嫌い、好き、やっぱり嫌い『犬猿』レビュー【ネタバレ】

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こんにちは、ワタリ(@wataridley)です。

 今回は「犬猿」の感想。

 あの「ヒメアノ〜ル」を撮った吉田恵輔監督の作品ということでそれなりに期待して鑑賞。
ヒメアノ~ル 豪華版 [Blu-ray]
森田剛
Happinet
2016-11-02

 

 2つの兄弟・姉妹を通して何を描くのか?という部分に注目しました。

 

 感想を単刀直入に言うと、普遍的な家族愛を写実的なタッチで滑稽かつ危なっかしく、そして涙する場面もある面白い作品でした。
 全体でネタバレしていますので、ご注意を。
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77/100

 

一言あらすじ「正反対な性格をもった、仲の悪い兄弟と姉妹の日常」

 

4人のキャストが役そのもの

 

 本作を語る上で絶対にキャストは外せない。

 

 「東京喰種」で壮絶な状況に追い込まれ、精神を擦り減らすような役を見事に演じ切った窪田正孝は今作では素行の悪い兄に迷惑する保守的で物静かな弟。
 これが本当にハマり役で、普段の彼に抱きがちな格好いいイメージは一切なく、細い体つきも不器用っぽい表情も薄幸な弟のリアリティを引き上げています。ちょっと兄に反抗してみるも結局力関係は覆せない弱々しさに、観ている間「情けないなぁ…」と思いながらも肩入れしてしまう魅力がありました。どこか力の抜けた「兄ちゃん」と呼ぶ声や「別に…」と主張を濁してしまう言葉は
観た後も頭に残ります

 

 ただ、兄を利用している節があったり、表面上は穏便だけど実は多大なストレスを隠し持っている所が怖い。職場で後輩から女とのメールだと思われるくらいニヤついて眺めていたものは強請られそうになったヤンキーを兄貴にチクって、そいつがボコボコにされた写真でした。しかし、自分はそうなることを想定していなかったと言わんばかりに兄貴に不平を言い、責任逃れしちゃうあたりがとても不気味。
 新井浩文は危険なオーラを表現するのがうまいけど、一方で「近キョリ恋愛」という少女マンガ原作映画で妹想いの兄を演じちゃう実力派。

 今回は素行不良で自分勝手、傍若無人、だけどどこか弟想いという役所。冒頭弟の和成に絡んだヤンキーが、卓司の名前を聞くや否や強請りを取り下げたり、そこで出所なんてワードが飛び出すあたりから本人不在の場でインパクトを残すスタート。登場してからも半ば強制で弟から金を借りるわ、灰皿じゃなくコップを使うわ、デリヘルを勝手に呼ぶわで配慮だとか思慮だとか遠慮といったものとは対極にあるような常識破りな振る舞いそのものが面白い。

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 しかし、やはり大柄な体つきに鋭い目つき、しばしば映る首筋にまで伸びた刺青が怖いし彼が見せるヒメアノ〜ルに通ずる暴力描写も生々しい。悪気を感じさせない無邪気な言動の数々がむしろ狂気的であり、だからこそ端々に滲む弟への愛が引き立てられている、というきわめて絶妙な役所を力むことなく演じられていたので素晴らしいです。
 筧美和子はスクリーンで観たのは「東京喰種」のちょい役(店員Aみたいな)でしたので、本格的なお芝居を見るのは初めて。

彼女は容姿を武器にする人たらしで、世渡り上手な面があるものの
勉強や仕事が苦手、というフィクションにありがちな典型的に幼い妹の役。役と本人のイメージが合致しているためか、スッと受け入れられました。容姿や恋愛で姉にマウントをとっていく性悪な一面が自然に表現される一方で、夢を追い求めてもがいても実らず必死になる気持ちが痛々しいほど伝わってきます。

でも、その性悪さ、弱さ含めて可愛いなぁと思わされてしまいました
グラビアだけじゃなく女優としても注目していきたいですね。
 コメディエンヌの江上敬子は間の取り方や表現の幅が広いのはテレビで見かけていつも思っていたのですが、芝居のフィールドでは想像以上に生き生きとしていました。

容姿では妹に劣等感を持ちながらも、家事や寝たきりの父親の介護をしながら
父から継いだ印刷所を切り盛りするしっかり者。仕事ができない妹に「やれやれ」な態度でありながらも面倒は見ているし、
会社のため、家族のために滅私奉公をする境遇にいるというのにそれについて不満を口には出さず、
テキパキ動き、サバサバした言動をとる彼女のキャラクターはとても魅力に溢れています。

和成とデートをとりつけ遊園地で喜び、はしゃぐあまり嘔吐するリアクション芸に通ずる
感情表現の勢いが見ていて楽しいし、1人プレゼントの意味を深読みして浮かれる様なんか笑わずにはいられません。実は恋愛に不器用な人間がネットで自分に都合のいい情報を集めるってのは個人的に共感した部分です。
 この4人のキャラクターが織りなす毒気のある会話劇が見応えあります卑近な兄弟のコミュニケーションを面白おかしく、それでいて親しみを覚えるように作った制作者には頭が上がりません。

 

 

犬猿で描いたのは愛と憎しみの表裏一体

 

 

 エリ・ヴィーゼルというユダヤ人作家が述べた有名な言葉に愛の反対は憎しみではなく無関心である」というのがあります。(日本ではマザー・テレサの言葉だと誤解されていますが…)

 

 犬猿にあてはめるとするならば、愛と憎しみはとても近い」と言い表わせるのではないでしょうか。
 金山兄弟のパートではコツコツと働く弟が粗野で危なっかしい兄に振り回される様子が、幾野姉妹のパートは妹への嫉妬をエスカレートさせていく姉の様子が描かれます。

 

 和成は、卓司からの連絡に応じないあたりからも明らかに彼を疎んでいて、2人の世界に引きずりこまれると喧嘩の汚れを洗い落とさせられる下っ端のような役回りにならざるをえない事に不満があります。不平を口に出しても封じ込まれてしまうし、暴力では勝てっこないものだから兄との勝負を極力避けるように立ち回っている様子。
 卓司が事業を成功させワインをすすめても飲むのはビールだし、起業なんて考えず地味に堅実に社員として生きていく。外車は燃費が悪いといってエコな車を好む。

でも、その差を意識せざるを得ない局面になると
内に秘めたストレスが抑えきれなくなってしまう。自分が少しずつ返済していた親の借金を卓司に全額返済されてしまい、急速に羽振りが良くなる彼に比べて自分の昇給は僅か。

そんな現実を突きつけられると人を殺しそうな目になるくらい嫉妬心に溢れかえっている。
だから、実の兄であっても警察に通報するし、命が危険に晒されても見過ごそうと考えてしまう。

世間からすれば明らかに和成の方が真っ当な人生を送っていると評価されそうなのに、
兄弟という関係の中では劣等感を抱き、それが憎しみへと変貌してしまうというのが興味深いですね。

 

 卓司もまた、両親が買い与えた高価なマッサージチェアよりも和成が以前にプレゼントしていた椅子に腰掛けることに憤慨した様子を見せていますし、その後車を和成に贈ろうとしたのは自身が兄として恵むことで上に立とうとする姿勢だと思われます。

彼らは互いに上の立場を望み、いがみ合っている
のです。
 姉妹の方では姉の由利亜が妹の真子に対して憎しみを抱きます。男兄弟が社会的な成功におけるマウント合戦だとすれば女姉妹は恋愛で競い合っていると言えるでしょう。

和成を巡って対立する姉妹の仲はどんどん悪化していくことになりますが、
由利亜は仮にも社長であり、仕事のスキルだってある一方で真子は親戚に見せたくないような汚れ仕事や枕営業に手を染めているわけでやはりここでも社会的な評価と姉妹間の上下関係は不一致なのです。

姉の欲する恋人を妹が盗む。
けれど妹もまた姉の持つ利口さや能力を羨む。その感情が憎悪につながってしまう。
 では、彼らは憎み合うばかりの仲なのか?

作中示された通り、彼らは自分の血を分け合った仲間が死に瀕した際には
彼らを助け、自身の愛情を表現しました。

 

 和成が卓司を、真子が由利亜を心底嫌っているわけではないというのは遊園地でお互いの兄と姉について口出しした時にそれぞれが兄ちゃん/お姉ちゃんにも良い所はある、という主張したことからもわかります。自分が抱いていた憎しみが他者に踏み込まれた際に不快になる。すなわち独占欲に近い感情に見て取れます。これはまさに愛にも近い感情なのではないでしょうか?「他人に自分の恋人をわかったような口で語られる」というシチュエーションを想像すると遊園地の彼らと似たような会話を繰り広げる可能性も浮かんでくるでしょう。

 

 無関心の対局にあるのは関心。関心とは愛情でもあり、憎しみでもある。愛も憎悪も相手に感情を注ぐことであり、同一のカテゴリーにひっくるめることができるのです。

 

 もちろん、愛と憎しみが全く同質の感情だとまでは言いませんが、血の繋がった兄弟の間には根本的に愛が備わっていて、それが憎しみに簡単に転化しうるし、更にその憎しみだってピンチの際には愛に転びうる、というのが犬猿の兄弟関係を通じて訴えかけられているような気がするのです。

 

 卓司も由利亜も朦朧とした意識の中で、弟を守ろうとする頼もしい兄としての姿、妹の夢を応援する姉の姿を思い馳せていました。
 でも、今はいがみ合って、挙句に激しい取っ組み合いにもなってしまう。
 でも、相手が死に瀕したら思いやってしまう。
 でも、相手が通常運転に戻るとまたいがみ合いになってしまう。
 愛、憎しみ、愛、憎しみ…という感情の変遷は距離的にも精神的にも肉体的にも近しい存在だからこそ起こりうるものなのでしょう。

 

 こう書くと随分面倒くさいですが、現実に生きる我々だって実は全く同じなんです。

 

 映画「犬猿」は他者に抱く感情は単一的ではなく多面的であり故に人間とは複雑な内面を抱えた存在なのだ、と再考させてくれました性格が真反対な兄弟・姉妹という極端な関係を笑いながら楽しむことができましたし、共感・共感・共感の嵐を呼び起こされました

 

スイーツ向け映画へ向けたアンチテーゼ

 

 もうひとつ、どうしても触れておきたいのが、冒頭の不意打ち予告「恋する君の隣には」です。
 東映のマークが出たので本編が始まるだろうと踏んでたらいきなり違う作品の予告が始まったものだから面食らってしまいました。

 

 結局劇中劇であると明らかになってからは、一層話に引き込まれることになりました。掴みがすごく重要である、というのは当たり前なのですが、こんな方法で観客を引き込んでくるとは予想だにしませんでした

 

 この冒頭の嘘予告は、単なるギャグともとれます。しかし、自分は犬猿で訴えているメッセージとは真逆のテーマ性を持ったスイーツ向け映画を提示しておくことで、より作品のアピールポイントを際立たせる狙いがあったのではないか、と考えてみました。

 

 自分は少女漫画原作の映画を割とよく見る方でして、アオハライド、ストロボエッジ、青空エール、
ヒロイン失格、オオカミ少女と黒王子、orange、先生!などは劇場で観たぐらいです。これらの作品は、当然若い女性をターゲットにしているとあって扱っているのは恋愛です。

 

 作中、主人公の女の子が憧れの男性に恋をし、最終的にはくっつくという流れでだいたい説明できてしまいますね。ほぼ毎シーズン同じような構図の映画が作られ、公開され続けているわけですが、現実にあんな恋愛話はハッキリ言ってありえないです。

 

 考えてもみて欲しいのですが、相手のことが好きになったから相手に抱く感情は好き100%でしょうか?

2時間の枠の中でほぼ確実に意中の相手と添い遂げますが、恋愛はすべてがそうでしょうか?
 そんなわけありませんよね。

 

 それがさも当たり前になっている今の映画界に一石を投じているのがこの犬猿。振り返って見ると、彼らの関係性は元に戻っただけです。幼少の仲の良さに戻ったかと思いきや、また一触即発の状態になるところで幕切れ。
 また、愛ではなく憎しみや嫉妬といった――少女漫画では悪者扱いされそうな――感情が大半を占めています。和成にしろ、卓司にしろ、由利亜にしろ、真子にしろ
みんな後ろめたいなにかを抱えていて、少女漫画には到底出演できそうもありません

 

 でも、それでいいんじゃないでしょうか。汚いところ、直視したくないところを抱えているのが人間だし、必ずしも精神的に成長したり、関係が進展していくとは限らないんだというのは
皆さん散々知っているはずです

 

 スイーツ向けによくある画一的な恋愛感情や関係の進展で観客を一時的に満足させるのではなく敢えて観客の我々にも届きそうな兄弟関係にフォーカスし、「家族の関係って変わるようで変わらないよね」っていう結論は独特ながらも共感できます。

 

量産型のハッピーエンド「2人は幸せなキスをしました」もいいですが、犬猿の作家性は他に類を見ないものであり、支持したいと思いました。

 

 

 

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