8話「おだやかな時刻」
ともすれば地味とも捉えられかねないほどに緻密かつ抑制的な作りを志向してきた『ToHeart』において、この8話はその極地とも言える回に仕上がっている。新学期の朝の席替えをメインイベント持ってきていた1話も相当だったが、今回に至っては「幼馴染ふたりが試験勉強するだけ」というあらすじで説明がついてしまうのだから。
今回は、殆どあかりの家に話のスケールが収まっている。それ故移動やアクションも自ずと限定されてくる中で、あかりと浩之を捉える場面はひたすらレイアウトが豊富。画面への注意を持続させる手腕が発揮されている。浩之があかりの家を訪れるAパート冒頭からして、①玄関前にいる浩之の後ろ姿、②迎え入れるあかりと家に入る浩之の俯瞰、③直前の会話を受けての二人のバストアップ、④浩之が室内に目を向けると階段の手すり越しにカメラで捉えたような画角と、些細な情報の提示であってもカットごとに注意を惹きつける対象・ニュアンスの微妙な変化が面白い。④のようなカメラを意識させる画は、浩之があかりの部屋に入る際のガラス越しのカットや、あかりから詰め寄られて顔を背ける浩之を斜め上の棚の上から捉えたカットなどこの後もいくつかインサートされるが、この二人の光景を覗き見ているような心地に寄与している。はたまた、志保からの電話が鳴り響いたシーンにおいて、電話を手前とし、その奥から各々注意を向ける浩之とあかりが三段重ねに配置されたカットなども部屋という空間に非日常的なーーもちろんこの場合はかけてくる主たる志保であるーー奥行きが与えられており、とても面白い。
劇中何度か志保が電話で絡んでくる場面では、寝込んでいる姿が静止画でインサートされるのみ。顔は伏せられ、動きをつけられていないのもあって最後まで程よく部外者然とした印象を与え、画面内の主役であるあかりと浩之の時間に徒らに干渉しない間合いを保ち続ける。あかりとの電話越しに浩之の悪口を言ったと思いきやカットが切り替わると受話器を耳にした浩之がいるというコメディシーンを提供してくれており、こうしたおかしな騒動を志保が担ってくれているおかげで安定感に満ちた浩之とあかりのやりとりが強調される側面もあるので、本当丁度いい匙加減なのだ。志保はあかりと浩之が一つ屋根の下で二人きりと知って大きくリアクションを見せる(それに反して二人の間には何も起こらないというのが今回の肝である)ので、今回のこのキャラクター配置は意図したものなのだろう。
原画担当は今回は2名のみのクレジットなので、一般には節約回に分類されるのかもしれないが、前述したレイアウトの面白さもさることながら、アルバム写真を眺める体であかり達の過去を追想していくシーン、寝込んでいる志保の部屋の内装を写したカットといった静止カットから、各々営みを感じられる設定と作り込みが見られ、省エネであることをまるで感じさせない。むしろ、ズームイン、ズームアウト、カメラパンといったシンプルな撮影に留めていることが、観察しているような感覚を強めているとさえ言える。
唯一学校でのシーンがない回であるが、音周りの気遣いはこの登場人物たちの生活空間に立ち会っているようなコンセプトと相変わらず調和している。冒頭のラジカセから聞こえてくるポップソングのあくまで機械越しの音から始まり、休日の家宅で勉強している時に窓を隔てて外から漏れ聞こえてくるはしゃいだ子どもの声だとか、幾多もインサートされる時計の秒針など、本来はオミットされても仕方ないかも知れない些末な音の響きが、とある休日の部屋の中で起きているなんてことない時間の説得力を増している。過剰な音楽で場を盛り上げて二人が過ごす時間の静けさを妨げるような無粋さとはまるで無縁だ。今回は浩之が幼少期の写真を見つけた時などに用いているBGMや効果音もふとした瞬間をさりげなく叙情する役割に留まっているが、同時に効果的にその場面にインパクトをもたらしてもいる。
今回、タイトル通りの「おだやかな時刻」の中で何を描きたかったのかを考えていくと、それはこれまで同じく幼馴染である雅史や、中学時代から関わりを持った志保を差し引いて、最小単位のあかりと浩之の関係のごくありふれた様相を呈示することにあるのだろうと行き着く。なので、志保が予感していたようないかにもラブコメらしいハプニング(大抵が身体的な距離の接近や、ふとしたきっかけで相手のプライベートな領域に踏み込むといった形で描かれる、まさしく「事件」と呼ぶべき出来事)は何も起こらず、ただただ時間の許す限り勉強と、その合間の休憩が描かれるのみなのだ。
そうしたありふれた日常の中、この『ToHeart』が1話から描いてきた「あかりから浩之への視線」というアクションはやはり今回も反復されることになるが、一方で浩之があかりから向けられた眼差しに応答できない場面が訪れる。彼はあかりがクマグッズを収集することになったきっかけも、さらにはおさげ髪をやめて今の髪型にしたきっかけさえも、自分が関わっていたにも関わらず、すっかり忘れてしまっていた。それと同じように、幼少期の教科書事件を全く気に留めていない。それを大事な思い出として持ち続けているあかりの話にはっきりと応えることができず、浩之は煮え切らない様子で顔を背けるのだった。
しばしば、アニメの素朴な主人公が他者から向けられる好意に鈍感なんて光景はとうに記号化され、氾濫しているといってもいい造形である。あるいは、あかりが思い出を大事にしているのに対して、それを忘れがちな浩之という非対称的な構図は些か薄情に映るかもしれない。
だがこれは、自身があかりに対して行ったことは極めてありふれていて何ら特別だと思っていないような素朴さの顕れなのだと見ることができる。というのも、この回の最後に描かれるやり取りが、浩之は無関心故に忘れている訳ではないらしいことを、たしかに思わせるのだ。前半では勉強に身の入らずあかりの出題に不真面目な回答を重ねていた浩之だったが、志保のお見舞いに向かう道中、こぐま座、おおぐま座といったあかりが好きな星座に関してはスラスラと口にする。どうでもいいことにはモチベーションが上がらないが、あかりの好きなものはふと覚えていたりもする浩之の性格が出たシーンだ。
このやり取りは、特別な意識を持って行われているわけもなく、ただ並んで歩いている最中に口をついて出た言動に過ぎない。だから、浩之はこの出来事をやはり特別に記憶しておくこともないだろう。一方で、あかりにとっては、浩之が見せた変わらない一面に少しばかり胸がすく思いを得たかもしれない。
そしてその思いが、あくまで劇的な出来事を通してでなく、休憩中の思い出話や試験勉強というありふれた時間の末にもたらされたということが、この回のささやかな偉業とも言えるのだ。浩之が思いがけずやってきたことを、あかりはとても大事に記憶している。そんな日々の営みに見る側を誘い込んだ結果、想像はこの回限りの出来事の枠を超えて、「おだやかな時刻」とは非対称ながこれまで幾度となく重ねられてきたのではという所にまで及び、二人の関係が妙に実感あるものへと昇華していく。ただの試験勉強、ただの休憩時間の戯れ、ただの夕食、ただの友人宅への往路といったただの日常風景が、事件という名の作り物めいた作劇を斥けて描かれることで、その説得力を大いに増している。
ラストは、浩之とあかりを見下ろす夜空…と思いきやアイリスアウトする志保という二段オチで締めくくられる。アイリスアウトはギャグやコメディ色の強いアニメでしばしば用いられる印象が強く、そうした典型として浸透しきったせいなのか、近年ではかえって見る機会の減ってきたトランジションである。そもそも漫符をはじめアニメらしい記号を控えてきた本作において、普通ならば浮いた表現に捉えられそうなところを、特段地味な作風・展開である今回において、敢えて用いるというあたりに逆説的な思い切りを見出せるのが興味深い。今回こうした一見調和を崩すような遊びを最後に入れてたくなるぐらいに、作る側にとって本編の平穏さは意識されていたということなのだろう。
コメントを残す