こんにちは、縄跳びの二重跳び200回飛べるワタリ(@wataridley)です。
今回は、PS4で発売されたゲーム『デス・ストランディング(DEATH STRANDING)』のレビューを行っていきます。
約20時間程度プレイした序盤時点での感想となります。基本的なストーリーのあらましとゲームシステムの概要には触れていますが、ストーリーの核心はネタバレせずに書いていきます。
目次
『デススト』発売までの心持ち
次世代機となるPS5が来年の年末期に発売されることが既に公式にリリースされていますが、まだまだ大きな弾が残っています。『デススト』はそのひとつに数えられ、PS4の期待作品として大きな注目を集めていました。
多くの人にとって、ステルスゲームの金字塔『メタルギアソリッド』シリーズの生みの親である小島秀夫が指揮を取るというのが、期待する最大の理由でしょう。シリーズ最終作と銘打って世に出された『メタルギアソリッドV』を最後に、所属していたコナミを抜けて独立。新生コジマプロダクション最初の作品となるというのですから、氏にとっても大きな意味合いを持つであろうことは側から見ても感じ取れます。
しかし、傍観者でしかない自分にはそのゲーム内容についての想像が全くつきませんでした。代表作の『MGS』では、敵の目を避けて進んでいくステルス性重視のプレイを提供していましたが、コナミを脱退してIPから離れた経歴からしてそれを再生産することはまずありえない。『デススト』が初めてプレスリリースされた2016年のE3以降、意味深長なビジュアルや大まかなコンセプトが語られるばかりで、なかなか実際の中身が明かされることもありませんでした。だから、謎のベールに包まれたそれに対して、不安と期待の入り混じった目線を向けていたというのが正直なところです。
そして、氏が独立してからおよそ4年近く経つ2019年11月8日発売となることが発表され、また今年のE3や東京ゲームショウでやっとはっきりした内容が開示されました。そこで目にした要素は、確かに面白いと思えるものではありました。「ストランド」が持つ「繋がり」という意味をゲームシステムに落とし込み、他のプレイヤーの足跡を与えることで、孤独な旅路がそうではなくなるという一風変わったオンライン要素。
ただ、同時に疑いをかけている自分もいました。「他のプレイヤーの情報がヒントとなる」という要素それ自体は、既にフロムソフトウェアの『ダークソウル』シリーズで見たものですし、単なるPvPではないマルチプレイアブルゲームを探せば他にもありそうです。
また、麻酔銃といった武器やCQCに代表される特殊技能を用いて映画に出てくるような特殊工作員になりきることができた『MGS』に対して、『デススト』の主人公サムは荷物を届ける運び屋(ポーター)です。要は配達業者であり、ゲームの題材にするほどの派手なイメージを持ちにくいでしょう。東京ゲームショウのプレイ映像を観てみてもその印象が覆るようなことはなく、ただ「移動する」という地味な過程に重きを置いているために、刺激に満ちた体験を期待すると肩透かしをくらうかもしれない、と無意識にブレーキをかけてしまうこともありました。
そして、発売日に購入して、オープニング、チュートリアルをプレイしてみると、ある種でその心配事は的中していたとも思いました。サムが踏みしめる北米大陸の大地はあまりに過酷で、道中では仲間からのサポートも得られない。孤軍奮闘と言ってもいい状況です。
しかし、そうした孤独や辛さは、ゲームを進めれば進めるほどに、とてつもないスパイスになっていたのだと気づかされました。そうなってくるともう『デススト』は、単に「移動する」だけのゲームではなくなります。近すぎず、遠すぎず、けれども確実に他者と繋がっていることの頼もしさを体感できるソーシャルストランドゲームになるのです。
オープンワールドゲームとしてはひたすらキツイ
今作の舞台は、謎の災害「デス・ストランディング」に見舞われたアメリカ。人々の繋がりが途絶え、社会インフラも政府も機能しなくなったことで、アメリカは荒廃の一途を辿っています。触れたものの時間感覚を狂わせる時雨(タイムフォール)の降水、生者を求めて彷徨う霊的な存在BT、配達症候群にかかり人の物資を奪う不法集団ミュール、人の死後に起こる対消滅(ヴォイドアウト)による辺り一帯のクレーター化などの危険に溢れ、外の世界を歩くことはままなりません。
そんなポストアポカリプスのアメリカを移動し、荷物を運ぶのが、主人公サム・ポーター・ブリッジス。伝説の運び屋と称される彼は、身ひとつと持てる限りの装備品で道なき道を進んでいきます。プレイヤーはこのサムを操り、広大で危険な北米大陸を旅することになります。
まず、今作には従来のオープンワールドゲームらしい魅力がほぼないということを最初に述べておきたいです。
アメリカを舞台にした作品と言えば、すぐにロックスターゲームズの『グランド・セフト・オート』シリーズや『レッド・デッド・リデンプション』を連想してしまいますが、これらとは異なり、今作は人里には立ち入れません。そもそもポストアポカリプスものなので、マップのほとんどが荒野であり、その中に廃墟や施設が点在しているという程度。
いくらそうした荒廃した世界観を楽しむと言っても、そもそも本当に「何もない」と言って差し支えないのです。舗装されていない地面がどこまでも広がり、人の行く手を阻む急斜面や川もそこら中にあります。外でNPC(ノンプレイヤーキャラクター)とのエンカウントして、イベントが…という定番の流れも皆無です。出くわすのは決まってミュールやBTなどの敵です。
なので、配達依頼を受けたプレイヤーは、必然的に「寄り道をしてやろう」という思考は働きません。せっせと最短ルートを辿るか最も効率的な手段で荷物を運ぶことになります。そもそも寄り道をしたところで、荷物が壊れる危険性が高まるだけなので当然でしょう。
人との出会いや街の探索を求めるのであれば、素直に上記の既存のオープンワールドゲームを購入して遊んだ方がよいでしょう。今作は口が裂けても面白いオープンワールドゲームとは言えないのです。
しかしながら、辛い世界をそのまま表現しているという観点であれば、これほどまでに巧く表現したゲームは他にないのではないでしょうか。
過酷な旅を体感させる操作性
物を運ぶというアクションは、これまでのゲームの中でも抜きん出て精巧に再現されています。
サムはDOOMS(ドゥームス)という特殊な能力を持った人物ではありますが、肉体的にはふつうの人間であり、自分の身の丈を越えるような跳躍力やどんな重さにも耐える膂力を持っているわけではありません。これは、このゲームを遊んでいる上でプレイヤーに付き纏う制限であり、肝でもあります。
今作では、依頼された荷物からサム自身の仕事道具や武器に至るまで、全てに重量が存在しています。設置して道を切り開く梯子や縄は比較的軽いですが、建設物の素材となる金属などは当然数十キロに及びます。背負っている量が多すぎると、サムの移動速度が落ちてしまうばかりか、運んでいる最中にもバランスを崩しかける頻度が高まります。
通常のゲームでは、アイテムを取得したら勝手に「魔法のポケット」に収納されて楽々に持ち出すことが可能というのが暗黙の了解でしたが、今作は「物を運ぶ」という行為にきちんと重みを持たせることで、いかに運び屋が大変な仕事なのかを伝えてくれているようです。
また地面の凹凸や傾斜に応じてバランスを取らなければならなかったり、川に浸かった状態でも踏ん張りを効かせてスタミナを適切に管理しながら渡る必要があります。これらのアクションはL2とR2ボタンで行いますが、ボタンをホールドする行為は自然と画面内のサムにリンクするようになっていて没入感が高いです。コントローラーの振動をオンにしておくと、地面を歩く感覚をいっそう味わえます。
常に物に気を使いながらミスがないように歩いていく配達人とこの操作性がうまく噛み合っています。旅の過酷さが理解できるゲームならではの手法はプレイヤーを画面の中に誘うことに成功していると思いました。
しかし、それは爽快感の欠如と引き換えに実現していることでもあります。サム自身が転けないように気を使い続け、目的地まで誰とも会話せずに黙々と荷物を運ぶことを何十時間遊ぶに値するほど面白いとは口が裂けても言えません。
このゲームの「北米大陸を横断する」というコンセプトから想起される旅そのものは、BTや時雨などの様々な危険や過酷な自然が体現するように、あまりに辛いものなのです。すぐにバランスを崩すわ、高所は飛び降りられないわ、荷物を持ちすぎているとダッシュできないわ、これら多くの制約事項はきっと多くのプレイヤーにリアルな辛さを与えるに違いありません。このゲームを遊んでみると、およそ数時間程度で、限界が来ることでしょう。
孤独な旅の中で感じる「緩い縄」の楽しさ
ここまで、オープンワールドゲームとして見るとあまりに「何もない」こと、そしてサム自身が感じている過酷さがプレイヤーにも伝わってくることを述べてきました。
地味で、制限だらけで、きつい、おまけに世界は途方もなく広い。それは他でもないサム自身が感じていることなので、このゲームは楽しいはずがないし、寧ろ楽しくあってはならないのです。
しかし、めげずに北米大陸を繋げて歩いていくうちに、そうした孤独な旅に彩りがもたらされます。
サムは、身体がビーチに囚われたままのアメリを救い出すという目的と並行して、カイラル結晶という特殊な物質を利用した「カイラル通信」を各地の拠点に接続するという任務を遂行していきます。カイラル通信は大容量のデータの送受信を行うことができ、3Dプリンターである「カイラルプリンター」によって物質を擬似的に転送することもできるため、これを繋げることは、アメリカ全土の交通網を復旧させることを意味します。
分断されてしまったアメリカを復交させるという目的は、現代のソーシャルメディアを利用する我々に向けたメッセージを明確に孕んだものです。そして、これがゲームシステムとして再現されることによって、プレイヤーは着実に繋がることの楽しさを実感できるようになっています。
各地に置かれたブリッジズの拠点や、集落から離れて暮らしている人々(通称プレッパーズ)の住まいを訪れることで周辺一帯にカイラル通信を繋げられます。これ以降、エリア内にはオンライン上で繋がった他のサムの痕跡がフィールド上に出現し、プレイヤーはそれを活用して旅をすることが可能になります。
最初に未開拓地域に行く際にはカイラル通信は繋がっていない状態のため、ひたすら手持の限られた手段で進んでいくしかありませんが、カイラル通信を繋げた途端にフィールドに他のプレイヤーの反応や設置物が現れ出します。そこで自分の苦労が他の人の苦労でもあったと気付けたり、他の人が置いてくれた設置物が帰路に役立ってくれることで、言いようのない安心感を得られます。更に、自分がフィールドに何気なく設置した物も誰かの役に立っていることが画面上に表示されることで、ひとつひとつの行動に意味が付与される感覚もあります。
カイラル通信を繋げるために依頼をこなすとゲーム内報酬として色々なアイテムが入手可能になっていきますが、これも他のプレイヤーと繋がる手段が増えていくこととイコールで結びついています。
通常、こうしたシングルプレイでは、どれだけ試行錯誤しても跡は残らず、その場消費で消えてしまうものです。しかし、『デススト』ではたくさんの人が歩いた道がマップ上に表示される、危ない場所に警告や設置物がある、誰かの落とし物を取得して再活用することもできる、置き去りにされた乗り物を使って移動することもできる。装備品や乗り物の充電が切れそうな時に誰かが建てた発電機に駆け込んだ時の安心感も大きい。
こうした経験を積み重ねていると、自分が誰かと繋がっていることはもちろん、過去に起こした行動すらも今に繋がってくるという実に奇妙な感覚が沸き上がってきます。立て看板は誰かを応援する、注意するといった使い方に限定されておらず、温泉付近に「排泄禁止の看板」を立てるなどして、ユーモアを効かせることもできる。1人で黙々とプレイしているだけでは、この体験はなかなか味わえないでしょう。
SNSと同じく今作には「いいね」を押せる機能がありますが、SNSと同じく貰っても直接の利益はありません。しかし、貰うこと、あげることで、他のサムとの繋がりを感じることができます。それでいて、結果としていいねが蓄積している設置物は、みんなの役に立っているという指標にもなり得ます。SNSでいいねが蓄積している投稿も、何かしら有益であると判断されているから、そうなっているものです。
敢えてco-opやPvPという形式にせず、痕跡程度の緩い繋がりになっているのも巧みです。プレイヤーはお互いに明確な利害を結ばないが故に、カジュアルな気持ちで見えない相手を思いやる(あるいは思いやられる)ことができ、そしてそれが不特定多数に広まっていき、『デススト』の遊びを拡張することを可能にしています。この「緩い縄」の集合が、ネットのポジティヴな側面を伝えてくれています。
オンライン上の運び屋と力を合わせてハイウェイ建設。これはシングルにない連帯した達成感。 #DeathStranding pic.twitter.com/JJ5nm23CI9
— ワタリドリ(wataridley) (@wataridley) November 9, 2019
「カイラル通信を繋げてくれ」とストーリーで一方的に頼まれたことを、ゲームプレイの中でかくも得心のいく形でメリットを示す手腕には舌を巻く他ありません。サムにとっての主たる目的は当初はアメリを救い出すことだったはずなのですが、プレイしているうちに自然とカイラル通信を接続することに熱中してしまいます。
オーディエンスがただ映像を追うだけの映画やドラマとは異なり、こうしたインタラクティヴな手法を用いてメッセージを届けているという点において、これは紛れもない「A Hideo Kojima Game」なのだと思いました。
まとめ: ゲームにおけるソーシャルの歴史は『デススト』以前と以後とで分けられる
A地点からB地点に向かって厳しい自然を歩んでいくだけだったはずのお使いが、他者と繋がることと連動して豊かな遊びになっていく様相は、まるで人類の歴史を辿っているかのようです。振り返れば、経済の発展は交通の発展と不可分でした。初めは村の中やその周辺地域という小さな範囲でしかなしえなかった取引は、馬車の登場により距離の問題を克服。広大な大陸の中を繋げる鉄道の登場により更にアクセスは拡大し、別の大陸を繋げる船によって世界中が繋がってきました。そして、20世紀では車の普及により個人の経済活動圏が広まり、飛行機により異国へ出向くことが大幅に容易化。極め付けはネットの登場によって猛烈な勢いで新たなビジネスが芽生えてきました。点と点が繋がることが人と人との出会いを促進し、多様な情報のやり取りが文明の発展を支えてきた歴史があるのです。
『デス・ストランディング』は、そうした縄と縄が重なった網(ネット)を題材に、その楽しさを孤独との対称性の中で浮き彫りにする試みがなされているのではないか、と思います。単にオンライン上で複数のプレイヤーとやり取りをするゲームーーその多くが持ち寄った棒を振るって相手を倒すものーーはいくらでもあります。しかし、人類が発展してきた「縄」の歴史を再認識させるシステムとして組み込み、「分断から復交へ」というストーリーとオーバーラップさせる発明をしたという点においては、今作がパイオニアでしょう。他の映画やゲームのクリエイターがなし得なかった偉業を小島秀夫が実現したと言ってもいいと思います。まだ序盤ですが、社会の繋がりの重要性を伝えたゲームとして、将来的に今作はターニングポイントとして語られるのではないかという予感が生じました。
そんなわけで、まだ序盤ではあるのですが、『デス・ストランディング』の革新的な楽しさは、是非とも広めたいと思い、一旦感想をまとめてみました。まだ概要程度しか触れていませんが、クリアした後には、全体を総括する感想を再び書こうと思います。
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