『ボンバーマンジェッターズ』44・45話感想

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第44話 ボムスターを探せ!

マックスに敗北したシロボンは、彼に勝つため故郷のボンバー星で修行をすることを決意。オヤボン、コボン、ダイボンも同行し、6つ目のボムスターを探し求める。

これまでのボムスターはボンバーマンが成長した際に思いがけずに手に入る代物として描かれてきたのだが、今回はそのボムスターを手に入れようと旅をするため、言わば順番が入れ替わっている。

なんでもボンバー星のチャレンジ平原では、魔物を退治すれば成績次第で手に入る「今日だけボムスターセール」なんてものがあるらしい。MMORPGの経験値増加タイムかよ!とツッコミたくもなるが、彼の明確な向上心に基づき、これまでボムスターを手に入れる時に立ち会ってくれた仲間と一緒にトレーニングすること自体は、最終盤に己に課すべき試練としていかにも集大成らしい。

一方その頃、ゼロはミスティに忘れ物をしたと言ってボンバー星に帰るが、ゼロは記憶を取り戻したというのに、本来真っ先に再会の言葉を告げたいはずのシロボン達からは逃げ、ずっと一緒にいるミスティにさえもそのことを告げていない。ミスティに「すまない」と内で呟くのは、表面上は自身の都合に付き合わせる謝意からだが、奥底ではミスティに話せないほどの罪を抱え続けている罪悪感から出ているのは言わずとも理解できる。

いざ出発した魔物退治の旅では、モンスターが出現するたびに「◯◯ が あらわれた!」というメッセージに、コマンド選択のUIが表示され、倒せば勝利BGMが流れるなど、見た目は完全にドラゴンなクエスト。

コボンは実はボンバーマンではないため、ボムを投げられないようだ。ちょんまげがついているのでボンバー人であることに違いないと思うが、彼がオヤボンについていく訳が師匠からボムの実技を学び得るためでなく、「勉強になります!」の口癖が示すように、オヤボンを模範とみて純粋に尊敬しているが故であることが読み取れる。

同行するダイボンもプーイの期待に応えるべくダンディな見た目に相反する自らの臆病な面に向き合い、コボンを助けることで甲斐性を見せる。途中で投げたボムも、コボンを庇った際のフラッシュショットボムも今回は不発に終わっておらず、従来は恐れおののいていた修行に、仲間と共に挑んだから恐怖をちょっとは克服できたのだろう。

シロボンはマックスの復活を知って以降増長し続けていた「強くならなければ」という独りよがりの意識からオヤボンの助言を得て抜け出す様が描かれるように、RPGに見立てた戦闘の経験値を積む行為はお題目やきっかけでしかなく、その行為を通じて持ち帰る気づきこそが重要というのはやはり一貫している。今回ボムスター探し自体を目的とした修行だったものの、最終的にはこれまでの入手経路の基本を踏襲しているのだ。

日没と同時にシロボンとダイボンはボムスターを手に入れる傍ら、オヤボンはボムスターを手に入れることができず仕舞いだった。ボンバーマンとしての鍛錬の期間も精神の成熟度もこのメンバーの中では一番あるように見える彼でさえ7つ目のボムスターには届かない。

では、その7つ目を持っているマイティとは一体…と思ったところに、ゼロがボン婆さんの下に現れる。気になりすぎる次回への引きだが、ボン婆さんはボムの投げ方でゼロの正体に気づいていたとは流石。

 

第45話 ゼロとシロボン

放送当時に見てから、ジェッターズ全52話の中でも指折りに記憶に残っていた回。バトルやアクションの要素はほぼなく、ゼロとシロボンのすれ違う会話は普段のジェッターズらしいギャグと比べて一触即発なスリルがある。視聴者からすれば死者との束の間の対話は暖かくも、本当は叶わなかったという前提がすぐ側に佇んでおり、切ない後味を残す。

ゼロをマイティとして引き入れたボン婆さん。彼から話を聞いて、「そうかやはりマイティは」「お前も辛かったろう」という言葉を並べている彼女は、ゼロのことをマイティとはあくまで別の存在と認識していることが窺える。死んでしまった家族の記憶を宿した存在と対面するなんて、あまりに不条理でどう向き合えばいいかわからない状況だろうに、言ってしまえば孫の仇たるゼロの気持ちを慮りながら、一方ではマイティ本人の死は改めて受け止めるボン婆さんの姿勢は相当なものとしか言いようがない。

ゼロはボン婆さんと別れた後、ポストに「何か」を投函する。このことは後で忘れた頃に回収されるが、ゼロはあの内容の郵便物を入れたということは、この時点ですでに自らの運命を悟っていることになる。

ついにゼロとシロボンが対面。ボン婆さんからは自分の弟子だとはぐらかされ、マックスとは他人の空似なだけのボンバーゼロとして接し、二人で修行の塔に挑むことに。

このゼロとシロボンの対話は、いちいち心に刺さって仕方がない。ゼロの側は2話から45話に至るまでのシロボンの道筋をほとんど知らないのだ。彼がジェッターズとしてヒゲヒゲ団から宇宙に一つしかないものを幾多も守り、数々の強敵やマックスを一度は撃破し、そして一旦は亡き兄の死を乗り越えたことを。彼の記憶の中のシロボンは暗がりを怖がって泣いてばかりいた見習いボンバーマンのままなのだ。

シロボンはシロボンでそんなゼロの出自を知らずに、彼がマイティと色々と似通っていることを無邪気に触れる。兄ちゃんから名前のことも、ボムの投げ方も教わったのではないかと。それはある意味では正しいのだが、ゼロにとってはマイティを殺して記憶も経験も奪い取ったという残酷な事実を想起させる。だからここでは記憶がないとシラを切るほかない。

こういった両者のすれ違いというものが、1話を除いた、過去44話分の積み重ねの上で展開され続ける。視聴者の目線ではどちらの視点にも立てるからこそ、どちらの言葉にも潜んでいる噛み合わない欠落部分が切なく感じられる。

ボン婆さんが語るように、シロボンがジェッターズに入ってから成長していったのはポジティブなことでもあるが、あれだけマイティの背中を追い求めていたというのに、今ではその死にもある程度慣れてしまったのは残酷な一面も含んでいる。

それにしてもゼロはマイティの記憶と人格を持っているとを隠して別人として振る舞おうとするのに、その隠し方が悉く下手!シロボンに名乗ったか聞かれて動揺するわ、投げ方の癖は隠し通せないわ、コスモガムでボムスターを作っちゃうわ、そもそも食べられないのに買ってしまうわ、隠す気あるのかというレベル。

シロボンからは生前の自信の振る舞いの愚痴や隠し事を言われてしまうが、よくよく考えてこう言った兄弟らしいやり取りというのはここまであまりなく、時折回顧されるマイティは未熟な自分自身と対照になる形で(真のボンバーマンが何たるかを説く姿、洞窟の出口の探し方を教える姿等)頼もしい兄という一面が強かった。シロボンが自ずとくだらない日々の思い出話ができるようになったのは、ボン婆さんが言ったように、残酷にもマイティの死から立ち直り、穏便に過去を振り返れるようになったということをも意味しているのかもしれない。嘘をつくのが下手っぴという今回のマイティの性格描写と合わせて、そうした本人の生前の情報が出てくるのは、あたかも故人を偲んでいるかのような光景でもある。

ゼロからのマイティに会いたいかとの問いに、シロボンはどうあっても覆せないマイティの死を認めると同時に、自らの未熟さを悔いる。ムジョーにその意図がなかったとはいえ、もしあの時シロボンが捕まらずマイティに付け入る隙を与えることがなかったら、負傷したまま一人で任務に向かうこともなかったかもしれない。マイティが死にゆく運命の歯車になってしまった理不尽をせめて取り返すようにシロボンはマックスへの仇打ちを再び決意する。

ゼロの言葉と共にリフレインされるマイティの「大丈夫だよ、シロボン」という台詞は、今のシロボンには儚くも届かない。しかしその言葉が決定打となり、シロボンはゼロの正体への確信へと近づく。ミスティにも同行している時の言動で既にバレているように、やはりマイティは隠し事が下手。

試練の塔は結局シロボンにもゼロにも7つ目のボムスターをもたらさず、ただシロボンが本心を叫んだ時に幻影が終わった。まるでゼロと会話をする時間を与えたかのようだが、そのゼロ(マイティ)はボムスターの数を聞かれて6個だと即答し、オヤボンがずっと6つのままだった事実と合わせて、その実在の是非はよりわからなくなってくる。

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