第52話 進め!ジェッターズ!
冒頭、何かに思い耽けるミスティの様子から始まる。前回シロボンが投げたボムの行方は?ボンバー星とジェッター星の衝突は?と、色々な気がかりがある中、ミスティが無事でいるこのシーンはどこの時系列に位置するのかわからず、エピローグで合点がいくまでは、意図して引っかかりを生じさせている構成だ。
アインとバグラーの幼少以来の誤解がこの超重大な局面で解ける。バグラーは最初から知っていたらしいが、結局どうあってもヒゲヒゲ団は結成され、宇宙にひとつしかないものを狙うのもその贅沢で私腹を肥やして心の隙間を埋める程度の動機に過ぎなかったというのは、これまでのヒゲヒゲ団との戦いが傍目から見てごっこ遊びの延長(殺気立った死合いには程遠く、興じている面すらある)だったことから見ても明らか。下の世代(シロボン、バーディ、シャウトら)を身近で見守っていたボン婆さんやアインと異なり、ただ泥棒していただけのバグラーがここで孫や子どもたちに恵まれたと言っているのはここまでの経緯を踏まえると些か唐突かもしれない。とはいえ、幼馴染のピンチにシュヌルバルトから抜け出し駆けつけたらそこには沢山の子どもたちがいて、それを直ちに喜ばしく思い、応援するという行為は、シロボンという主人公がここまでやってこれた周囲の内面を描いていると言えるのかもしれない。それはマイティに対しても必要なことだったわけで…。
シロボンが投げたボムは、シャウトの体もすり抜け、それどころかゼロの体をも通過する。マックスの心だけがそのボムのパワーで追い出されてしまう。これは原理的には1話でマイティが礫に対して行ったものと同じで、そのものがもつ力を爆発させるようにゼロの体にあるマックスの心にだけ干渉したということらしい。マックスは追い出される直前に自らの機体を見つめて未練を感じさせるカットがあるが、仮に追い出された心が元の体に戻れたとして、損傷が激しく、いずれにせよ運命を共にするしかなかったことだろう。
「マイティはジェッターズを辞めようと思っていた」バーディが語ったことで、シロボンは初めてマイティが交わした約束を守ろうとしていたことを知る。それを知っていたのはゼロ、バーディ、視聴者(あとはゼロと会話を交わしたボン婆さん?)だけだったので、シロボン目線では初めて知る事実である
ゼロは「マイティの言ったことがわかったみたいだね」と意識をを取り戻す。これは「ボムの力はボムに在らず、心に在り」との教えに基づく花を咲かせた技を指しているのだと思うが、マイティが「帰って来る」と約束を守ろうとしていたこともかかっているのか。
ゼロは一度は一体になったマックスの心を引き剥がされた結果、元はひとつ、表裏一体だったはずの心が限界を迎えつつあるとを口にする。みんなの憧れだったマイティの内面にあった強さへの固執、あるいはジェッターズのリーダーとして優秀だったであろう彼の頭脳を裏返したような狡猾な言動など、マックスという存在はあくまでマイティに依拠しているものだったと語られる。B-1グランプリでオヤボンに勝って優勝していたことからも、自身に並び立つ存在は生前は現れなかったようだが、もしゼロとマックスのように匹敵する存在がいたとしたら、彼はその内面でマックスのような思考を抱えることになっていたのだろうか、とも考えてしまう。
ゼロはセントラルラグーンの上空にマイティの最期を投影する。これを「最後まで隠しておこうと思った」と述べているのは、ゼロにとってはマイティを殺めてしまった瞬間(しかもゼロはその時のマイティ自身の記憶はないので、これについては完全に“ゼロの記録”である)の忌まわしい記録であり、それをシロボンに見せるなどありえないことだからだと推測できる。それでもここでマイティの最期を見せるのは、マイティがシロボンと再会する約束を果たせなかった者として終わらせるべきでないとゼロ自身が感じたからにほかならない。「7つ目のボムスターをあげよう」と自分がついには得られなかったものをシロボンに渡そうと試みるのは、ゼロがシロボンのことを自身を超えていく存在として認めたということでもあり、久方ぶりの再会でシロボンの変化に動揺していた45話から生じていたゼロのシロボンに対する向き合い方がここで決着する。
映し出されたマイティ。「急に電気が消えちゃった。真っ暗で何も見えないよ」と深刻な状態を物語る言葉。みんなの見ている前に久しぶりに登場した伝説のボンバーマンの姿は、傷ついて倒れ、弱音を吐くただの少年に過ぎなかったことを克明に映し出す。最終回だというのに、強大な敵を打ち破るカタルシスが全く問われず、ただ番組を見ている人達も、登場人物達も、ただ理想を託された一人の人物の終わりを見ていることしかできない瞬間に向き合わされるのが凄い。
「マイティはわしらを恨んでおったか」と問うアイン、同じ質問をしていたボン婆さんにゼロは、「死んだ人にしかわからないこと」だと答えにならない答えを返す。事実、ゼロはマイティの襲った瞬間までの記憶しかない。映像に映っている襲われたその後はゼロから見た記録に過ぎないのだ。マイティが最期の瞬間に何を感じ、何を思っていたのか。記録されている範囲のマイティが口にしていた言葉でしかわからず、しかもそれも受け取る側の受け取り方次第なのだ。ここまでマイティの生前の苦衷が覆い隠され、やっと映像で真実が明らかになりそうなところで、この物語はゼロを介して死んだ人の最期の胸中は神秘に包まれたままとする。これはなかなかできないことだと思える。フィクションという夢物語の装置を用いて、死者を相手に果たせなかった生者の望みを叶える。死者の胸中を亡霊やそれに類する存在に代弁させる、あるいは回想といった形で生者が立ち直るための真実を暴露させる行いがしばしば見られるが、それはどこまでも生者の欲望に根ざした死者の描き方だ。だが、このジェッターズの物語は、マイティの暴かれざる最期の胸中はあくまでも死守するのである。アインもボン婆さんも、ある種「マイティが恨みを自分達に向けていたことによって裁かれたい」という想いを抱えていた。しかしマイティが彼らを曇りなく愛していたにしろ、心の奥底で不平不満を募らせていたにせよ、それらがはっきりと分かるように開示されてしまうこと自体、望まぬ別れが厳然と存在するこの現実に照らしてもありえないことだ。だから、ゼロのこの言葉はその一線を引いた上で、マイティの最期を見届けなければならないという警句にも聞こえる。
「僕のバッジを知らないかい?」と問うマイティにゼロはその場で応じることができず、今この瞬間にやっと「君の弟が持ってる」と答えることができる。その時に悔いなく正しい選択や行動を取れていたら、と思うような無情さと、それでも遂に返事が果たされたアンビバレントな感慨とが同時に襲いかかってくるシーンだ。けっきょく記録の中のマイティに、その返事は届くはずもなく、彼はバッジが見つからず、みんなの声が聞けないことを嘆く。
同様にみなマイティの名を口ずさむが、それは本人に届かない。「ここにいるぞ!」と親友に呼びかけるバーディの声も、「何いってんだよ!」というミスティの反論も、「一人ぼっちじゃないよ」と心で呟くシロボンの励ましも、すべて空へと消えていくのみ。死んだ人への応答は一方通行のアクションに過ぎないという実情はある面では過酷かもしれないが、残された人々は各々のマイティに対する思いを吐露することでしか、その死を悼み立ち直っていくことができないのだ。
現実にマイティはバッジでみんなと通信することも、家に帰ることも叶わないまま死んでしまい、その事実を今からどうやっても修正することができない。今まで何度もボンバーシュートで敵を打ち払い、困難を解決してきたようにはいかない。
それでもなお、マイティの最後の力を振り絞ったボンバーシュートに呼応するように、シロボンは最後のボンバーシュートを放つ。「バッジがあればみんなの声が聞けたのにな」というマイティの最期の願いを叶えるため、バーディからシロボンへマイティの背中を追うようにと渡されたバッジは、マイティの死の真実を知ったシロボンからゼロへとあてがわれ、最後にはゼロからシロボンへ餞にして返される。現実には空へと放たれたバッジはそのままシロボンの元へと落ちてくるしかないのだが、その本来空しいはずの行いの結果にも悲観せずに、シロボンにとってはさながら始まりのための決別の儀式である。
最後に「おかえり」と言ったことで、シロボンは1話で自身が放ち、マイティが最期に放ったサニティボムと同じ光に包まれて、ボンバー星もジェッター星をも飲み込む。ここまでボンバー星防衛隊とジェッターズは衝突を阻止するべく行動し続け、3本のアームの破壊とワープ装置の奪取をマクガフィンにしてきた中、この解決方法はデウス・エクス・マキナ事象ではある。だが、別の見方ではマイティとシロボンのボムを媒介とした関係では筋が通っているとも言える。シロボンが1話に見せた風船ボムや31話で暖を取るボムをマイティが使っていたことから、サニティボムなる技も1話のシロボンが無意識に使用した技に由来するものだと見ることができる。またシロボンも1話でマイティから教わったボムの使い方によってシャウトもゼロも傷つけずにマックスから救い出すことができた。つまり、兄弟は相互補完の関係にある。シロボンがマイティの最期の生き様を目撃し、その死を受け入れ、超克へ繋がったボンバーシュートは、投げられたバッジが光に包まれたことから見ても、実在性すら怪しい「7つ目のボムスター」に、ゼロの言った通り成ったと示唆されている。それは一度きりの一瞬のことだったのかもしれないが、シロボンからマイティに、マイティからシロボンに、そしてシロボンからゼロに、ゼロからシロボンに、人は巻き込まず不条理だけを打ち消すサニティボムを与える環が繋がったからこそ、シロボンは最後の最後に1話でボン婆さんが疑っていた勇者の光を会得したのだろう。
そして、時間を飛ばしてのエピローグ。ここでカメラがシロボンから一旦切り替わり冒頭のミスティの様子の続きが描かれるのが憎い回収の仕方である。ゼロが送った手紙はミスティに届き、ミスティにも時間差でマイティからのメッセージが届く。ミスティは生前に答えることができなかったが、ここからジェッターズのバッジを受け取り、バーディの代わりにメンバーになるのだろうか?独り嗚咽するミスティを見て、黙って立ち去るアインの振る舞いが良い。マイティのロッカーの中にラケットとボールがあるが、年相応に遊ぶこともある少年だった残り香が漂っている。
シロボンは7つ目のボムスターを手に入れていないことがシャウトに知られるやあっさりと「ないものはないんだよ」と事もなげに言い切る。しかも自分のバッジのついた胸を指し、「ゼロさんから貰った」と言いつつも、「兄ちゃんやオヤボンさんも持ってないのに、僕が簡単にとれっこないじゃん」と自身の不足も言外に認めており、ここまで紆余曲折、多くの困難を経てきたシロボンの変化を鮮やかに映している。「なんたってボムスター2個」と驕り高ぶったりしていたあの頃がもはや遠い昔のようでありつつ、シロボンが持ち続けてきた奔放さ、お気楽さは残されている。背が高くなったらリーダーとシャウトから約束されるが、ボン婆さんの夫がマイティと瓜二つで遺伝子が濃い家系っぽいので、いずれはシロボンもマイティに並ぶくらいになるのだろうか。
バグラーとアインらが仲良く杯を交わしているも、またモモちゃんの件で喧嘩である。ここはジェッターズの物語におけるマイティの死の発端が、(直接の元凶はメカードにしろ)ある意味では2人の諍いにあることを考えると、モヤッとする人がいてもおかしくはないと思われる。特にバグラーもアインもマイティの死に自責の念を感じている描写がしっかりあるため、また相変わらずなノリをやっているのはたしかにモヤっとするが、ヒゲヒゲ団は今後メカードの件を踏まえて組織体制やジェッターズとの関係も変わらざるを得ないのは間違いなさそうだし、花見を共にしているという画がそれを象徴していると捉えれば、今後は流石にシロボンが知らず知らずのうちに苦境に追い込まれて…といった悲劇は流石に回避されるはず。(そもそもジェッターズの話自体がマイティでできなかったことをシロボンでやり直す話でもある)
そしてなんといっても衝撃的な伏線回収である。まさかバーのママとツイストさんが結婚するとは!しかしここまで見ていくと、8話の薔薇の件で既に2人の間には花という共通点があり、ママもジェッター星のフラワー教室に通っていた様子がバーディのタクシーの利用者として描かれ、ツイストさんもフラワー教室に通っていることが36話で言及されている。それぞれなんとなく見ていただけだとそれとは気付かないが、見返してみると真の意味が浮かび上がってくる。「先に出したあからさまに怪しい情報を後でまた言及すれば伏線扱い」という昨今の伏線回収業界の手ぬるい手法に慣れた後だと、これぞ正に伏線回収と言えよう。にしても、再婚にあたってきちんとお相手方の前妻のお墓に挨拶に来るママ、礼儀正しく義理堅い。
実は生きていたナイトリーとカモメボンバー。カモメボンバーはB-1グランプリ編で存在を忘れ去られて不戦敗になって以降、ジェッターズに撃破されるどころか、ヒゲヒゲ団内でも全く言及されず仕舞いだったのが酷い。おそらくメカードの処遇を考えると今後合体ボンバーマン製造マシーンなどの彼の発明品は使用できなさそうなので、現状宇宙にひとりしかいない合体ボンバーマンになっている気がするが、まさか最後に生き残るとは。
ナイトリーに関してはマックスのハイパープラズマボムを受けても片手が負傷した程度で済んだというまさかすぎるタフネスが発覚。宇宙を股にかける情報屋って危険な目に遭いそうだし、それなりに実力行使できる程度のフィジカルはあるのかもしれない。それにしてもバーディとの関係の匂わせが凄い。いや、バーディからすると自身の調査依頼の結果、メカードとマックスの両名に狙われ負傷してしまったので、そのケツは俺が持つってことなんだろうけど、マイティの件から区切りをつけて装い新たに再出発で角が取れた雰囲気で柔らかい笑みまで浮かべるものだから、コイツらこれからどうなるの?という目線がどうしても生じる。やり手の情報屋と元自警団の2人組が活躍する話が見たくなる。
1話でマイティが咲かせた花が境内で増えて終わるラストカットには、再見しても鳥肌が立ってしまった。人の死によってすべてが虚空に帰すのではなく、人知れずに残され、萌芽するものもある。その可能性を端的に示した一枚絵で、素晴らしい締めくくり。
物語を通してやってきた全てがこの最終回に繋がり、それはシロボンがここまで到達できた感慨深い情感とカタルシスがあるようで、そのすぐ側にはには失われた者と果たされなかったことの苦みがある。52話もかけてようやく最後にシロボンはマイティの死を乗り越えることができたというのも、裏を返せばその間ずっと喪失感が潜み続けるアニメだった。26話でシャウトが口にしていたお母さんのお墓参りに、エピローグでやっと行けるようになったというのも、人の死はそんな一朝一夕で解決して、すっきりするような困難でないことを示している。このように、『ボンバーマンジェッターズ』は、子どもに向けて作ったアニメでありながら、帰って来ると信じていた存在が帰ってこない辛い世の理を逃げずに描き、主人公と共にその過程で思い悩み、それでいて深刻になりすぎず良質なユーモアや冒険の数々に心を弾ませ、その辛さを切り抜けるヒントを持ち帰ることのできる作品だった。ここまで感想を書いて振り返って改めて、かけがえのない遊び心と真剣なメッセージに満ち溢れたTVアニメをリアルタイムに見ることが出来たことが喜ばしく、今見返しても朽ちることのない様に驚かされた。全52話分書いてきた感想もこれにておしまい。
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