分断から交流までを描いた社会派喜劇アニメーション『スモールフット』レビュー【ネタバレ】

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アイキャッチ画像: (C)2018 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. ALL RIGHTS RESERVED.

こんにちは、『フリクリ』最終話の観た後にStar overheadを聴くとセンチになるワタリ(@wataridley)です。

今回はワーナー・ブラザース・アニメーション製作、キャリー・カークパトリック監督の3DCGアニメーション『スモールフット』をレビュー。

この手のCGアニメはディズニー/ピクサーを筆頭に毎シーズン映画館でかかっているようなイメージです。特に最近ではキャラクターのミニオンがヒットして以来、イルミネーションも勢いがあり、提携関係にあるTOHOシネマズでは今冬公開予定の『グリンチ』の宣伝に力を入れている印象です。

それに比べるとワーナー・ブラザースのアニメーションスタジオの作品と聞いてパッと思い浮かぶものはありませんでした。今回鑑賞に至ったきっかけも、SNS上で好評だったからというのが大きいです。

前評判を期して観に行った感想として、たしかに社会派なテーマを楽しい世界とキャラクターで見せ切るウェルメイドなアニメーションとなっており、これはもっと大々的にヒットしても良さそうだと思いました。宮野真守や早見沙織などの日本語吹き替えのキャストはなかなかテレビで見かける機会がありませんが、ミュージカルを含んだ内容を見事に日本語へと翻訳してくれていました。

以降、ネタバレを交えて詳細な感想を語っていきます。


72/100

ワタリ
一言あらすじ「都合のいい嘘よりも真実を選び取るまで」

フサフサなビジュアル

まず、一番に目につくのがビッグフットことイエティ達のふさふさな見た目。『モンスターズ・インク』『モンスターズ・ユニバーシティ』のサリーも同様に毛並みを持っている。こちらは雪山暮らしとあって野生生物らしい伸びっぱなし感や束感があったり、部位によってぷにぷにした肌が露わになっていたりしている。巨体を持つが、目つきは中央に寄っていて円らに描かれているので怖さは抑えられ、むしろ愛嬌が生まれている。3D上のリアリティとアニメーション上の嘘が造形に取り込まれており、見ていて楽しいルックスである。

付随して彼らが住まうロケーションに積もる雪も綺麗に感じた。一粒一粒の集合体である雪の触感が伝わってくるような映像は、『アナと雪の女王』に匹敵しているといっても過言ではないだろう。ところどころに出てくる氷も透き通っていて、映り込みまできちんと描かれている。

これらの視覚から得られるグラフィックスの質感から、ヒンヤリとした現地の温度が想像できるほどであった。

(C)2018 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. ALL RIGHTS RESERVED.

 

目と耳に訴えかけるミュージカル

今作では下界から切り離された雪山を舞台にしており、抱えている事情も特殊である。だから、観客たちに逐一説明しなければならない。その説明はミュージカルに委ねることで、観客はごく自然に、かつ退屈せずに見ていられるようになっている。

日本語吹き替え版での鑑賞となったが、歌詞はいずれもリズムに乗せてキャラクターの心情やその状況を明かすものである。冒頭ではミーゴたちの住む村が楽しげに労働に励む様子を歌い踊りながら表現し、村にあるさまざまなアイテムー何に使うのかわからない氷玉や宙づりの氷の塊、売り物を並べて営む店々などーも映り込む。後半ではハラハラするラップ調でそれらの裏に潜んでいた真実が語られ、覆される。口で説明するとくどく感じられそうな動物番組の制作者パーシーの凋落も、ブレンダーへ捧げる懇願の歌といった形でイメージ映像を交えながら軽やかに語られる。

演じているキャストは、いずれも声にハリがあり、聴きやすい。特にパーシー役の宮野真守の通りの良い声と3枚目キャラを軽妙に演じきる表現力には改めて舌を巻いた。ミーゴ役の木村昴にしても、代表役の『ドラえもん』のジャイアンとは真逆の好青年ぶりに驚かされた。相変わらず透き通るような可憐な声を持つ早見沙織も、ミーチーの魅力を適切に伝えてくれており、挙げたキャストはいずれも高い歌唱力でミュージカルシーンを盛り上げてくれたように思う。

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無理解を利用した上質なユーモアとスラップスティック

外界から隔絶された雪山に住むイエティ達は人間を知らないどころか、下界の存在さえ知らない。かつて人間が古代に提唱したような「地上の果て」を信じ、ストーンキーパーの石の衣服に描かれた仕来りや習わしに手放しで従う。

こうした状況を眺める観客は、さながら神の視点に立っていると言えよう。

自分たちは下界、すなわちこの世界を知っている。だが、彼らは知らない。

自分たちはトイレットペーパーを何に使うのか知っている。だが、彼らは知らない。

そんな情報格差を巧みにギャグに落とし込んだ脚本に関心すると同時に、観客に彼らを見下させる構造自体が面白い。映画の序盤にイエティの生態を知り、かつ人間そのものである我々はミーゴとパーシーの絶妙にかみ合わないコミュニケーションを高みから見物できる。攻撃的ではないイエティが攻撃的と誤解され、攻撃を試みる人間を意に介さず捕えようとするイエティのコントは、この映画のテーマにも直結しており、単なるギャグにも留まっていないのだから末恐ろしい。

ユーモア描写は体やアイテムを用いてダイナミックに繰り広げられ、高い娯楽性を獲得している。今作は歌詞や台詞で説明するパートもそれなりにあるが、ミーゴの無茶な引き回しで凍え死にそうなパーシーや勢いあまって坂道をどんどん駆け抜けてしまうスラップスティックは言葉の通じない文化圏の人間が観ても一定楽しむことができる。

このようにディスコミュニケーションに陥っている2つの勢力を笑い交じりに描写し、それを観客に俯瞰させている。これにより全く堅苦しさを感じさせないどころか、優越感を得ながらテーマを自然と理解していけるというわけだ。今作のカルチャーギャップユーモアとスラップスティックは非常に上質である。

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分断を招く嘘より繋がれる真実を

『スモールフット』のメッセージはこの上なく明快である。以上に挙げた、ミュージカルによる軽やかな説明とテーマと一体化したユーモアによって手に取るようにわかる。

石に刻まれた習わしや伝統という嘘で秩序を保つイエティの集落。ある日突然存在しないとされるスモールフットを目撃した青年。真実を追い求めて外の世界を知ろうとする変わり者。彼らは、紆余曲折を経て分断よりも交流を選ぶ。

これは、世界じゅうの社会のどこにでもある事象である。学校やクラブといった卑近で小さな社会から政党や宗派といった大きな社会、そして国そのもの、いや地球そのものにまで同様の性向が確認されている。第二次世界大戦の勃発要因に挙げられるもののひとつにブロック経済という分断があり、国家間の対立のためになんら科学的根拠のない情報がプロパガンダとして喧伝された。

現代においても、合理性に欠けた情報に基づく慣習や制度は数多く存在している。

例えば、最近では新卒一括採用制度におけるルールの見直しを経団連が決定したというニュースが個人的に印象に残っている。そもそも新卒一括採用制度は日本独特の慣習であり、グローバルな視点に立つと非合理的で時代遅れな制度である。年齢によって雇用タイミングを制限することに理にかなったロジックはない。年齢や国籍による差別がまかり通ってしまう危険性にしても指摘されつくしている。戦後の人口増加や労働力の早急な確保が要された時代においてはたしかに合理的な制度だったかもしれない。しかし、昨今少子高齢化が深刻化し、そもそも諸産業の労働市場が国内で完結しづらくなった現代においては、無意味どころか海外からの労働力確保にとっての障壁にすらなっている。それでも、この制度は古くから続いているからという保守的な思考の基に続いてしまうことだろう。

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このように、古くから続いている制度に固執することは、変わりゆく時代への拒絶であるし、ひいては多くの可能性に蓋をしてしまうことを意味している。

話を『スモールフット』に戻してもまさに同じことが言える。イエティ達は、あの村落に閉じこもっている限り自分たちは安心安全だと思い込めたかもしれない。しかし、世界の変化には知らず知らずのうちに置いて行かれる。雲を作り下界から切り離されている限りは、交易や文化交流は望めないのだ。

ストーンキーパーの語り継いできた掟は彼らを守ったかもしれないが、それは厚い壁を人との間に敷いていたにすぎない。

そこに臆さず立ち向かったのが、ミーチーたちSESである。彼らは変人扱いされても一貫して真実を追い求める。そうしてミーゴが下界へ行くきっかけを作り、結果としてイエティ達の掟を揺るがす。

真実を白日の下にさらした時、当然混乱が起きる。真実を是認せずに嘘に生きようとする姿勢をとったドーグルの行動は、実にリアルだ。人は間違っているとわかっていても、それまで保ってきた常識が崩れ去ることを恐れる。崩壊した先に、何があるのかがわからない。わからないものほど怖いものはない。

ゴング鳴らしが無意味であると認めてしまえば、今まで行いが空虚になってしまう。だからといって嘘の世界に耽溺しても、現実は何も前進しないのだ。だからこそ、息子の背中を押す彼の姿というのは今までの無意味さを認めこれからを変えようとする意志があふれていて、胸にじんわりと希望が広がる感じがした。

「今までしてきたこと」よりも「これから何をするのか」を選び取るプリミティヴな人生訓が含まれているが、これは同時に社会の在り方にも波及する。

ストーンキーパーは、偽りの上に平和を築き上げようと努力したが、それは紛れもなく民衆のためである。その彼が嘘が記述された石を投げることで、真実を選び取ったということが視覚的に理解できるし、何よりもいにしえに生きた人間が必ずしも利己的嘘つきとは限らないというバランス感覚を示したいたように思う。どうしても情報の伝達に限界があった時代、それこそ石や木に絵や文字を書いていた時代には、神話を共有することで帰属意識を高めていた。それはそのコミュニティを大きく利したことだろう。

インターネットが普及した現代、もはや同質的なメンバー同士で閉じこもることを選ぶメリットはいにしえの時代に比べて劇的に薄れた。『スモールフット』は、情報伝達のパワーに限りがあった古の慣習と技術発展によって形作られた現代の価値観を見事に対比させ、ミーゴたちが真実を追求するという根源的欲求で外部に触れることを肯定している。

非合理的な嘘を時に信じるのは精神的安住として相変わらず必要とされるだろう。だが、それがもし分断を呼んでしまうのならば、それほど悲しいことはない。一方「知りたい」という人が持つ最も根本的な欲を、外の世界への興味とし、異文化受容や社会的包摂といった態度にできたのなら、これほど胸躍るものもないだろう。

現実の問題を娯楽的アニメーションというオブラートに包み、希望を味合わせる今作の口当たりの良さには驚かされた。

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たしかに完成度は高いが、無駄がなさすぎる

と、上記に述べてきたように、基本的には高いクオリティを見せつけられる1時間半であった。その一方で物足りなさを感じもした。

今作のメッセージはわかりやすい。そして、受け取りやすい。それはひとえに、明確なキャラクターごとの役割分担であったり、メッセージを訴えるのに適切なユーモアと優れたストーリーテリングのおかげだろう。

しかし、その「わかりやすさ」の弊害からか、今作にはこの世界の奥部を覗き見たいと思える「必要な無駄」が欠けているのである。

とくにキャラクターは細かな言動や挙措に至るまで、テーマである「嘘と真実」「断交と交流」を補強するかのように形作られている。

嘘を信じ切っていたがやがて真実を知り変わってゆくミーゴは主人公とあって、その最たる例だ。冒頭は愚直にゴング鳴らしにあこがれる様子を見せ、スモールフットとの邂逅によって常識が揺らぎ、下界に降りて未知を楽しむ。しかし、イエティが人と離れて暮らしている真相を知り、混乱を恐れ、嘘で誤魔化そうとする。最後には、真実を選び取ろうと決意し、パーシーの行動にも後押しされ、イエティ達を説得し、人間との接点となる。パーツとしてはこれ以上ないまでに綺麗である。

しかし、こうしたテーマに則った行動が一貫している分、思い返してみるとミーゴやミーチーたちのパーソナリティはあまり強烈なインパクトを残さない。

同じく社会派なメッセージを観客に訴えかけたディズニーの『ズートピア』では、ニックとジュディを中心に様々な個性的なキャラクターが気ままに躍動していた。

たしかに、ジュディは作品のテーマたる偏見を象徴するキャラクターであり、ニックもまた被差別の境遇を持つ身である。だが、物語においては、そうしたテーマとはある程度距離を置いた彼ら自身の愛くるしい動作や台詞といったものが散りばめられていた。行く先々で出会うズートピア住民との掛け合いや、バディコップもの然としたチームプレイは、それのみとして見世物として成立していたのだ。彼らの捜査劇から雑多なズートピア世界が帰納されるのは、あくまでそうした魅力的なシーンの副産物とすら思えるぐらいである。多様性云々といった話題抜きに、ニックとジュディが二次創作上のカップリングで親しまれたり、フラッシュといったキャラクターがネタにされた背景には作品の核から距離を置いた「必要な無駄」がある。

『スモールフット』は、ありとあらゆる事象がひとつの結論を補強する材料となっており、結論をすっぱ抜いて残るのは、非常にありきたりなキャラクターにありきたりな雪山とアジア的風景の寒村ぐらいだろう。ミーゴもミーチーもストーンキーパーも主張的な言動はきわめてロジカルで人間臭さを感じさせない。優等生のようでややアクが物足りないし、舞台設定も労働が雲を作っていた点を除くと新鮮とは言い難い。

振り返ってみると、今作において作品の主題とは無関係に生きているように感じられたのは、空気を読まない発言をするフリームぐらいであった。彼は、周囲を混乱させようとしたり、大事な場面で役に立たなかったりとコミカルな間の悪さを生むことで、この作品に賑わいを与えてくれていた。彼のようなキャラクターがもっといたら、世界がテーマのためにあるのではなく、彼らが生きている場所として感じられただろう。

また、欠点としてもうひとつ挙げると、今作のミュージカルはあくまでそのシーンにおける状況説明の機能が強すぎて、キャッチーなメロディや口ずさみたくなる歌詞といったものがあまり見当たらない。キャッチフレーズと言わんばかりの曲目があった『アナと雪の女王』『リメンバー・ミー』に比べると、この点物寂しい。

これについては、日本語吹き替え版を1度見た限りの感想であるため、字幕版などで再鑑賞して印象が変わるかもしれない。

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まとめ:  気軽に見られてズシンとくる良質なアニメーション

文中述べたように今作は優等生的にあらゆる出来事がひとつの教訓的なテーマに結びついていく。すれ違いを活用したギャグや冒険の中で起きるスラップスティック、そして説明を説明たらしめないミュージカルのおかげで、まったく退屈を経ることなくエンドクレジットまで見ることができた。

また、この手の吹き替えでは珍しく著名なキャストを起用していないものの、ローカライズは丁寧で台詞回しは聞き心地がよかった。

良質なアニメーションやキャラクターのおかげで間口は広く、それでいて内包している話題はどんな人にも重量を伴って伝わってくるほどに普遍的である。あまり大規模に公開されていない現状が痒く感じるほどに高品質な長編アニメーションだ。

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