実写化という地獄ならとうに見ている『鋼の錬金術師』レビュー【ネタバレ】

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こんにちは、ワタリ(@wataridley)です。

今日は映画「鋼の錬金術師」を公開当日に観たのでレビューいたします。

ネタバレありで、全体的に映画の内容に触れています。結果としてかなりの批判や不平不満を含んでいます。

それでもいいよという方や同様の不満を感じた方はともかく、肯定的に見ている方はすみませんがご容赦ください。

また、これを書いている時点で筆者は原作「鋼の錬金術師」については未読です。こちらもご了承ください。


35/100

ワタリ
一言あらすじ「地獄ならとうに見た!」

公開前について

この作品を語る上で公開前の宣伝・広報と酷評について触れないわけにはいかないでしょう。

製作とキャストが公表された時点で、

  • 飽きもせずに無謀な実写化に乗り出す邦画
  • 原作はヨーロッパが舞台なのにキャストが全員日本人
  • 製作者たちの利害関係事情が透けて見える主演ジャニーズ

といった叩かれにいきたいとしか思えない要素盛りだくさんでした。

実際、SNSでは批判的な意見が散見されました。自分も、期待よりも不安の方が大きかったです。

続くビジュアル公開で更なる追い討ちがかかります。

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ハロウィンの渋谷でよく見る若者たちでしょうか。

キャッチコピーや公開日を外すと映画のポスターではなくコスプレ撮影会で撮ったよく出来たスチル写真にみえます。

こうしたビジュアルであることが露呈してから、不安視する声は更に増加。映像の評判も芳しくなく、予告編に写っていた「エドが走りながら壁から飛び出してくる柱を避ける」シーンは疾走感のない走り方やエドを潰すにはあまりに遅れている柱の出方など、そこかしこで突っ込まれていました。

公開が近づくにつれ、

  • 前売り券の売上が低調
  • なんで日本人使ったのかについて疑問が後を絶たず、監督が答弁
  • 試写会において「良いなと思った人は色んな人に広めて下さい。好きじゃないなと思った人は黙ってて下さい」発言(注意ですが、あくまで真偽不明な噂)
  • 実写映画なのに原作の0巻が入場特典(俗に人質とも)
  • 曽利監督がTwitterで「皆さんの疑問にお答えします!」と呟きリプライが大荒れ

といった負の情報がぼろぼろと出てきました。

要するに何が言いたいのかというと、この時点で筆者の中での実写ハガレンに対する印象は既に悪かったということです。

一介のオーディエンスとして意見を言わせて貰うと現状の邦画界って既存の人気のコンテンツを映画に転用し注目を集めることで確実な収益を狙う、保守的な気質があると思っています。

こう書くと日本映画の関係者が悪者のように聞こえてしまうかもしれません。勿論すばらしい作品を世に出している方がいるのもわかっています。

しかし、アメリカでは、世界を視野に入れて作られている作品が毎年数多く公開され、隣の韓国でも国際的な祭典で高い評価を受ける作品が輩出されているのに、日本では漫画やアニメの実写化でホリデーシーズンに絶えず小金稼ぎを繰り返している様を見ていると、これはもう市場規模で「それはちょっとどうなの?」と思ってしまうんですよ。

なにも海外が駄作を作っていないとは言いません。(実際つまらなかったり、バッシングを受ける作品もある)

それでも、海外では面白い物を作り、それを適切にPRし観客を呼び、きちんと観客側も評価を下すというサイクルが出来ているので、競争が活発になりその結果世界に通用する高品質な作品が出てくるわけです。

現在の日本では、そのサイクルが不完全。とにかく知名度や話題性を優先させ、客を呼び込み、内容がどうであれ消費さえされればよい、と言わんばかりの商法が春夏秋冬絶えず行われています。

その最たる例が、実写映画化作品です。そして、その実写化のダメな部分を凝縮したような要素が事前の宣伝からこれでもかという程伝わってきていました。

そうしたネガティヴな印象を払拭できるのか…

ある意味の話題作をチェックするため劇場へ足を運びました。映画の日で1000円で見れたことと0巻が貰えるという動機にも後押しされ。

 

最初から最後まで違和感に襲われ続ける

冒頭からすでに覚える違和感

映画が始まって直ぐに「これはヤバい」と直感。

最初は壮大な田園風景を俯瞰で見下ろすカットから始まります。その時にかかる音楽が、いかにも壮大さをアピールしてくる押し付けがましさ満点のものだったのです。

そう思っていたら早速出てきた登場人物の髪の色で失笑。明らかに日本人なのに母親は赤毛、二人の子どもは金髪です。

自然な色合いではありません。極めてムラのない色で不自然なツヤツヤ。染髪感を隠す気すらないヘアメイクにある意味脱帽。

「登場人物はヨーロッパ人」というテイで進みますが、ビジュアルにおける説得力がないので、作品内でのその前提すら成立しているように見えない始末。

セリフもひどい。

パツキンの子供二人が何やら工作物を手に母親へ駆け寄り、その母親は開口一番「錬金術でこんな物を作るなんて二人ともすごいわ!」と見事なまでの説明口調

「この世界には錬金術ってのが存在していて、それで物を作れるんだな」と冷めた目をしながら理解しました。

開始1分足らずでこの有様です。

ブログやツイッターで感想を共有しようと決めていたので最後まで見ましたが、語る相手がいない状態でこれ見てたら1分で劇場を出ていたと思います。

その後は、母親が原因もよくわからないまま死亡(開始1分過ぎとかそのあたり)。何故か母親の墓前で座り込むパツキンの子役二人。「お腹空いたよー寒いよー」と言いますが、台詞に寂寥感が全く伴っていませんし、安っぽいひもじさを演出されても戸惑うばかりです。

錬金術で母親を蘇らそうと決意した二人は、書物で調べ物をし、市場で買い揃えた材料で準備。なんでも大人1人を構成する物質を混ぜたそうです。

この時も子役の喋り方がたどたどしく、「子どもなのに厄介な実験に手を染めている」というシチュエーションが非常に嘘っぽい。

案の定、兄弟の母親を蘇らせる実験は失敗し、弟アルが犠牲に。

こう一文で書くとかなりシリアスな展開に思えるのですが、自分にはお笑いコントにしか思えない絵面でした。

それなりに頑張ってはいるもののやはり作り物めいている嵐と倒壊描写(実際に建物破壊するクリストファー・ノーランが鼻で笑いそう)。

そんな中にいるパツキンの子役二人。

何故か合成丸出しの板の上に乗ったまま嵐に巻き込まれる弟(バランス感覚がすごい)。

棒読みの「アルーーー!」「兄さーーーん!」(演技指導ちゃんとしてあげて)。

笑わせにきているとしか思えない。

そしてここで、もやもやっとタイトル表示

全くワクワクしないし、切迫感もありません。この時点で、タイタニック号に乗船したような気分を味わいました。

 

序盤のアクションパート

序盤、成長したエドはアルの体を取り戻すのに必要な「賢者の石」を求めて、ある神父を追跡。屋根の上から着地し、追い詰めようとした所、神父が錬金術によって抵抗。石畳が波打ったり、壁から柱が出てきてエドを潰そうとしたりします。

このあたりのVFXはまずまずだと思います。

とはいえ所詮邦画の域を出ているとも思えません。見てすぐCGだなとわかる程度のもので、よく見るマーベルやディズニー…と比較するのも流石に酷ですが、とにかく「本当に起こっているんじゃないか」と思わせるレベルにはないということです。

及第点はあげられるかな?と思っても、たいして速くもないエドを潰せない柱や、1回槍で突かれただけで崩壊する石の怪物、顔や衣装に攻撃や粉塵が接触したのにその部分が小奇麗なままだったり、と所々ショボさを感じてしまうんですよね。

ただ、兄の危機に助けに現れたアルフォンスに関しては文句ないです。光沢や金属質感などに拘りを感じられましたし、声をあてている水石亜飛夢のハマり具合も良かった

惜しいことに、この映画で数少ない評価点のVFXやアルに関しては、この序盤のチェイスが見せ場のピーク。後は動きの少ないドラマパートが大半で、アルに至っては後の兄弟喧嘩のシーンぐらいしか大きく体を動かしません。

原作がどうなっているのかわかりませんが、折角良い物作ったんだから活用してほしかったです

 

街のモブまでも日本人、あまりに深みのない世界

序盤の追跡劇の最中、全く出歩く人の姿が映らない。さっそく背景描写の甘さを感じました。

ようやく一般人が出てきたと思いきや、非常に変な気分になりました。

街の住民がみんな日本人。RPGにでも出てきそうな村人の格好をしている日本人。

神父が逃げ込んだ先は人が行きかう広場だったのですが、恐ろしく生活感を覚えられないような即席のセット。売られている物だとか、屋台だとか、あるいは街の配置だとか、まったく拘りが見えない。映画全体に漂うコント感に一役買ってます。

見たところヨーロッパの言葉とか街中に使われていませんでした。看板の文字はだいたいがジャパニーズでも理解できる簡単英語。現地で売っていそうな小道具や食べ物が陳列されていたような記憶もありません。それっぽい外見の建物とカフェテリアと広場、洋服着た通行人って感じで、世界観の表現が極めて浅はか。

逃げ惑った神父は結局そこにいた明らかに日本人の街娘を人質にとってナイフで脅すけれど、さっきまであんだけ派手な力使ってた割りに、なんでここへきてナイフ?と思いました。

こういった数多く存在する細かな疑問は、この映画ではだいたい説明されずに進みます。「そこは映画のお約束だから!」という作った人の心の声が聞こえてきそうです。

日本人のモブ達はその後、アルフォンスの錬金術や等価交換の説明の聞き手になるわけですが、屋台を壊された親父さんはどう見ても日本の下町で商いしてそうなオヤジさんだし、眼鏡かけた若者は染髪丸出しの茶髪だし、でやはりキツい。

台詞や演技も「いかにも無知な市民」って感じがして、アルに説明させるためだけに存在しているような薄っぺらさです。

また、この映画では一般市民が沢山出てきて生活の様相を見せるのは(記憶が正しければ)ここだけ。なので一体この世界に住んでる人たちがどんな感じなのか、とか伝わらないんですよね。

だいたい話は「エド達+軍の関係者+敵のホムンクルス」だけで成り立っていて、ロケーションの乏しさ(作中、別の街へ1、2回行ったぐらい)と相まって、世界のスケールが非常にこじんまりと感じられました。

予告や宣伝では冒険ファンタジー!と銘打っているのですが、全くそんな感じはせず終始関係者同士で揉めている印象。

 

長く感じるドラマパート。なのに説明不足

本作を冒険やアクションに満ちたファンタジーものとして観にいった自分にとっては、設定や登場人物の心情を説明するだけの時間が長かったのもマイナスでした。

ちょっと作品から脱線しますが、自分は映画や小説、漫画でペラペラと説明や直接にキャラの心情を述べるシーンが続くのはあまり好きではありません

理由は、単純に面白くないからです。設定そのものが魅力的であっても、口頭やナレーションで説明が続けばそれはもはやただ文を読んでいるのに変わりありません。(小説であったとしても作品世界や登場人物の説明が羅列されるだけならそれはもう小説ではなく「資料集」だとか「説明文」にカテゴライズされるものだと解しています)

そういう点で言うと、この映画の序盤の神父との追いかけっこは、この映画においてまだ面白い部分です。

偽物ではありますが、神父が賢者の石を使うことでその摩訶不思議な力を石柱や怪物の生成によって自然に観客に伝えてくれましたし、エドの義手義足や、練成陣なしでの錬金術の使用もアクションに絡めてアピールしていたからです。

説明を口先だけではなく、きちんと画面の魅力を通じて伝えられれば観客も退屈しません。

しかし、この序盤が終わってしまうや否や、目で追って楽しめるようなシーンが減ってしまいます

身の程知らずにも、CMで引き合いに出されていたというハリー・ポッターは、全編に渡って見ごたえのある魔法や世界を映していたので中だるみしづらいのですが、ハガレンの中盤以降は、説明に次ぐ説明

大きな見せ場がある序盤と終盤を除いた、簡単な話を書くと…

  1. 軍にタッカーを紹介してもらう
  2. タッカーにマルコーの情報をもらう
  3. マルコーから賢者の石の在り処のヒントをもらう
  4. 第五研究所の所在を調べる
  5. エドとアル喧嘩
  6. マスタングが軍に背き、エド拘束される
  7. 第五研究所こと捕虜収容所へ

だいたいこのような流れになっています。

見ての通り賢者の石を求めて調べ物するというストーリーラインなんですね。

そして、問題なのがこの間ずっと地味な画が続くということ。無駄とも思えるやり取りも結構多く、上映時間もっと短縮できただろうと思います。

カメラワークも単調で、時間的な長さをもろに感じました。

まず、観客は(あの地獄みたいな)オープニングを観て兄弟の出自に関してはある程度把握しています。にもかかわらず、大佐やタッカーに同じような身の上話をして、何があっても弟を元の体に戻すといった決意や思いの話を何度もやります。

エドとアルの絆や意思の強さを示したかったのでしょうが、バッサリ切ってテンポよくしたほうが良かったと思います。

アルが鎧の体を持っていることに対しても、汽車の中でエドが「あいつは物を食べる事ができないんだな」と物思いにふけるのですが、そういう普通の体を持たない辛さはこうしたセリフでしか表現されません。

後に「この空っぽの体で何を信じろっていうんだよ!」と露骨にアルも叫ぶのですがド直球なセリフを吐く前にもっと日常の些細な部分で苦悩を匂わすとか出来なかったかと言いたい。

マルコーを探しに別の街へ行った時にも、エドが尋ねた村人が最初は知らないと答えた後に、やっぱりもう一度見て「若いから気付かなかった」と住所を教えるシーン。謎のやり取りに時間割いてるとしか言いようがないです。

またマルコーに会いに行くも抵抗を受け、なかなか在り処を教えてもらえない場面にしても、直後にラストに襲われて死に際に結局教えてしまうならこのシーンそのものが要らない。

ラストに突き刺されたことで賢者の石の練成陣が破けてしまいましたが、賢者の石を求めていたラストがむしろ事態を悪化させるのも問題では?

こうした心情吐露や無駄なやり取りで時間を割いているのですが、その割りに説明が甘く、原作を読んだ事のない人にはわからない描写も多数

暴動が起こっている旨は何度もセリフで出てきたのに、その暴動がどうして第五研究所の位置に結びつくのか、すごーくさりげなく流されます。ヒューズが「そういうことだったのか!」と納得するシーンは自分はポカーンとしていました。

また、一度タッカーに魂の存在を揺さぶられただけで動揺し、エドに喧嘩をふっかけるアルもかなり唐突でついていけませんでした。

ずっと一緒にいた兄よりも、まだ出会ったばかりのおっさん(しかも資格剥奪されそう)の言葉を簡単に信じるアルがただただ愚直ですし、観客としても前半に散々エドのアルへの思いを見せられているので「悲しいすれ違い」というにもアルの疑心暗鬼と苛立ちはあまりにお粗末。

それと関連して、エドとアルの兄弟の絆の描写自体が不足しているように感じました。

兄弟喧嘩に走る前に二人の仲の良さを示す会話とか入れておかないとコンテクストが不自然になってしまうためか、とにかく言葉の上での仲のアピールが多い。それでいてエドがアルのことを語るときはだいたい大佐や本田翼相手で、アルがエドのことを語るのも序盤の市民や本田翼に対してであり、二人でいるシーンはだいたい他の登場人物の話を聞くとか、単に同じ場に居合わせているだけなので実はあまりコミュニケーションをとってないんですよ。

原作は27巻もあるので、じっくりやっているのでしょうが…

登場シーンから披露しているマスタング大佐の発火現象についてもまったく説明は無し。

手から火炎放射うってるけど無制限に撃てるなら最強じゃないですか?でも、そこも映画のお約束で撃ったり撃たなかったりなのでさっぱりついていけません。

とにもかくにもこのようにドラマパートはかなり中だるみしていると感じました。

しかしながら、一応は見せ場もあるにはあるのです。

真理の扉という意味ありげな空間に入り込んだり、弟のために手足を犠牲にするエドの回想が流れたり、ラストがマルコーを襲撃したり、キメラにされてしまったニーナヒューズが擬態したマスタングに撃たれる等、一見面白みのあるシーンは点々とあります。

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ところが、真理の扉は説明不足で初見にはさっぱりな上に背景のCGがやけにチープ金髪の山田涼介と真っ白な空間が合成されている様は違和感を覚えました。

ラストが披露する攻撃手段も最初の神父を殺害するところは驚きがありましたが、マルコー、ヒューズ、マスタング、タッカーとすべて同じような映し方で人を刺しているので2回目以降は「またか」と思いました

刺されている人は違えど、観客は2時間半の間に何度も同じような画を見せられているのを考慮して変化をつけないとすぐ飽きるんですよね。

ニーナがキメラにされてしまうくだりに関しては、そのイベント自体は衝撃的でした。ところが後に綺麗に繋がるわけではなく、タッカーが東方司令部に拘束される理由としてしか機能していないのが、物足りない。

結局ニーナの顛末は?という疑問置き去りで次々と展開が進んでいくので悪いモヤモヤが残ります。

タッカーが連行された後に「たった一人の女の子も助けられない人間なんだ!」と悔いるも、その後の展開で特に人助けするんでもなく、おいしい所はマスタングが持っていくので全然繋がらない。

それどころかウィンリィ攫われてるし、エド自身が作中敵を倒してないので、この台詞が実の伴わない物になってるんですよね。そこはふつう、悔しさをバネにして誰かを守るとか、敵を打ち倒すとかあると期待していました。

エンヴィーによるマスタングの擬態に関しては、彼が本物なのか偽者なのかのミスリードとして有効に働いていたと思います。

エンヴィーの変身に関しては序盤に披露することで、ヒューズを撃った大佐が偽者ではないかと疑惑を持たせることで、後のロス少尉を焼くという展開の衝撃が引き立ちました

この時けっこうグロテスクな燃え方をするので見ていた自分もびっくりしました。(それにしてもホクロの位置が違うからって理由だけで人を焼き殺す大佐が怖い…)

視覚面で攻める凄みは中盤欠けていたものの、構成と演出で工夫されていたエンヴィーの擬態に関しては
一本の映画として素直に面白いといえる場面でした。

 

突っ込みどころ満載の終盤

上で述べたとおり、大佐による火炎放射で偽者を焼いたあたりから、やっと展開に変化が付き始めたので一旦は期待しました。

登場人物が一堂に会したり、白い一つ目の化け物がうじゃうじゃ出てきたり、序盤からおどろおどろしく語られていた賢者の石がついに見つかったりと面白かったのですが、やはりここでもケチがついてしまう部分が多い。

賢者の石が「沢山の人命を犠牲にしている」という衝撃の事実が明らかになるのですが、ここでエドが急に叫びだす理由がわからない

たぶん「ずっと求めて、もはや神格視すらしていた物が悲劇の産物だった」という事実にビックリした…ということなのかもしれません。

でも、エドはアルの体を戻すための手段として賢者の石を追い求めこそすれ、そこまで入れ込んでいるような素振りがなかったのでこの叫びに繋がらない。

山田涼介が絶叫するマーベラスな画を撮ること「ありき」で脚本作ったんだろうな、と思ってしまいました。

この時、ウィンリィと、何故かアルまでもが人質になっていたのですが、どうやってアルがタッカーに負けたのかすっごく引っかかりました。タッカーさんそんな強いの

地面にいかにも怪しい練成陣が描かれているのに、平然とその上に立ちにいくエドにもあまりの無警戒さに眉をひそめるしかありません。

結果として罠ではありませんでしたが、そこは練成陣に慄いたり、恐る恐る歩くべきだったのでは…?

絶体絶命の危機はラストに助けてもらい、ウィンリィとアルは生還。呆気なく牢屋から脱走したタッカーは呆気なく死亡。「賢者の石の説明させるためだけに脱走させました」と言わんばかりな死に方です。

その後はハクロ将軍が登場し黒幕であることが明らかに。大迫力の人造人間たちも画面いっぱいに映ります。なんでも痛みや意思を持たない兵士として作ったそうですが、全然将軍の言うことは聞かないし、普通に銃で撃ったら死ぬので何が脅威なのかわからない有様。

悉く凄いビジュアルを作るだけ作って中身が抜け落ちているとしか言いようがありません。

呆れた様子のホムンクルスは逃走を図り、大量の人造人間も外へ出ようとします。

それらを街へ出さないようマスタング大佐は指示を出しますが、周りの敵を攻撃しているのに、全然反撃がこない不自然な画が続きます。

挙句、攻撃の手を止めてホークアイと立ち話。360度敵だらけの状況とは思えません。

そんなこんなで他所で軍による防衛戦が発生。ホークアイが指揮をとっていました。さっきまで反逆者の疑いがかけられ、手荒な逃亡を図ったはずなのに、なんですぐに部隊を召集して指示出せるのか…突っ込んだら負けな気がしてきました。

最強の兵士だ!と言われていた人造人間たちは銃でどんどん死んでいき、最後に画面が切り替わったらあっさり解決していました。

一方ホムンクルス達を止めようとするマスタング大佐とエド。ようやく敵とのアクションバトル発生。

しかし、お互い一昔前のRPGの如く綺麗に端と端にいながら順番に攻撃を出していくので、あまり見ごたえがない。エンヴィーに至っては全く攻撃しないまま死ぬし、マスタング大佐の炎に制約や条件みたいなのがどうやら無いみたいなので割と距離とってても焼き殺せるのが狡い。

戦闘の駆け引きみたいなものが見えず、脚本の都合で動いている感じがありました。

結局大佐がホムンクルス二人を倒してしまい、エドはほとんど防御役。アルもあの巨体を活かすことなく不意打ちで錬金術喰らわしただけで圧倒的に物足りない。

ラストに止めを刺す際、マスタング大佐が「ヒューズの仇だ」と言いますが、二人が一緒のシーンって立ち話で軍の情勢について語っていたぐらいなので、仇討ちのカタルシスを得ようにも材料不足。

ていうか、ヒューズを殺したのはエンヴィーでは?もう突っ込んだら負けな気が…

その後、賢者の石を手に入れるもアルの体を戻すのは先送りにするエド。序盤に「何があっても取り戻す」と言ってはいたものの、大量の命を考えるとしのびないのでしょう、

真理の扉にアルの肉体を見つけ、言葉でそれをアルに伝えるエド。ここは喧嘩した時に兄が信じられなくなっていたアルの変化を示していたので、兄弟の絆を以って作品は結ばれます。

色々と散らかってしまったけど、話の「兄弟の絆」という主題は波がありながらも一貫してはいたので、そこに関しては評価できると思います。本当に何がしたいのかわからない実写化作品もありますからね…。

最後に朝陽を見ながら未来に希望を思うカットはありきたりだけどいいじゃない…と、思いたかったですが、おもいっきり人工の光で萎えました。

ディティールには拘れよ!!!

ちなみにスタッフロール後のオマケ映像では、エンヴィーが実は生きていると思われる様子が出ましたが、全く期待感を煽られませんでした。続編やるのか…。

 

キャラの演技と役割について

序盤にごぞって登場した兄弟の幼馴染ウィンリィ(本田翼)、東方司令部のマスタング大佐(ディーン・フジオカ)、彼の部下のホークアイ中尉(蓮佛美沙子)、兄弟に協力的なハクロ将軍(小日向文世)、エドの良き理解者のヒューズ中佐(佐藤隆太)、キメラを研究する錬金術師タッカー(大泉洋)といったキャラクター達。

キャストに関しては、原作未読なのでイメージの正否は語れません。

なので映画単体として、どうなのか?をここでは語ります。

主演の山田涼介はジャニーズタレントやアイドル云々の色眼鏡を通さずに批評しますが、正直まだまだ実力不足は否めないと思いました。

作中では、前半のコミカルや平和なシーンでの彼は特に問題ないと思うのですが、後半はほとんどシリアスな場面が続く部分で、表情が硬いです。

ただでさえ地味寄りなドラマパートで眠気を誘因されているのに、主演の彼もパターンがあまりないのは、観ていても面白みに欠けます。

驚きや叫び、緊張といった感情表現がぎこちない上に、作中背景のCGが間抜けなシーンがあったりするので、不幸にも作品との相性もあまりよくない。

というわけで、本業の役者さんにはまだまだ及ばないという感想です。

言わずもがな見た目の華はあるし、身長弄りはNGじゃなかったりと自分の中では好感度高いので、是非これから伸びていってほしいと思います。

ディーンフジオカの演技については、可もなく不可もなくです。

但し、台詞の喋り方が単調で、かつ常によく通る声で喋るという彼の癖(?)が出ていて、役に入り込んでる(=がっちりハマっている)とは思えませんでした。良くも悪くもディーンフジオカそのまんまで通しているといったところ。

格好に関してはやっぱり日本人なのですが、スタイルやルックスはいいので見栄えは良かった。

次にホークアイですが、映画を見る限り存在意義がいまいちわからない。

何やらマスタングとただならぬ仲にあるようなことをちらっと言いますが、特に深堀されない。作中あんまり大した事をやっていないので、軍人A部下Bとかそんな印象どまり。

格好もコスプレっぽさがずば抜けていて、コミケにいそうだなーと思ってしまいました。あんなゴリゴリの金髪を日本人に合わせるのは無茶だったのかと。

ハクロ将軍に関しては、小日向文世の持つ優男のイメージを利用してキャラクターの形成を役者さんに丸投げしている印象を受けました。役割があまりに記号的で、ちょっと勘を働かせれば「この人が黒幕だな」とわかるのも良くない。

兄弟の助けになりたいと言うけど、肩入れする背景が語られないので簡単に「何か裏がある」ってわかってしまうんですよ。

終盤、黒幕であることが明るみに出たところで、壮大な思惑を語っておきながらすぐに退場するので、一体何がしたかったの?と思いました。

佐藤隆太のヒューズに関しても同様で、危険を冒そうとするエドに対する理解やプライベートで幸せそうな家庭を持っている描写から死の匂い(いわゆる死亡フラグ)を感じてしまいました。

恐らくは原作からのキャラクターがもっている表面的な役割を、映画において簡素に表現しすぎているんですよね。

ヒューズが良い人なのはわかるんだけど、エドとの関係や家族への想いみたいな内面描写がまるで取り上げられないので、あくまで「善良な性格設定を持った映画の登場人物」止まり。酷に表現すると、血が通っているように見えないんです。

これはヒューズに限らず、この映画に出てくるキャラクター全体的に言えることです。

本田翼のウィンリィがその最たる例。

オートメイル整備士という肩書きがついているのに、整備シーンが一切ない。作中2回ぐらいエドの腕を修理している事になってはいますが、口頭で「直すのが大変」と述べたり「直してくれ」と頼まれたりするだけなので、彼女が持ち合わせているはずのスキルがまるでわかりません。

兄弟の幼馴染であるというのもヒューズ家の食卓で触れた以外にそれっぽい台詞もなし。終始エドに対して馴れ馴れしい態度ですが、それを幼馴染という表面的な設定と言葉で片付けているようにしか思えませんでした。仲の良さを感じさせる具体的なエピソードのひとつやふたつくらい提示してほしかったところ。

なので、結局映像で示されているウィンリィを切り取ると「なぜか兄弟についてきて、危ない目にあったり、人質になったりする典型的ヒロイン」という役割しか持っていないように映ってしまいます。正直言って足手まとい。

原作は置いといて、とにかく映画では作品に華を添えるためだけに出されたヒロイン。ただそれだけです。

本田翼の演技にしても、役を演じていると言うよりただの本田翼。アオハライドで彼女を観たときは容貌の面でなんとか持っていたけど、ハガレンにおけるエドとアルを案じる(はずの)ウィンリィは荷が重すぎたんだと思います。

大泉洋は大泉洋のまんまでしたが、タッカーのマッドサイエンティストぶりは巧かったです。でも、タッカーの役割はちょっととっちらかっていた気がします。人体実験に手を染める非道さで衝撃を与え、兄弟の仲を引き裂くきっかけを作り、エドを窮地に立たせました。しかし結局ホムンクルスやハクロ将軍の前座にすぎず、彼の目的も不明瞭なまま事切れてしまう有様。見終わって考えても、掴みづらいだけのキャラになってしまいました。

他にドクターマルコー(國村隼)、ロス少尉(夏菜)といった面々も出てきますが、特に語ることはないです。

國村隼は登場時間が短く、ロス少尉もパーソナリティが窺い知れるシーンが無いので、まぁ豪華な顔ぶれにするためにキャスティングされたのかと考えるのみ。

こうして書いてみると、演者さんに厳しくなってしまっていますが、原因はやっぱり作った側にあるのが大半じゃないかと思います。

  • 原作にあった各キャラの魅力を(恐らくですが)再現しきれていない
  • 脚本における各キャラの役割が機械的
  • 背景やメイクなど演者の映りに関わってくる視覚情報の不調和

などが結果として俳優さんの魅力を減退させている原因と見ています。

自分が気に入ったキャラはラスト(松雪泰子)あたりでしょうか。

ホムンクルスの3人はビジュアルは特撮に出てきそうな悪役といった感じで、ラストは妖艶さ、エンヴィー(本郷奏多)は中性的な若者、グラトニー(内山信二)は不気味さとちょっとの愛嬌が記憶に残ります。それぞれの個性は掴みやすかったです。

特に一番出番のあるラストについてはとにかく色めかしい&麗しい。

松雪泰子さんは「容疑者Xの献身」で子育てに仕事にで手一杯の質素な女性を演じていながら、魅力的に映っていたのが印象に残っていたので、けっこう期待していたのですが、そのハードルを軽く越えていきました。

セクシーな衣装を着こなしているだけでなく、声の発し方や細かな仕草までも艶があります。

終盤胸元に手をやって「ご褒美をあげる」と言うシーンではセクシーショットくるか!?と思いました。すみません。

惜しい部分を挙げると、ラストは人造人間という存在でありながら「人間と違いはない」と主張し、作品的に生命倫理や人間の定義にまで踏み込もうとするスタンスが垣間見えたのですが、いかんせん描写がまるで不足しているので、取ってつけたかのような台詞に思えました。

それまで、冷酷に邪魔者を排除していく非道さを見せておきながら、人間とホムンクルスの境を否定しても説得力は感じられない。

エンヴィーやグラトニーに関してはビジュアルは悪くないのに、キャラとしての魅力を充分に発揮できていなかったです。

エンヴィーは擬態能力を使ってヒューズを殺害し、エド達を翻弄するのは良かったのですが、いざ戦闘になるとたいしたアクションを披露する事もなくマスタングに焼き殺されるのが非常に残念。

この時エドから「蘇生回数には限りがある」と看破され、途端に逃げ出すのもひたすらダサい。結局擬態能力以外では非力な印象が残りました。

グラトニーはお腹を開いてなんでも飲み込んでしまう設定なんでしょうが、肝心の捕食シーンが描かれないので、恐ろしい能力がまるで伝わってきません。

特に人造人間や軍の兵士を追っかけるシーンは動きがトテトテしていて笑ってしまいました。まるで幼稚園児相手におどしをかける保育士のようです。

ひょっこり生き残ったので(あるかどうかもわからない)続編で出番があるのでしょうが…

 

おわりに

  • 明らかに流行や事務所からのお達しで決めたようなキャスト
  • 馬鹿正直に原作を再現したチャチなビジュアル
  • 長い原作を無理にまとめて生じる齟齬や矛盾
  • お粗末なディティール

とにかく邦画実写化のダメ要素を寄せ集めたような映画だというのが私の感想です。

とはいえ確実に良いところはありますし、無下にこうした実写化に反対するわけにもいきません。

オフでこの作品について語り合う会に参加してみたのですが、良いと感じる人や別口の楽しみ方をする人は確実にいますし、ダメだと思った人もその原因や感想を語り合うことで楽しむ事ができるのだから、一見無謀なテーマに思えても挑戦することに価値はある。そう思います。

アメリカでも駄作呼ばわりの実写化例はあります。駄作を糧にヒット作を生み出してくれればそれでいいんです。

しかし、私が感じていることを率直に述べると、今の邦画界はクオリティとかより話題性を追求しているように見えます。反省や改善の意思が全然見えないまま、次から次へと実写の弾を撃ちまくっています。実写ハガレンを見ても、単に技術の問題ではなく、面白い物、尖った物を作る姿勢が窺えないのが問題なのです。

これ作った人や、粛々と企画進行しているであろう実写化映画の関係者はいい加減反省してほしいです。切実に。

そんな思いを胸に結びといたします。お付き合い頂きありがとうございました。

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