アイキャッチ画像: ©円谷プロ ©2018 TRIGGER・雨宮哲/「GRIDMAN」製作委員会
こんにちは、昼ごはんにがっつり食べないことで眠気を回避しているワタリ(@wataridley)です。
追っかけてきた『SSSG.GRIDMAN』第9話「夢・想」の感想です。今回でようやく放送分すべてを見終えて最終回でもないのに感無量です。
▼前回感想
叶わない夢を見る
響裕太が目を覚ますと、見知らぬ少女がいた。その少女は記憶喪失になった裕太を介抱してくれたという。彼女は自宅まで裕太を送ってくれる。記憶にはないが、付き合っていたという2人は鼓動高鳴るようなくすぐったいひと時を過ごす。その余韻に浸る響は、記憶喪失も受け入れる。
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高校に入ったばかりの宝多六花が保健室へ行くと、同じクラスの少女が休んでいた。彼女のいたいけな言動や家が近いことから2人は距離を縮める。2人はこれから親友になるのかもしれない。
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ある日本屋で特撮の雑誌を立ち読みしていた内海の前に、気になっていたあの子が現れる。奇遇にも彼女も特撮が好きで、特に怪獣に関する知識は眼を見張るものがあった。同じものを好きだと知った内海は嬉しくてたまらなかっただろう。
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街に実害をもたらさない巨大怪獣が夢を見させ、グリッドマン同盟の内世界をアカネとの日々に塗り替えようとしていた。グリッドマンに敗北したアカネがいかに毒々しい内省に陥っているかを物語っている。
裕太と内海はアカネと何ら壁のない楽しいひと時を過ごし悦に入るが、グリッドマンがこれは現実ではないと気づかせる。裕太は問川(最初に目の当たりにした犠牲者のバレー部員)の墓石に向き合うことでグリッドマンを幻視する。
この時のアカネの反応から見ても、これは裕太たちだけの意識下ではないとわかる。アカネもまた同じ夢を見て通じ合っていたのだろう。
自分が好き勝手に破壊と創造を繰り返している世界から逃れるようにして、アカネは写実的な電車を背景に走り出す。すると、裕太の夢の中へと意識を取り戻す。この描写からアカネは二重に現実から逃げているとさえ言える。
©円谷プロ ©2018 TRIGGER・雨宮哲/「GRIDMAN」製作委員会
何かを思い出そうとする裕太を制すように、楽しければそれでいいと告げる。自分を好きになるという設定が通用しない裕太にあからさまに苛立つシーンは、自分が制御できない事象を認めたがらない彼女の性向を如実に表している
だから、夢からは目覚めなければならないとする裕太との隔たりはここで顕著になる。墓石が彼らの間に挟まるカットは、決して解け合うことのない今のアカネと裕太のメタファーなのだろう。
内海も都合のいい出来事に疑いをかける。数多くの友人囲まれたアカネに諦念を漂わす六花も自分の居場所に違和感を覚える。
そうして3人はグリッドマン同盟として目を覚まし、夢の世界で怪獣を撃破する。
『SSSS.GRIDMAN』がアカネを通じて一貫して描いてきたのは、不都合な現実の破壊・逃避の愚かしさだ。この回はそれを物語の軸にしている。夢への耽溺を、楽しいがそればかりでは不健全だと指摘することで、直面せざるを得ない現実の問題へ視線を誘導する。
グリッドマンたちのいる世界はどうやら鳥籠のようだが、それさえもうち壊せばアカネも完全に目が醒めるのかもしれない。
物語の終着点はもはやそれしかないと思わせる回であった。
裕太の持っているビー玉
そういえば、オープニングに映っていたビー玉のもつ意味もくっきりと浮かび上がってきた。
ビー玉というと、2話「修・復」にて、サムライ・キャリバーと飲んだラムネの中にあったビー玉を思い起こさせる。響が持っているビー玉がそれと同じものかはわからないが、内海が言うように瓶の中に入っているビー玉は一生懸命に振ったところで、取り出すことができない。
しかし、瓶をまるごと割ってしまえば、どうだろう。狭いところに押し込められていたビー玉は、どこへでも転がって行けるはずだ。
おそらくは、上述した物語のゴールを示唆するアイテムとして登場したことがうかがえる。
©円谷プロ ©2018 TRIGGER・雨宮哲/「GRIDMAN」製作委員会
六花はアカネに支配され得ない
裕太と内海が見ていた夢は、既存の話をアカネによって脚色したものだ。それに対して、六花がアカネと親密になっていく過程は、我々が知り得ない全く独創の話になっている。
アカネが高校になってからこっちにやってきたことは、六花が4話「疑・心」にて語っていたアカネとの話の内容とは食い違っている。ほとんど初対面らしいこの会話からして、アカネと六花の関係は大きく改変されているようだ。
六花とアカネのシーンの中でも面白いと思ったのが、最後のバスでのやり取りだった。ここでは友達に囲まれる楽し気なアカネと陰った表情を浮かべる六花が描かれている。アカネが六花にそれだけ嫉妬を望んでいる上に、自身の恵まれた友人関係をとにかく誇りたいような歪んだ欲動が滲んでいて、いかにも面倒くさいのである。こうした妄想は、誰しも身に覚えのあることでもある。
©円谷プロ ©2018 TRIGGER・雨宮哲/「GRIDMAN」製作委員会
保健室のシーンではすぐに「新条さん」という呼び方が「アカネ」に変わり、家がとなりにあるという「すっごい偶然」を見るに、これもやはりアカネの描いた理想のシナリオという色が濃い。共犯者のアレクシスさえ、コスプレとしながらも、六花は受け入れる。
しかし、現実の六花はアカネを嫌いになれないと設定されたらしいが、結局のところグリッドマンに寄与し、アカネとは距離がある。作られたとはいいながらもアカネの言いなりではない特別な存在である。
以上にあげた、事実そのものを大きく改変した六花とアカネの接近過程は、アカネが六花をそれだけ求めていることを示しているような気がしてくる。8話「対・立」の六花の真相は、アカネが六花を取り込むべくある程度の嘘を交えている可能性は全否定できない。アカネを好きになるように設定するのであれば、このような夢は必要ない。
あるいはこの世界は完全にアカネに掌握されているわけではなく、更に高次の存在がいて、それがこの世界を構築していることだって考えられる。それならばわざわざ怪獣に壊させ、それを修復するいかにも面倒なプロセスが必要であることに説明もつく。
六花はアカネにとって完全に御し切れる作り物ではなく、独立した意思を持っていることが、今回の改変された夢によって逆説的に語られたと見ている。
まとめ
かなりの異常事態からはじまった今回のストーリーは、これまでの話と比較してもかなり浮いている。
だが、その浮き足立った内容はまさしくアカネの内面を映している。それを一旦肯定しかけては最後決定的に否定するプロセスによって、『SSSS.GRIDMAN』の結末がくっきりと浮き彫りになった。
夢の世界で裕太たちを目覚めさせようとしたグリッドマンと、現実(かどうかもわからない)世界で怪獣を撃破した新世紀中学生の活躍も、不思議な空気に満ちていた話を、いつもの熱を帯びた空気に変えてくれていた。
少し怪しい雲が立ち込めるシリアスに傾きつつあるが、最後には晴天を見られることを願って仕方がない。
▼次回感想
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