く波の音といった細かな部分にまで当時の再現がなされている。ダンジョンボス撃破時に流れる勇ましいファンファーレ調の音、盾を構えた時の「チャキッ」という動作音、モリブリンが投げてきた銛を盾で弾く際の金属音など、かつてプレイした時に想像で補っていた音が、より詳細に作られているので、反射的に頭の中で比べてちょっとした感動がある。本当にアレンジメントや差し替えがないので、よりクリアになった音でまるっきり同じプレイ感覚を得られた。

冒険を進めるにつれてリンクが入手していくセイレーンの楽器の音も、きちんと楽器の種類に沿った音を奏でるようになっている。ピコピコ音だったそれらが20年以上の時を経て、想像の音をそのまま聞かせてくれるのは、旧来のファンにも感慨深いことだろう。

 

細かな調整点のおかげであの頃より遊びやすい

これまで書いてきたように、オリジナルを現代に生まれ変わらせるという点において、余念のない今作であるが、リメイクにあたって、遊びやすいように一部は調整されている。

ゲームボーイ専用ソフトであったオリジナルでは、操作に用いるボタンがとにかく少なく、沢山あるアイテムの中から2つだけをAボタンとBボタンに割り当てるという仕様だった。剣も盾もアイテム扱いのため、いちいち装備し直さないといけない。おかげさまで、アイテムの持ち替えが発生する際にいちいちスタートボタンを押し、アイテムをアサインする忙しない操作感になってしまっていた。

今作では、ボタンも過不足ないSwitch専用ソフトになったために、それが改善されている。基本装備である剣はBボタンに、盾はR(+ZR)ボタンに、ペガサスの靴はL(+ZL)ボタンに割り当てられており、いちいち装備選択する必要がない。重たいものを持ち上げるパワーリストも、アングラーの水かきと同様に、入手後に自動装備される。スタートボタンを押して装備をアサインする仕様自体は昔のままに、使用頻度が高いアイテムを適切なキーコンフィグを実現している。欲を言えば、キーコンフィグはプレイヤーがすべて調整できるようにしてほしかったところではあるが、着実に遊びやすくなっている。

そして、プレイしていて目につくのが、ジャンプができるアイテム・ロック鳥の羽の弱体化調整。オリジナルではとにかく連打していれば、無敵時間が発生しつつ、移動時に加速でき、しかも小回りも効く、という万能なアイテムだった。

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移動時はこれをデフォルトで装備するプレイヤーも多かったのではないだろうか。今作では、着地時に僅かながら硬直が発生するようになった都合上、移動時の加速としては殆ど機能しなくなり、回避用アイテムとしても敵の攻撃のタイミングを見定める必要性が生じるようになった。賛否分かれるかもしれないが、個人的には、ロック鳥の羽の存在のせいで敵の攻撃を防ぐ盾の役割がかなり押し込められていた印象があるので、リメイクにあたってこうした調整が入るのは致し方ないと思える。

個人的には、村に配置されているミニゲームのクレーンゲームの変更は可笑しかった。物を掴んで運ぶまでの物理運動が真面目に再現されており、「景品を掴んだのに持ってくる際の揺れのせいで落ちる」というよくある現象に立ち会える。そのせいでちょっと難易度が増しているが、こういう些細な部分も現代風になっているものだとちょっぴり感心した。

ついでに、オリジナル版ではラスボス戦においてなぜか中ボス戦のBGMが流れる場面があったが、今回リメイクされるにあたっては新録の戦闘曲に差し替えられている。

『夢をみる島』を今遊んでもらうためにという観点で細部にまで調整が入っており、恐ろしいほどそのまんまのリメイク作品だが、確実に遊びやすさも向上していると言えよう。

 

短所: オリジナルとまったく変わらないところ

スタッフが語るところによると、今作にはオリジナル版のスタッフは関与していないらしい。そうでありながら、ここまで形を保ったまま、現代で『夢をみる島』を再演する拘りに驚かされる。

しかし、そうしたオリジナルの再現を追求するばかりに、根本的に現代のゲームと比較して、古めかしいと感じる部分もそのまま取り残されている気もする。

以下には、今作に対する個人的な不満点を書いていく。

 

制約からくるリニアな作りはそのまま

『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』におけるフリーローム重視のデザインは、シリーズを愛好してきた自分には衝撃そのものであった。チュートリアル段階で手に入れたアイテムを駆使すれば、360度どこから手をつけても構わないというのだ。『ブレスオブザワイルド』は、間違いなくシリーズの転換点であると同時に、これから多くのフォロワーを生むのではないかという予感さえする。

『夢をみる島』は、そうした転換点からはるか昔に作られた旧世代のゲームである。ハードの制約上、好き勝手に広い世界を冒険させるなどということはできないため、フィールドには多くの障害物を配置し、プレイヤーの行く手を阻んでくる。それを越えるためには当然シリーズお馴染みのアイテムの入手が必要だ。すなわち、それは作り手が意図した方向でしか遊ぶことができないということを意味している。

「あそこへ行きたい」と思っても、規定のフラグを立てていない限りは、決して行くことが出来ないこの作りは、近年のトレンドとは逆行した作りであることは否めない。無論、自分はリニアなゲームの作りそのものを否定するつもりはないが、近年ではリニアである以上、相応の面白みを与えなければ、窮屈という感想は避けられなくなってきている。

例えば、大作映画のオマージュを入れ込んだムービーパートの合間に、走行中の列車や崩壊する建物などといった危機的シチュエーションの中で事態が進行していくプレイパートをプレイヤーに提供し、全く退屈させずにエンディングまで一直線に連れて行く『アンチャーテッド』は、リニアであることを活用した好例だ。

そこへきて、この『夢をみる島』は、全体を通して島のダンジョンを順番に巡っていくだけで、かなり淡々とした印象を受ける。オリジナルがそうだからと言われればそれまでだが、せっかく表現力が向上しているにもかかわらず、その点据え置きでは物足りなさを覚えてしまう。

 

うろうろさせられる時間もそのまま

昔のゲームによくある不親切さもそのまま残されている。

謎解きについてのヒントはオリジナルに比べて増えてはいるが、根本的にはわかりづらい点も多い。今作におけるナビゲーター役うるりらじいさんから「○○へ行け」言われても、そもそも行き方がわからないという事態に陥ったりする。そうなると、ひとつしかないどこかの出入り口を求めて延々と彷徨い、なんとも要領の得ないプレイ時間が発生することになる。『ブレスオブザワイルド』と違って、じゃあ別のダンジョンを…というわけにもいかない。ゲーム内には救済措置もないため、本当にただうろうろするしかないのである。

他にも、店にしれっと売られている必須級のアイテムがある時点で必要になっても全くヒントが提示されなかったり、サブイベントに見えて実は進行に必須の「わらしべイベント」についてゲーム中の誘導が明確ではなかったり、ヒビが入った壁や草で隠された入り口などわかりにくい配置があったり、とここで詰まるだろうという部分は散見される。

この不親切さは後半のとあるダンジョンにおいて、特に顕著になっている。幾多もの部屋をまたがって鉄球を持ち運ぶ必要があるのだが、ダンジョン内にある穴に落としたら最初からやり直しをさせられる。しかも、このダンジョンは地面形状がスイッチで切り替わり、道筋が変わってしまうため、最初に鉄球が設置された部屋に取りに戻るだけでもやたらと面倒くさい。経験のあるプレイヤーなら、謎解きはそのままだからいいが、全くの初見でノーミスでこれはかなり骨の折れるのではないだろうか。これは、謎解きが難しい(=やりごたえがある)というより、試行錯誤させられて、何度も同じ作業をやらされて面倒という類の退屈さである。

そして、上記のように頭を悩ませながらフィールドを彷徨う時間を、リンクの移動スピードの遅さが拍車をかけて退屈に感じさせる。今作では、シリーズでお馴染みのローリングも近年導入されたダッシュもない。正確には、ペガサスの靴を使えば早く移動できるものの、直線的にしか動けず、小回りも効かない上に、発動時にその場に留まるチャージ時間があるので、移動目的での使用は極端に限られてくる。だから、スティック倒しで歩き移動するしかないのだが、お世辞にもテンポがいいとは言い難い。ファストトラベル地点も全体的に数が少なく、配置も微妙で、トラベル後の歩き時間もやはり気にかかる。

これまで述べてきたように、細かな調整は入っている一方で、劇的な変化がもたらされているわけではないため、昨今のゲームと比較すると、古めかしい作りに思えてしまう。

ストーリー面についても、時代性に合わせたテーマの深掘りをするわけでもなく、あっさりとした物語展開の補強もない。音楽とビジュアルに代表されるように、GBから格段に向上した表現力を用いて、当時を知るプレイヤーにも驚きを与えて欲しかったという気持ちが湧き上がってしまう。贅沢な要求だと思いつつも、わざわざリメイクする意義とは何か?という問いは、既に『夢をみる島』を知っているプレイヤーには、尚更避けられないものだ。演出面においても、物語においても、まるっきり同じものを体験させられるということへの異議は、自分としてはあまり見えてこなかった。

 

まとめ: もう一度同じ夢を見させてくれるリメイク

今作には微細な調整はあれど、大胆なテコ入れは全くなされていない。この変化のなさが、既に『夢をみる島』をプレイした人にとっての評価の分かれ目だろう。

シリーズでも異彩を放つ物語が切ない余韻を残し、当時の携帯ゲームとしてはまとまった内容になっている。

元が携帯ゲームだったので、据え置きタイトルとして開発された『ブレスオブザワイルド』と比べると、謎解きも舞台も小ぶりである。あくまで今作はポスト『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』ではなく、往年のファンにとっては従来のゼルダシリーズの良さを今一度再体験させ、ある人にとってそれは携帯機で手に取る初めてのゼルダになる、という狙いがあるのだろう。Nintendo Switch Liteと同日発売になっていたことから、窺うことができる。

しかし、ここまで変わらないリメイク作品を送り出したということは、オリジナルへの信頼あってのものに違いない。たしかにGB版『夢をみる島』のコホリント島で体験した出来事を、とくべつに思わせるあのエンディングは、『ゼルダの伝説』シリーズどころか、他のゲームにも類を見ない。初めて触れる人にも、なるべく当時の体験をしてもらいたいという気概から、ここまで忠実になったと考えると、だいぶ納得がいく。そして、既にプレイした人は、思い出を保ったまま、より豊かになった表現に喜べるわけだ。

Nintendo Switch『ゼルダの伝説 夢をみる島』は肝心なところを変えていないからこそ、あらゆるプレイヤーに26年前と同じ夢を見せてくれるゲームなのかもしれない。

 

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