春の屋の若おかみは人を癒し、人に癒される『若おかみは小学生!』レビュー【ネタバレ】

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アイキャッチ画像: (C)令丈ヒロ子・亜沙美・講談社/若おかみは小学生!製作委員会

こんにちは、映画館のポップコーンで1番好きなのはTOHOシネマズのバターがけポップコーンのワタリ(@wataridley)です。

人気児童文学のアニメーション映画「若おかみは小学生!」を観たので、感想を記します。

時として「子供向け」「ジュブナイル」というジャンル名には些か受け入れがたいニュアンスを感じてしまう時があります。

うまくいかなかった場合には子供騙し、うまくいった場合は老若男女問わず楽しめるという声がかけられることが多いですよね。

そもそも映画館でその作品を見るのは、マーケティングが顔を向けている方向にいる人たちに留まりません。どんな作品であれ、万人の目が向けられます

今作は、そういう点で全く妥協を感じさせない作品でした。

互いに全く関わりのなさそうな「小学生」と「若おかみ」が並んだタイトルはいかにも興味を誘います。それにつられて映画を見て、普遍的なテーマが丁寧に織り込まれていることに驚きました。手堅い演出力や活き活きとしたアニメーションが、おっこ達を鮮やかに映し、メッセージが胸にすっと入り込んでくる作品でした。

誰が見ても楽しめるように作られており、だからこそ「子供向け」という形容は不適当なのです。目にすれば、色々な人が色々なことを想う作品だと思いました。

以下にネタバレを交えながら、詳細な感想を書いていきます。


84/100

ワタリ
一言あらすじ「若おかみは小学生」

円らな瞳のキャラクターに、細やかなアニメーション

実は予告編で「若おかみは小学生!」のキャラクターを観た時、その大きな瞳に不安を覚えました。アニメや漫画で表現される現実離れした顔の造形は、時として作品への没入を妨げることもあるからです。

ふたを開けてみると、その瞳はキャラクターの感情を真っ直ぐに映す鏡になっていました。おっこの喜怒哀楽の動きは、目を見ればわかるというほどはっきりしていて、映画を見終えた今となってはこれ以上ない絵柄に思えます。

加えて、幼い絵柄だからといって平面的な描き方をされておらず、ところどころにある立体感を与えるカメラアングルに目を引き付けられました。おっこが顔の落書きを洗い落としたところでは、魚眼レンズで捉えたようなまん丸い顔が画面いっぱいに広がっており、一風変わった描き方です。お父さんとお母さんのベッドに潜り込む場面では、背景の布団と両親の体を流しつつ、おっこが迫りくる描写は奥行がありました。お父さんがつまんだおっこの頬がやわらかそうに見えるのは、それ自体の作画はもちろん、こうした立体的なキャラクターの描画が大いに貢献しています。

仕草や表情が時に繊細で、時に大胆に描かれているからこそ、歯抜けが印象的なお口を大きく開けるウリ坊や大人しい雰囲気とは裏腹に意外とお転婆な美陽が(幽霊なのに)生き生きと感じられます。

マスコット的な役割の強い鈴鬼でさえ草むしりの動きがやけにのっそりした農夫のようであったり、メガネをかけている時のレンズ越しの目と直接見える目が二重に描画されている力の入れようで驚かされました。アニメだとメガネの描き方って省略されるのが常なのですが、今作はそこまで抜かりないです。おっこのお父さんのメガネも同様に角度変化に妥協がなく、宮崎駿の『風立ちぬ』の堀越二郎のメガネを思い出しました。

(C)令丈ヒロ子・亜沙美・講談社/若おかみは小学生!製作委員会

一方であまり派手な外見的特徴を持たない峰子やエツ子は、格式に則った丁寧な動きに子どもたちとの性格上の違いが表れていますね。畳のヘリを踏まないだとか、おじぎや挨拶といった動作だとかはこの上なく物慣れていて、お客様商売においてこんなに頼もしいベテランはなかなか見ないぞと思わせられました。悲鳴を聞いておっこの部屋に駆け付ける際も、峰子はきちんと内股気味でスッと歩いていて、2回目に観た時は感心しました。

人物の動作で個性を出している一方で、何気ない物体や情景の描写にも力が入っていました。最初のシーンからして、龍のオブジェの口から細かく分かれた水が湧き出してくる画から始まり、続く笛などの祭り楽器を奏でる奏者の指の動きも滑らか。おっこと両親が観ていた神楽の踊りも、雅やかな振りつけを軸の安定した踊り手が巧みに舞っていました。

卵焼きを切る包丁の側面に卵焼きの断面が映りこんでいたり、ピカピカの机や床に登場人物の動きが反映される芸当にも視線を持っていかれました。おっこが鏡を拭いている場面などは、観客がそんなところ見ないだろうという石鹸容器の金属部分にまで映り込みが描かれています。これが見せ場に用いられる演出などではなく、ほんの一瞬のカットの些細な描写だというのだから呆気にとられます。

舞台挨拶で監督が言うには、これらを実現するにはたいへんな苦労があったとのことで、その拘りを実現してくれた労力にも拍手したくなりました。

(C)令丈ヒロ子・亜沙美・講談社/若おかみは小学生!製作委員会

(C)令丈ヒロ子・亜沙美・講談社/若おかみは小学生!製作委員会

水領が零したシャンパンをおっこが拭きとる様子だとか、水領の前髪から頬に落ちる水滴といった実に些細なシーンも、演出として有効に機能していました。前者はおっこのひたむきな仕事ぶりを際立て、後者は水領に生じた心の機微を印象付けています。

このように、手を抜こうと思えばいくらでも手を抜けるはずの場面に念を入れることは、思いがけない効果を見る側に与えたり、物語に厚みを持たせるものです。

また、繊細さを訴える作風だからこそ、ところどころにある衝撃的なシーンが際立っています。冒頭、真正面から飛んでくる大型トラックには息を飲みました。ニュースの事故映像で見るような写実的な迫力がそこにあり、和やかだった家族の時間にどす黒い墨が一気に広まるような不安が襲ってきました。後にこの光景をトラウマのように思い出してしまうおっこと、観客の気持ちはぴったりと重なります。

感情を素直に映すキャラクターの表情とついつい目で追ってしまうような情景の上に、ここぞという所でインパクトを訴えかける緻密な計算が乗っかってくる、最初から最後まで見ごたえ十分のアニメーション映画でした。

個人的に好きなシーンは、露天風呂プリンが渦巻いた露天風呂から出来上がるクッキング描写ですね。おっこの瑞々しい感性や花の湯温泉の魅力が詰まっていました。

 

キャスティング: 自然派と技巧派の混在

おっこを演じた小林星蘭をはじめ、薬丸裕英、鈴木杏樹、バナナマン設楽統、ホラン千秋などのキャストは、作中自然な色合いの演技をしていました。

他方、ウリ坊役の松田颯水、鈴鬼役の小桜エツ子、秋野真月役の水樹奈々、あかね役の小松未可子といったアニメーション作品を中心に活動されているキャストも行われており、作品の安定感に寄与していた印象です。

特に、小林星蘭は年相応に幼い声質でありながら、シーンの明暗によって声のトーンをはっきり変化させる巧みなお芝居をされていて、ため息が出るくらいでした。等身大の女の子っぽい親しみやすさと健気に若おかみを勤めるしっかり者の面をはきはきと表現してくれたお陰で、おっこをずっと見守ってあげたくなりました。

ホラン千秋が演じたグローリー・水領も、声によって魅力が増していたように思います。彼女の発する澄んだ声が、実に頼りがいのあるお姉さんらしい。おっこに対して見せる気立てのいい性格が声を通してすっと伝わり、沈んだ時の低い声も魅力的に響きました。

自分は『ペンギン・ハイウェイ』のお姉さんのほうが好きなのですが、思わぬお姉さんキャラ対抗馬が現れたと意表を突かれました。

このように、キャストに関してはほとんど文句はないのですが、ひとつだけあるとするなら自然派と技巧派のキャストの間にあるギャップです。

例えばおっこ役の小林星蘭と真月役の水樹奈々が共演するシーンでは、2人の声質が異なって耳に伝わってきます。おっこは年相応の女の子のナチュラルな声で喋っていて、抑揚のふり幅が大きかったりすることがあります。真月は、水樹奈々のキャリアもあってか、非常にきれいな声を完璧にコントロールして演じているように聞こえます。どちらかの技術に問題があるというわけではなく、テイストがそれぞれ違っているように感じました。一方が自然な女の子であるとすると、もう一方はアニメのキャラクターの声のようです。

アニメーション作品への出演が多いキャストとそうでないキャストを一緒の作品に入れ込んでしまい反発しあってしまう部分が、今作にも若干あったかなと思いました。集中力を削がれてしまうほどに不格好だった『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』に比べると、たいしたことはないのですが、一応挙げてみました。

とはいえ、やはり今作のキャスティングと演技は、総合的には拍手を送りたくなる出来合いでした。

 

春の屋はユートピア

おっこが若おかみとして勤めることになった旅館「春の屋」は、実に理想的な社会の在り方を現していました。

「花の湯温泉のお湯は神様から貰ったお湯。だから、誰も拒まない」という台詞や「普通という物差しでお客さんを測ってはいけない」といった台詞からは、訪れた人は誰でも客として受け入れ、傷を負った人には迷わず手を差し伸べられる素晴らしい姿勢が見て取れます。

こうした台詞はそれのみだと過度に高尚に受け取られかねない危険はあります。そこで、今作はおっこという女の子の若おかみ修行を通じて、メッセージに説得力を持たせるように設計されています。

彼女がおかみ修行に慣れず失敗していくシーンは、短いカットの連続で矢継ぎ早に展開されていました。複雑な作法を一挙に紹介していくと同時に、ギャグをさらりと流していくことで飽きずに見ていられるシーンでした。

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一方で、本当に大事なお客さんのもてなしは、じっくり丁寧に描いていました

最初見かけた時はあかねと彼の父親を一度は招き入れることを躊躇してしまうものの、この出来事を通じて、塞ぎこんでいた彼に自ら寄り添おうと奮闘するおっこの姿は、とても健気で応援したくなります。

あかねにつらく当たられたおっこがめげずにプリンを振舞った動機は、ここでは親の死という共通項です。普通という物差しで見てしまったおっこが、相手と自分の共通点を見出し、自ら歩み寄る姿が描かれたシークエンスでした。そして自分から相手をもてなすことで後々旅館の利益になるという話は、ちょっぴりおとぎ話的ではあるのですが、実際に与え合うことで循環している社会の縮図でもあります。

(C)令丈ヒロ子・亜沙美・講談社/若おかみは小学生!製作委員会

次の水領のエピソードになると、おっこの手つきは少し達者になっていました。床のシャンパンを拭き取る描写や、「電信柱に手足がついたみたい」と戸惑っていた着物を彼女に着せる描写は、おっこがおかみに慣れている成長記録です。

また、水領はおっこにとって見るからに怪しい存在であったはずなのですが、物怖じせずにもてなしていく姿勢にも変化がちらついています。真正面から険悪な雰囲気になってしまったあかねの時と異なり、彼女は自然体で水領の心の雪を溶かしていくのも、微笑ましいです。おかみだからといって客に従属するのではなく、人柄で魅了し、年の離れた友人関係を築き上げるというところがこの映画の面白い仕事観ですね。最後に水領は恋人と別離していた事情を告白し、相手の孤独をおっこが埋めていたことが明らかになります。

このように見ていくと、おっこは親を亡くした子でありながら、何かを失くした人たちの心の穴を一貫して埋めていた話になっているんですね。 

そこに至るまでのおっこの変化は、まったくわざとらしくない形で示されています。旅館へやって来た初日、ランドセルを置く際におっこは畳の縁を平然と踏んでいるんですよね。また、ヤモリを見るや否や開けようとしていた窓を閉めていました。この行いは、相手がたとえ人間ではないとしても、拒絶しているような印象を与えています。この時点では、彼女は決して春の屋の若おかみたりません。後半になると、ヤモリを触って逃がしてあげていますし、作法の歩き方も定着していくことになります。こうした非常に些細な熟練から、春の屋のおかみとしての成長を感じ取ることができます。

また、作中4度出てくる「花の湯温泉のお湯は誰も拒まない」という台詞は、おっこの成長の指標となっています。1度目はお父さんから花の湯温泉の歴史を聞かされるも、おっこは帰りたがっている様子を見せていました。2度目は峰子から叱られた時で、お客さんのあかねに私的な感情をぶつけてしまい、峰子からの言葉も聞き分けられないようでした。3度目になると、その言葉を両親と峰子から言い聞かされたこととして水領に語っています。そして4度目、ここで彼女ははじめて花の湯温泉の理念を自分の言葉のように口にします。

物語の最後に春の屋へとやってきた家族に団らんとした食事風景を提供するおっこのひた向きな姿勢に心打たれます。お客さんが事故車両の運転手だったとしても、葛藤と年の離れた友達からの励ましによって受け入れることを決意する彼女は、立派な春の屋の若おかみです。

誰も拒まないとする精神をおっこが身につけていったからこそ、水領やあかねとの出会いがあり、彼らとの信頼関係を築くことができました。

花の屋の理念は、道徳的であると同時に、広い目で見ればこの社会に生きる我々に実利をもたらすものでもあるのです。

 

なぜおっこだけがウリ坊達を目視できるのか?

「二度と会うことができない」はさずの死の不可逆性が薄れてしまうという悩み事は、幽霊が登場するフィクションにおいて頻繁に起こります。は

ただ、今作はおっこが会いたいはずの両親の幽霊は最後まで出てこないことから見ても、死については慎重な姿勢を保っています。

ウリ坊や美陽は幽霊のまま現世に留まれど、最後まで彼らにとって大切な存在の峰子や真月と言葉を交わしていません。彼らと意思疎通が可能だったのは、生者ではおっこだけでした。

(C)令丈ヒロ子・亜沙美・講談社/若おかみは小学生!製作委員会

おっこがウリ坊達を知覚でき、それ以外の人たちが知覚できない不思議な溝の正体は、不可逆的な死への理解の有無だと考えました。

おっこは生前のウリ坊と美陽を知りません。いくら霊体の彼を目撃しても、それは今まで目の前にあったものがなくなってしまう過程を直視したわけではありません。だから、幽霊と時間を共にしたところで、それは不可逆の死を認めるにはまるで遠いところにいることになります。

そしてそれ以上に、重要な描写はおっこが両親の死を真に死として受け止めきれていない様子です。これは、彼女の中では生と死の境界が曖昧であることを意味しています。事故が起こった直後のシーンでは、時間が飛んでいるというせいもありますが、おっこは目に涙を浮かべる子もしません。誰もいない部屋に向かって発した「いってきます」は宗教的信条からのものではなく、ほんとうに両親がいることを信じきっていることから口にした言葉だったのでしょう。電車の窓に映る仲睦まじい親子を見ても、彼女は感傷的な様子を露わにはしません。

そんな彼女が、旅館の若おかみを務め、出会いと別れを経験します。春の屋で出会う母親を亡くした親子、恋人と別れた占い師。彼らをもてなしていく途上で、いつかは絶対に避けられず、元に戻せない別れの概念が彼女の中で形作られていきました。

そして、事故車両を運転していた男の家族が旅館へやってきた時、両親がどこかで生きているような気がしていた彼女の中で、彼らの死が決定づけられました。死んだ人とは二度と会うことができない不条理さが、おっこに孤独をもたらす様は、とても胸が苦しくなります。

ここで不可逆的死を認めたおっこはウリ坊と美代が見えていないようでした。死ぬことがどういうことなのかを確信したために、死と矛盾した彼らの存在に気づけなくなったのだと思います。

祭りの日に、とうとう彼らは消えてしまいました。しかし今度は、おっこは真正面から受け止めていました。神楽の晴れ舞台に立ったおっこの目に映ったのは別れた父と母ではなく、旅館で出会ったあかねと水領。

この作品は、別れから目を背けていた少女が人をもてなすことで、かけがえのない出会いを遂げる物語です。たとえ不幸が起きなかったとしても、いつかは必ず人と別れなくてはならない切なさを噛み締めた彼女は、これからきっと沢山の出会いを大切にしていくのでしょうね。

「この瞬間がずっと続いたらいいのに」という言葉が刺さりました。

(C)令丈ヒロ子・亜沙美・講談社/若おかみは小学生!製作委員会

 

不満点: 食い足りなかった美陽と鈴鬼の物語

美陽は幽霊になってから誰も反応してくれなかったから、おっこたちのいる春の屋へと暇つぶしをしにきた。生前に妹を持てなかった反動からか、おっこの服装や成績を心配したりする世話焼きなお姉さんの一面を見せる。彼女がランドセルを撫でる仕草には、おっこへの思いやりが漂っている。

封印から解放された鈴鬼は、おっこの奇妙で大切な出会いのキューピッドの役割を担っている。彼がいるおかげで94分という短い尺の中で、次々と客とのドラマを連続させる状況に説明がつけられている。まるで、コナンに死神が取り憑いているかのよう。おまけにマスコット的な可愛らしさを持ち、ウリ坊、美陽とともにおっこの日常を賑やかにしてくれる。

そんな幽霊、妖怪との奇妙な共同生活という部分に今作の魅力はある、というわけではありませんでした。上で述べた様に、今作はあくまでおっこが死を理解し、生きている人との出会いを愛しむことに重きを置いています。

だから、彼らとの関係性は案外あっさりとしており、その点では適切なリソース配分と言えます。

しかし、その結果美陽たちへのリソースはやや物足りない分量に抑えられてしまったかなと思いました。

美陽と真月は、生前は顔を合わせることのない姉妹という微妙な境遇にあります。慕っていたお姉ちゃんに不幸があって、というような凡庸な話ではなく、はなから不在の姉に対する真月の胸中といったものに興味をそそられました。おっことの初対面時、「秋好旅館の1人娘」と自己紹介しているように、姉の存在は瑣末なことだったのか、それとも大きな影を落としていたのか。

美陽もまた、真月から離れておっこと過ごす楽しい日々の裏に、妹を思う事はなかったのか。非常に気になるところですが、今作では最後の水業の場面でひっそりと話が閉じてしまったので、ディレクターズカットがあるのなら、是非とも入れて欲しいです。

鈴鬼に関しては、エンディングの挿絵の中で、おっこのお母さんがかつて鈴鬼の鈴を所有していた様子が描かれていました。たしかに、おっこを見守ってくれるようにというその願いの通り、彼はおっこに出会いをもたらしてくれています。しかし、惜しいことに劇中ではそういった素振りを一切見せてくれないので、あくまでエンディングのおまけにて示される情報として独立してしまっている印象です。鈴鬼は可愛いだけじゃなく、おっこを見守る定めがあるのだというヒントが作中にあったら、より『若おかみは小学生!』の人間模様(彼は魔物ですが)か深まるはずだと思います。

つまり、ディレクターズカットを是が非でも出してくれないかなという願望が、今作への不満点の正体なのです。もしこれを関係者の方々が見ていたらご検討よろしくお願いします、と微かな希望を持っておきます。

 

まとめ

今作は、別れの持つ寂しさを真摯に映しながら、人間関係の構築でそれを埋める幸福の実相を捉えてもいます。

冒頭の悲劇が起こるシーンのショッキングな展開は子どもでなくとも心に刺さりますし、決して死を軽薄に描いてはいません。

だからこそ道中の楽しい出会いが心に温かく入り込んできます。そして、普遍的なメッセージを訴えかける見事な幕引きに、感服しました。

『若おかみは小学生!』は小学生の頃の浮遊した死生観と、仕事を通じて得られる充足感が組み合わさってこそ描ける物語になっています。「小学生が若おかみをする」という素っ頓狂な設定が、鑑賞した後は必然性の塊に変わる実感を含めて、唸らされました。

たくさんの人に観てほしい力作です。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

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