こんにちは、何かにつけてスタバに入り浸りがちなワタリ(@watari_ww)です。
アニメ10話の恋雨は原作5巻37話の後半~39話いっぱいと9巻67話後半のエピソードを組み合わせたものでした。
直接言葉を交わさずとも
この古本で溢れた空間に身を置く店長の声はどこか高らかで、子供のようです。平田広明氏の演技はキャラクターの心情を自然と映し出していて、さすがベテランだと思わされます。
忘れられない部活への想いはネガティヴなものだったのかもしれません。でも、あきらは古葉書にある言葉によって、今の気持ちを前向きに捉えられるようになったから、「いいね」を押しました。それを目にした喜屋武も「いいね」を押し、言葉にしない二人のコミュニケーションが交わされました。店長に見せた古葉書も、「いいね」を押したSNSの投稿も、本人が明確に言葉を語らないからこそ、受け取った側の気持ちが反映されるのが面白いですね。
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小説と両想いでいたかった店長にとっての救い
小説を追い求めることでおそらくは妻との関係も悪化してしまい、勇斗とも離れ離れになってしまった。「誰も救うことができないのか」というモノローグが過去を直接語らずとも、何があったのかを考えさせますね。
そこに挟まれる四つ葉のクローバーは、幸福を表す定番の意匠。4つの葉はそれぞれ、希望、誠実、愛情、幸運を意味するらしく、それをついばむ形になっているツバメがなんとも含意的。
店にあった雨をしのぐツバメの巣、そして飛び立たない雛鳥。それは即ち、二人の現況のメタファーでしょう。諦めによって現状を維持することは好ましくない。だから、常に自分にとって良いと思えるものを選んだほうがいい。そんなメッセージが含まれているのではないかな、と思いました。日光にあてると浮かび上がるツバメの模様は、雨の当たらぬ場所にいると薄れてしまう店長の小説への情熱なのかもしれません。
あきらが最後に「本当に諦めたツバメは、空を見上げることも忘れてしまう」と恥じらいを感じさせる表情で語っていたのも印象的です。今は雨をしのぐ場所=ガーデンにいたいというあきらの意思表明なのでしょう。
3話の最後に「自分の何気ない一言が誰かの心を揺らしている」と心の中で語っていた店長ですが、今回の話では彼があきらの言葉によって救われているようです。当初はあきらから店長への一方通行のような関係が、着実に相互影響しあうものになってきていると考えると、この変遷は感慨深いですね。
「そんな店長だからです」と告げるあきらは、店長にとって何よりも有難い存在ではないかとも思います。相手に高望みをするのでもなく、低く見るのでもない。ありのままを受け入れて、言葉に耳を傾けてくれる人が傍にいてくれると、救われるはずです。
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原作との違い
冒頭の月を見上げるあきらは、原作にはありませんでした。スーパームーンではないけれど、あれから月に興味を傾けるようになったのは、店長に出会った日に励まされ、空を見上げたのと重なります。
ヴィクトル・ユーゴーと「それから」のエピソードは全くのアニメオリジナルでした。かなり自然に溶け込んでいるので、アニメで観たときは気づかなかったぐらいです。
喜屋武とあきらの「いいね」のコミュニケーションにしても、原作では相手の内情を掴めない不安を感じさせる描写でしたが、アニメでは希望を感じさせるものに変わっています。アニメだとあきらの「いいね」を見た喜屋武はそれに答えるかのように自身も「いいね」を押していましたが、原作では物憂げな表情でそれ見る所で話が終わっているのです。
また、今回のツバメのエピソードは丸っきり9巻の話を先んじて5巻の話にくっつけています。その結果、店長の抱える夢への執着心がツバメの話で暗に示され、そんなことを語る店長をあきらが肯定するという流れが出来上がっています。「そんな店長だから」というのは原作では、あきらが出会い頭に放った言葉でしたが、アニメのほうは話し込んだ末に出てきました。観る側も店長に耳を傾けて、あきらの言葉に共感できるため、説得力が生まれていたように思います。
P.S.あきらのジト目がカットされたのはちょっとだけ残念でした。。。こういう細かいところも違いがあるので、アニメだけじゃなく原作もいいですよ!
(C)眉月じゅん・小学館/アニメ「恋雨」製作委員会
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