こんにちは、ワタリ(@watari_ww)です。
今回感想を書く「祈りの幕が下りる時」は、東野圭吾の同名著書を原作としたミステリー作品です。
自分は、刑事 加賀恭一郎が出てくる所謂「加賀シリーズ」を実は読破済みでありまして、「祈りの幕が下りる時」も実写化が報じられる前から読んでいました。
2010年に放送された阿部寛主演のドラマ「新参者」シリーズの最終作と位置づけられた今作では、今まで第三者の刑事として捜査してきた加賀恭一郎が自身の家族が関わりのある事件に身を投じることとなります。
そんな人気作家による小説の実写化であり、8年も続いた刑事ドラマの最終作でもある本作は邦画の中でも大作の部類に入るでしょうし自分にとってもあの原作をどう映像化するのか?という点でも注目しておりました。
レビューは前半はネタバレ無し、後半はネタバレになっています。ネタバレに入る前に注意書きがあります。
64/100
一言あらすじ「加賀恭一郎が日本橋へ来た理由と家族とのわだかまりが、最後の事件と共に氷解する」
加賀恭一郎を主役に据えた作品は小説は、計10作品。「祈りの幕が下りる時」を含めた5作品がTBSによって映像化されています。
本作は日本橋署にやってきてからの加賀恭一郎の物語に決着がつくということなので基本的には過去の4作品を観てから行ったほうが良いです。
以下、軽く観ておくべきかどうかの重要度(最大星3つ)と、あらましを書いておきます。
スペシャルドラマ「眠りの森」(2014)
重要度★☆☆
時系列的には最古の話。
バレエ劇団の中で巻き起こった殺人事件を捜査します。
加賀恭一郎ととあるバレリーナとの悲恋を描いており、個人的には好きなのですが、「祈りの幕が下りる時」に繋がる描写はあまりないです。
スペシャルドラマ「赤い指」(2012)
重要度★★★
「眠りの森」より後、「新参者」で日本橋にやってくる前のお話。
少女誘拐殺人事件を隠蔽しようとする家族の闇を加賀が暴きます。
原作でも加賀が人情派刑事に傾いたのはこのあたりから。
この作品では、加賀恭一郎と彼の父隆正との死別が描かれており、「祈りの幕が下りる時」にも繋がってきますので必見。
ドラマ「新参者」(2010)
重要度★★☆
新参者シリーズの始まり。全10話の連続ドラマです。
絞殺事件の捜査のために加賀が日本橋を練り歩きます。
沢山の無駄足を踏みながらも事件の真相に迫っていくというこれまでの刑事ドラマとは一線を画した作りになっており、なかなか面白い。
スルーしても今回の映画を理解するのには問題ないですが加賀のキャラクターを掴んだり、日本橋の空気を感じるために観ておいた方が良いです。観ておくと映画で思いもよらぬファンサービスもあります。
映画「麒麟の翼~劇場版・新参者~」(2012)
重要度★☆☆
劇場版1作で、「祈りの幕が下りる時」より前の話です。
加賀が日本橋で起こった殺人事件を捜査します。
劇場版なので顔ぶれは豪華。ゲストに新垣結衣、中井貴一、松坂桃李、山崎賢人、菅田将暉等、今では主演張るような人たちばかり出ていました。
個人的にあまり話にのめり込めませんでしたし、加賀にとってさほど重要なドラマもないです。
…というわけで個人的には「赤い指」と「新参者」を視聴していれば「祈りの幕が下りる時」を完全に理解することは可能だと思っています。
加賀恭一郎は原作小説ではもっと掘り下げられていますが、一連の映像作品では反映されていない部分もあります。なので、わざわざ映像化されていない作品を予習する必要性はないです。
更に言うと「祈りの幕が下りる時」がシリーズ初めてであっても今回の事件の真相を追っていく過程は参加できるようになっています。今作を観てから過去作を観始める、というのもありかもしれません。
そのまま映像に起こしたら2時間には収まらない原作を適切に取捨選択し、話の筋を通していました。
原作の加賀恭一郎のイメージをそのまま現実に起したような阿部寛。
ミステリアスな舞台演出家 浅居博美を演じた松嶋菜々子。
加賀の従弟にして刑事の後輩的な存在 松宮脩平の溝端淳平。
恭一郎と生前確執があった難儀な父親役の山崎努など、原作を尊重しつつ豪華な顔ぶれになったキャスティングも文句のつけようがありません。
映画版においては、事件の大筋を拾ってはいるけど、尺の都合上細かいやり取りはオミットされてしまっており、捜査の先々で起こる会話劇や地道な捜査描写の奥行きは、やや薄れてしまいました。
例として、原作では捜査の過程で原発関係者が出てきて、その劣悪な労働環境や人員管理の杜撰さに冷たい視線を投げかける展開があるのですが、映画においてはテンポ重視のためにさらっと流されてしまっています。
原作者の東野圭吾氏は過去に「天空の蜂」という作品を発表しており、これは映画化もされていますが、その中で原発の是非についての問いが込められていました。
「祈りの幕が下りる時」の本筋は事件の真相を明らかにすることであって、社会問題を扱うことではないのですが、さりげなくこうした問題をしのばせ、読者に考えさせる機会を作り出す意図があったのだと解釈しています。映画では、寄り道で拾えるメッセージはほとんどないため、味気ないです。
他にも、原作では結構なページ数を割いて読み手を罠にかけるミスリード描写が、映画ではあっさり済まされています。テンポが良くなった反面、どんでん返しに至るまでの「溜め」も薄まってしまったのです。
映画は省略こそあれど、原作から変更された点はほとんどないので、終盤にある見せ場・ミステリーの種明かしパートはそのまま。この部分は、やはり地道かつ長丁場な調べ物をした上で明かされるからこそ、カタルシスを感じられるものです。それを2時間程度の尺の中に配置したので、真実に行き着いた際の達成感みたいなものがやや弱くなってしまいました。
小説は400ページ以上あるので、加賀の捜査に沢山の試行錯誤が含まれたり、行き詰った際に閉塞感があったり、様々な登場人物たちが語ることで多面的な事件の様相が窺えました。しかし、映画は2時間程度にうまくはめ込んだ結果、東野圭吾氏の本来の味付けから薄まってしまったように思います。
そして、原作を既に読んでいた私からすると、原作の時点で感じた違和感や不満点がやはりそのままであったことも惜しいです。そのまま映画化したのだから、必然的に良いも悪いも引き継がれるわけですが、既に結末を知っている身として楽しめる仕掛けがあまり観られませんでした。映像化に際してのサプライズをたくさん用意してほしかったという気持ちです。
邦画の中ではキャストも豪華ですし、原作が人気なだけあってエンタメ性も確保されています。
しかし、自分が映画に求める驚きや感動があまり感じられず、人気原作と豪華キャストを組み合わせて無難に作ったという印象が拭いえませんでした。
自分は同じ東野圭吾原作の実写映画では、「容疑者xの献身」「真夏の方程式」がけっこう面白かったと思っています。
前者は、映画向けの構成のアレンジがうまく効いていて、犯人役を演じる堤真一の巧みさに唸らされました。
後者は、海沿いの街を舞台にした空気感を再現し、花火やペットボトルロケットなどのいかにもスクリーン映えを狙った表現が良かったです。
加賀シリーズは「新参者」以降、人情要素を前面に出すようになり、かつ「無駄足をどれだけ踏むかで捜査は変わる」といった台詞に象徴される根気強い加賀の捜査手法が目立つようになりました。
なので、映画に持ち込んでしまうとその地味さがやや引っかかる作品なのです。ガリレオは映画でうまいこと化けた作品ですが、加賀シリーズは素直にスクリーンで表現できる面白さではないと思っています。
ドラマ「新参者」では、毎回変わるゲストの役者陣やコミカルな描写、日本橋の土地風景で視聴者を楽しませてくれました。
基本的に軽妙なテイストで話が進み、最後には人情でホロリとさせる流れが日曜の夜に放送されるドラマとして噛み合っていたのではないかと考えています。
しかし「麒麟の翼」では2時間の終盤部分に重厚なヒューマンドラマを入れ込もうとした結果、事件そのものはあまり楽しめるものではありませんでした。
麒麟の像に向けたある人物の行動や終盤唐突に明らかになる過去の話など、本格的な推理小説のようなプロットを求めると、どうしても受け入れられない部分がありました。
わざわざ映画館で映画として観るべき作品なのか?当時そう感じた記憶があります。
「祈りの幕が下りる時」においても同様です。終盤明らかになる人間ドラマに力を注いだ結果、事件そのものには大仕掛けなトリック(ハウダニット)だとか、誰が犯人なのか予測がつかない(フーダニット)といった従来のミステリーに期待するような衝撃は薄いです。
この作品は犯行に至る動機(ホワイダニット)を強く描くことで、家族に起こった悲劇と救済を浮き彫りにすることを狙っていたように思います。とても面白い試みでありながら、しかし「ミステリーでやる意味はあるのか?」とも考えました。
刑事が犯人の動機に着目するミステリーはたしかにオリジナリティがあります。ミステリー小説ではニッチな分野です。
だから、東野圭吾氏が挑戦的に着手したのでしょう。氏は、犯人を読者に当てさせる「どちらかが彼女を殺した」「私が彼を殺した」といった一風変わった作品を発表しているくらいです。
加賀恭一郎というキャラクターは筆者が新たなミステリーを描く時、信頼できる相棒のような存在なのです。
複数の短編(ドラマでは10話)で成り立つ「新参者」では、捜査過程のミクロな局面を描くという試みは成功していたのだと思いますが、自分は「麒麟の翼」「祈りの幕が下りる時」にある「前半の地道な捜査劇」と「終盤明らかになる人間ドラマ」にどうしてもギャップを感じ、困惑してしまいました。
映画化した際にもそのギャップは是正されず、それどころか2時間の尺に当てはめた結果、より差異が目立つようになったとまで見ています。
簡単に東野圭吾氏と加賀恭一郎の経歴を振り返ってみました。
結論を言うと、「新参者」がドラマ向きな作品であったように「祈りの幕が下りる時」も映画というメディアではなくテレビで表現したほうが適切だったのではないか、と個人的に思います。
以下核心に触れるネタバレです
次々と事を進めていくために、テロップによる状況説明が序盤やけに入ってるあたりも作り手の試行錯誤の跡が見えます。
個人的にはこれは無粋に感じてしまいました。そもそも説明しなくても済むことまでテロップで表記しているのが問題です。
例として、現場検証を行う松宮が遺体を確認して、蛆が湧いて腐敗しきっている様子が映りこむ場面における、「死後長時間放置されており腐敗していた」といった説明は完全に不要です。
ありがちですが、現場に入るときに他の捜査員から報告を受ける形で観客に伝えるなどの工夫をすればいいですし、腐り果てた遺体を見れば観客だって「死後放置されていた」ぐらいは察せられるはずです。
状況説明の不満は他にもあります。けっこうな頻度で過去の出来事に遡ったりするため「19〇〇年」表示くらいは許容範囲なのですが、登場人物を映して「14歳」と紹介するのは、全く意味がわかりません。要らぬ深読みまでも招くのではないかと思います。
テロップによる状況説明は「シン・ゴジラ」が記憶に新しいです。シーン転換の多さと複雑な閣僚組織の二つをうまく映画に落とすために行った策のようでした。結果として、作品のスピーディーさを際立たせ、日本の政府組織やお役所の整然とした雰囲気を味あわせる演出になっていたと見ています。
今作における、テロップは無くても話は成立するし、寧ろ情報を入れすぎて煩わしくすら思えるものでした。
映画にあたって、視覚的な楽しみを期待していました。
だいたいのシーンが想定していたとおりといった感じで、驚きはあまり無かったのですが、中には感心する演出や映像がありましたので、記します。
松宮が現場検証を行って、独自にホームレス焼死事件との関連付けを思いつき、捜査チームにも提言してみるというのは、今までのシリーズを観てきた身としては、ちょっとした成長を感じ取れて良かったですね。
そして押谷修子の職場を訪問し、東京行きの動機を探り、演出家浅居博美に行き着くも収穫を得られず。やむなく退散しようかという時に画面に向かって去り行く松宮の表情が一変。次のカットで映りこんできたのはあの加賀恭一郎が浅居博美の隣にいる写真。そこでメインテーマとともにタイトルが浮かぶ、という演出は「これは新参者シリーズであり、加賀も事件に関わってくる」という昂揚感が引き立てられました。これは原作には無い見せ方だったので、自分も感心しました。
また、浅居博美が施設にいたときを思い出さないように自宅の壁に絵を施しているというのも彼女の燃え盛る心情を映していて独特な雰囲気を作っていたと思います。とはいえ壁はちらりと映る程度だったので、もう少し目立つような使い方をしてもよかったのではないかなと思います。
再現されたパートで良かったのは、終盤の浅居親子の逃避行です。原作だと割りと陰鬱で悲惨なシーンが文字で続くので、ちょっと気乗りできない部分があったのですが、映画では余計な描写をカットして、素朴に彼らを映していたので追い易かったです。
演じていた小日向文世氏の若いメイクは自然だったし、不幸な境遇にいるか弱い男性の役を演じさせて彼の右に出るものはいませんね。日本一可哀想な男を演じるのが巧い俳優だと思います(最高のほめ言葉)。
また桜田ひより演じる少女時代の浅居博美も、先行き不安で強張った静かな表情から、感情を爆発させて号泣する演技に至るまで、いたたまれない気持ちにさせられました。
道すがら出会った男のワゴンに連れ込まれ、ゆっくりズームアウトしていくシーンは腹の虫がおさまらず、画面に釘付けになりましたね。
成り行きで浅居忠雄の身代わりになってしまう原発作業員 横山一俊を演じた音尾琢真氏の挙措も見事で、厭らしい少女への視線や食事中の横柄さを感じさせる仕草はあの短時間の登場でけっこうインパクトがありました。
原作だとこのあたりは結構長々としていたのですが、映画で整理された結果けっこう観易くなっていたと思いますし、迫真の演技や、登場人物の壮絶な過去にはやはり胸にくるものがありました。
部分的にあったこれらの映像表現の工夫を映画全体で絶え間なく仕込んでいたらもっと良くなっていたのではないかと思います。
原作をなぞった結果、変化に乏しいという印象が強くなってしまったし、そもそもこれを映画でやる必要はあったのだろうか?という疑問もあります。
しかし、邦画のなかでは力が入った作品であるし、人気シリーズの完結作とあって新参者シリーズのファンには感慨深いものがあります。
阿部寛の鋭い眼光・よく通る低音ボイスや松嶋菜々子の美貌など、大画面で見るのもまた良いものです。
新参者シリーズを知っていて興味が沸けば、劇場に足を運ぶのもいいと思います。
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