書くという行為が持つ波及性と、躊躇いを覚えるロマン『ラストレター』レビュー【ネタバレ】

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アイキャッチ画像: (C)2020「ラストレター」製作委員会

こんにちは、手紙という言葉もそろそろ死語になるのかなと思うワタリ(@wataridley)です。

今回は岩井俊二監督の最新作『ラストレター』の感想を書いてきます。

岩井俊二と言えば、『Love Letter』『スワロウテイル』『リリィ・シュシュのすべて』などの作品を代表作に持つ、邦画界において評価されている監督のひとり。

彼が手がける作品のうち、自分が劇場で観た作品は、2016年の『リップヴァンウィンクルの花嫁』と原作としてクレジットされていた『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』ぐらいなのですが、実写映画の畑でありながら、登場人物の内面を描く際の、浮遊感を持った独特のタッチが持ち味の監督のように感じられます。

とにかくその監督の最新作が出るというからには、また劇場で観たいと思っていました。

現在パートでは福山雅治と松たか子が手紙を媒介にドラマを繰り広げ、かたや過去の回想では広瀬すず、森七菜、神木隆之介らが何やら瑞々しい若き青春の日々を見せてくれるらしく、キャストの見地からも注目度の高い作品でした。

今やだいぶ廃れてきてしまっている「手紙」をキーアイテムとして、どのような物語を紡ぐのかも気にしながら、映画館へ足を運びました。

過去のシーンは、どれも淡い光に満ちていて、その中心に居るキャストはさながら将来の実りを楽しみに待ちたくなる若芽のようでもありました。誰もが夢想したくなる青春を扱う上で、たしかに宣伝文句で新海誠が言っているように岩井俊二ほどの作家は数が限られてくるのではと思わせる魅惑があったと思います。

その一方で、自分はどうにもこの作品に対して違和感を抱えざるをえないところがありました。単なる思想的な食い違いからくるものであったのなら、それはそれとして済ませることができたのでしょうが、そうではありませんでした。

今回の感想では、手紙という時代に捨て置かれつつあるコミュニケーションツールへの着眼と、キャストの魅力を引き出したシーンの数々を評価しつつも、自分が今作に抱えた違和感の正体を明かしていこうと思います。

以降はネタバレを含めた感想になります。未見の方はご注意ください。


64/100

ワタリ
一言あらすじ「不思議な文通が紡ぎ出す、過去から未来への寓話」

制作体制について

まず、今作の制作体制についての感想を書いておく。

岩井俊二は、監督の他にも編集・脚本・原作においてもクレジットされており、彼の今までの作品と同様に、監督自らが原作本を執筆し、それに則って脚本を書き、編集も自らこなすという手法で制作されている。故に、監督作と言っても商業映画においてしばしば陥りがちな「仕切り屋」というのでなく、あくまで彼は作家として今作を手掛けていることがわかる。後述する自分にはちょっと無理のある描写もある種で彼の持ち味であるし、また役者の魅力を引き出して独特な物語の中に置くことにも長けている監督だ。

撮影を担当するのは、『リップヴァンウィンクルの花嫁』をはじめ、過去の岩井俊二作品にも関与してきた神戸千木。個人的には小林正広監督・仲代達矢主演の『海辺のリア』を手掛けていたと知って納得したのだが、それとわかる派手な工夫を加えず、照明や構図といった静的な撮影法よって浮世離れした映像を生み出すことに長けているカメラマンだと思う。写実主義とは反する、ファンタジーとも取れるような今作にも引き続きうってつけの人選というわけだ。

また、音楽には小林武史がクレジットされており、今作の主題歌「カエルノウタ」も作曲している。劇中音楽はピアノを主軸としたものが印象的で、シーンの情緒を静かに引き立てよく馴染んでいた。

個人的に、今作に特に貢献していると感じたのが、美術の都築雄二と倉本愛子だった。劇中に登場する古い日本家屋の雰囲気は心惹かれるものがあった。壁に沿って配置された本棚や冊子、仏壇といったアイテムからも木と埃の匂いが漂ってくるようであり、画面からその場の空気が伝わってくる場面が多くあった。道中、裕里が訪れる元英語教師の家の中も、置物ひとつひとつに主人の趣味と年季が現れていて、演者そっちのけで画面の端まで目を見やってしまいたくなっていた。適度に猥雑に散らかっている鏡史郎の部屋と、売れっ子漫画家らしい主人がいる裕里の家も、見比べてみるとそれぞれの境遇が非言語で理解できて面白い。

このように、『ラストレター』は岩井俊二監督らしい制作体制を取りつつ、それぞれの得意分野をふんだんに発揮させることで、見応えのある映像を実現していたと言える。

(C)2020「ラストレター」製作委員会

 

手紙から明かになる不在の未咲と未来への踏み出し

今作の物語に着目してみると、登場人物がみないずれも未咲という不在の人物に心を痛める構図が特徴に映る。

未咲なる人物は、現在時制においては、他界してしまった故に終始画面に現れることなく、言葉を語る口も当然持たない。遺影にしても、彼女の過去を演じる広瀬すずの写真を用いており、徹底して彼女の今がわからないようにして、物語は展開されていく。

このミステリアスな存在たる未咲の実像を明らかにしていくアイテムが今作の題にもなっているレター(手紙)であり、その書き手である鏡史郎、裕里、鮎美はいずれも過去の未咲に後ろ髪を引かれている人物たちだ。彼らは、手紙を書くという行為を通じて、自らの内に込めていた過去と向き合うことになる。

書いたメッセージをリアルタイムにやり取りする手段にあふれている現代において、発信者と受信者の間に、このようなタイムラグが生じる機会は少なくなってきている。

だが反対に、手紙は送ってから届くまでに時間がかかるものである。送った相手に届くまで、少なからず自らが書いたメッセージの行方を気に留めているものであるし、その時間もデジタルな通信に比べて長い。今作は手紙が持つ非同期性を、頻繁に挿入される回想シーンによって視覚化しており、その性質を再認識させてくれる。

文通を経た末に、裕里が鏡史郎に発した「姉がまだ生きているような気がする」という台詞は、「手紙を書く」という行為体がもたらす恩恵を彼女が受け取っていたことを如実に示している。そして、彼女は鏡史郎との別れ際に、彼に小説の執筆を続けるように諭す。

鏡史郎自身も、手紙によく似た、小説を書くという行為体を通じて、離別した未咲への思いを形にしていた。今作は、「手紙を書く」「小説を書く」といった物書きがもつ意味を、未咲をめぐる追想によって明らかにしているというわけだ。

しかし、かつて未咲と付き合い、結婚までした阿藤によって、小説を書く行為は否定される。小説「未咲」は、何もない鏡史郎に与えられた贈り物であり、賞を取るために利用された道具かのように貶められてしまうのだ。

手紙や小説を書くという行為は、阿藤の言う通り、本当に一方通行で利己目的でしかないものなのだろうか。

その反証となるのが、今作のクライマックスにおいて明かされる事実だ。未咲が小説「未咲」の原稿を大切に持っていたと鮎美に告げられ、鏡史郎は自分の作品がきちんと彼女に伝わっていたことを知る。「未咲」は鏡史郎の独りよがりな回想ではなく、苦境に立たされていた彼女にとっての励みになっていたという事実によって、小説家としての鏡史郎は、救われるのである。

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未咲と瓜二つの顔を持つ娘の鮎美によって、また長いタイムラグを経て鏡史郎に届いたメッセージが、彼を再び小説家として動かす原動力になった。彼もまた未咲にまつわることを書いて、彼女の存在を留めていくのだろう。

また、「学校に行きたくない」と言っていた颯香が、この一部始終を目撃することで、少しばかりの勇気を貰う端くれのエピソードは、過去を振り返ることが、未来へ踏み出す勇気になり得ることを、これまた物語っている。

最後に読まれる未咲による卒業式の答辞は、元はと言えば鏡史郎が彼女のために書いたものだが、それも当初の目的をはみ出して、娘の鮎美にまで到達したことになる。過去の言葉であるはずのそれが、今は母を失った娘の励ましとなったわけだ。

このようにして、今作は、人の胸の内や過去を形にし、受け取った人の精神に安息をもたらしうる「手紙」と「小説」をめぐる物語になっている。更に、そこには書き手からは計り知れない波及効果までもが見られる。物書きにとってはこれほどロマンチックな物語はたしかにないのかもしれない。

(C)2020「ラストレター」製作委員会

 

理想を語るための容れ物のように見える女性達

ものを書く行為がもたらす功利を、ロマンチックな恋愛事情に絡めて、瑞々しい過去を挟みながら、物語った作品と言えば、今作の説明になるだろうか。

だが、自分としては完全に得心のいく話として受け取ることができない。

見ていて真っ先に感じたのが、福山雅治演じる鏡史郎が主体となっている一方で、未咲をはじめとした女性たちはあたかも鏡史郎に与するようにして存在しているかのような違和感である。主体性は骨抜きにされ、口を開けば、鏡史郎という物書きを再起させるための甘言を放ってくる。

この違和感を露骨に増長させるのが、広瀬すずと森七菜のダブルロールだ。回想パートにおける未咲と裕里、現代パートにおける鮎美と颯香をそれぞれ同一人物が演じ分けているわけだが、考えようによってはかなりグロテスクである。演じているのは生身の人間なのに、それぞれの役は過去と現在の橋渡しとしての機能に従事し、内面に迫る描写は殆どなされていない。あったとして、颯香が最後に決意したような「過去から未来へ」という今作のテーマに則ったものでしかない。

一方で、鏡史郎の高校時代を演じる神木隆之介は、回想シーンのみの登場であり、現代パートでは登場しない。これは、本来相当するはずの鏡史郎の息子が出ない(いない)からだと考えることもできるが、自分は鏡史郎自身が物語の主体であり、客体化してみなせない存在であるためだと考える。

じっさい、鮎美と颯香が鏡史郎にとっての過去の未咲と裕里の写鏡という図式は、彼女達と別れる際に鏡史郎がふとカメラを向けて写真を撮るシーンが如実に表している。この時、彼にとっても観客にとっても颯香と鮎美の内面は隅に追いやられ、2人の影は未咲と裕里の幽霊に映ったはずだ。

過去が現在に通じていることを直接のファンタジーに託すことなく表現する上で、このような手法が取られたことは容易に想像がつく。だが、鏡史郎の再起のため、あるいは物語のテーマを語るために、同一の外見を持った彼女達はあたかも容れ物のようであり、そこに割り切れない不憫さを抱いてしまった。彼女達の主観が小さく扱われ、その躰が青春の象徴として使われる様子を、美しいと思うことはできなかった。

テーマを語るために存在そのものを露骨にモノのように描かれている彼女達だが、今作のキーパーソンである未咲に至っては直接に語る口さえも与えられず、ただ鏡史郎と観客の想像のままに形を与えられるばかりだ。しかも最終的には、鮎美の代弁によって「鏡史郎が迎えに来るのを待っていた」という主体性の感じられない人物像を導き出されてしまう。「白馬に乗った王子様を待つ女性」が古臭いのはこの際置いておくとしても、直接に登場しない彼女の心中を、瓜二つの娘に語らせることを以てそれが全てとしてしまうのは、あまりに単純化が過ぎるのではないだろうか。

また今作では、未咲の幸福は、鏡史郎ないしは相手の男性に依拠しているかのような描かれ方が終始貫徹されている。大学時代にどういう経緯で鏡史郎が未咲と別れ、阿藤と付き合うようになったのかは、おそらく「手紙」でも振り返りたくはない過去として、意図して曖昧にされているのだが、それによって未咲の選択までもが不定形なまま放置される。阿藤と結婚し、彼と別れたエピソードがあたかも悲劇として、裕里や鮎美から語られていくが、紛れもなく結婚を選択したのも別れるのを選択したのも彼女だったはずだ。幸福を追求する主体者であるはずが、不幸に見舞われ、鏡史郎を頼るしかない女性として、本人が不在のまま外堀を埋められていく様は、男性にとって都合のよい女性を構築しているようで、居心地が悪く感じてしまった。

今作の手紙を用いて過去と現在を行き来する様相はたしかにロマンチックではあるが、それによって明かされゆく真実が、かくして鏡史郎に都合の良い女性達の存在を浮き彫りにしてしまっているため、釈然としない話となっていた。この主体性をなくした女性達を無視して、未咲をめぐる鏡史郎のドラマそのものをロマンチックと形容するのは、流石に無理がある。

(C)2020「ラストレター」製作委員会

 

なるほどと思いつつもロマンの外側にいた

河原で生物研究をする若き鏡史郎と裕里や、階段の踊り場で話す鏡史郎と未咲といった過去の回想シーンは、どれもキャストの瑞々しい魅力をありありとスクリーンに映し出しており、見応えがある。何気なく戯れる様子に至るまで森七菜や広瀬すずの魅力を引きだし、カメラに収めることに成功しており、岩井俊二の手腕には脱帽させられた。

手紙を媒としているがために地味に収まりそうなドラマを、上記の映像美でうまく見せてくれる。物を書くという普遍の行為についての効力も再考させられるし、伝えんとしていること自体は自分好みである。

ただ、文通で明らかになっていく真相自体にはこれといって驚きがないばかりか、首を傾げるような人物像の構築とご都合主義的な展開がなされていくばかりで、どっぷりと浸かりたくはならなかったのが正直なところだ。ロマンチックなお話とは、その範囲からはみ出してしまうと、かくも冷静に見てしまうものだとも思った。

今作はプロデューサーに川村元気が名を連ねていたり、キャストも軒並み売れっ子であったりと、近年の岩井俊二監督作品の中でもけっこう宣伝に力を入れていた印象であるが、どう考えても大衆に広くおすすめするような内容とは思えない。狭く密に響くようにして、見るべく人達に届けた方が、作品とっては幸せだったのではないだろうか。

とはいえ、キャストの魅力を引き出す監督の手腕やロマンチックな発想には、引き続き注目していきたい。今作で実写映画を初めてお目にした森七菜の将来性も楽しみにしつつ、筆を置く。

 

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