強固なソフトパワーとしてのキムタク『マスカレード・ホテル』レビュー【ネタバレ】

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アイキャッチ画像: (C)2019 映画「マスカレード・ホテル」製作委員会 (C)東野圭吾/集英社

こんにちは、グミは冷蔵庫でカッチカチに固めてから食べるワタリ(@wataridley)です。

今回は東野圭吾の同名小説を”キムタク”こと木村拓哉主演で映画化した『マスカレード・ホテル』をレビューします。

東野圭吾のミステリーは、テレビ界においても支持を得ているようですね。今までにも『探偵ガリレオ』シリーズを福山雅治主演で映像化したドラマ『ガリレオ』やそれに続く映画『容疑者xの献身』『真夏の方程式』はどちらも高い視聴率と興行収入をあげています。

ガリレオと並ぶ代表キャラクターの加賀恭一郎を阿部寛が演じたドラマ『新参者』も人気を得、映画『麒麟の翼』が制作され、昨年に完結作『祈りの幕が下りる時』が公開されたのも記憶に新しいです。

今回の『マスカレード・ホテル』もシリーズ化されて既に全部で3作品が発表済みです。制作の元締めであるフジテレビからしたら、主演にキムタクを据え、豪華キャストで映像化することによって、ガリレオに続く新たなコンテンツを作り出そうとする思惑があるのでしょう。

観た直後のTwitter感想はこちら。

ネタバレしながらの感想になりますので、未見の方はご注意ください。


58/100

ワタリ
一言あらすじ「キムタクがホテルで連続殺人を解決」

キムタクが放つ強力無比なソフトパワー

『マスカレード・ホテル』のプロットそのものは、特段捻りがあるとは思えない。連続殺人犯、豪華なレジャー施設、潜入捜査等など、これらは魅力的なストーリーを作ろうと試みた時にパーツとしては安易に浮かび上がりそうなものばかりだ。

ここにキムタクというアイコンが据え置かれることにより、その「安易さ」はたちまち誰でも楽しめるという「保証」に様変わりする。

(C)2019 映画「マスカレード・ホテル」製作委員会 (C)東野圭吾/集英社

彼は日本に住む者なら誰でもその名を聞いたことがあるキャラクターだ。目に見えてわかる端正なルックスはもちろんのこと、人気アイドルグループのメンバーとしてのキャリア、人気楽曲のパフォーマー、バラエティタレントとしての顔など、キムタクの裾野はあまりに広い。

主演するドラマは『ロングバケーション』『ビューティフルライフ』『HERO』など軒並み高視聴率を飾り、『ハウルの動く城』『武士の一分』などその年の興行収入ランキングにおいても存在感を放つ。大衆娯楽においてキムタクはもはや人気コンテンツの言い換え表現とも言うことができ、故にテレビ業界の歴史を辿るうえで彼を差し引いて語ることは許されないであろう重要事項だ。

豪華キャスト総出演という『マスカレード・ホテル』のひとつの強みも、キムタクが主演という1行を前にすれば些細なことに思える。

実際、映画の中の木村拓哉の演技や立ち回りは、見ていて安定感があった。

“どこか浮世離れしているが鋭い観察眼を持つ”というベタベタなキャラクター設定の刑事であったとしても、キムタクがそれを担うことにより、面白いことをしでかしてくれそうな信頼のまなざしを向けたくなってしまう。伸びっぱなしの髪の毛や髭が整えられ、清潔感ある格好にさせられてしまうというワンシーンが楽しめるのも、自分が木村拓哉の姿を深層までインプットされているからだ。

演技面で言うならば、彼はそれほど役ごとに変化をつけるタイプには映らない。これはしばしば「何をやってもキムタク」と指摘される彼の特徴である。

だが、今作のキムタク鑑賞を楽しんだ自分から言わせると、そもそもキムタクに別人のように様変わりする演技は寧ろ彼の良さを殺しかねないとまで思える。

男性アイドル出身にしては意外と低く太めの声、若干色黒の顔色、二枚目の代表格を欲しいがままにする鋭い眉と眼差し、少し大き目の鼻筋。原則としてどの作品においても、これらのアイコンは徹底して保たれている。日本のマスメディアに普く外見的要素と合わせて、彼の一定に保たれたパフォーマンスが組み合わさることで安心感が生まれる。更には、我々はキムタクがキムタクであるままにあれやこれをする姿をコンテンツとして楽しんでいる節さえある。

『マスカレード・ホテル』においては、長澤まさみ演じる相棒の山岸尚美に当初は指導されながらも、やがては本物のホテルマンらしい装いと姿勢を得ていくという役柄だ。そして今作の見どころは明らかに慣れない環境に身を置く刑事にこそある。キムタクという広く認識されたアイコンが異世界に迷い込んで四苦八苦する姿は、もはやフィクションの枠組みを超えており、スクリーンに収まらないアミューズメントなのだ。

芸達者な役者というと、誰もがパラメーターとして演技力を持ち出す。それは一般的に、若人でありながら老人を、男性でありながら女性を、といった変貌のふり幅によって評価されることが多い。実際、俳優の世界では「何をやっても同じ」は喜ばしいニュアンスには取られないだろう。

しかし、キムタクはもうそうした役者の世界における常識をも浸食し、コンテンツの世界でわが身のパワーを行使する。キムタクが色んなことをやっている姿そのものを楽しむのだから、別人のように見えてはかえってマイナスに働きかねない。

『マスカレード・ホテル』のキムタクは紛れもなくキムタクであった。刑事でありながらホテルマンという摩擦の苦しみを彼が表現してくれるおかげで、新田浩介の職業体験は格段に取っつきやすくなる。その模様に視線を向けて興味を引き付けられれば、そこに豪華なキャストの投入や東野圭吾由来のどんでん返しもお披露目されていく。キムタクは、フィクションとノンフィクションの壁を曖昧にしながらもたしかに作品世界へ誘ってくれる。

観客という探検家にとって「何を観れば面白がれるのか」を指し示してくれる、うってつけの北極星なのだ。

(C)2019 映画「マスカレード・ホテル」製作委員会 (C)東野圭吾/集英社

 

ホテルに殺人犯を紛れ込ますだけで興味を引く

『マスカレード・ホテル』の原作者である東野圭吾は、やはり興味を誘発するストーリーを作るのが巧い。『容疑者xの献身』『新参者』などもそうだったが、あらすじだけで既に面白そうだと思わせる魅力的なプロットを用意してくる。

今回で言えば、「連続殺人犯がホテルの客に紛れているかもしれないから潜入捜査」という、退屈とはかけ離れていそうな筋書きだ。上述したキムタクを抜きにしても、この数々の客に日本映画が得意とする認知力あるタレントを当てはめ、真犯人という謎を引っ張りつつ、ホテルの日常や客人とのいざこざを描写すればそれだけで2時間を引っ張ることは容易だ。

自分自身、原作を未読の状態で鑑賞したこともあって、後半の展開は適度に予想を裏切られたり、想像すらしていなかったことが起きたりといった形で刺激を受けた。

連続殺人という前提そのものを覆す展開も一応の辻褄は合っている。一見人情風に完結した話に裏が合ったりというどんでん返しにも伏線は張られていた。致命的なしこりを残すことなく、ミステリーを解きほぐす快楽を得られる点は、東野圭吾の過去作にも通じる。(ただし、心底納得できるかどうかは別である。これについては後述。)

ペーパーウェイトを活用した人物・心理描写なども、ベタではあるが手堅い納得感をもたらしてくれていた。

山岸尚美の客人に完璧なもてなしがしたいという心理から、彼女は些細なズレも見逃さない。一方で、新田浩介は本物のホテルマン足り得ないため、当初は粗雑にペーパーウェイトを扱い、それを気にも留めない。

しかし、山岸尚美が初めて胸中を明かし、互いに打ち解けた時には、彼女に合わせてか新田はペーパーウェイトを丁寧に置き直す。この道具は、クライマックスにおいても山岸尚美が訪れた部屋を特定するために用いられており、心理的な表象としても犯人を追い詰めるロジックとしても機能していた。

このように、観客にわかりやすい道筋を示しつつ、その道筋が予想外の方向に行くという遊園地のライドアトラクションのような楽しさは得られることだろう。

殺人犯がホテルに紛れ込んだかもしれないという点から出発し、その真相が観客の興味を引き付けつつ、客人とのトラブルと警察側の捜査劇がひっきりなしに展開していく。そしてホテルと警察の危機意識の摩擦までもが終盤顕在化していく…といった具合に観客をもてなそうとする惹句はふんだんに盛り込まれており、暇を適度に潰してくれる。

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(C)2019 映画「マスカレード・ホテル」製作委員会 (C)東野圭吾/集英社

 

いくらなんでもリアリティがなさすぎる

と、ここまでは「キムタク」「東野圭吾」による饗応を評価してきたものの、今作には気がかりな点がいくつも見られたため、触れないわけにはいかない。

 

キャストの無駄遣い

ホテルコルテシアを訪れる客人は代わり代わりに出てきては、役目を負えると途端に姿を消していく。キムタクを怒鳴りつけるためだけに出てきた笹野高史や部屋のランクアップを言外に指示してきた濱田岳などは、もはや何のために出てきたのかわからない。

一応、その後に出てくる生瀬勝久演じる高圧的な客人の栗原の前振りとして笹野高史、濱田岳の客人の姿を描いたのかもしれないとは察せられるものの、あまりに彼ら単体の担う役目が少なすぎる。というか、ホテルスタッフにわがままを突きつけてくる観客を描く上でなら、それこそ新田浩介と因縁のあった栗畑だけが要れば事足りるので、不要とさえ言える。

序盤に新田の洞察力を印象付けるために出てきたような高嶋政宏の役どころも、必要性が薄い。更に言えば、あのシーンにおける新田の推察は憶測の域を出ておらず、あの客がホテルを強請ろうとしたという証拠はどこにもないため、洞察力の裏付けもまたない。新田をお膳立てするエピソードとしては、説得力に欠けている。

菜々緒が演じたあの女性にしても、いい話「風」に締めくくられているが、結局のところ山岸が犯した失態は変わらずであるし、そもそも本質的に事件とは何の関係もないエピソードである。前田敦子の花嫁も勝地涼と対面させるためのキャスティングであることと、そのシーンのミスリードが明け透けに見えて、意識が画面から遠のいてしまった。

新田が所属する捜査チームにも言えるが、登場人物は明確に役割を持っている者とそうでない者とに二分され、後者の人物の書き込みはあからさまに浅く、実在していると思わせるようなリアリティが欠けているように感じられる。

(C)2019 映画「マスカレード・ホテル」製作委員会 (C)東野圭吾/集英社

 

一面的な人物描写

新田のかつての相棒の能勢を筆頭に、今の相棒である山岸尚美など、一見個性的なキャラクターも今作の魅力のようだ。

しかし、どれも終わってみると印象に残らない。

その理由はしごく単純である。物語のために存在しているかのように役割がはっきりしており、人物描写は後付けのようだからだ。上述した豪華キャストの無駄遣いと重複するところはあるが、持たせられている役割に従順で全く当人の思惑や心情が伝わってこない。

例えば、山岸尚美はとにかく客人に対して文句ひとつ言わずに、完璧な接客サービスを提供しようとするやり手のホテルコンシェルジュである。「客ではなくお客様」「お気をつけていってらっしゃいませ」といった台詞が示すように、客想いの人物として描かれている。

しかし、いかんせん今作の客人が揃いも揃って非常識な人物ばかりであり、下手すると威力業務妨害に相当するような言動まで見せてくるのものだから、全く山岸に共感できないのである。どんな理不尽にも耐え、どんな苦しみを味わってでもお客様に喜んでもらうという発想がやけにラジカルで、滅私奉公的な労働価値観は少なくとも自分とは全くそりがあわなかった。表向きだけならまだしも舞台裏での新田との会話も徹底してこのスタンスなので、実に作り物っぽい人物になってしまっている。

せめて、お客様とのコミュニケーションの中で山岸自身が喜びを得られているとする具体的なエピソードや、それによって観客にも共感できる描写があればよかったのだが、それもほぼ皆無である。

「かつてホテルに受験の忘れ物を届けてもらった」というエピソードもまるで面接官に語るそれのようで、裏表なくのっぺりとして聞こえる。

新田にとっての旧相棒の能勢も、ただ単に有能な人物然としており、どのような腹積もりで接触してきたのか終始わからずじまいである。一旦は見せてきた「手柄を取るのか取らないのか」という駆け引きも、終わってみると無駄な時間稼ぎでしかない。

(C)2019 映画「マスカレード・ホテル」製作委員会 (C)東野圭吾/集英社

 

現実離れが著しい犯人像

極めつけ、松たか子演じた片桐の犯行の動機と手口には大きな無理がある。

被害者に関係を拒絶されたからといってそれを理由に復讐に走るのは、逆恨み以外の何物でもない。しかも相手が事情を知らないとあっては、恨みを向ける経緯としては不自然でさえある。

ホテル側が特定の人物を狙っている不審者のチェックインを拒否するというのも、真っ当である。それがきっかけで流産したという事態に陥ったとするなら、恨むべきは山岸個人ではなく規則を管理しているホテルそのものではないだろうか。山岸個人を狙ったところで、不満の矛先であるホテル自体の体質が変わるわけでもなし。怒りのやり場のなさを表現するためだったとしても、犯行動機としては全く納得できない。

『容疑者xの献身』や『真夏の方程式』などにおいても、犯行にかかるリアリティの欠如について同様の指摘があった。今作は手口も輪をかけて、回りくどく、もっと他にやり方はあるだろうと思わせられる。

変装してホテルに忍び込んで下見するという行為はいくらなんでもリスクが高すぎる上、実際観客の目から見ても怪しさ満点である。新田が潜入捜査していなくとも、不審に取られる可能性は十分にあったはずだ。

そして、犯行をカムフラージュするために全く別の殺人を工作するという手口は、その説明のわかりづらさも気になったが、非常に煩雑な手順をわざわざ踏んでいるだけのようにも思えてならない。結果として、ホテルに警察の注意を向けさせる手掛かりをばら撒き、自ら逮捕されやすい状況を作っただけという有様には苦笑いしてしまう。

舞台をホテルにしたい。客人に犯人を紛れ込ませたい。そんな発想を実現させるために、無理やり形成されたようなキャラクターで、全く共感も同情も怒りも反発も抱くことがなかった。

『来る』に引き続き、松たか子の変貌ぶりには驚かされ、逮捕された後の憂う表情などが印象的だっただけに、今作における薄い人物像は明らかな役不足に感じる。

 

133分続く単調な画

今作ではカメラのパターンの少なさも目立っていた。人物を映す際には、真正面が多く、人と向き合っての会話シーンで横からや肩越しがたまに入る程度というのが大半だった。

フロントにやってくる客人は、やはりだいたいが真正面から顔を映すというものばかりで、演者たちの演技も特筆すべきものが見当たらないために、端的に言って画面に見どころがない。ホテルのフロントの日常風景として敢えてこうしたカメラワークを用いたのかもしれないが、代わり映えのなさのほうが目に付いてしまう。

新田と能勢が礼拝堂や式場で話し合うシーンなどでは、ようやく「引き」で人物を捉える映像があったり、ぐるりと回転するカメラワークが用いられていたりと変化を感じられたものの、全体的に工夫が感じられない画面作りに終始していたような印象である。

130分超という時間ずっとホテルを舞台にしているにも関わらず、ホテルの構造があまり把握できないというのも肩透かしである。舞台の間取りをスマートに済ませる作品も他にしばしば見かけるため、個人的に気になった。

(C)2019 映画「マスカレード・ホテル」製作委員会 (C)東野圭吾/集英社

 

まとめ: 面白いけど響かない消費的娯楽作

面白いかつまらないか。その二択なら自分は面白いと評する。

警察官が人目につかないところで犯人に迫ろうとする潜入捜査はそれだけでも興味惹かれる捜査手法で、映画映えする緊張感を生み出せるだろうし、実際そこそこ感じることはできる。

また、様々な人がやってくるホテルを舞台にしていることもあって、確かにキャストは有名どころが使われ、ひっきりなしに彼らの小エピソードが連続していくため、長々と同じ話を繰り返すような退屈さも感じずらい。

しかし、短所としてまとめた「リアリティの欠如」故に、まったく後に残るものがない作品でもある。今作を通じて自分は何か知見や新たな気づきを得ただろうか?答えは否である。

ホテル従業員の大変さやその中にある喜びだとか、犯人の動機から見えてくる人間のエゴや悲劇だとか、警察官のどんな手を使ってでも不正を見逃さんとする正義感だとか、そういったメッセージはまるで見当たらなかった。

今作は何もかも観客にその場その場の楽しさを与えることに徹しており、意義深いテーマやメッセージ、斬新な作劇を試みようといった意図がそもそも無いように思える。日本における興行収入の傾向からすると『万引き家族』のような作品は少数派で、今作のほうがポピュラーであることも察せられる。

それは主演のキムタクが象徴している。彼が求められている背景には、現実世界への直視よりも、楽しめる幻想としての娯楽が求められているのだろう。たしかに、辛い社会問題ばかりでも息はつまる。その意味で今作は体のいい息抜きにはなるかもしれない。

面白いけど、響かない。味は薄いが、口に運びやすい。『マスカレード・ホテル』は、そんな娯楽邦画の写し鏡のような一作だ。

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