アイキャッチ画像:(C)2021「シン・ウルトラマン」製作委員会 (C)円谷プロ
5月中に観た映画『シン・ウルトラマン』についての感想をまとめておく。監督は樋口真嗣、企画・脚本などに庵野秀明。IMAXスクリーンにて鑑賞。
禍威獣(本作における怪獣の呼称)の出現が日常と化した日本で、政府は禍威獣特設対策室専従班(通称・禍特対、初代ウルトラマンの科特隊と異口同音のネーミングである)を設置し、その駆除に当たっていた。自衛隊の兵器も通用しない禍威獣の出現に打つ手なしの危機的状況のさなか、突如として現れた銀色の巨人が禍威獣をものともせず駆逐する。それは、後にウルトラマンと呼ばれる人類の味方であった――。
『シン・ゴジラ』と共通した布陣(樋口真嗣と庵野秀明らが制作指揮)で撮られた特撮映画とあって前々から大いに期待を寄せている作品だったものの、いざ鑑賞を経て残念ながら熱狂というほどには至らず。
最大の原因は、人間愛を軸にした物語のはずが、肝心の人間が主体となるエピソードや描写が薄味な反面、ウルトラマンのキャラクター愛や設定愛なんかの方を強く感じたところにある。
本編は初代『ウルトラマン』の前に放送された『ウルトラQ』の露骨なオマージュシーンから始まり、その後、科特隊をオマージュした禍特対の登場、透明怪獣ネロンガやガボラといったお馴染みウルトラ怪獣の登場に留まらず、「なぜか透明で戦わないネロンガ」(当時の撮影技術の限界)を劇中で言及したり、「なぜか似た胴体を持つパゴス、ネロンガ、ガボラら」(同じ着ぐるみを流用した怪獣たち)に劇中設定で理屈を与えていたり、あるいは本作のラスボスにあたっては児童誌に掲載された有名な誤植ネタを採用していたりと、たしかに『ウルトラマン』に対する作り手の愛好は伝わってくる。
ただ、そうした愛情故か、どうも本作独自の人間に対する洞察が薄く、あるいは震災とゴジラを重ね合わせた『シン・ゴジラ』のような敢えて現代でそのコンテンツを再生させる意義というものが技術的挑戦を除いては見えては来なかった。
とりわけ、ウルトラマンの人間に対する愛着を描く上で、必然的に人対人の交流が重視されるところを、禍特対は説明台詞や段取りばかりが鼻につき、けっきょく白眉とも言える会話シーンは、外星人である神永とメフィラスの団地広場や居酒屋での二幕。これは、かなり珍妙なバランスだ。
禍特対のメンバーのキャラ付も各々成功しているようには思えないし、今どき女性の役が話し言葉としてあんなはっきりと女性言葉を喋る浮足立った感覚もスクリーンへの没入を大きく阻んでくる。巷で不興を買っている長澤まさみの扱いにしてもやはり受け入れがたさがある。
映像・演出面だと、『シン・ゴジラ』同様のアプローチを志向したらしい、基準点の定まらない実相寺アングルの多用は、いたずらに画面を忙しなくしているだけであるし、また専門用語を交えた早口も力点の置所や緩急の計算がなされているように思えず、上滑りした印象に終始する。『シン・ゴジラ』ではクレジット上、制作の元締めである庵野秀明が現場での撮影と編集の両面にタッチしていたのだが、今回は撮影への参加機会は少なくなり、想定と実際の素材の不一致がもたらした結果なのではないかと思われる。複数のiPhoneによる撮影というチャレンジも、本作においては画質のばらつきにしか感じられず、画面の制御という点では、大きく減退している。
昨年の公開を予定していたのが、ここまで延期でずれ込んだことから見ても、どうやら難産な作品だったらしいことは読み取れる。そうした細々とした不満点に目をつむるにしても、やっぱり2時間の物語としての不全さはどうしたって気にかかる。初代『ウルトラマン』が内包していた人類はウルトラマンが救うに足るほどの存在なのか、というテーマに関しては、本作単体では明らかに説得力を欠いている。長澤まさみ演じる浅見弘子にバディとしての役割を与えて、その関係を通じて人類とウルトラマンの関係へと収斂させる構成を志したらしき痕跡はあるものの、ウルトラマン視点では人類に命を賭してでも救うほどの具体的なエピソードが、子供を救助した神永の一件以外に見当たらず、一方の浅見に至っては超常的な存在に惹かれ一人飛び立っていく姿に涙するほどのペーソスに至る出来事があったようには思えない。
何よりも、人類の強さを描くはずのクライマックスの作戦がウルトラマンの犠牲ありきなのは、どうも納得がいかない。人類一丸となって立ち向かった結果の流れの果てで、ウルトラマンが報いるようにそうなるなら、仕方ないにせよ。滝も躊躇いなく本人に提案するし、田村の引き留めも軽く流されるし、ウルトラマンは最初から最後まで具体的な根拠が不足したまま人類贔屓な姿勢のまま進むので、テーマとのズレを感じる。
自己犠牲を遂げんとするウルトラマンの姿勢に、最後ゾ―フィは「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン」と述べるが、観ているこっちとしてはそっくりそのままの台詞で疑問符がついてしまった。
色々と不満点ばかりに触れてしまったが、とはいえ劇場でこのような特撮ヒーローが大立ち回りをする特撮映画がかかり、それが興行を賑わせているという状況は楽しいことに違いはない。庵野秀明自身は、デザインワークスにおいてはっきりと本作の出来栄えに関する不満を述べている他、続編の構想にまで言及している。それならば本作のリベンジを果たしてもらいたいと思う。その前に氏の『シン・仮面ライダー』もとりあえずは楽しみにしているわけだが。
コメントを残す