組織と個人の対立を通じて難しく語られる各々の正義『名探偵コナン ゼロの執行人』レビュー【ネタバレ】

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アイキャッチ画像: (C)2018 青山剛昌/名探偵コナン製作委員会

こんにちは、ここ最近毎朝インドの音楽を聴くワタリ(@wataridley)です。

今回は「名探偵コナン ゼロの執行人」の感想・レビューになります。

人気ミステリー漫画「名探偵コナン」は自分が物心ついた頃からテレビアニメとして放送され、毎年劇場版が公開され続けているとあって、知名度に関しては申し分のない、国民的コンテンツと言えるでしょう。

特にここ最近ではその人気ぶりに拍車がかかっています。19作目「業火の向日葵」が44.8億だったのに対し、劇場版20周年記念「純黒の悪夢」が興行収入63億円を記録。続く「から紅の恋歌」ではそれを上回る68億円となり、誰の目から見てもコナン映画は大波に乗っている真っ最中です。

人気キャラクターの安室透がキーキャラクターとして宣伝された今作は、更に興行収入と観客動員数を伸ばすのではないか、と引き続き期待されていることでしょう。

公開した最初の3日で興行収入12億&観客動員数はやくも100万突破という一報がありました。

最終的にどこまで数字を伸ばすのか?そして今作はそれに見合った中身を持っているのか?について自分なりに感想を書こうと思います。


59/100

ワタリ
一言あらすじ「コナン映画らしからぬ、社会正義の再定義」

感想:社会派なテーマを設定したはいいものの、小難しい。

今作の感想を一言に表せば、「予想外の内容と予想以上に難しい話に戸惑ってしまった」というのが正直なところです。

コナン映画というと推理やミステリーなんかよりもアクションが優先されている作品も中にはありました。

自分の中では評価の高い「天国へのカウントダウン」はシチュエーションがアクション映画「ダイ・ハード」のようであり、アクションへの比重が高まった結果として推理要素はややおざなりな印象を受けます。この作品における犯人の動機の突拍子のなさは各所で取り沙汰されるほどです。とはいえ、肉体的にも精神的にも未熟な小学生がテロに巻き込まれたビルを脱出しようと奮闘するシチュエーションは子供だった自分にはハラハラさせられましたし、事件発生前に散りばめられた伏線を脱出劇において回収していく爽快感はとても楽しめるものでした。

興行収入60億という大台を突破した「純黒の悪夢」にしても、ミステリーよりも面白みのあるシチュエーションの提供に傾いていたように思います。20作記念として、コナンシリーズでの黒幕的存在 黒の組織を大きく物語に関わらせつつ、(本編との齟齬を引き起こしかねない)赤井や安室を適切に活躍させる巧妙なファンサービスが実現できていたために、前年よりも大きく数字を伸ばしたのだと踏んでいます。

そして「から紅の恋歌」ではアクションは適度に入れつつ、平次と和葉の人気キャラクター間の関係性を中心に据え、「ちはやふる」のように白熱する競技かるたを描写し、百人一首にまつわるミステリーを展開するというバランスが実に絶妙でした。昨年映画館で本編が終わった後に客席から感嘆の声が漏れていたのを記憶しています。

そうして自分の中ではコナン映画に期待するハードルは上がりきっていました。「アクション」「キャラクター」「ミステリー」を(複数の要素なので両立ではなく)全立させたストーリーであるかが、自分がコナン映画を評価する際のクライテリアなのです。

その基準で語ってしまうと「ゼロの執行人」は、社会派な問題提起を語ってはみたもののコナン映画らしい面白みが足りないように感じてしまいました。

作中に語られる組織からして、観客の我々に馴染みのない公安です。自分は最近の原作コナンを読んでいないために、安室と風見の関係を正確に把握していなかったことが、話を理解するのに少しばかりの足かせになってしまいました。また警察庁と警視庁の公安に所属するその2人に加えて、検事の日下部と小五郎の弁護を引き受ける弁護士の橘が見せる人間模様までが映り込み、上映中情報を咀嚼するのに精いっぱいという時間が頭に強く残っています

説明的な口調も多く、「検察庁」「警察庁」といった似た響きの堅い言葉が1シ―ンのうちに何度も出てきたり、前のシーンが後にもまた再生されるといった繰り返しも多く見受けられ、直近のコナン映画と比較すると見るのに苦労する作品かなと思います。

体裁上は子供に向けられているであろうコナンにおいて、そうした実在の組織と力関係をテーマに、権力に振り回されるキャラクターを描く取り組みはなかなかに新鮮でありながら、大半の説明がキャラクターの語りに任せられてしまっています。「体は子供、頭脳は大人」という無二の個性を持つコナンというキャラクターや阿笠博士のオーバーテクノロジーなギミックがちょっとおざなりで、そうした社会派な事象に多くの尺が割かれてしまったのは観客にとっても意外だったことでしょう。

キーキャラクターの安室は今作で見せ場は用意されているものの、立ち位置が不鮮明な状態が序盤から終盤まで続くため、思ったほど派手に立ち回らないな…という感じを覚えました。「純黒の悪夢」での安室は、黒の組織の潜入スパイとしての一面を見せ、ライバル的な存在の赤井に対して感情を露わにし、クライマックスではコナンと共に大立ち回りしてくれました。個人的には「ゼロの執行人」よりも「純黒の悪夢」の安室の方が魅力的に映ったかなぁと思いますね

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(C)2018 青山剛昌/名探偵コナン製作委員会

予告編を見る限りでも、不可解な行動をとる安室に立ち向かうコナンというキャッチ―な図式を福山雅治の主題歌「零-ZERO-」が彩っており、エンタメ的な楽しさを期待させられました。実際の内容は、歴代コナン映画もここまで時事的・社会的な組織図や事由に傾倒したものは無かったように思います。社会派なテーマを打ち立てたのは良かったものの、コナン映画に期待していた「アクション」「キャラクター」「ミステリー」の柱が薄れてしまったのは非常に惜しい点です。

 

今作で語られる正義

今回は警察庁警備局警備企画課(通称ゼロ)に所属する降谷零(安室透)が、警視庁公安部の風見と連携しながら、違法とも思える捜査を行い、コナンと対立するというストーリーをとっていました。更に、この構図に検察庁公安が利害関係を持って入り込み、コナン映画では珍しい三つ巴(あるいは四つ巴)の様相を呈しました。
そのため「ゼロの執行人」のストーリーは例年と比べると複雑になっています。司法をテーマにしていることもあってか、「送検」「公判前手続き」などの言葉が頻出し、まるで刑事ドラマでも見ているかのような気分でした
わかりやすく力関係を示すと以下の通りです(数字が若いほど権限が強い)
  1. 警察庁警備局警備企画課…公安警察の指揮をとるトップ。
  2. 警視庁公安部…47都道府県に設置されている県警のうち、東京にある警視庁の公安警察。
  3. 検察庁公安部…検察庁にある公安部で、今作では権力関係において警察庁・警視庁公安部の双方に対し劣位とされている。
以下に、今作を構成する人間の利害をひとつひとつ分解して見直してみます。

①警察庁公安=安室透(降谷零)

キーキャラクターである安室透は、警察庁公安の一員であり、警視庁・検察庁の公安に対しては優位な立場に置かれています。
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(C)2018 青山剛昌/名探偵コナン製作委員会

彼の目的は未然にテロなどの大事件を防ぐことであり、そのためには違法ともとれる捜査を行うことも厭いません。現実の公安も国家の体制への脅威を未然に防ぐための組織として存在しており、安室は目暮警部たちとは異なり、「事件化する前の事件」を追う人間です。

彼はコナンに「彼女いるの?」と聞かれた際に、日本を答えとして返していました。国を守るという正義感は間違いなく彼にとっての原動力であると同時に、公安警察の存在意義にも直結しています

とはいえ、正義を実現するために強大な権限を与えられた者は、その権力を適切に行使しなければ、本来守るべき国民にとって脅威になりかねないという危険な矛盾をはらんでいます。ことによっては、無関係な人間を巻き込みかねない権限を持っていることが災いして、今回の事件が引き起こる遠因を作ってしまうことになりました。

 

②警視庁公安=風見裕也

安室の指示で動く警視庁公安の刑事風見は、安室のやり方に少なからず不満を持っているようでした。しかし、全国の警察組織の指揮を執る警察庁公安に歯向かうなど無理な話。

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(C)2018 青山剛昌/名探偵コナン製作委員会

自身の失態を咎められた後に、コナンに安室の過ちを明かそうとしたのは、人間らしい彼の弱さが少し表れたのかもしれません。

とはいえ、自分の捜査のケリは自分でつけるという安室の考え方は、きちんと終盤に履行しています。公安警察のドラスティックなやり方に思う所はありながらも、国を守るために動いているという個人の意思は安室と一致しているわけです。

現実には風見のように組織に不満を持ちつつも、権力事情から結局は従っていくという人が沢山いると思います。安室のように徹底したやり方を実行できる方が少数派でしょうし、自分には風見が最も人間らしいキャラクターのように映りました。

 

③検察庁公安=岩井紗世子

岩井検事は、現実の政治でも問題となっている忖度を行っていました。

直接的な指示を受けたわけではなく、「警視庁>検察庁」という組織関係を背景にした独断から毛利小五郎の送検と起訴を決定していました。

検察庁に不利が働かないよう利害の調整を図っているあたり、組織のトップとして間違いはないのでしょうが、その行いは気づかぬうちに冤罪に加担することになっていました。誤りを誤りと指摘できずに、ただ過去から引き継がれている組織体制に従うばかりでは、こうした問題も浮上してくるだろうというのは明らかです

岩井検事のパーソナルな部分が一切描写されていないことからも、彼女は既存の組織政治の問題点を体現した人物として描かれているように思います。

 

④組織への違法な復讐を行う個人=日下部誠

日下部検事は、組織のやり方に不満を持っているという点で風見とは共通しています。しかし、決定的に異なるのは公憤を私憤へと変えてしまった点です。

彼はなるべく民間の犠牲者が出ないやり方として、IoTを利用したテロを計画しました。狙いはあくまで警察庁公安であり、かつて死なせてしまった羽場二三一のような公権力の被害者が出ないように今回の事件を起こしたということでした。

こうして動機と手順を見ていると、日下部の行いは自律的で理にかなっているようでもあります。しかし、残念ながら合法的なやり方ではない以上、その主張が社会的に認められることはありません。IoTテロが無害そうに見えても、サイバー犯罪として禁じられている以上はやってはいけないことです。

刑事事件の容疑者を起訴する検事の身でありながら、私的な感情を基に動いてしまったという部分は、大きな過ちと言わざるを得ません。法律とは無力な人々を守るため、人々の合意の上で成り立ったものです。いくら公安警察のやり方が非合法的だったとしても、主張は合法的でなければならないのです。

羽場二三一が生きていたことで、踏み止まることができたのは不幸中の幸いでした。

私憤を抑えきれずに公機関に歯向かおうとする行いの愚かしさが、日下部検事を通じて描かれていたように思います

 

⑤組織へ合法的な復讐を行う個人=橘境子

上戸彩が弁護士ってドラマ「ホカベン」を思い出します。

それは置いておくとして…

携帯で依頼を引き受ける弁護士(通称ケー弁)の橘境子は、毛利小五郎の弁護を意図的に失敗し、公安の利害に背反しようとしていました。かつての恋人だった羽場二三一が亡くなってから、組織に抗おうとするのは日下部検事と全く同じです。

ところが、橘弁護士は法律には反しないやり方で私憤を晴らそうとしていました。あくまで弁護士という立場にいたまま、裁判という公的プロセスを経て公安に不利益をもたらそうとしているのです

日下部検事が手錠をかけられる一方で、橘弁護士は自由の身になるという全く逆の結果が齎されたのは、興味深い対比表現でした。合法であるならば無実の人間を巻き込んでも罪にはならない一方で、違法であるならば無関係の人間を巻き込まないよう配慮しても逮捕されてしまうというのです。

コナンにおける悪とは、これまで違法行為に手を染める人間でありましたが、このように合法的な形で私憤を晴らそうとするケースを描いたという部分はとても新鮮でした。彼女は、警視庁公安の風見により枷を解かれて自由になりましたが、最後には個人の意思が決して組織に縛られるものではないという強い怒りを示しました。羽場二三一の生存に驚きながらも、風見に与えられたものを有難く受け取ることは出来ませんでした。

 

⑥自己のために動く個人=江戸川コナン

コナンは安室に引き込まれる形で、今回の事件を解決すべく奔走することになりました。根源的には父親を逮捕されてしまった蘭のためであり、引いては自分のために動いていたという点で、国のために動く安室とは対極の立場にあります。
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(C)2018 青山剛昌/名探偵コナン製作委員会

コナン(新一)は事件の真実を明らかにする興味本位から事件にかかわっているとも言えるキャラクターです。捜査に関与するのは義務でも仕事でもありません。これは連載当初から一貫している行動原理ですね。

コナンが他人事ではない自分事として事件に関わろうとする今回の作品は、構造的には今までにありませんでした。そんな彼の捜査手法も細かく言ってしまえば違法なものを含んでいます。盗聴は一個人がやってはいけないことですよね(笑)。そこは作品のお約束だから、突っ込むのは野暮だとしても、阿笠博士の発明品を利用して、警察の現場検証に踏み込んだり、何も知らない少年探偵団に危険な仕事をアサインしたりするのは、ちょっと突飛に映ってしまいました。

コナンは今回の事件に対しては私的な感情を持ち込んでいますし、そのために手段を選んではいないということです。これは、この映画における橘弁護士と日下部検事と重なってくる部分であり、主人公の彼自身も映画の主題に巻き込まれていることを意味しています。力関係のある組織、それに抗う個人の構造の中でコナンは組織の違法捜査を暴き、小五郎を解放しようとしていました。

結果として、コナンの行いは咎められることはありませんでした。安室にしてもコナンにしても、誰かのためにやっているのは同じです。安室にとっての「彼女」は日本、コナンは蘭だったというのが、終盤の種明かしでしたが、結局のところ個人は常に自己の利益を追求するものです。正義だのなんだのと言っても、最終的にはそこに収束していきます。

安室も日本を守りたいという自己の目的を実現するため、コナンも蘭の力になりたいという自己の目的を実現するために動いています。

観客に寄り添えるキャラクターとして、誰かを救いたいという意思をもったコナンが主人公であるのは、劇場版名探偵コナンだからという言い訳抜きに、適材適所と言えるでしょう。

 

まとめ

ゲスト声優は上戸彩氏と博多華丸の博多大吉氏の2名。上戸彩氏は役柄上個性を出せる感じでもなく、無難に演じられていると思いました。ただ、博多大吉氏に関してはあの独特の声が完全に浮いていて集中力が切れました。

今回の映画は小難しいという印象が終始付きまとってしまい、楽しめたとは素直に言えないかなとなってしまいました。

興行収入は「異次元のスナイパー(41億)」「業火の向日葵(44億)」「純黒の悪夢(63億)」「から紅の恋歌(68億)」と順調に伸ばしてきましたが、今作があまりに堅い内容であったことから、リピーターなどが躊躇して伸び悩んでしまうのではないかと思います。公開三日間は動員128万9000人、興行収入で約16億7000万円という驚異的な数字を残していますが、これからの推移にも注目していきたいところです。

追記: 最終興収は91.8億になり、コナン映画史上最高かつ、2018年のアニメ映画でトップとなりました。

ただ、社会的な正義について語ろうとした気概は評価したいところです

当ブログで以前レビューした「鋼の錬金術師 シャンバラを征く者」にとても近い作品だなーと思いました。少年向けの漫画が原作のアニメ映画という点でコナンと同じですし、そこに敢えてビターな大人向けのテーマを据え置いている作品内容が似通っているのです。

ただ、「シャンバラを征く者」も「ゼロの執行人」もそのテーマを置くのに精いっぱいで、より具体的なメッセージやテーマの深堀が足りないように感じます。ハガレンの映画はシリーズ化してはいませんが、22作も続いてきたコナンの映画はこれからも恒久的に作られていくでしょう。今作の社会派なテーマはこれから磨いていけば、コナン的なアクション・キャラクター・ミステリーとうまく融和した作品も出来るのではないかと期待感を膨らませてくれました

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

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