まんまとFF14がやりたくなる緩い親子の覆面交流『劇場版ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん』レビュー【ネタバレ】

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アイキャッチ画像: (C)2019「劇場版 ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん」製作委員会 (C)マイディー/スクウェア・エニックス

こんにちは、FFシリーズで初めてプレイしたFF9で、クイナに「レベル5デス」を覚えさせなかったばかりにデザートエンプレスで面倒くさいことになったワタリ(@wataridley)です。

今回はそんなFFファンの琴線に触れそうな映画『劇場版ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん』の感想を書いていきます。

この作品はマイディー氏によるFF14のプレイ日記「一撃確殺SS日記」を原作としており、かつては大杉漣&千葉雄大の主演でドラマ化されています。

ネット発のお話がマスメディアに取り上げられて、広く知れ渡るようになったというと、個人的には2006年に放送された『電車男』を連想します。しかし、あれももう13年も昔。今は「ワンパンマン」や「オナニーマスター黒沢」など、ネット上で支持を得たコンテンツがのり大衆化していく流れはいつのまにか珍しくもなくなりましたね。

特に今作『光のお父さん』は、みんなが遊べるMassively Multiplayer Online Role-Playing Game(略称MMORPG、多人数参加型のオンラインRPGのこと)を題材にしているとあって、ある種、元から商業作品であるコンテンツよりも身近に感じられます。

現在進行形でFF14を楽しんでいるプレイヤーも、知らないプレイヤーも、この世の中にはこんなドラマが起こり得るんじゃないかなという淡いロマンを期待してこの映画を観に行くのでしょう。自分もそうした1人でした。

実際、今作において語られるオンラインゲームの美点は、オンラインに限らずネット社会で経験のあることでした。作中描写されている見知らぬ人から現実で生きる勇気をほんのちょっと貰ったり、匿名だからこそ気軽に本音を語れたりする出来事はインターネットでありふれており、だからこそ無意識的に享受しているメリットです。そうしたインターネットの特性をFF14という人気コンテンツを介して再確認できる映画になっていると思いました。

しかし惜しいことに、興行収入ランキングでは初週から圏外になってしまっています。その理由には今作が映画作品としてはややピーキーな武器を持っていないことがあると見ています。

以降、ネタバレありで感想を書いていきます。未見の方はご注意ください。


66/100

ワタリ
一言あらすじ「お父さん、オンラインゲームやるってよ」

FF14をそのまま用いた大胆なゲームパート

映画は海面のアップから幕が上がる。カメラが引いていくにつれて、その海に対する違和感が拡大してくる。その海が面している陸地も含めて景色がスクリーンに映し出されると、これはゲーム画面なのだと確信する。

今作『光のお父さん』は、このファンタジー世界であるエオルゼアを舞台にしたFF14のゲームバートと、岩本アキオが彼の父親である岩本暁との関係模様を映す実写パートで構成されている。『レディ・プレイヤー1』を筆頭にこれまでも現実とバーチャルリアリティを行き来するプロットは見られてきたが、実在するゲームとリアルの2軸をほとんど同等に扱った映画は珍しく思える。

しかも、声の芝居を加えていることや場面転換といった簡易的な編集を除けば、エオルゼアはそのまま映画のスクリーンに映し出される。よくよく見てみると、劇中のキャラクターは髪の毛が服を突き破っていたり、解像度が粗い部分(所謂ジャギー)があったりと、本当にゲーム画面そのままなのである。正直、こうしたゲーム画面の中の粗は、スクリーンで見るにふさわしくはない短所になるはずなのだが、今作は「登場人物がFF14をプレイしている様子を映している」という後ろ盾があるため、全く違和感を覚えることがない。それどころかゲーム画面がそのまま映ることによって、今作のようなドラマがインターネットの、そしてこの世界の片隅で起こりうるのではないかという気持ちまでも湧き上がってくる。

とはいえ、このゲームパートは映画らしくないと思いつつも、片一方ではFF14のルックスはやはり国産オンラインゲームの中では飛び抜けているとも思った。キャラクター達の親しみやすい基本デザインは、FFがこれまでに志向してきた「剣と魔法の世界」を崩さずに、それでいて親しみやすいデザインとしてまとまっている。主人公のアバターであるマイディーは、猫耳というともすれば過剰に「媚び」を感じさせかねないパーツを持っておきながら、すらりとした体型に大きな瞳を持った顔立ちはファンタジー色を強く感じさせる。だからなのか、猫耳は種族の特徴として受け入れられてしまう。また、そんなマイディーとオンライン上でフレンドになるあるちゃん、きりんちゃんも小さな体に幼い顔立ちが愛らしく、二次元的な嘘を見事に3次元の形にしてみせている。彼らが冒険するエオルゼアの舞台にしたって、豊かな森林、リラックスして話ができそうな集会場、夕日に臨む海岸、雄大な景色の中に佇む異世界情緒溢れるお城、雄大に広がる湿地帯など、ファンタジーに期待する景色を一通り見せてくれる。

FF14が映画の中でそのまま使用することができるのは、こうした外見上の魅力にとどまらない。中でもエモートという機能は、大いに場面作りに貢献している。キャラクターの顔の演技は、微妙に眉を潜めるといった細かな動きから、喜びや叫びなどのダイナミックな表情に至るまで多彩で、ゲームの一機能とは思えないほどだ。また、集会所で話すシーンでは、きりんちゃんがマイディーの膝の上に座っている様子もさりげなく映り込んでいた。他のゲームだと省かれてしまいそうな日常的に溶け込むような動作までゲーム内で再現されているのを見ると、FF14がいかにコミュニケーションに力を入れているのかがわかる。

他の実写ドラマでは軽く映り込む程度で済まされていたゲーム画面をそのまま映すことができたのも、ひとえにFF14というコンテンツの持てるパワー故であろう。そもそも今作が生まれるには、マイディー氏のように熱中していたプレイヤーの存在が不可欠であるし、またゲーム画面で演技を魅せるアバターやエモートシステムの作り込み、そして舞台となるエオルゼアの風景美など、どれかひとつでも欠けていたらスクリーンに映すなんてことはできなかったはずだ。ゲームを題材にした映画は数あれど、プレイヤー視点を貫いた映画という企画を成立させたFF14には、頗る興味をそそられた。

 

初心者のお父さんと先駆者の息子の覆面交流

そうしたゲームパートと実写パートを組み合わせたのが今作の強みである。そして、それらはオンラインゲームの持つ特性と今めかしいコミュニケーション形態を映し出す。

今作のドラマにおいて特段面白いのは、息子が父との関係の修復を図るといったありがちなホームドラマ的な側面を持っておきながら、肝心の交流部分では面と向かって胸の内を明かさないところにある。交流を図るエオルゼアでは、息子だけが一方的に父親のアバターを知っており、かたや父親はその事実を知らずに1プレイヤーとしてエオルゼアへの冒険に繰り出す。だから、アキオと暁は互いの素性を隠すのだが、それでいて同じボスを倒すといった場面では協力関係を結ぶ。そうして打ち解けていくと、現実での悩みさえも相談するようになる。

オンラインゲームというのは、考えてもみると奇妙なコミュニケーションツールである。インターネットを辿った先にいる相手の名前も顔も知らないにもかかわらず、共通の目的を達成するためなら、いとも簡単に手を取り合える。この手のオンラインゲームでは、基本的に協力した方がゲームを進行させやすいように出来ており、暗に他人と関係を組成することが推奨されている。プレイヤーにとってもフレンド登録やクランやチームへの加入はインセンティヴになり得る。

更には、オンランゲームはそうした関係を結ぶ相手に求める条件は、現実におけるそれより遥かに易しい。アキオと暁のように、年齢や社会的な身分なんかもさして障害にはならならい。劇中のように「たまたま同じモンスターを退治したから」なんて理由でフレンド登録ができてしまう。

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また、現実における肉体的な条件も問わない。アキオのような若者も、暁のような齢60を超えた人も、コントローラーさえ握られれば、同じ土俵に上がることができる。寧ろ、現実では人生の先輩である暁が、ゲームの中ではピヨピヨの初心者になり、息子に導かれるというのはなかなか面白い構図である。

近年では競技大会の種目にesportsを加えようとする風向きが見られるが、それも時代を考えれば自然なことだろう。身長や体重といった条件で有利不利を決められてしまう人達だって、熟練度を抜きにすれば同条件に立つことができるのだ。それは、更に多種多様な人たちにスポットライトを当てる機会の増加を意味する。

そうしたゲームが持つ可能性を親子のドラマに投影してくれている『光のお父さん』は、それだけでも十分に意義のある作品である。子供の頃に遊べなかった息子と父親だって、エオルゼアでは一緒に走り回って、モンスターを退治できる。そんな様子を見ていると、実はFF14って、ゲームって、物凄いコミュニケーションツールなんだなと思わせられる。

 

惜しまれる踏み込みの甘さ

2000年代より猛スピードで拡大してきたインターネットを活用した物語は時代性を映す鏡のようだ。『光のお父さん』のようなインターネットがもたらす恩恵は、もっとメディアで見てみたいとも思える。

とはいえ、そうした時代性にマッチした物語は、全体を通して強烈な印象を残さない。この映画そのものはあまり新鮮ではなく、あくまでオンラインゲームというワードから想起される一般的な事由を集めてみた、という感じがする。

はっきりと言ってしまえば、劇中で描写されるあらゆる要素への踏み込みが甘いのだ。

まず、ゲームパートについて語ると、前述したエモートに代表される豊かなコミュニケーション手段や、国内大手のスクエアエニックスが手がけた高品質なグラフィック等は、ひとまず表面上の魅力として映った。

しかし、それ以外の部分では、詳細なゲーム描写がばっさりとオミットされてしまっている。その結果、今作限りでは数あるMMORPGの中でFF14が突出している特徴があまり伝わってこず、FF14が提供している遊びを具体的に掴むことが出来ずじまいであった。

例えば、作中ではアキオが打倒することが大きな目標とされている大ボス・ツインタニアとの戦闘のことをさらっと「大縄跳び」と形容し、一際連携と歩調合わせの重要性を訴えていた。だが、その詳細がわからない。何人体制で挑んでいるのか、どれだけの威力の技を使っているのか、装備やアイテムでどんな対策を施しているのか、そもそもツインタニアに挑むための適正レベルはいくつなのかといった、ゲームに少しでも触れたことがある人間なら当然気になる部分はあまり触れられない。その割にボスキャラクターを倒す瞬間には高らかに叫んでエモーションを爆発させてくる。インディ(暁)が使っていた必殺技を習得するシーンや、レベルアップを着々と重ねていく様子があれば、大ボスの撃破にこちらも昂ぶったのかもしれない。ただ、描写が中抜きされているために、そのトドメにイマイチ乗ることができなかった。

映画館で公開するにあたり、万人に受け入れられるように敢えてゲームの詳細を省きたいという都合があったであろうことは容易に察せられる。しかし、ディープな部分を根こそぎカットしたがために、すべからく薄味になってしまっている。その弊害からか、アキオと暁のオンライン上での交流についても、変化が読み取りずらい。チャットによるコミュニケーション描写や、前述したようなボスとの戦闘に大半を割きすぎて、FF14が「よくあるオンラインゲーム」という印象に終始している。いちおう、服を着替えることも知らなかった暁が冬服を着てアキラに会いに来るラストシーンなどには細々とした描写はあるが、本筋部分の踏み込みの甘さをカバーしきれているようには思えなかった。

実写パートにおいても、奥深いと思える描写は少ない。

あるシーンにおいて、顧客企業に対してプレゼンをし終えた後、アキオは父親との思い出に絡めて相手の企業の商品に対する熱意を語り出す。しかし、この思い出話はここでいきなり登場するので唐突感が強い。聞かされる内容も、「勉強中に夜食を出してくれた」という受験勉強と親子のエピソードとして他でいくらでも聞けそうな内容である。そのため、肝心のプレゼンそのものには微妙な反応を見せていた相手の審査役が、話を聞いた途端に契約を決める方向に靡くのも、都合の良さを感じてしまう。

映画オリジナルで加えられたアキオの妹に関するエピソードに至っても同様である。「挨拶に来た娘の恋人を退ける父親が彼の人柄に気づき考えを改める」というのは文字に起こしても中庸であるし、演出面でも特筆すべき点がない。

このエピソードはどちらも、アキオと暁がエオルゼアで相手から助言を受けたことを契機に事態が好転していくように描かれているのだが、どちらも言葉の通りに難なく解決に向かってしまうために、どうしても「現実はそううまくはいかないだろう」という疑念の方が先に立ってしまった。

また、これらのエピソードはよくよく考えてみるとあまり映画の全体像に寄与しているとも思えない。娘の交際に反対するエピソードは、アキオと暁の2人のミニマムな関係と若干ずれたところで展開しているので、省略したとしても繋がってしまうレベルである。アキオの同僚である井出の役割も曖昧で、FF14の魅力やアキオと暁のオンライン上の親子関係を外部から捉える役目を担うのかと思いきや、そういうわけでもない。「父親と同僚が同じゲームにいる」という一種のサスペンス要素もすぐにフェードアウトしてしまうし、他の同僚から恋人関係だと勘違いされるシーンも枝葉末節なギャグ以外の何物でもない。小粒なエピソードが集合しているものの、それらがクライマックスを盛り上げる機能とまではなりきれてないのだ。

「オンラインを舞台にしているにもかかわらず、主軸はミニマムな親子関係」というアンビバレンツな構図自体は好みなのだが、いかんせん親子関係の描写も浅く、妹や同僚などの他の要素もその親子関係に絡んでこない。

オンラインという漠とした舞台は下手を打つと収拾をつけられなくなりそうだというのは、昨冬に観た『シュガー・ラッシュ: オンライン』にも感じられる問題ではある(あちらも結局見えきった個と個の関係に収束していた)。とはいえ、折角オンラインを扱うのであれば、やはり他のNPCとの交流やエオルゼアに奥行きを感じさせるエピソードも欲しかったところである。

要するに、ゲームパートと実写パートをミックスした点は新鮮だが、それぞれがあまり深められていないという点では、かなり惜しい作品に感じられた。

 

まとめ: まんまとFF14がやりたくなった

2017年に放送されたドラマ版に加えて、映画作品が作られているのを見るに、FF14のコンテンツの充実度はおそらく相当高いのだろうと思える。あまり詳細なシステムはわからなかったが、それでもアバターの掛け合いや他のプレイヤーとの繋がりを求めて、エオルゼアに足を踏み入れたくなった。

今作を見てから、ドラマ版『光のお父さん』も見始めたのだが、ほとんどドラマ版と映画版とで作りが共通しているのには、少々びっくりした。ドラマは千葉雄大と大杉漣の緩い空気感がダラっと見るのに適している。あっさりしたゲーム描写にしても、1話につき20分程度の尺であれば、それほど気にならない。

そうした感想を書いてみると、今作はそもそもブログに端を発した作品であるため、元々緩く観るのが適切な作品なのかもしれない。構えて観る映画では少々物足らなさを覚えてしまうが、テレビで再放送されているのをついつい見てしまう。そんな緩やかな魅力を持った作品だ。

 

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