これはキルモンガーの物語である『ブラックパンサー』レビュー【ネタバレ】

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アイキャッチ画像: (C)Marvel Studios 2017

こんにちは、ワタリ(@wataridley)です。

今回レビューする「ブラックパンサー」はマーベル・シネマティック・ユニバース(以下、MCU)のひとつです。この作品の直後に「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」が公開されるというスケジュールとなっており、シリーズのファンから大きく注目されています。

メインキャストが軒並み黒人俳優であるという点でも特筆すべき作品であり、「ワンダーウーマン」にも見られる昨今のダイバーシティ観を少なからず意識してもいると思われます。

超人的なスーパーヒーローは既に出尽くしている中で、「ブラックパンサー」独自の魅力は、上記の人種的な特徴や、主人公ティ・チャラがヒーローと国王を兼任しているという境遇、そして現実社会へ投げかけられている政治的メッセージの3つだと言えるでしょう。

本記事では、その3つを中心にレビュー・考察していきます。

ネタバレを交えていますのでご注意ください。


73/100

ワタリ
一言あらすじ「国境を重んじる国王が、国境に苦しまされた人間と衝突する」

「ブラックパンサー」よりも「ティ・チャラ」の物語


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(C)Marvel Studios 2017「ブラックパンサー」予告編より

まず述べておきたいのは、本作のヒーロー映画としての面白さはいたって平均的ということ。

ヒーローが特殊能力を駆使し類まれなる身体能力で敵を倒して活躍するという展開は、古今東西のエンターテインメントで出し尽くされています。特にマーベルの映画では、派手な赤と青のスーツを纏い蜘蛛の糸でマンハッタンを飛び回るスパイダーマンや、自身が開発したパワードスーツを着てリアリティのある強さを発揮するアイアンマン、身長を自由に伸縮させられるアントマンといった個性豊かなヒーローが沢山出てきているわけです。

ブラックパンサーの特性は身のこなしの軽さと防弾スーツ、それと本作で付与された運動エネルギーを利用した攻撃方法程度。はっきり言ってしまうとヒーローとしては地味。攻撃手段も仕込んだ鉤爪で切りつけるとか、パンチだとかが基本なので、他のアメコミヒーローとの差別化要素に乏しいと言わざるを得ません。

黒一色のスーツに豹を模したマスクという出で立ちは格好いいですが、バトル・アクション面での楽しさは、本ブログで以前にレビューした「スパイダーマン:ホームカミング」に比べても劣るという印象を受けました。あちらにはウェブシューターを用いたワイヤーアクションや最新機能がふんだんに備えられたスーツがあり、学生故にフットワークが軽いピーターが様々なシチュエーションに身を投じていく画が面白かったのです。

公開前に予告映像を見てからスタイリッシュなアクションに期待していたのですが、求めていた量より少なく、意外と既視感のある映像ばかりでした。車上に張り付きながらカーチェイスするシーンでは、飛び回るブラックパンサーをスローで執拗に追うカメラワークや夜の繁華街をバックに映える姿に魅了されましたが、自分が想像していたブラックパンサー色の強いアクションはそのぐらいだった気がします。

終盤に発生する勢力間の戦争にしても、スターウォーズやロードオブザリングでもあったような画でした。直前に観た「バーフバリ 王の凱旋」の戦争描写が凄まじかったため、それに比べるとパワー不足を余計に感じます。

ラストバトルにしても同じ能力を持ったヴィランと1対1というシンプル極まりないシチュエーションで戦闘そのものに面白さは見いだせなかったです。

上映時間は2時間15分と、平均的なマーベル映画の尺ではあります。しかし、会話シーンが思いの外多いため実際よりも長く感じてしまうというのも難点。

要するに、アクションやスペクタクルだけで高評価を与えられるような作品ではないというわけです。

考えてみるとデッドプールもそんな作品でしたよね。再生能力と高い身体能力というヒーローとしては地味な特性で、飛びぬけて新鮮味のあるアクションというわけでもありませんでした。ヴィランのフランシスもただマッチョな男という印象で、最後はただの殴り合い。ブラックパンサーにしても、デッドプールにしても、着目すべき点はアクション以外にあります

ワカンダ国での独特な文化風習や民族衣装が次々と披露されていくところでは、見た目の面白さはありました。このシーンでは民族楽器を用いたと思われるBGMがかかり、出てくる人たちのファッションも目を引くものばかり。スキンヘッドの女性兵士オコエを筆頭に、5つの民族の化粧や佇まいは、スターウォーズに出てくる架空の種族を見ているような気分になりました。

またティチャラの妹シュリが開発したらしい遠隔で乗り物を操作できるデバイスや、細かな所でも出てくるホログラム映像の通話機、先進的な医療器具といったオーバーテクノロジー描写も見どころのひとつになっていると思いました。

手始めにブラックパンサーの地味さとアガるアクションの少なさをウィークポイントとして挙げたものの、大ヒットシリーズであるMCUの一作品ということだけあって、映像のクオリティ自体は文句のつけようはないです。ワカンダの造形やディテールにも、流石映画大国アメリカと感心するほどの資本が投じられているように見受けられました。なので、総括するとアメコミ映画としてはそこそこだと思っています。

自分は、この映画の強みはヒーローとしてのブラックパンサーではなく、国王としてのティ・チャラにあるのだと考えました。

冒頭述べた通り、この映画の独自性はワカンダが黒人国家であること、ティ・チャラが国王であること、そしてそれらから紡ぎ出される政治的な問題提起です。ヒーローとしての顔はこの映画ではあくまで観客の興味を引くためのインセンティヴに過ぎず、物語の力点はあくまで国王としてワカンダをどうしていくのか?という部分にあるのです

 

ティ・チャラが人類のリーダーになるまで

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(C)Marvel Studios 2017「ブラックパンサー」予告編より

父王ティ・チャカの死去に伴い、即位することとなったティ・チャラ。彼は父親を愛し、尊敬していました。そのため、父の魂と再会した時には自身に王が務まるのかという不安を口にしていました。父に諭され、国を守る決意を固めます。

挑戦の儀式を終え国王として認められたティ・チャラの最初の任は、武器商人のクロウからヴィヴラニウムを取り戻し、国の秘密を隠し通すこと。

結果として、クロウを取り逃がしてしまいました。ティチャラはウカビからの期待を裏切り、彼は後にキルモンガーの王位奪取に加担します。ティ・チャラと牧場で語り合う中で、彼はワカンダの科学技術と軍事力を過信して、他国への侵略に前向きな姿勢を示していました。自国の利益になれば、他国がどうなっても構わないという危ういナショナリズムを持っていたわけです。
クロウの死体を手土産にワカンダへとやってきたキルモンガーは王位を狙い、ティ・チャラと決闘。キルモンガーは、王位継承の正当な権利を持ち、正式な手続きに則って王に就きます。キルモンガーを決闘へ暗に手引きしたのは、ティ・チャラに不満を持つウカビでした。
王位についたキルモンガーが行ったのはヴィヴラニウムの武器を国外に送り、他国で虐げられている同胞=人類の仲間に力を与えることでした。ワカンダが独占していたテクノロジーや資源を世界に送り出す分かち合いの精神と、国境を越えて人類を同胞とみなす彼の思想は、過激ながらも人道的な配慮が見えるというのが面白い。

キルモンガーのこの行いはボーダレス化(グローバリゼーション)を促進しようとする現代的発想を反映しているようでもあり、戦争の火種を産もうとしている危険な行いでもあります。一見他国の弱者を支援する向きに見えながらも、キルモンガーを支持するウカビのような自国第一的な思想を助長する側面を持っていたのです。良心的にも思える国境を超えた支援は、もしかしたら利己のために利用されるかもしれないし、相手のことを滅ぼしかねないという二面性を書いていた点で、この作品における敵対者の考えは説得力と危険性を示せていたと思います。

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それに対してティ・チャラは、当初はワカンダの秘密を秘匿することを誓い、ヴィヴラニウムの盗品を取り戻す任務を遂行しました。その過程で、キルモンガーの王位継承の証を目にし、かつて父親が犯した罪を突きつけられます。国の秘密を漏洩しようとしたウンジョブを殺害し、キルモンガーを置き去りにしてしまったのです。国を守るために、罪のない子供を犠牲にした父の行いを知ったティ・チャラは、代々の行いを過ちだと叫びました。自分たちがやってきたことは自己保身のために、外界で起こる悲劇を見過ごしていた事に他なりません。自分たちさえ良ければそれでいいのか?という葛藤が、「自分はワカンダの王であって人類の王ではない」と口にしていた彼の考えを改めることになりました。

その2人が衝突し、行き着いた先は思想の融合でした。ティ・チャラは他国の問題を見過ごさず、自分たちの資源やテクノロジーを世界と分かち合う道を選択します。キルモンガーが行おうとしていた急進的な武力支援ではなく、あくまで平和的な形での支援です。しかし、「ワカンダの技術を隠し通す=他国には自分たちの資源を与えない」という自国第一の考え方から脱却したという部分で、キルモンガーの思想を理性的に取り入れたことになります

この物語は、ワカンダの王になったティ・チャラが人類のリード役になる決意を表明するまでの話だったのです。そして、それを導いたのがキルモンガーで、さらに言えば、ティ・カラに握りつぶされてしまったウンジョブの願いが受け継がれ成就したことを意味します。

利己の精神の表象であったワカンダが利他の精神に変わるまでを、アメコミのヒーロー映画で描いたという試みは極めて意義のあるものですし、現在の世界情勢を照らし合わせると、より深みを増すテーマであると感じました。

 

黒人国家ワカンダが意味するもの

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(C)Marvel Studios 2017「ブラックパンサー」予告編より

ワカンダは黒人国家です。黒人は歴史において、帝国主義や植民地主義の中で奴隷的な扱いを受けるなどをし、差別の対象にされてしまったことは誰もが知る人類の過ちです。

そのワカンダを「自国を優先させ、他国を軽んじる」というナショナリズムに溺れた暗所とした所にこの作品の巧みな意図があると思っています。ナショナリズムという言葉は前向きに捉えれば自分の生まれ育った場所を愛するという考え方ですが、ワカンダのように、これといった根拠もないのに処遇に差をつけるというのは差別に他ならないんですね。

作中の登場人物は白人が寧ろ少数で、シュリも「治療は今回で2人目(1人目はバッキー)」だと言っていました。白人は部外者なので、この国に入ることが基本的に許されていません。言ってしまえば黒人専用の国なのです。

この特定の人種の専用スペースってまんま昔のアメリカに重なってきます。映画「ドリーム」では有色人種専用のトイレが問題になっていました。

それは黒人が虐げられているという表現でしたが、主人公の1人キャサリンが入った部署は黒人が彼女1人だったため、事実上の白人専用部署です。しかも見る限り女性もほとんどいませんでした。会議に女性が出席することもよしとしない風潮は「ワンダーウーマン」においても描写されていましたね。

ワカンダは一応は「情報を漏洩させないため」という理由はあったわけですが、そもそもその理由自体が自国を守るためのものなわけで、他国の事を思いやる発想から出てきてはいません。

アフリカに位置する国なので、黒人がマジョリティになるのは必然的にせよ、ワカンダが孕んでいる自国優先的な決まりごとがこの徹底して黒人しかいない国として表れているのです

ティ・チャラが国連で所信表明した後は、恐らくはあの高度な医療技術だって惜しみなく他国の人のために使うでしょうし、情報漏洩なんか気にすることないので移民や観光客も受け入れるようになって景色も変わっていくのではないかと思います。

 

これはキルモンガーの物語でもある

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(C)Marvel Studios 2017「ブラックパンサー」予告編より

ブラックパンサーではなくティチャラの物語だ!といってしまっておきながら、それをひっくり返させてもらいます。

これは取りようによってはキルモンガーの物語と考えることもできるのです

冒頭のナレーションによるワカンダ王国の成り立ちを思い出してみてください。この映画は、事前情報を入れて観に行った人は誰しも「ははぁ、これは父親のティ・カラから息子のティ・チャラへの昔話の語り聞かせなんだな」となったと思います。少なくともキルモンガーと推測できる材料は序盤にはほとんど示されていなかったはずです。

話が進んでいくにつれて、真実が明らかになります。結局この冒頭のナレーションは、ウンジョブがキルモンガーに故郷の歴史を説明していたのですそして、それを話す父親は、ワカンダのことを嫌悪して見てはおらず、郷土愛を持ち合わせていたことがわかります。キルモンガーもまた、特殊な故郷の話を聞き、父親の語る美しく立派な国への憧憬を抱いたのではないでしょうか。冒頭に「昔話を聞かせて」と言った後に父親が「which one?(どの話?)」と述べていることからもワカンダは頻繁に彼らの会話の種になっていたようです。

不幸にもウンジョブは祖国を裏切り者とされてしまい、当時の国王に殺害されるという悲惨な死を遂げてしまいます。キルモンガーもまた、父親が愛していたはずの国の人間に殺され、1人孤独に生きていかねばならなくなりました。

彼は、国を憎みながらも、父親が焦がれていた国を憎み捨てることは出来ないという複雑な心境に立たされたのです。だから、ズリやティ・チャラを殺しただけでは彼の目的は終わらず、王位につくことで、父を死に追いやった利己的なワカンダ王国を終わらせ、父の望むよう世界中の同胞を救う国へと作ろうとしたのでしょう。

最終決戦の時には、美しきワカンダへの憧れを口にし、ティ・チャラに願いを叶えてもらいました。その時、彼は不自由に生き続けることよりも死を選択します。

自由に生きるか、さもなくば死か。アメリカ・ニューハンプシャーにあるこのモットーには、人の生き死は心臓の活動ではなく、自由にかかっているのだという考え方が表れています。キルモンガーは、自ら死を選ぶ事で、自分は自分のしたいように生きたという意思を示し、人生の幕を閉じたのでした。運命に弄されながらも、人類の同胞を救いたい、父親の願いを叶えたいという気持ちは彼の強い望みだったのです。

彼の死後、ティ・チャラは国連にて、世界との資源共有を表明しました。肉体が滅びても、彼の思想は生き続けることになり、世界を変える一助になるという見事な幕引きでした。

キルモンガーという男の生き様を描いた映画。振り返るとそう思えてきます。

 

まとめ

この映画は順当に見れば、アメリカのトランプ大統領が唱えている自国第一路線に対する批判的なメッセージを含んでいます。

ラストシーンが顕著で、「危機に際し、賢人は橋を架け、愚者は壁を造る」との台詞が飛び出しますが、明らかにトランプを愚者だと言っているのでしょう。

またこれはアメリカに限らない問題です。ヨーロッパなどでも難民を巡って受け入れの是非が議論に上がることがあります。起こるはずがないと思われていたBrexitが成立してしまった背景には難民に対する強い風当たりもあったようです。

アメリカで作られた映画であり、世界的な流れに警鐘を鳴らすべく込められた政治的なメッセージ。日本に住む我々もこの問題提起を無視するわけにはいきません。

日本は現在難民の受け入れに極めて消極的な姿勢です。少子高齢化でますます労働人口が低下する中で、外国人労働力の受け入れにしても前向きではないようです。日本はワカンダのように外国人に来られたから何が重大な損失が生じるのでしょうか?ガイジンという言葉で人を区別し疎むような言葉まで飛び出してしまう今の世の中。現に人口は減り、伴ってGDPも縮小していくことは避けられない。変化し続ける環境の中で、国境を意識して内側の人間を優先するなんてことをやっていたら寧ろそっちの方が損失を生むのは自明でしょう。

ブラックパンサーの訴える政治的なメッセージはアメリカから生じたのかもしれませんが、その具体的な事例にこだわらず、抽象的・普遍的なものとして見れば、もっと多くの世界や人間を見直すきっかけになるでしょう。

ヒーロー映画としてはずば抜けて優れている!というわけではなく、エンタメ性を追求するならば、もっと他に盛り上がれる映画はあります。しかし、ハリウッドのダイバーシティ促進に寄与するキャスティングやアメコミ映画らしからぬメッセージ性には大きな驚きがあったので、フォロワーが続々と現れることを願います

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