ワタリドリの手帖

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おはようございます、ワタリ(@watari_ww)です。
今回の感想は「勝手にふるえてろ」。
昨年の年の瀬に公開されてから、気になっていた映画。
個人的に注目している松岡茉優の主演映画であり、
妄想と現実の間で揺れる彼女を見てみたく、観賞。

↓スクリーンで松岡茉優を目にしたのは桐島が初めてでした。


ネタバレ抜きに語るのは難しいので、ネタバレ全開のレビュー
になります。

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70/100

一言あらすじ「24年間彼氏なしの女性が妄想と現実のギャップを埋めようと試みるが…」



何も吐き出せないクソヘタレ ヨシカ

ヨシカは、ある会社の経理部で働く女性。
同じ部署に親友がひとり。
ウィキペディアで絶滅危惧種のページを読み漁る変わった趣味を持っている。
彼氏いない歴イコール年齢であり、日々かつての片想いを夢想し、それに浸る。

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(C)2017映画「勝手にふるえてろ」製作委員会

飛び抜けた美人というわけでも、特殊な特技を持っているというわけでもない彼女。
そんなどこにでもいそうなヨシカの特徴を端的に語っている台詞は
冒頭彼女が口にする「何も吐き出せないクソヘタレ」でしょう。

会社での彼女は電卓機をせわしなく叩き続け、機械的。
自己表現からは程遠い生き方をしています。
デリカシー欠けた会話を繰り広げられた際には、
業務外にクルミに愚痴をこぼすのみ。
鉛筆を許可なしに使われたこと、折られたことの不平は相手には直接は伝えません。

唯一本音を語り合えるクルミとは昼休憩に恋について語らい、
ここでかつて恋い焦がれた一宮を10年以上想い続けていることを物珍らしがられますが、
当然この一方通行な思いは現実的な行動を伴ってはいません

そのクルミ相手にさえ自分の絶滅危惧種好きの趣味を明け透けには語らず、
自分だけの領域を持って過ごしています。

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(C)2017映画「勝手にふるえてろ」製作委員会

ヨシカは釣り人、コンビニ店員、バスの隣席、マッサージ師など
道すがらに同席するさまざまな人たちに自分の考えを表明する中で
SNSで自分語りをする行為に対する胡散臭さを打ち明けており、
どうにも彼女は自分の世界を作り上げ、それを世間の大多数に属させないことで
満足している気質があるようです

飲み会のノリについていけない様子や
一(いち)に宛てたアドバイスが教師に向けられたものだと誤解された際の否定は、
俗世への不信、決して侵されたくない自分の領域を表しているのでしょう。
フレディマーキュリー似の上司をフレディ、仕事のできる高杉くんを出木杉くん、
オカリナ吹きの女性をオカリナと名付けて呼ぶ癖もまた当てはまると思います。

こうした「世間に染まらない」自分によって優越感を演出する性格は
彼女の初恋相手一(いち)との距離の取り方にも表れています。
一(いち)はクラスのみんなにイジられ、しばしば注目の的になる存在でした。
彼に直接干渉することは、すなわち大多数に染まることを意味します。
だからヨシカは彼にアプローチしませんし、自分から話しかけもしない。
直視するのではなく視野の端に捉える視野見(しやみ)で満足し、
自分を特別な位置に置きました。

この自己世界完結型な生き方は、
自分はハッキリ言ってしまえば、とても痛々しいものです。
自分の殻に閉じこもりさえすれば、批判してくる人間はもちろんいませんし、
それによって不快な想いをすることもありません
しかし、生きていく上で誰しも傷つくのは不可避。
苦しさを味わうからこそ、また楽しさもある。
そういう道理からは何人も逃れられません。
ヨシカの内向きな生き方は失うものがない代わりに、
何も得ることはできないのです

ひょんなことから参加した会社の飲み会でとある男性からアプローチを受けたことから
そんな日常が変奏し始めます。



やっぱり一が好き

そんな彼女に与えられた変化のきっかけである、二(に)からの好意。
彼との関係がこの映画における物語の始まりであり、着地点にもなっています

彼は飲み会にてヨシカにアプローチをしますが、
全く物慣れてなく、ぎこちない。
ヨシカもそんな彼にあまり気が進まず、
半ば無理やり登録させられたラインの名前欄も二(に)と変え、軽くあしらいます。
二(に)は彼女の中では一(いち)に浸る毎日に土足で踏み込んできた厄介者でしかないというわけです。

実際「仕事してます」アピールや、彼女の趣味に合わせようとしない我儘さ、
ライン交換して間もない内に行為まで持っていこうとする性急さは、
かなり鬱陶しいし、引いてしまいますよね。
演じた渡辺大知の底抜けなバカっぽさが無ければ、かなりキツイです。

彼はヨシカがかつて自分の部署にやってきた時、
胸についていた「赤い付箋」が記憶に残っていたと言っていました。
本人さえ覚えていない些細な出来事を特別に想い、胸にしまっている彼の真っ直ぐな告白が
ヨシカを一種の高揚状態に押し上げ、
また一(いち)へのアプローチの起爆剤としても働きます。

ストーブによる火災事故で一回死んだようなものだと覚悟を決めたヨシカに、
もはや恐れるものは何もない。
二(に)ではなく一(いち)を選び、 妄想の日々から脱却しようと試みます。

一(いち)こと一宮にアプローチするために、
SNSでかつての同級生に成り代わって同窓会を開催する中々強引な方法をとりますが、
ここでの彼女は現実で行動を起こしているだけ成長しているし
精神的にも充足感があったように見て取れます

覚悟を決めて火事のお詫びに回っている最中に
オカリナと名付けた女性の名前(結局オカリナ)を知ることが出来ましたし、
実際に一(いち)を同窓会に呼び込むことだって成功しました。
天ぷら皿のように、好きなものを取られる前に取ろうと動き、
会う約束だって取り付けられました。

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(C)2017映画「勝手にふるえてろ」製作委員会

皮肉なことに、無理やり写真をとって連絡先を聞き出し、
共通項を探って近づく手口は、二(に)がとっていたソレと同じです。
結局、我武者羅にでも、無理やりにでも、
格好悪くても行動を起こさないと何も先には進まない
ということなのだと思います。
それは、まさしくヨシカが精神的に閉じこもって一方的に嫌悪していた事でもありました。

しかし、現実はそううまくは進まないことだってあります。
念願の一(いち)との対面が叶い、語らい合う中で感じた違和感から
彼に問い詰めるとヨシカの名前を覚えていなかったのです。
ヨシカが抱いていた幻想とのギャップを思い知った時、
彼女は粘ることもせず、逃げ出してしまいました。

反省として書かされていた100回の戒めの中に違う文を紛れ込ませる悪戯も、
体育祭の閉会式に「俺を見て」と言われた思い出も、
ヨシカはすべて自分で解釈し作り上げて、舞い上がっていたに過ぎず、
相手からは関心を持たれてはいなかったのだと思い込んで失望してしまいます。

よくよく考えてみると、
相手の名前を覚えていないのは、ヨシカが変なあだ名をつけていた行為と何ら変わりがないし、
ヨシカがやっていた一(いち)へのアプローチも、二(に)から受けていた物と同じく強引なものです。
構造的には、ヨシカの他者に対する行いが跳ね返ってきているに過ぎないのです。

人は、生まれながらにして自分という主観を持ち、
死ぬまで主観ではない客観を経験することができません。
だから、自分が特別であり、世界とは自分と錯覚してしまうもの。
もちろん、これは誤りです。
自分という存在は生まれながらに特別ではないし、
世界にいる多数のうちの一人でしかありません。

アンモナイトの異常巻きのような殻を被ったまま、
他者に曝け出すことを要求したって、当然折り合いはつきません。
彼女のために皆が動いているわけではないのですから。

一(いち)の無関心が明らかになった時に投げ出してしまったのは、
ヨシカが自分から歩み寄ることを避けてきたからではないかと思います。
自分をその他総勢から切り離し、
殻にこもってしまう思考が、ここへきて挫折のきっかけになったのです。

序盤から自分語りをしていた道連れの人々たちも
彼女が空想上で作り上げた話し相手でしかなく、
彼女の話を聞いて、肯定までしてくれるというきわめて都合のいい存在です。

ヨシカはずっとこの調子で
自分の「他者への無関心」に無関心だったのに
他者は自分に興味を持っているだろうという前提に
何の疑問や葛藤をもつこともなかったのでしょう

これは一種の現代病のようであり、
SNSで我々が無自覚にしていることでもあります。
ヨシカはSNSを使っていませんでしたが、
彼女は空想上の人々に自分の経験や考えを肯定してもらっていたし、
金髪のウエイトレスに慰めてもらい、
髪を触らせてもらえるような擬似的な信頼関係だって築いていたのですから、
まさしくバーチャル上で繰り広げられているコミュニケーションを
可視化しているように思える
のです。



「1+1=一」から「保存するのは二」になるまで


そうして一(イチ)への幻想を棄て、
自分が抱いていた他者からの関心がはなから存在しないことに気づき、
ヨシカは自分を肯定してくれる二(に)の元へと飛び込みました。
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(C)2017映画「勝手にふるえてろ」製作委員会

二(に)と卓球をするシーンにおいては、
ヨシカが行ってこなかった相互のコミュニケーションが成立し、
お互いに笑顔になれていました。

動物園でも良い関係性を築けていたことから
関係は進展しかけていましたが、ここへきてまた暗雲が。
ヨシカの男性経験について二(に)が感知していたことに不快感を示した彼女は、
それを彼に伝えたクルミに対しても疑心を抱え始めます。

自分の恋愛経験というデリケートな情報が、
付き合い始める前の二(に)にも伝わっていたことへの不快、
会社にも広まっているのではないかという恐怖心、
自分のことを感知していない場でしゃべっていたクルミへの怒り、
すべてが彼女に襲い掛かり、不安定な精神へ追いやられてしまいました。

辞表を叩きつけた後に、
ヨシカがクルミに対して高杉が辞表を提出したことを知らせて
「知らなかったんだ」と吹っ掛ける様は、
彼女がされたことの仕返しの意味があったのでしょう。
個人の微妙な問題に口出しされたから、
自分もそうしたと言わんばかりの行動でした。

こういう捻くれた性分からも、ヨシカの自己中心な考えが見えますし、
他人は自分のためにならないと納得がいかない部分があるのだと思います。
これは、ヨシカだけではなく、誰もがかつて持っていた考えです。
みんな生まれて間もない頃は、親や周りの大人に尽くされて育ってきたのですから、
何をしなくても与えてもらえると錯覚してしまうのは仕方ありません。
現実世界を見ても、自己中心的な大人はあとを絶たないことを見ると
自己中心思考からの脱却は誰にでも通過儀礼的に出来るものではないのです。

ヨシカは自分が他人に興味を持ってもらえないと、やはり寂しい。
だから、妊娠を騙り弱いフリをし、周囲の心配を誘引しようとして
あのような行動に至ったのでしょう。
正直、痛いほどわかります。

しかし、結局は自分が未熟であったことを、
クルミから届いた心配とお祝いの電話で思い知らされてしまうという悲しさ。

最後に別れたときに当てつけの言葉を吐いたにもかかわらず、
騙されていることを知らずに母体を慮ってくれて、
状況が飲み込めなくとも謝罪までしてくれる親友に影響されて、
いよいよ自ら踏み出そうと二(に)へ電話をかけることに。

着信拒否を喰らってフ〇ックを叫ぶという何とも滑稽なオチがありましたが、
取引先を装ってまで呼び出すことに成功。
一(いち)を同窓会に連れ出す際も他人のフリをして電話をかけていましたが、
二(に)に対してもそれをやるようになったという心情の変化が見えましたね。

雨の中、罵詈雑言交し合った二人は、
お互いの感情を曝け出し合いました。
かなり滅茶苦茶で支離滅裂なヨシカを目にしても
ドアを開いて外に自分の彼女への想いを叫ぶ、純粋な二(に)を目にし、
とうとうヨシカは自ら歩み寄って抱きつき、タイトルの言葉を口にします。

ここが非常に感慨深いところでした。
今まで自分の主観の中で生き続けていた女性が、
現実と向き合おうとし、現実に失望し、
それでも尚相手の気持ちを知ることで、
いよいよ客体を愛そうとする意味をもったシーンなのです。

二(に)は最初に文房具を借りた時には
「1+1=一にしかならない」ヨシカにとって全く相手にならない存在でした

しかし、最終的にはクルミからの惜しみない友情の電話を受けることで
相手のことを考えることの大切さに気づくことができた。
「消去するのは一、保存するのは二」になったのです。
会社に迷惑をかけ、真っ赤な嘘までついた彼女への好意を叫ぶ姿が
ヨシカのあの台詞へと繋がります。

空想で語る相手を作り出し、
片思いを都合よく編集し、
視野見で満足し、
現実を直視しない独りよがりな自分自身への決別

それが「勝手にふるえてろ」という言葉なのではないでしょうか。

ヨシカの胸についていた赤い付箋が落ち、
雨に濡れたキリシマのシャツと交わり、染まっていく様は、
やっと通じ合った彼らの気持ちを示しているのだと思います。



まとめ


一言でまとめてしまえば、
この映画の魅力はヨシカという女性の痛々しさに共感し、
そして逆に振り回されるところにある
のだと思います。

割と閉鎖的で大人しい印象に終始しそうな
彼氏いない歴=年齢の女性、をフィーチャーした映画で
ここまで軽やかで独特なタッチを出せることに感心しました。

ヨシカのみならず、脇役に出てくる人たちもインパクト十分で、
変な見た目のコンビニ店員や隣人の片桐はいりのインパクトや
素で女性に不器用でバカっぽさを演出している渡辺大知の高い声など
記憶に残って仕方がありません。

最近観た邦画のなかでは、とても面白い方でしたし、
主演の松岡茉優のスクリーンに恥じない表現力も圧巻でした。

ケチをつけるとするなら、
とても狭いターゲット層に響くタイプの作風であり、
後半の登場人物の心情の変化にもついていけない部分があったことや
わかりやすくスッキリする映画でもないので
万人にオススメはしずらいという部分が挙げられます。
特に、一(いち)が去った後の二(に)はウザいキャラクターがやけに大人しくなったと感じましたし
親友のクルミも救済してあげてほしいな、というモヤモヤが個人的には大きいです。

一人の女性に焦点を定めた現代的なドラマとしては、
とても面白かったし、独創性もあったので
総合的には観て楽しめる作品でした。

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