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こんにちは、3連休の2日目をほとんど寝て過ごして実質2連休にしてしまったワタリ(@wataridley)です。
今回はタイで製作されたスリラー映画『バッド・ジーニアス 危険な天才たち(原題: ฉลาดเกมส์โกง 英題: Bad Genius)』の感想です。監督はナタウット・プーンピリヤ。
鑑賞した後のTwitterにおける感想はこちら。
『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』鑑了。巧妙なトリックや仕掛けで監視の目をすり抜けていく高校生に迫り、カンニングに伴うスリルを観客も味わうことのできる一作。身近なシチュエーションの中でなされる犯行描写は、『DEATH NOTE』の特に序盤が好きな自分にはたまらない。
— ワタリdley (@wataridley) 2019年1月13日
以降、ネタバレを交えて感想を語っていきますので、未見の方はご注意ください。
77/100
身近だから想像できる
カンニングという身近で軽微なはずの犯罪行為でここまで見せ切った映画は、少なくとも自分の映画鑑賞歴の中では、他にない。
『バッドジーニアス』における犯罪行為とは、クライムムービーのそれとは異なって、遥かに観る側への距離が近い。銀行強盗やハッキングといった犯罪を描く際に係ってくるその手のプロフェッショナルな技術、ターゲットのセキュリティはこちらの想像力のキャパシティを超えている部分があった。何やら機械に詳しそうな人が沢山のモニターを目配せしながら、沢山のキーボードを叩いている映像を見るたびに、何をやっているのか気になって仕方がなかった。
昨年観た映画『search/サーチ』では観客が普段用いているスマートフォン、PCの画面を舞台に捜索が行われる特質が、観客にとっての想像の手助けとなっていた。Facebookを辿って人間関係を把握していく様子は、警察官が行う対人関係の調査よりもはるかにわかりやすい。
それと同じ理屈が『バッドジーニアス』にもあてはまる。
カンニングの経験があるにしろないにしろ、試験中の状況は教育課程を経た者なら容易く理解できる。前方の試験監督官からの監視の目、私語や合図が許されない情報的制約、指定された物しか持ち込めない物理的制約。観客にその特徴が共有された舞台装置の上でだからこそ、登場人物たちは狡猾な手口でそれをすり抜けていく様に感心してしまうのだ。
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たかがカンニングにそこまでやるか
劇中で行われるカンニングの手法は、「自分が試験監督だったとしても気づけない」と思うほどに巧妙だ。
主人公の少女リンがかつて弾いていたピアノから着想を経て試験中の合図を編み出すシーンからして、こちらの意表をついてくる。静寂が強いられた空間で、席が離れている相手に、確かな正答を与えるなどという困難の解決手段が、ピアノ。そんなことはこちらも考えがつかない。
しかし、実際これは理にかなっている。自分がそれを目に留めたとしても、頭を抱えた生徒の些細な仕草としか思えないだろう。何より物証が一切残ることがない。文字通りの完全犯罪である。
合図を教えあう生徒の間では、ピアノのレッスンを偽装し、収入源さえ誤魔化す抜かりの無さには思わず膝を打った。ここまで周到にカンニングをやってのけようとする彼らの姿は、さながら漫画『DEATH NOTE』の夜神月のようだ。隠しているものが殺人ノートとはいえ、部屋に人を立ち入ったかどうかをチェックする、グラビア雑誌というブラフで監視の目を欺くといった『DEATH NOTE』初期の駆け引きが好みである自分の心は鷲掴みにされていた。
後半になると、パットのバックアップもあって大量の財や人手が投じられ、手口は高校生には不釣り合いなほど高度化する。鉛筆の印字をカムフラージュにカンニングのサインを印字し、時差故の限られた時間内の中でそれらを共犯者たちにばらまいていく光景には、一大プロジェクトを目にしているかのようなダイナミズムがあった。
これらの犯行描写を俯瞰してみると、くだらないことにここまで知恵を絞っている矮小さが際立つ。しかし、今作のキャストたちの真剣な表情を見ていると、決して軽々しく捉えられなくなる。額に汗をし、不安で顔を歪めるといった感情の発露は、クローズアップで捉えられ、我々にその深刻さを訴えかけてくる。
また今作で印象的な映像表現のひとつに、シャープペンシルのノックや時計の針といったカットを多用することで焦りを煽る編集も見られたが、これにはまんまと不安を引き起こされた。
観客の安堵と不安のコントロールも実に巧みに行われている。初めてのカンニング、その後のピアノサインの成功を軽やかに描写し、ホールで行われる犯行もそれまでの手口でスムーズに進む。そう思わせたところで、バンクという敵性要員を投じ、更には複数パターンの問題というどんでん返しを用意する。この切り返し方は、カンニングの爽快感を植え付けた上でこそ成立するものである。更にはバンクの勤勉実直さを物語るエピソードにもなっているため、その点も唸らされる。
このホールでの試験は連帯感を覚えさせるチームプレイもお披露目されており、段階的に犯罪が高度化している点も含めて、見せ方が上手いと感じた。
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首尾一貫して右肩上がり
リン達が直面していくハードルが後半に進むにつれて段階的にインフレーションしていくのも、少年漫画的な面白さに近い。最初は親友を助けるべく答えを書いた文房具を渡す、もしかしたら身に覚えのある人もいそうな簡単な手口を描き、その後は学年単位で行われるより厳正な試験へと移る。試験問題が複数あるというハプニングや、真面目な生徒による密告といったハードルがこのカンニングをよりハードに仕上げており、迫り来る時間に焦るリンと共犯者達の様子に、こちらも手に汗握る。
最後、舞台が世界的な学力検定STICに移ると、呼応してリン達の計画や設備も大掛かりなものになっていく。時差につけ込んだカンニング行為は、より多くの共犯者を巻き込み、報奨金も上がることで、かつてないほどに緊迫感もエスカレートする。
相変わらず現実的に出来そうな範囲内に収まったカンニングではあるものの、リンとバンクの驚異的な記憶力に頼った情報伝達や体調不良を装う迫真の演技はもはや常軌を逸しており、カンニングという言葉から連想され得ないほどにタフな犯罪行為である。身体検査を掻い潜り、追っ手の目を逃れて脱出を図るシーンは、『オーシャンズ11』以上の重大犯罪を犯しているとしか思えない緊迫感に満ちている。
インフレーションしていく難易度のおかげで、どのように切り抜けていくのかという興味が増長していく。それでいて『DEATH NOTE』とは異なり、こちらは最後まであくまで身近なカンニングに徹してくれている。今作に対する自分の満足度を高めた要因は、この首尾一貫した題材と右肩上がりになっていく緊迫感にほかならない。
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難役をやり遂げたキャスト
今作は高校生を主役にしている都合上、顔ぶれもフレッシュである。その若々しいルックスとは打って変わって、劇中で見せる表情には既に熟達した色が宿っていたことに驚かされる。
今作のMVPは間違いなく主人公のリンを演じたチュティモン・ジョンジャルーンスックジンだ。彼女は数学に長け、高校生にして家庭の経済的事情を顧みるくらいに大人びているリンの思慮深い面を表す一方で、今度は逆にカンニングという規範から外れた行いに金銭目的で加担してしまう未熟さをも感じさせる。彼女が見せてくれるカンニング中の緊迫感溢れる表情に、瞬きをするのすら忘れてしまうことさえあった。すっきりとしたシャープな顔立ちは、グレース役のイッサヤー・ホースワンの王道なキュートネスとは異なった、知性とあどさなさの中間的な魅力を放っている。
彼女らに加えて、パット役のティーラドン・スパパンピンヨーの醸し出す軽薄な雰囲気、バンクを演じたチャーノン・サンティナトーンクンの真面目な人柄が徐々に危なっかしいものへ転じていく様子なども、インパクトを残していた。
自分はタイ映画には明るくないものの、彼らの中から次なるスターが生まれることを期待したい。
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エンタメに振りすぎている故の軽さ
今作は実在の事件をモチーフに製作されたらしい。しかし、見終わってみると、そうした具体的な事件を基にしてこそ語れるような社会的なテーマやメッセージがそれほど響いてはこなかった。
今作は良くも悪くも観客が楽しめるような設計になっており、カンニングをしてまで成績をもぎ取らねばならない重々しい学歴社会やバンクに象徴されるようなタイの経済的格差といった背景はそれほど密に描かれているようには映らない。
力点を置いているのは「カンニング」であり、社会問題はそれに繋ぐための動機として済まされている。それは前述してきたようなキャストのダイナミックな演技、細かな編集や用いられるトリックといった作劇上の創意工夫がカンニングの場面に偏っていることから見ても自明のことである。
カンニングを果実とした結果、リンと父親の親娘の物語やバンクの経済的な困難、そしてリン達高校生がアンモラルな行いから足を洗う過程は、非常に軽く済まされてしまっており、やや軸足が弱いように感じた。
今作はエンターテインメントとしては一級品であることは疑いようがない。だからこそ、カンニングという不正を通じて公正さを浮き彫りにするだとか、社会の苛烈な学歴偏重主義へのアイロニーを印象付けるような意義深さをどうしても欲してしまうものだ。
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まとめ: 映画はどんなことでも面白くできる
題材であるカンニングは、学校や試験において行われる不正行為ではあるが、重大なイメージを伴わない。それ故にどうしても映画という大掛かりなイベントに取り上げられることは少なかったのではないかと思う。
だがそんな些末なことさえ真剣に取り組み、大それたことのように見せかけることができる。それが映画の持つ「凄み」なのだと『バッドジーニアス』で改めて思い知った。
同じアジアの国から台頭してきている才気あふれる若きスターと創造的なフィルムメーカーを称揚し、ここで筆を置くことにする。