こんにちは、ワタリ(@watari_ww)です。
怪しげなカセットゲームに誘われるのは、4人の高校生。オタク系のナード男子、体育会系のジョックス男子、スマホ依存で自己顕示欲の強い女子、周囲に溶け込もうとしない孤立気味な女子など、一通りのティーンエイジャーの類型が揃えられています。
ジュマンジ世界で異なる肉体・技能を与えられた彼らが、当初はあたふためいていながらも、後々団結していく過程はベタながらも一定の面白さはあります。
スペンサーは、現実ではガタイのいいラグビー部員フリッジの言いなりで宿題をさせられるし、気になる子へのアプローチには踏み切れないという典型的なナード。しかし、ゲームに関しては4人の中で最も知識を備えていて、ドウェイン・ジョンソンの肉体を用いて格ゲーの要領で敵を倒していく活躍も見せます。
©2017 Sony Pictures Digital Productions Inc. All rights reserved
彼ら4人と、20年前に迷い込んだまま現実に帰れなくなっているアレックスを除き、ジュマンジにいる人々はみなNPC(ノンプレイヤーキャラクター)であり、決められた行動パターンに台詞しか喋らないという”定番”の描写もあり、ニヤリとさせられました。HUNTER×HUNTERのGI編に出てくるマサドラのスペルカード屋店主や、アニメ遊戯王のデュエルクエスト編で「コケのカードが必要じゃ」と助言を繰り返すお爺さんが思い起こされます。
ジュマンジの世界観や設定を解説するキャラクター ナイジェルが語りだすと、唐突に“ムービーパート”に突入し、受け身に話を聞くシーンはゲーマーならば誰しも経験してきたことでしょう。ストーリーの導入部分が終わると、とっとと本筋に放り込まれるご都合な流れもありがちです。
次々とやってくる敵の攻勢や自然の驚異を持ち前のスキルで切り抜けていく状況下で課された“残機”もゲームではおなじみの概念です。残りの命の数は、腕に3つの黒い印で表示され、これが全て消えるとゲームオーバー。ゲームに入り込んだ高校生にとってはこの残機は、自身の生命に関わるかもしれない深刻な要素になります。終盤になるに連れ徐々に残機を消費していく話運びには、わかっていてもハラハラさせられました。
死んでしまった後は上空から死亡地点にリスポーンすることなるという法則を活かした終盤の展開には感心しました。マーサの抜け目ない一面と、スペンサーと互いに信頼し合う関係性の双方があのシーンに表れてもいます。ダメージを食らって発生した(ハメ技防止のために設けられる)無敵時間を利用して反攻に転じたり、敢えて死ぬことでゲームの進行状態をリセットして窮地から脱したりするテクニックは実際のゲームにも存在します。割と役に立つテクニックであるものの、今までネタにされているのを見たことがなかったので、なるほどそう活用してきたか!と舌を巻きました。
このように、テレビゲームをプレイしたことのある人をアッと思わせるネタがそこかしこに散りばめていることがこの映画最大の特徴であり、見どころに感じました。
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セクシーな肉体美を備えたロック様ことドウェイン・ジョンソン、コミカルな存在感で場を盛り上げるジャック・ブラックとケヴィン・ハート、長身グラマラスな美女カレン・ギランなど、並び立つ姿を見るだけでお腹一杯にさせられる個性的なキャストも良かったです。
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外見はしっかりと大人。しかし、中身はそれぞれ未熟なティーンエイジャーであるというギャップが作品を雰囲気を独特にしています。
上述したように女性経験も度胸もないスペンサーが、ゲームでは筋骨隆々なボディに変わり、最も飛びぬけたステータスを手にしました。が、いくら雄々しいブレイブストーン博士になったところで、中身は冴えないナード男子のまま。髪の毛を確認しようと手を伸ばす仕草は恐々としていて、人と話すときもどこか自信なさげ。細やかな動作ひとつとっても「中身が男子高校生」というリアリティを忍ばせられているのが凄いと思いました。
特にキスが致命的に下手くそなのは、笑ってしまいましたね。舌の使い方が衝撃的でした。
現実世界でスペンサーを使い走りにしていたフリッジは、ゲームにおいてはサポートキャラクターになってしまい、立場が逆転してしまいます。与えられたスキルは基本的に目立ったものがなく、当初はスペンサーの荷物持ち係に回されることに不満を滲ませていました。しかし、冒険が進むにつれ補佐的な役割に喜びを見出したり、終盤ではラグビーの作戦を立ててスペンサーを支え、成長を見せます。宿題をスペンサーにやらせて親の顔色を窺ってた彼にとっては、他者は利用するもの。思春期において体が大きく、強気な性格であるというのは、自分が第一と錯覚する格好の要因です。主従関係においては主、上下でいえば上という意識が当たり前であった彼が、初めてチーム(=自分ではない他人)の役に立ち、蛇の牙を抜いたことを自慢し続けるのは微笑ましいものでした。
自分が大好きで、他人にどう見られているのかを執拗に気にしていたベサニーは、ジュマンジでは豊満ボディの中年オヤジのアバターに憑依。予告の時点で流れはわかっていたものの、やはり実際に映画を追っていくと思わず笑ってしまいましたね。ジャック・ブラックの女性的な口調や、柔らかな仕草を見ていると、どういうわけか本当に女性なんじゃないかと変な錯覚を起こしました。見た目ではカレン・ギランの方が美女のはずなのに、2人が並ぶと自信ありげな言動のジャック・ブラックのほうがイケているように映るのには妙な倒錯感を覚え、たいへん貴重な経験でした。
本作はゲームあるあるネタと個性的なキャストの存在感は、それなりに面白かったのですが、どうしても突き抜けた面白さというものが感じられなかったです。
例えば、キャスト4人が超個性派揃いになっている一方、どれも表面的な個性を拾っただけの出オチで終わってしまっています。多様だったり、工夫のあるギャグに繋がっていないのが気になりました。オタク男子高生がドウェイン・ジョンソンというギャップは序盤の時点で飽きてしまい、中盤以降は前述のキスネタ以外に面白味が見出せませんでした。
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ジャック・ブラック、ケヴィン・ハート、カレン・ギランの方にしても、見た目は派手なのに、披露するコメディは比較的おとなしい言動や小ぶりなリアクションによるものが大半で、彼らの個性を持て余しているのではないかと思います。性別が変わってしまったベサニーが異なる体の部位に戸惑うギャグパートにしても、「君の名は。」のように、この手の性転換シチュエーションを描いた作品で散々見てきたものですので、新鮮味は薄いです。
ゲームあるあるネタにしても、言動が固定的なNPC、ゲームオーバー=死といったルールはもう語り尽くされていて、この作品の独自性にはなりえません。序盤で提示されたキャラクターごとの「特技」と「弱点」も伏線のはり方としてはバレバレで、後々の展開が確認作業になってしまったように思います。フリッジがケーキを食べて爆死するシーンは、どういうロジックでケーキがダメなのかわからず、置いてけぼりを喰らってしまった部分もあります。マーサの「毒」にしても、「蛇にかまれたら誰だって死ぬだろう」と思ってしまい、張られた伏線とその回収の仕方が無理やりなものに映ってしまいました。
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今作では4人の高校生が成長していくドラマが軸になっています。いわばジュマンジはそれを果たすための舞台装置というわけであり、アバターの4人に乗り移る設定も成長を促すツールでしかないというわけですね。
ただ、人間ドラマがきちんと描かれているのかと言われると、どうも怪しい。
いじめっ子のフリッジは他人のサポート役に回ることで自己中心的な性格を改め、何よりも可愛い自分が大事だったベサニーは中年男性になって望まぬ容姿になっても最後は他人の命を救うまでに至り、マーサはチームのためにやりたくないこともやるという協調性を獲得するようになりました。スペンサーは一歩踏み出せる勇気を得る、という所がこの作品の着地点でした。
これらの変化だけ掬い取ってみると、いかにもティーンの成長劇として過不足ないように思えますが、作中では決定的な衝突や葛藤が特にないように見受けられました。4人が元は他人だったとは思えないほどあっさり協力関係を築いてしまうスピード感は、サクサクゲームをクリアしていく感覚に近いながらも、映画として人間の内面を深堀するには不適切だと感じました。
例えば、本作では立場の強いジョックスのフリッジとそれに従うしかないナードのスペンサーがゲームの中では肉体的なパワー関係が逆転し、それがきっかけで険悪な雰囲気に陥る場面がありました。喧嘩の最中にスペンサーは貴重なライフを減らされてしまいます。ここで、いったんはやり返そうとするものの、結局は踏みとどまりました。異常な状況に放り込まれて精神的に余裕もない中で、普段からこき使われていた人間に仕返しする絶好のチャンスが訪れたのだから、ちょっとはそうした欲をちらつけせてもいいのではないか?と思います。特にここでは、命の3分の1を相手のせいで失ったのです。やり返したって自然な流れだったでしょう。前半の出来事でしたが、この時点で既に分別を備えているような感じがして、若者の未熟さを感じれらなかったんですよね。
かと思えば、スペンサーがフリッジを犠牲にして、サイの大群から宝石を取り返した後には、笑いごとで済ませてしまうパートもあったりして、脚本の都合を感じてしまいます。この時点ではフリッジはスペンサーのせいで命の半分を失い、後がない状況に陥ったのですが、小言をひとつ投げるだけで終わっったのはどうにも解せませんでした。
正反対の性格をもったベサニーとマーサも、少し会話を交わした程度で理解を示してしまったように思います。
それこそジュマンジ世界の困難を経る中で、納得のいく形で彼らの成長や団結を育めていたら、終盤のカタルシスもいっそう大きなものになったことでしょう。キャラクターの内面が単純だったのはとても惜しい点です。
宣伝から目にしていた4人の高校生に加えて、中盤では20年前にゲームに迷い込んでしまったアレックスが登場しました。
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浜辺に埋まっていたジュマンジを彼の父が発見し、アレックスの手に渡ったジュマンジがゲームに成り変わり、不思議な光を放つ…というシーンがこの映画の始まりであり、観客としても期待せざるをえない要素でした。
しかし、見終わってみると釈然としない話だったことに気づきます。
アレックスが囚われていた20年という期間がまるで意味のないものだったからです。
ゲームでは先輩プレイヤーとして高校生たちを引っ張り、ゲームクリアへの推進力になりました。ヘリコプター飛行技術やトライアンドエラーして得た敵の配置を教える頼もしい仲間でした。
途中、彼の口から出た女優の名前から、高校生たちがジェネレーションギャップを感じ取り、20年間閉じ込められていたという事実にやっと気づくことになりました。その事実にショックを受けたアレックスは、ただでさえ抱えていた恐怖心を格納庫で肥大化させてしまい、ピンチに陥るというのが、このシークエンスにおけるサスペンス要素だと思います。
しかし、ヘリコプターで逃走に成功した後に、いとも簡単に悩みが無くなったのはあまりに急速な展開でした。20年という時間の経過がもたらすものは、一時のショックに留まらず、今帰って意味があるのか?という現実世界への疑念や、或いは世界の変化に対する極端な関心だって生じるものではないでしょうか。ライフがひとつしかなく、帰ったところで元通りの生活を手に入れられるかもわからないというのならもっと多大な動揺を起こしても不思議ではないし、それによってチームと衝突したって自然なことです。アレックスの一連のエピソードは、格納庫でもたつくためのものでしかなく、それを乗り越えた後は、内面が描かれることもなくクリアに至ったため、自分としては納得がいきませんでした。
ゲームをクリアした後は、プレイを始めた時間に戻っていきましたが、これもご都合主義に感じてしまい、この作品の浅薄なストーリー性に寄与してしまったような気もします。アレックスそのものをカットして、他のストーリーに時間をかけた方が、全体を深化できたのではないでしょうか。
宣伝ではやたらとインパクトのあるワードと勢いのあるナレーションをつけていたので、てっきりはっちゃけた作品かと思いきや、実際にはありがちな話に終始してしまったかな、というのが総評です。
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もちろん映画大国アメリカの資本力がバックについていることもあって、映像のクオリティは一定水準を超えていますし、キャストも賑やか。大きな破綻や矛盾、非倫理的な描写があるわけでもなく、とても教科書的な成長劇が含まれていて、一回見る分にはいいかもしれないとは思います。
ケチをつけたくなってしまうのはやはり全体から感じる工夫の無さでしょうか。20年も外界から追放された青年、他人に成り変わることで生じる精神的な変化、全く立場も年代も異なる人物を演じるキャストなど、踏み込めばもっと面白く化けそうな要素はあるのに、作り手が王道な部分に留めて、すごく凡庸な映画に終わってしまったように感じました。
映画館でなくとも、そのうち金曜ロードショーなど地上波で放送される機会はあるでしょう。その時、友人と一緒に気軽に見る分に最適な映画だと思います。家族や恋人との視聴は、気まずくなる下ネタがあったりするので、気が進まないところはあります。
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