予定調和を愛することができるかが評価を左右するスピンオフ『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』レビュー【ネタバレ】

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こんにちは、生まれてこの方バレンタインにチョコをいただいたことがないワタリ(@watari_ww)です。

本日は誰もが知る大人気SF超大作スター・ウォーズのスピンオフ「ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー(原題: Solo: A Star Wars Story)」をレビューします。

シリーズの中に登場するアウトロー ハン・ソロを主役に据えて、銀河での冒険を繰り広げる今作。公開日に鑑賞し、しばらく間が空いてしまいましたが、自分の感想を例のごとく認めます。

今作は、旧三部作およびに新三部作の序章「フォースの覚醒」でファンが目にしたあのハンに近づいていく過程が描かれています。

人気キャラの過去話ということもあって、ファンサービスが多く取り入れられ、はじまりの物語としてわかりやすいストーリーが展開しているため、公開順ではシリーズ前作にあたる「最後のジェダイ」と比較しても見やすい作品になっていると思いました。

一方で、自分は未来が決まりきっていることによる意外性の無さが気になりました。

良い点と悪い点、どちらも以下に詳しく記述していきますので、よろしければお付き合いください。

尚、ストーリーの全容についてネタバレを含んでおりますのでご注意を。


62/100

ワタリ
一言あらすじ「ハンソロビギンズ」

ハン・ソロの再定義

旧3部作に出てくるハン・ソロは、腕利きのパイロットにして、地に足つかない冒険屋気質。高貴な身分で銀河を救う責務を全うせんとするレイア・オーガナとはまるで水と油。そんな彼らが惹かれあうロマンスはスター・ウォーズの大きな見どころのひとつとして今も語り草です。

今作は、ハンがソロというセカンドネームを得、田舎の星を飛び出すところから幕を開けます。帝国アカデミーの取次人に名前を宛がわれた出来事からわかるように、ハンに血のつながった家族はいません。車を豪速で乗り回しては、危なっかしい橋を渡る日々を送る青年にとっては「銀河一のパイロットになる」という夢と恋人キーラだけが希望のようでした。

惑星コレリアを脱して以後、お馴染みのブラスターや代名詞ともいえるミレニアム・ファルコン号との邂逅、師匠・恋人・悪友との出会いと別れを通じてアウトローたる心得を身に着けるまでが描かれています。

(C)2018 Lucasfilm Ltd. All Rights reserved

エピソード4「新たなる希望」の時点でも長く付き合いのある相棒チューバッカとの出会いやランドーとの因縁はもちろんのこと、「ケッセル・ランを12パーセク」という武勇伝についても映像化され、ファンの期待には一通り答えてくれています。

「最後のジェダイ」でルークがハンを偲ぶアイテムとして印象的に登場した金のダイスがハンとキーラのコミュニケーションツールとして再登場したり、名台詞”I love you””I know”のセルフパロディまで行われており、非常に細かい部分まで行き届いたハン・ソロ映画であることは間違いありません。

そうしたハン・ソロお馴染みのファクターをちりばめつつも、キーラとの悲恋とベケットとの死別を通じて、ドラマチックかつウェットに彼が彼になっていく過程を描いています。ハン・ソロを再定義しているといってもいいでしょう。

今作冒頭のソロは幼馴染のキーラへの純朴な愛情を滲ませ、銀河へ飛び出す夢を見るという我々が知っているソロというキャラクターに比べて、幼さを含む青年になっています。一方でキーラは、そんな彼よりも先に現実を知り、諦めを匂わせます。

2人の対比的な心情と気質が触れ合い、ハンが徐々にハンになっていく過程をビターなラブロマンスと冒険活劇に乗せて語るストーリーを観ていると、旧3部作を思い出しました。

はぐれ者であったハン・ソロが、レイアとの出逢いを通じて、図らずも銀河を救う英雄になりゆく物語には、大衆を掴んで離さない魅力がありました。銀河を巻き込んだ戦いに身を投じているというのに、片割れがピンチに陥った際には愛の言葉を告げてしまうという名シーンは、老若男女問わずかくありたいと思える愛の強さを訴えかけていました。

今作のアプローチは、旧3部作とは真逆にハン・ソロが苦味を思い知る話になっているため、同様の手法を取りながらも、彼の行く末を見守りたくなる新しさもあるように感じました。

ファンを長年賑わせた「ハンが先に撃った」に至る解釈がラストに示されていたように、純粋無垢に夢と愛を信じていた青年が裏社会に触れ穢れを知り、キーラのように大人びていく変化は、過去の話だからこそできることですし、ハン・ソロというキャラクターを再定義してもいるのです。

 

若手ながらも技巧派なキャスト

ハリソン・フォードに代わって若きハン・ソロを演じたオールデン・エアエンライクは、物まねではなく新しいハンの姿を好演していたように思います。上映が始まり暗がりの中に浮かび上がる必死そうな表情には、ハリソンの面影を匂わせつつも、オールデンが表現する未熟な焦りが新鮮に感じられました。

(C)2018 Lucasfilm Ltd. All Rights reserved

ポスタービジュアルでも印象的な銃の構えや、時折見せるふてぶてしさやピンチを前にしてもあっけらかんとした様がハン・ソロらしさを醸し出しており、実に巧妙。それでいて地に足つかない宇宙一のパイロットになるという夢やキーラに固執する今作独自の若さも表現されており、模倣という範疇にとどまらないキャラクターを創造しているようでした。きちんとオールデンのオリジナリティ溢れるヤングハン・ソロとなっています。

ハンとキーラの初々しい恋仲関係が映る序盤においては、ハンの過去を覗き見しているような感覚に陥りました。

劇中、ハンと同様に外の世界を夢見、彼と惑星を飛び出そうとする幼き日々と、再開後逃れられぬ運命に諦観を示す一方でハンとの夢に恋焦がれる苦い日々の両方を演じたエミリア・クラークもまことに魅力的でした。

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レイア姫という存在があるため、どのように彼女を映すのかは、この映画で最も難しい問題だったことでしょう。しかし、エミリアのスター性と表現力が見事で、ハンという男の礎になる女性たりうる説得力を生み出していました。小柄で幼い顔立ちの女優ですが、精神的にハンを置いて先にいる、という思春期の女性らしいオーラが上映後しばらくした今でも頭に残っています。

ドナルド・グローヴァー演じるランド・カルリジアンも、軽妙な語りや仕草によって冒険を見やすく調整してくれる重要な役どころでした。ハンの悪友というポジションにありながら、深刻に干渉しない程度の距離感を保ってくれているためか、見る側としてもハンとキーラのドラマに集中しやすかったです。

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ミレニアム・ファルコンをめぐる2人の因縁の始まりに際しても、作品の幕をすっきりとした印象に変えて閉じてくれていたと思います。ランドの存在が作品の重量をたしかに減らしてくれていました。

3人とも30代と若いにも関わらず、円熟味ある立ち振る舞いで感服させられました。特に、ハンとランドについては前任者がいるという非常に演じにくい役どころだったと察せられるのですが、そうしたハードルを難なく越え、キャラクターを自分のモノにしていたように映りました。

「フォースの覚醒」にてハンは最期を迎えたわけですが、オールデン・エアエンライク演じるハンには物語のブランクがふんだんに残されているので、機会があればぜひ見てみたいです。

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本作の弱み:無法者が主役にも関わらず小利口な作風

長所として、若きハン・ソロの恋愛と冒険を通じて既存イメージの彼が形成されていく話運びを挙げました。

そして、今作の短所や弱みもまさにそこにあるのです。定められたゴールに向けてどのように到達するのかといった部分が、非常に単調に運ばれてしまい、結果として退屈を覚えてしまうといった場面が多々ありました。

振り返ってみると退屈さを覚えてしまう原因は主に3つに分けられます。

ひとつは、既に結末の決まりきった話であることによる緊張感の不足。これは、スピンオフである以上、避けられない問題です。

ふたつに、スター・ウォーズらしからぬスケール感の欠如が挙げられます。

そして、ストーリーにあまり創意工夫が見られなかったことも個人的に感じた弱点です。

以上3つの点について内実を詳らかにしていくこととします。

 

予定調和が過ぎる

繰り返しになりますが、今作の物語のエンドポイントは見え切っています。観客が旧3部作を鑑賞済みのファンであれば、ハンがチューバッカとバディを組み、ランドと知り合い、ミレニアム・ファルコンを手に入れ、エピソード4のように住処を持たぬアウトローになっていくという大筋が頭の中に浮かぶことと思います。

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そして今作はそうした期待を外れることもなく、ほぼそのまま物語が進行してしまうのです。詳しくは後述しますが、だからといって映像表現や演出面において秀でた部分も見当たりませんでした。さすがに映画大国アメリカの上層部たるディズニーの資本パワーがあるとはいえ、想定の範囲内に収まってしまうストーリーでは追っている最中のハラハラを覚えずらいところがあります。

唯一キーラとの関係については我々が知りえない新情報となっています。とはいえレイアがいる以上、結ばれることはないとわかっているわけで、恋愛劇として観たときに、2人の行く末を追う話としての面白みが制限されてしまっています。

 

やけに話がこじんまり

帝国が銀河を支配し、無法者たちが蔓延っている暗黒の時代が今作の舞台。そこに生きる一人の青年が、冒険を繰り広げるというプロットは、いかにも少年心をくすぐってきます。

ところが、今作が映し出す銀河にはいまいち魅力を感じられませんでした。これは、純粋にスペクタクルな映像表現が足りないということと、狭い人間関係が世界の規模感を削いでいるということが原因だと言えます。

例えば、ハンが加担したクロムゾン・ドーンのコアクシウム強奪作戦は、帝国の基地を襲撃するという大がかりな作戦になっています。

コアクシウムは非常にデリケートな性質をもった資源であり、ある程度の刺激を与えると大爆発を引き起こすというおっかない代物です。そのため生産や管理に手間がかかり、犯罪組織間では値打ちものとされています。

それを管理している帝国軍支配下の基地となると、それはもう強固なセキュリティを期待するのが自然かと思います。しかし、そんな貴重な資源を守っているとは思えないくらい雑な警備体制を見せつけられ、悪い意味で呆気に取れれてしまいました。

このシークエンスの舞台はあまりに窮屈に思えたことが一番落胆しました。具体的には、あまりゆとりのない室内や洞窟といった場所を映すシーンが多く、さらにはファルコン号が留まっていた広場などが長い時間映りこむため、基地に対してこじんまりとした印象を強く植え付けられてしまうのです。

トライデン・ヴォスのいる場所が序盤と終盤とで同じ室内だったことも、話のスケール感を欠く要因になってしまっていると思います。スター・ウォーズと言うと、観客の目に快感をもたらす広い空間美も見どころであったため、スペクタクルの不足は個人的に大きな短所でした。

さらに言ってしまうと、作中で展開する人間関係が地球上のどこかの近所で完結していそうなパターンであったことも拍車をかけています。

ハンとキーラの関係は田舎町の幼馴染と重なって見えます。都会に出ることや自分たちの未来を信じ夢見る男女そのものです。違う惑星を訪れたハンとキーラが再会する偶然もあまりに出来すぎで、今作の銀河の小ささを露呈してしまっています。こうなってくるとトライデン・ヴォスは彼らの関係を引き裂く町ヤクザ程度の存在に思えてしまいます。

銀河を舞台にあえて狭い人間関係を活写する手法自体は、たしかにスター・ウォーズが生んだものかもしれません。ルークとダース・ヴェイダーの親子関係は映画史であまりに有名になりすぎてしまい、もはや”I am your father”の衝撃を味わうことのできる人は地上に存在しないのではないかと思うぐらいです。

自分が見た中では「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」や「インターステラー」も同様の手法をとっています。

これらの作品が原始的な親子関係を映しつつも、銀河の途方の無い広さを併存させることに成功しているのは、やはり宇宙の描写に気合が入っているからでしょう。広大な宇宙の中で、人と人との絆が描かれると、それはまるで奇跡のように感じられます。これは、相反する要素同士が互いにシナジーする典型例だとも考えています。

ただ、「ハン・ソロ」はハンとキーラの関係を描くことに貫徹した結果、宇宙の描写がおざなりになってしまった感じは否めないと思います。ミレニアム・ファルコンがケッセルランを12パーセクで駆ける映像のような大盤振る舞いをもっとやってほしかったというのが正直な感想です。

 

練り不足な脚本

サプライズとして取り入れられたであろうラストのダース・モールの登場にしても、単に「出てきただけ」という側面が強く、今作のみでこれを巧みな展開と評するのは難しいです。

今作最大のどんでん返しであるベケットの裏切りについても不満があります。

(C)2018 Lucasfilm Ltd. All Rights reserved

共に死線を潜り抜けたであろうヴァル、リオという仲間を失ってしまった彼が、利害関係からハンと結託し、危険な冒険に乗り出すというのが今作の筋書になっています。しかし、終盤に裏切るにあたっての布石が作中のファルコン号船内で交わした信頼の話にしか現れていないような気がしました。観客としてはハンがいなければベケットは死に、ベケットがいなければハンもまた死線を潜り抜けられなかったというプロセスを直視させられているために、最後のどんでん返しが前後文脈の不自然な脅かしのように映ってしまったのです。

実際、人を信じることができないベケットがハンとの冒険を通じてほだされてしまう話でも成立してしまうような流れになっているため、このあたりのサプライズに至るまでの準備も不足していると思います。

「ハンがハンになるまで」の話を描く上で様々な制約が存在することは観客にだってわかります。しかし、予定調和的なドラマが大半を占めてしまい、最後の予想を裏切る展開も布石の打ち方が雑に思えてしまったため、改善の余地は多分にあることでしょう。

 

まとめ

というわけで、自分自身の今作に対する評価は、それほど高くはありません。かといってキャストの魅力と大量の資本が投じられた映像、スター・ウォーズ補正により駄作からは程遠いです。自分は「スター・ウォーズ」シリーズの中では良くも悪くも凡庸な作品だと位置づけています。

この「ハン・ソロ」は本国では予想を下回る興行収入となってしまい、一時は後続のスピンオフ企画を危ぶむ声まで聞こえてきました。

これについては内容が悪かったというよりも、「最後のジェダイ」から半年程度でリリースしたことによる「スター・ウォーズ疲れ」によるところも大きいと思っていました。

しかし、実際に内容を見てみると、わざわざ今にこの映画を出す意味はあったのだろうかとも思ってしまいました。もしこれが「フォースの覚醒」の代わりにスター・ウォーズの復帰作として発表されていたのであれば、今以上に迎合されていたことでしょう。

既に最新技術で銀河の冒険活劇を再生産するという試みは「フォースの覚醒」でやってしまった上に、ハン・ソロというキャラクターに賛否ある末路を辿らせてもいる状況の中、「ハン・ソロの掘り下げ」と「今の技術で生み出された原点回帰的な冒険活劇」というプロダクトは供給が需要をオーバーしてしまったと自分は見ています。

とはいえ、「最後のジェダイ」がいろいろと頭を悩ませる作風であったのとは裏腹に、痛快な描写を含む活劇と旧スター・ウォーズ的なラブロマンスを味わえたことには一定の満足感があります。控えているとされているスピンオフ企画についても、変わらず期待したいです。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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