キャッチ画像: (C)2019 映画「雪の華」製作委員会
こんにちは、キングダムハーツ3を進めている最中のワタリ(@wataridley)です。
今回は中島美嘉の同名曲を原作とし、中条あやみと登坂広臣が主演を務める映画『雪の華』の感想です。
『雪の華』鑑了。時に暖かい陽射しを浴び、時にアクアリウムの清涼感を纏い、時に陰で物思いに耽り、時に穏やかな河原や木陰で寛ぎ、時に雪上で寂しげに佇む中条あやみ。
かくも美しくありながら、情動の漣すら起きない。今はただ、虚しい。
— ワタリdley (@wataridley) 2019年2月1日
ネタバレを含む感想になりますので、ご注意ください。
30/100
目次
空虚かつ末恐ろしい映画
映画『雪の華』は恐ろしい。俗世間を生きる我々の常識が通用しない、超俗的な価値観を手放しに称揚しているからだ。
『雪の華』は、そのあらすじから見ても所謂「恋愛映画」という体裁を取ってはいる。
薄幸な人生を送ってきたと振り返る平井美雪(中条あやみ)は、ある日かかりつけの医師から余命1年であることを宣告される。失意の帰り道には、追い討ちをかけるように引ったくりにまで遭ってしまう。しかし、そこに居合わせた青年に美雪は助けられる。その青年、綿引悠輔(登坂広臣)ははやくに親を亡くしており、2人の弟と妹の面倒をみながらガラス職人を志していた。窮地を救われた美雪は、残された時間を恋人と過ごすことを望み、彼に100万円と引き換えに1ヶ月の恋人になってくれるよう懇願する。やがて2人の関係は疑似恋愛の域を越え…。
あらすじは、いかにも「余命もの」「流行りの美男美女タレントのプロモ」「清廉潔白な恋愛もの」といったその場しのぎなキャッチー要素をごった煮にしている。それに、その枠から外れるような挑戦的な試みがなされているようにも思えない。
しかし、映画を追っていくと、身につまされる違和感が襲ってくる。この映画は単に恋愛映画と一言で語れないほど不気味な映画だ。
とにかく100万円、とにかく余命1年
この映画は難病を患った女性を主人公に据えておきながら、いったいどこが悪いのかについてまるで説明してくれない。回想シーンでは、呼吸器らしきものを身に着けていたことから、器官や肺などを患っているのかと考えたが、冒頭彼女はMRIで脳の検査を受けている。田辺誠一演じる医師も「もってあと1年」と告げるが、肝心の症状を教えてくれない。
咳がひどいだとか、呼吸困難に陥るといったこともなく、あるのは薬を服用する描写のみ。中条あやみは、至って健康そうな表情に、すらっとした背筋をほぼ全編キープし、おめかしもばっちりしているため、病気というのはドッキリなのではないかと疑うほどだ。実際、劇中3回もフィンランドに行けるだけの体力を持っている。
どういうわけかはわからないが、とにかく彼女は余命1年しかない。だから、恋愛をするために100万円を捻出する。
この100万円というのは、やはりまとまったお金として想像しやすい額だ。しかしここで、図書館で働いていて、しかも都内に1人暮らしの彼女に、果たしてそんな貯えがあるのだろうかという疑問が生じてくる。年齢設定はわからないが、中条あやみが演じていることを考えると三十路ではないだろう。二十代前半の、図書館司書が100万円+都内の生活費+交際費+フィンランドへの渡航費(3回)を1年の間に出費できるほど稼げるのだろうか?1年の間、生活に困窮しているという描写もなく、とにかくリッチなファッションに身を包み通している。
また、100万円を出すことになる背景も不透明だ。浜野謙太演じる先輩が経営する路地裏のカフェが、経営困難に陥ったらしいことがきっかけで悠輔は、資金繰りに頭を悩ませる。しかし、こんな立地条件のよくない個人経営の店を身を挺して守る必要性はちっとも無いし、アパートで妹たちの世話をしながら暮らしているのであれば、なおさら彼が出費をする道理はないように思える。
どういうわけかはわからないが、とにかく彼は100万円が必要らしい。だから、100万円のために人身売買まがいの契約をする。
とにかく恋愛をさせたいから難病、恋愛をさせたいから100万円が持ち出されたのだ。100万円は後で先輩がきちんと返してくれたのかは不明であるし、支払った後は微塵も話題には上がらなくなる。100万円は使い切りである。
(C)2019 映画「雪の華」製作委員会
不自然な会話や言動を取る登場人物
不自然なのは設定だけではなく、登場人物の言動にも多く見られる。
美雪は、初っ端から自らの不幸をナレーションで丁寧に語り、雪が降ってきたときには「雪だ」と言語化する奇妙な人物だ。後述するように、自分の恋愛願望を成就させるべく、ノートに書き記した目標を金で雇った悠輔に持ちかけ、独りでに喜ぶ有様。誰もいない部屋で「声出せた!」と喜ぶシーンは、控えめに言って異様に怖い。
冒頭にしか出てこない彼女の父親も、執拗に赤いオーロラの話を聞かせ、彼女にロマンティックなあこがれを抱かせる。この後には出番が消失し、影も形もなくなるが、オーロラというマクガフィンを与えられたのだから作品的にはそれでいいらしい。
悠輔はガラス細工職人を志す、好青年という設定らしいが、「声出せ声」という謎の体育会系ノリを披露し、美雪の言動には事あるごとに「なんだよ!」といった不貞腐れた態度を取るつかみどころのない人間である。ひったくり犯を追いかける根性があるかと思えば、私人逮捕が成立した後になぜか逃がす最初の行動から理解しがたい。明らかに落ち込んでいる美雪に対して根性論を吹っ掛ける登場シーンを見て、頼もしいと思えばいいのか、鬱陶しいと思えばいいのか、気持ちの整理の付け方がわからなかった。
浜野謙太演じる先輩は、登場シーンから上ずった調子であり、作品から浮いていた。キューピッドであることを挙動不審に確認する会話はギャグを狙っているのかもよくわからず、居心地の悪さを覚えた。これは演者ではなく、撮り方に問題があるように思える。
田辺誠一演じる美雪の主治医も、「持ってあと1年」という重大な宣告をあまりにあっさりと白状する上に、母親に伝えていなかった割には、金で雇ったと美雪からまた聞きした悠輔には患者の情報をバラす始末。親しげな接し方をしてはいるが、お昼に患者とランチするほど医者とは余裕があるのだろうか。もはや職業人としての資質を疑ってしまう。
余命1年を宣告されるほど深刻な病気を抱えた娘を放任している母親も理解しがたい人物であった。
(C)2019 映画「雪の華」製作委員会
すべてが仕組まれた世界
映画は最初から最後まで、見えざる手で操られているのかと疑うほどに美雪に都合のよい出来事ばかりが起こる。
初っ端、余命宣告を受け不幸のどん底にいた彼女がひったくりに遭うシーンは笑わずにはいられなかった。そしてそこにタイミングよくガラス細工職人を志し、親を亡くしながらも健気に妹たちの世話をし、お洒落なカフェで働く好青年と出くわすのである。
この運命の出会いは収まるところを知らない。後日、たまたま彼と再会し、たまたま金を必要としていることを盗み聞きし、奇特なアプローチによって取引を成立させる。
彼は、容姿端麗で性格も善良。あまりに現実離れした豪運である。
当初は反発してきた悠輔の妹との関係も、美雪の奇妙な思考回路によって距離を縮める。フィンランドにまで行こうという突飛な提案さえ、彼は受け入れてくれて、余命僅かの病状も深刻化することなく旅を終えられる。
そして、終末医療患者とは思えないタフネスを発揮し、フィンランドへ単身で向かうことになるわけだが、母親や医者もずいぶん簡単に折れて彼女を送り出す。この時にやはりたまたま骨折した弟を見舞いに来た悠輔は、たまたま美雪と主治医のやり取りを目撃する。
そうして、経済的に奮発しまくったであろう悠輔は、荷物すら持たずにオーロラの観測場所まで向かう。最後のシーンでは、オーロラが観測できる時期にも関わらず、観光客が全くいないおかげで、見事に2人きりの世界に浸ることができた。赤いオーロラは2人だけのもので、モブはいらないとでも言いたげだ。
赤いオーロラを運良く見ることができ、2人は幸せになったわけだが、2人の愛よりも運命の作用には誰も逆らえないという愕然とした事実を突きつけられたような気がしないでもない。運命がなければ、車でも時間がかかる豪雪地帯を走り抜けたり、余命僅かなのに極寒の中立ち尽くすことなんてできないだろう。
(C)2019 映画「雪の華」製作委員会
サイコスリラーとしての『雪の華』
上記に挙げてきた数々の違和感は作品にあいた穴のように捉えられる。
しかし、一歩引いてみると、これらは美雪と悠輔2人の異常性を炙り出すための作為的意図と取ることもできるのではないだろうか。
自らの幸福を至上に置き、それ以外には無関心な美雪
まず、美雪から見ていくと、彼女の言動はクレイジー以外の何物でもない。
余命幾ばくも残されていないという状況の中、彼女は恋愛に身を投じることで幸福なひと時を実現しようとする。ここまではいいとして、問題になってくるのはその手段である。彼女は引ったくりからバッグを取り返してくれた綿引悠輔を恋愛相手に見据え、たまたま訪れた店存続の危機に乗っかり、100万円によって彼を拘束せしめる。1ヶ月という期間限定ではあるものの、恋人という特殊な関係を金銭で迫る有様は、常人の発想をはるかに越えている。
そして恐ろしいことに、美雪は自らの行いを省みるということをしない。自分の理想を相手に半ば強要し、仮初めの彼氏像を構築している最中は、相手がどう感じているかをまるで考えないのである。彼女の専らの興味は、自らの幸福を満たすことであり、それこそが最優先事項だ。
別れる際は彼氏は自分のことをしばらく見送り続けなければならないし、メガネを外した些細な変化も褒めてもらわないと感情の収まりがきかない。悠輔は自分を満たしてくれる存在であり、そのために彼女はとことん彼を利用する。病に侵された身でありながら、兄弟とアパート暮らしの悠輔を遠方のフィンランドにまで連れ出すことだってやってのける。彼女として店先に出向き、悠輔の迷惑も顧みずに「幸せすぎて死にそう」などと垂れる姿からは得体のしれない狂気が滲んでいる。
彼女は少女漫画を愛好していたことが母親の口からは語られていた。実際、そこから生じた願望を満たすために上記の行いをしてきたのだろう。彼女はとことん少女漫画の主人公のように振舞い、自分を世界の中心に置いている。悠輔の家で鍋を囲った際、彼の妹に対して「もしかして嫉妬してます?」と独りでに語りだし、恍惚とする様子は印象的だ。美雪はその自意識を自分の幸福のために利用することさえ厭わないというのだ。
彼女の言動は、あまりに突飛で理解しがたい。その行動の裏には、他者への思いやりといったものは皆無で、ひたすら自己満足に傾倒する。そしてすさまじいことに、そうした彼女の行動に対する批判的な視線は、この映画において一切存在しない。誰も彼女には逆らえないのだ。
(C)2019 映画「雪の華」製作委員会
平常から狂気へと駆り立てられる悠輔
そんな彼女に悠輔は見初められてしまう。
美雪のことを覚えていなかった悠輔は、当初は彼女からの恋人契約を聞かされ、困惑する。美雪からしたら、恩人である彼に接近したいと思っての行動なのかもしれないが、悠輔からしたら見知らぬ女性が自身の勤め先の逼迫した経営につけこんで恋人になってくれという常軌を逸した展開である。だから、彼の反応は至極当然だ。
しかし、先輩と店のことがそんなに心配だったのか、不幸にも彼は美雪の言いなりになってしまう。契約して初めてのデートでは、流石にその不可解さを指摘し、逆らう様子を見せたものの、結局は金を借りたという負い目から渋々と付き合う羽目になる。
そうしてデートを重ねるうちに、彼はいよいよ美雪から行動を支配されていく。デートの最中の言動は挨拶や別れに至るまで指示され、先輩や家族にまでつけ入られる。そして金銭で成り立つ関係としては過剰なまでにプライベートへの侵入も許してしまう。成り行きとはいえ、まんまとベルトコンベアに乗せられ、美雪の思うがままの役割を担わされていた。美雪からの難題をなんとかこなしていく彼は、実に窮屈そうではあったが、次第に美雪を1人の女性としてみるようになってしまう。
最終的に美雪によって挙動をコントロールされた結果、彼は常識的な思考を放棄し、狂気に堕してしまう。初めは恋人契約を持ちかけてきた美雪を不審がっていた悠輔は、事情を知って、手ぶらでフィンランドへ行くほど彼女を妄信する。タクシーすらないことを事前に十分に調べもせず、オーロラが観測できるほどの寒冷地にしてはやけに軽装なまま雪の中を突っ走る彼の姿には、もうかつての正気は残っていない。経営が苦しいカフェで働き、アパート暮らしとあって経済的に余裕があるはずもないのに、軽々とフィンランドに直行するあたり、よほど美雪に熱を上げていたことが窺える。もう完全に彼女の虜である。
(C)2019 映画「雪の華」製作委員会
ラストシーンで中島美嘉による「雪の華」がかかり、2人寄り添い初雪を見ている時に美雪が発した一言にはぞっとする。
「もっと長生きできる気がする」。
これは額面通りに寿命が伸びたというわけではないことは明らかだ。取ってつけたような車椅子姿ではあるが、一応車椅子に乗るほど衰弱しているという演出もある。
この言葉の真の意味は、彼女が悠輔の内面に居座り続けることにある。彼女は本来他人同士であった悠輔を、自らの都合により恋人という関係を結ばせ、理想の恋人というロールを遂行させる。そして、最終的には自らの病という「弱さ」によって相手を支配したのである。
この先、悠輔は本来交わるはずのなかった美雪のことを忘れられず、彼女の死後もなお、彼女に囚われ続けるのかもしれない。永久に。
だとすれば、恐ろしい話である。
まとめ: あまりの空虚さに笑いが漏れる
今作は、とにかく不気味な要素が散見される映画だ。
登場人物は美雪をはじめ理解しがたい思考回路を持っているが、それに対する客観的な視線は終始浴びせられることなく、脚本の操作によって空しいハッピーエンドへと突き進んでいく。
理想を現実に変えるべく急進的な手法をとる美雪にはまったく共感することのできなかったが、異物として見ればなかなかに面白い。当初は常識的な思考を持っていたはずの悠輔でさえ、美雪の毒牙にかかり、異常性をむき出しにしていく様には笑いをこらえるのに必死だった。
気がかりな点は、これまで挙げてきた以外にも多々ある。中条あやみのベリーワッフルの食べ方がやけに細々していたり、今時LINEではなくメールでやり取りをしていたり、中条あやみのルックスで彼氏を得るために金を出していたり、フィンランドと東京の距離感があやふやになっていたり、せっかくの葉加瀬太郎の楽曲が全く耳に残らない等、枚挙に暇がない。
唯一良かった点として認められるのは、登坂広臣の人柄が出ていく過程だろうか。最初のうちはぶっきらぼうな言動が鼻につき、かつワンパターンな台詞読みが目立っていたため、お世辞にも演技そのものは評価できないものの、後半に向かうにつれて角が取れて丸みを帯びていく装いや表情には、感心した。
主演の中条あやみと登坂広臣は、映画の中で徹底して美男美女に撮られているため、映像面では綺麗に見えるカットは多かった。おかげで最後のオーロラが埋もれていたのは残念だが、冒頭のフィンランドの雪景色など、目を見張る部分もあった点は評価したい。
美しいビジュアルを思えば思うほどに、空疎なストーリーへの失望が増す。観客席から聞こえてきた寝息に、いたたまれない気持ちになった鑑賞であった。
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今まで書いた中条あやみ主演作の感想は、こちら。
このレビュー最高
友達と見ました。友達は泣いてました。怖かったです。