みんなが特別、みんなが普通だと気付くまで『ワンダー 君は太陽』レビュー【ネタバレ】

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こんにちは、一度気に入った音楽は何か月も聞き続けるワタリ(@watari_ww)です。

今回はベストセラー小説を映画化した「ワンダー 君は太陽(原題: Wonder)」の感想を書いていきます。

この小説は、映画化の一報を聞く前にちらっとだけ読んだことがありまして、その時に多数の登場人物の視点を移り変わる話であることは知っていました。

ボリュームもけっこうあり、それぞれの登場人物をうまく映画一本にまとめられるのかといった不安要素はあったものの、キャストの顔ぶれは主人公のオギーのジェイコブ・トレンブレイを筆頭に子役がたくさん出てくるフレッシュな雰囲気。また、オギーの両親役にジュリア・ロバーツとオーウェン・ウィルソンという実力派をあててもいて、世代もバックボーンも多様性に富んだキャストになっています。

そのあたりでも既に期待感は高くなりましたし、デリケートに捉えられがちな「見た目の問題」を多感な子供の成長の中でどう位置づけるのかといった興味もあり、鑑賞に至りました。

ネタバレを大いに含みながら、作品の持つメッセージとテーマに触れていきますので、よろしければお付き合いください。


78/100

ワタリ
一言あらすじ「自分ばかりが不幸だと考えていた少年の想像力が周囲に及ぶ話」

多視点が紡ぎ出す多角的人間描写

「ワンダー」を語る上で絶対に欠かすことのできない演出は、とりわけ複数の登場人物たちを代わりがわりに経由して話が進んでいく視点遷移です。これは原作でもそうなってはいますが、やはり映画においても効果的にキャラクターや社会の厚みを形成することに寄与しています。

(C)2017 Lions Gate Films Inc. and Participant Media, LLC and Walden Media, LLC. All Rights Reserved.

オギーのような特殊な事情を持った少年が学校で暮らす。そうすると、異質とみなされいじめを受けてしまうし、本人も塞ぎこんでしまう。

こうした教育問題や他人との交流への障害といったテーマにおいて、主人公を映す際に陥りがちな罠が「その子を特別に映してしまう」というものです。

仮にふつうにオギーからの視点のみでこの映画をとったとしましょう。そうなると、われわれはオギーの考えることしかわからず、オギーの抱える問題しか受け取ることができなくなる危険性が生じますよね。

その罠を乗り越える手段として今作は多角的視点を取り入れています。今作ではオギーを太陽に喩え、その周囲にいる人たちの内面と行動を描き、それを通じてオギー以外も悩みや葛藤を抱えているという事実をわれわれに示してくれます。

両親はオギーが学校でうまくやっていけるのかをまるで自分のことのように心配し、姉のヴィアは手のかかるオギーばかりに関心を向ける両親に鬱屈した感情を抱き、オギーの親友のジャックウィルはある日突然自分を避けるようになったオギーに対して不安を覚え、ヴィアの親友ミランダは些細な嘘がきっけかで距離が遠のいたことを悔やむ。日々誰もが心の中で戦っているのです。

そうなってくると自分を「醜い」と特別視していたオギーの存在が、同様に悩みを持つ多数の人々のうちの1人に取り入れられます。結果として彼は特別でも何でもないということを暴き出す技法が、多角的視点なのです。

 

①慣性を打ち破るオギー

主人公オギーのモノローグから「ワンダー」の幕は上がり、彼を中心とした人間関係でこの映画は回っています。

オギーは自分の顔が他と違うことを自認し、学校の同級生との対面時にはいっそう緊張しているようでした。この時、靴に注目し、相手の性質を彼なりに分析するといった習慣を見せています。これは、オギー自身が相手の顔から眼をそむけることが多いゆえに身についた癖なのかもしれません。

とにかく彼は周囲が自分をどう思うのかについては、多感な時期であることに加えて自分の容姿が人と異なるがために、気にかけているのです。ジェダイの弟子 パダワンを真似た髪型をからかわれた日には、それを切り落としてしまうあたりに、自分に向けられる目への嫌悪感もあらわにしています。

やはり好奇の目に晒され、クラスメイトからのけ者にされてしまうオギー。仕打ちを受けたオギーが自身の世界に塞ぎこんでしまう様子には胸が締め付けられます。

しかし、一方でオギーもまた周囲に対する思い込みを募らせてしまう「仕返し」も描かれています。というのも、自分を醜いと形容し、学校を遠ざけようとしてしまうのも、周囲にいる人間がみな彼を面白がっているとオギーが思い込んでしまっているのです。後にジャックウィルと疎遠になり、再び孤独になった際にも、声をかけてくれたサマーに「校長先生から頼まれた」のだと一度は撥ね退けてしまっています。この行いも周囲への不信感に根差しています。

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そんなときにオギーに対し、「あなたは醜くない」と言葉をかけてあげるイザベル。いじめられた経験を持つ自分も実感できるところですが、世界から否定されたかのように感じた時の絶望感を打破することができるのは何も世界からの肯定などではないんですよね。ここではイザベルというたった一人の母親とたった一人の父親ネートがオギーをそのままに認めてあげることで、彼に救いがもたらされています。

そして、ジャックウィルにテストをカンニングさせた日をさかいに、彼との距離を縮めはじめ、オギーに吹く風向きは変わり始めました。理科の先生が言っていたように、慣性が働いていた流れ(=オギーへの偏見)は、実際には些細なことで簡単に食い止めることができたというわけですね。

話してみるとオギーは顔が他の子と違うだけで、実際には理科が得意でスターウォーズの話が好きだといった親しみやすい彼のパーソナリティをどんどん知っていくジャックウィル。親友になってしまいさえすれば、簡単に見た目のことなど問題ではなくなるというきわめて単純な話ですが、序盤で軽やかにそれが映し出されているのが、この映画の巧みな部分だと思います。

チューバッカが学校に来たら、きっと注目の的になるとオギーは想像していました。そんな彼は、まさにジャックウィルにとってのチューバッカともいえる存在になっていたのだと思います。

「スター・ウォーズ」でお馴染みの毛むくじゃらで巨体の獣人チューバッカは、作中でも初めて会う人に怖がられたり、理解できない存在扱いにされたりする場面があります。しかし、長年バディを組んできたハンにとっては彼は見た目がどうのこうのといちいち気にする素振りは見せないのです。

オギーと接点を持つことで彼への偏見を消し去ることができたジャックウィル同様、ミランダやジャスティン、サマーといった人物たちもいちいち彼の見た目を気に留める言動は見せません。ハン・ソロにとってのチューバッカが良き相棒であるように、彼らにとってもオギーは良き友人・弟分です。

 

②ヴィアとミランダにみる対人関係の難しさ

オギーが友人との関係に奮闘する一方で、姉のヴィアの世代でもドラマが繰り広げられるというのも、多角的視点のなせる業です。

正直なところ、彼女たちのドラマパートというものは、オギーの話とは距離のある問題です。ミランダにとってのオギーは親友の弟であり、それほど緊密な繋がりがあるというわけではありません。家族ぐるみで付き合いがあったとはいえ、ミランダにとっての主たる悩みの対象はヴィアとの関係です。ヴィアもまたオギーが自身の孤独感の発端ではありつつも、話の主軸は高校で彼女がもがく親友関係と恋愛関係ですよね。

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「ワンダー」が、教育的にフェアな視点を持ち得ていると自分が思う理由はここにあります。オギーだけが悩むのではなく、しっかりオギーの離れたところにも問題があって、みんなが苦しみの壁に突き当たっていたりするのです。

僅かに登場したヴィアのおばあちゃんは、オギーではなくヴィアに気を掛けていました。オギーのことで頭がいっぱいなイザベルとネートの視点の一方で、きちんとヴィアを気遣う人物との関係も示されているというのは、とても気の使われた作りだと思います。

巨視的に見れば、人の持つ悩みは世界や命の危険といった重大なことでもなんでもないのかもしれません。オギーの病のように、見た目に現れるものでもないのかもしれません。しかし、だれもが主観の中で深刻に捉える物事を持ち、それを解決しようと闘う姿を実直に描いています。そこが映画「ワンダー」の非常に優れた点でしょう。

ヴィアとミランダのすれ違いは、話し合えば解決するようなものでしかありませんが、実際に人が自分の心をさらけ出して、語らうというのはとても勇気のいることです。ミランダはふとしたことがきっかけでオギーを嘘に使ってしまい親友と気まずい思いをする一方、ヴィアもまた悩みのタネである弟の存在を無かったことにしてジャスティンに自分を偽ってしまいます。

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どちらも、ふとしたことがきっかけで起きたことです。それを重大に捉え、距離を縮めることを諦めてしまう様は、思春期の微妙な心境を表していました。結局相手のことが気になってしまうミランダはオギーに連絡してヴィアの近況を探っていたように、表に出せないけれど確かに抱える想いというものは、とても痛ましく愛おしいものです。

けれど、いつまでも内面に自分の感情を抱えては、相手に伝わらないのもまた事実。ヴィアは、ジャスティンについていた嘘を打ち明け、ミランダもヴィアへの気持ちを舞台本番の役を譲る形で表現しました。人と人の関係にみんな色々な思惑を巡らせますが、結局のところ、人間関係にたいせつなのは素直に相手に伝えることなのだとわかります嘘をついてしまったとしてもそれを申し訳ないことを含めて正直に話せば、相手だって受け止めるものです。

これはオギーとジャックウィルの仲直りにも重なる話です。

 

③正しいことより親切なことを優先するサマー

クラスメイトのサマーが、正しいことよりも親切なことをするのだと決心し、オギーに声をかける場面も印象的なシーンでした。

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ジャックウィルを避け再び孤独になったオギーを見て、彼女は周囲からどう思われるかといった算段よりも、オギーと仲良くなることを優先させて話しかけるに至りました。

ブラウン先生が紹介していた格言に従い、自らの善を遂行する彼女の姿はとても格好いいものですし、これがきっかけでオギーはまた元気を取り戻します。

学校という社会においてはどうしてもジュリアンのように発言力や腕っぷしの強い子が不文のルールやヒエラルキーを作り出し、それに従うことがもっとも合理的とされてしまう場面があります。これは学校に限らず、会社やスポーツの集いといった外から閉ざされた世界ではどうしても起こってしまう事象ではあります。

ここで重要になってくるのが、いかに不条理で間違った社会のルールに声をあげられるのかということでしょう。サマーがしたように、人としてその組織の風潮をどう思うのかを自分で考え、自分で行動を起こすことで誰かの救い、強いては全体の利益になる可能性があるのです。

気まずそうにしているジャックウィルの背中を、サマーがぶっきらぼうながらも押してあげることで、オギーとの仲直りのきっかけを作りました。

 

④オギーとジャックウィルは向き合って話し合う

関係が悪化してしまった原因は、ハロウィンの日にジャックウィルが口走った何気ない一言でした。いじめっ子のリーダー格のジュリアンが敷く同調圧力に屈してしまい、オギーを中傷してしまいました。これは、もちろん本心から出た言葉ではないことは、その後のジャックウィルの視点からも語られていることではあります。

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しかし、本人がどんな意図を持ってその言葉を吐いたのかまでは、偶然聞いてしまったオギーにはわかりえません。視点が遷移するからこそ、このすれ違いにはもどかしい気持ちを抱かされますし、現実の私たちも往々にしてこうした出来事を経ているのだろうと思わされます。

オギーはオギーで、周囲の関わろうとしてくる子はみんな校長からの差し金だと疑心を抱いてしまいました。サマーがそれを打ち破って、疑心を解いてくれたおかげで事なきを得ましたが、言葉はこんなにも深刻な影響を与えてしまうものなのです。

ジャックウィル本人は当の発言についてサマーに指摘されるまで記憶の隅にすら留めていないようでしたが、気づくや否やオギーへの謝意が溢れ出し、最終的には仲直りすることができました。やはりここでも対人関係の勇気はキーになっています。謝罪するという勇気ひとつが2人を再びくっつけたのですから。

仲直りの際にコミュニケーションツールに用いていたマインクラフトは、きわめて現代的なツールです。直接対面して話し合うということだけではなく、子供たちの好きな世界で交流することへの肯定的な見方が含まれており、その面でも微笑ましい描写だと思いました。

 

⑤誰もが過ちを犯してしまうという視点=ジュリアン

いじめっ子のジュリアンは、オギーと初対面した時から彼への好奇心を隠すことなく伝えていました。その場で、自分の間違いを指摘されたことをきっかけにオギーを目の敵にするようになります。

ジュリアンというキャラクターは単なる「悪いヤツ」で完結していないのが、これまで語ってきたように、いかにも「ワンダー」らしい作風だと思います。

プライドが高いというジュリアンの気質は、観客の我々も誰もが大なり小なり持ち合わせています。ジュリアンの視点からオギーを捉えると、第一印象として途中から学校に入ってきた変なヤツとして見てしまったのでしょう。そして見た目を理由に人間性をも軽んじてしまうというのは、残念ながら人類の歴史上数多く起こってきたことでもあります。

ここで重要なのは、決してジュリアンが根っから悪い心を持った子ではないということです。

彼の両親は、子供の過ちを決して認めず、いたく寵愛していました。言動から察するに、裕福な家庭だったのでしょう。彼は身の回りに置かれた情報を受け取り、作り上げた尺度でオギーを測った結果、いじめという行為に至ってしまったわけです。

しかし、彼は最後には自分の過ちを認め、謝意をこぼしました。それを受けたトゥシュマン校長は、それまでの毅然とした態度から一変し、穏やかな表情で彼の謝罪を受け止めるんですね。このシーンは、とても優しいです。

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我々は情報化社会に生きているうちに、タブーだとされていることをキャッチしては、以後それを腫れもののように扱ってしまう癖が身についています。ところが、差別だとか偏見といったものは気づかぬうちに行ってしまうものが最も恐ろしく、現に起こりえるものなのです。

誰もが被害者になるし、誰も加害者になってしまう可能性もある。そんな社会の中で、犯してしまった過ちを認めることは、実に難しく、実に真っすぐなことか。

ジュリアンに対して、理解を示し、彼の不安を取り除くかのように優しく応じるトゥシュマンの姿勢は、自分も見習わねばならないと思います。

いじめはいけない。けれど、いじめをいじめることもいけないのです。

 

⑥自分の世界を作る想像力が他者に及ぶ

最後に、トゥシュマン校長がオギーの持つ周囲を変える力を認め、彼を表彰するというところで物語は幕を引きます。

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この時、オギーが口にしていた言葉は彼の成長を実感させてくれます。

この世界に生きる誰もが苦しみを抱えているし、心の中を覗き込むと自分と同じように何かと戦っているのだという彼の気付きには、舌を巻きました。

はじめのうちは、自分の容姿を引き合いに出し「自分ばかりがひどい目に遭うのだ」と閉じこもりがちだったオギーが、他人の内面に想像をめぐらすという段階に到達したのですから。

みんな見た目やバックボーンが異なるように、心の特徴だって異なります。オギーは見た目というものをきわめて重大に受け取っていましたが、それと同じぐらい心の問題も重大で、人々は気づかぬところで些細なことに悩んでいながら日々を生きているのです。自分も朝が弱いという特徴を持ちながらもなんとか毎日やっています。

今作のオギーは太陽のように中心に据えられてはいますが、この世界に生きる誰もが太陽であるし、誰かの軌道を回る惑星でもあります。ヘルメットを取り外した彼の目には、きっとこれからも様々な星たちとの出会いが映ることでしょう。

 

まとめ

長尺だった原作から多少オミットされたのだろうなと感じる部分がちょくちょくあったものの、うまくまとまった内容になっています。話が出来すぎだと思う方もいるでしょうが、この作品のメッセージを地球上の誰もが受け取ることができたらいいと願わずにはいられません。

今作は見た目でハンディを背負った少年を特別に描いてはいません。寧ろ、中心に配置こそすれど、周囲の人々と並存する存在として描いています。

オギーは病故にちょっと変わった外見をしているけど、現実問題それは完璧には治りません。しかし、それで塞ぎこんでしまえば、素晴らしい世界とのかかわりを手放すことになってしまうのです。母親のイザベルもそうした想いがあって送り出したのかもしれません。

とにかく今作はお利口な作りに留まってはいない点が新鮮でした。周囲との関わりがたいせつであることや皆が日々戦っていることを知らしめる実践的な内容になっており、「子どもに見せたい」というよりも、対人関係に悩むすべての人に見てほしい作品だと思いました。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

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