ワタリドリの手帖

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こんにちは、春から新入社員として働くも、完全に落ちこぼれているワタリ(@watari_ww)です。

今回は、土屋太鳳&菅田将暉のW主演作 実写「となりの怪物くん」の感想・考察を書きます。

原作は人気の少女漫画のようです。自分は読んだことがありませんので、特に比較などは交えず、この映画単体で見直していきます。


記事は作品の内容についてネタバレしていますので、ご留意ください。

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58/100

一言あらすじ「内向きにならず、外に出よう」



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今作の長所:「演出」と「対人関係の悩み」について

邦画らしさを逆手に取った演出

  • いちいちテロップで状況説明を入れる
  • 登場人物の挙動をわかりやすいサウンドエフェクトで飾り付ける
  • 殴られた人たちが不自然に吹っ飛ぶ
  • 見ない日はないと言うぐらい流行りのキャスティング
序盤からこれらの要素が目白押しでした。

著しく邦画らしい演出の数々は、序盤部分においては、「怪物くん」こと、吉田晴の際立った人間性を示すために用いられています。基本的には本編は写実的な撮り方でありつつ、吉田春に関する描写には現実的にありえないような映像表現が多用されることで、雫にとっても観客にとっても、彼が異質であることが読み取りやすくなっていました。
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(C)2018映画「となりの怪物くん」製作委員会 (C)ろびこ/講談社

まず、最初の登場シーンからして春は激しく飛び出し、車に体を打ち付け、それでも平気な姿を見せつけています。春が殴りつけた相手は、数メートルほど吹っ飛ばされていました。地面に叩きつけられた体をバウンドさせる者までおり、飛び方にしても物理法則を無視したような光景が広がっていました。はっきり言ってこのシーンは違和感の塊でしたが、それ故に吉田春というキャラクターが強烈に記憶されることになるのです

その他、彼は教師の手先とみなした雫を押し倒したり、友達だと宣言してから下校中の雫を拉致するなどの非常識な行為にすら及んでいます。遠方から雫を大声で呼んだ後に、跳躍して近づいてくるというシーンは、春が欲求を包み隠さず、真っ直ぐに向かってくることを端的に表現している場面であり、色々有り得ないながらも、しっかりと彼のキャラクターを把握できるようになっています

春と言えば、伊坂幸太郎の小説「重力ピエロ」にも同名キャラクター春が出てきます。偶然にも、この春も冒頭階上から飛び降り、不良を成敗していきます。「春が二階から落ちてきた」などという目を疑うような一文から物語は幕を開け、初っ端から特異なキャラクターを訴えかけてきたのです。「となりの怪物くん」の春も同様の意図があったのでしょう。
一方で、晴以外は一貫して地に足ついた撮り方をされています。雫たちは、際立ったスキルを持っているわけではなく、それぞれが普通の高校生として映り、観客に共感してもらえる要素を持っています。
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(C)2018映画「となりの怪物くん」製作委員会 (C)ろびこ/講談社

吉田春が屈託のない笑顔を浮かべ、上ずった調子の声で喋る一方で、雫たちは感情表現をあからさまに行ったりはしません。夏目だけは、少々猫なで声のように感じましたが、これは「女性にきらわれる女性」のイメージを反映しているのでしょう。

とにかく、春を除いた登場人物たちは、人間関係に悩む等身大の高校生として素朴に描かれていて、思春期にとりわけ見られる感情の押し殺しや素直になれない様を映しているのです。雫を演じた土屋太鳳は、表情が硬いことが多く、春とは対照的な役柄です。雫は、自分の望みをベラベラと口に出すということはなく、それ故に内向的になってしまう人間味溢れる少女なのです。

自分が面白いと思った演出はバッティングセンターにあります。春がいじめっ子を成敗するド派手なシーンの裏側で、雫はそれを見て見ぬ振りで済まそうとしていました。ここに、春と雫の大きな違いが浮かび上がっています。バッターボックスに立った雫は、放たれる球を打てずに、見逃すしないという画はかつての雫のスタンスのメタファーになっているようでした。春の陰口をいう他校の生徒にいても立ってもいられない彼女は、とうとうヒットを出した後、今度は自ら春のために動くのです。積極的に他人に干渉しないそれまでの自分と決別し、春に理解を示し始めるキッカケが「球を打つ」という些細なアクションで暗示されているのはとても興味深いものでした。

ところで、自分は「登場人物が自分の内情をペラペラ喋りまくる作品」がとてつもなく苦手なのですが、吉田春はまさしくそういったセリフを吐きまくっています。雫に対する想いを軽はずみに発したりするデリカシーのなさは下手すると映画全体の評価に響くのだと思われます。しかし、春は他のキャラクターと対比させて率直な性格に説得力を持たせているので、演出として受け取ることが出来ました。最初から最後まで、春は「雫のことが好き」という気持ちをブレずに持っていますし、周囲の登場人物が自分の気持ちに素直でいられない中で春だけは真っ直ぐなのです。

邦画的な演出は春のキャラクターを表すのに用いられ、それ以外のキャラクターを描くにあたっては質素な表現に徹してるという取り組みはなかなか類を見ないもので面白かったです。


対人関係は難しいけれど、向き合わないといけない

人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである。

個人心理学の大家アルフレッド・アドラーは、そう述べています。
「となりの怪物くん」に出てくる登場人物たちとて例外ではありません。
  • 母親と疎遠になって心に空いた穴を埋めるべく、勉強に身を注ぐ
  • かつて現実の友人関係で孤立し、ネット上で友人を作っていた夏目
  • 密かに夏目に恋心を抱く佐々原
  • 周囲から苦労ごとを押し付けられがちな大島

これらの登場人物は、演者の容姿端麗さを除けば、比較的「どこにでもいそう」に描かれています。彼らに共通して見いだせる特徴は、皆一様に「対人関係に悩んでいる」ということでしょう。
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(C)2018映画「となりの怪物くん」製作委員会 (C)ろびこ/講談社

これまでも、学校生活を題材にした作品では、決まって友情や恋愛の要素を含んでいましたし、我々観客も求めてきたことです。

しかし、自分自身は「となりの怪物くん」は、それらの有象無象の青春モノから少し離れたところに位置付けられる作品ではないかと思いました。今作は「対人関係」を強く意識したと思われる台詞や行動が、しばしば目に付くのです。

主人公の雫が勉強に打ち込む理由として母親の存在が挙げられていました。不甲斐ない父親に代わって、母親が働きづめの家庭で育った雫。彼女は、幼少期に誰もが経験するであろう母親との時間を十分に持てないまま、思春期に至ってしまいました。夏祭りに金魚すくいでとった金魚を入れるための鉢に手を伸ばしても届かない幼い彼女の姿は、まさしく得たいものを得られない様を如実に物語っています。
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(C)2018映画「となりの怪物くん」製作委員会 (C)ろびこ/講談社

そうして彼女は、不在の母親と向き合うことをやめ、勉強に励み始めました。金魚鉢を満たすは、夏祭りの金魚ではなく使い古された暗記カード。構ってくれない母親よりも、やればやるだけ結果に結びつく勉強を取った雫の内情を示す、なんとも含意的な描写です。こうした経験から、雫は対人関係を軽視し、なによりも勉強を優先させるようになっていってしまいました。

ただ、ここには大きな落とし穴があります。たしかに、母親との十分な意思疎通が取れなかったことは、確かに幼い子供にとって酷だったかもしれません。しかし、だからといって塞ぎ込んでしまえば、更に対人関係は悪化してしまうものなのです。雫は、母親とのコミュニケーション不全と勉強一辺倒を因果の関係で見ていたように思いますが、これはアドラーの個人心理学に照らし合せわせれば、雫の「逃げ」でしかないのです。どれだけ願っても母親と一緒にいられなかった経験を、対人関係への無気力へ繋げたのは雫の意思であり、客観的な因果では語れません。

「母親とうまくいかなかった、だから更にコミュニケーションをはかるよう努力する」という選択だって取れたはずですよね。彼女は母親に連絡すよう促された時に、自身の誕生日であるにも関わらず、「連絡する理由がない」と口にしていたように、諦めることを目的化してしまっていたようにもとれます。

こうした彼女の諦め思考に突破口を差し出してくれたのが、吉田春との出逢いです。彼は、人を疑うことを知らず、自分の想いを隠すこともしない人柄の持ち主でした。対人関係においては、向こうからのアプローチを期待するよりも先に、自らが近づいていくようなスタイルです。会ったばかりの雫を友達だと言って放課後の遊びに誘いましたし、お金目当てでたかってきていた他校の生徒の悪口を言われたら、友達をバカにするなと言わんばかりに怒りを露わにしてもいました。一切の企みを持たない春に、雫は惹かれていくことになります。

順調に見えた彼らの関係に暗雲が立ち込めたのは、作中大きく2回ありました。1回目は、兄の優山との仲を心配してきた雫に対して、春が「干渉するな」と言ってしまった時。2回目は、雫が互いの境遇の違いに苛立ちを見せ、春は彼女からの理解を得られないことを知って決定的な仲違いをしてしまった時です。

春は自分の家庭の問題に口出しさたことで拒絶反応を示しましたし、雫は春と自身の間にある決定的な違いを受け入れられず突き放してしまいました。とても複雑な人間の感情が入り乱れているように思えます。

しかし、問題はシンプルに紐解くことができます。アドラーの個人心理学では、相手が自分のことをどう思うかは、その人の課題であって自分の課題ではないと言い切っています。だから、雫と春が互いに理解できない領域があったとしても、別にそれで構わない話なのです。

1回目の春の「干渉するな」という発言の後、雫は再び対人関係に消極的になり、閉じこもってしまいました。しかし、雫が春の言葉を重く受け止めたことと対人関係の回避を再開したことの間に硬い因果があるように見えても、結局のところ雫がその行為を選択したに過ぎないのです。立ちはだかる障害物を諦めの原因と託ける主体は、いつだってそう考えた本人ですし、だからこそ障害物があったとしてもなお相手に寄り添おうとする道を選ぶこともできるのです。

学園祭の日、雫は自分で春を突き放しながらも、結局は寂しさを感じている胸中をヤマケンに明かしていました。ヤマケンは「人がいるから寂しさを感じる」というような言葉をかけていましたが、これもまさしくアドラー心理学で説明されているところです。
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(C)2018映画「となりの怪物くん」製作委員会 (C)ろびこ/講談社

アドラーは冒頭の引用文に加えて、「悩みを消しるには、宇宙のなかにただひとりで生きるしかない」とも述べています。要するに、孤独を感じるのは、他者の存在があるからであって、他者の存在が無い環境におかれれば、悩みもまた消えるだろうと言うのです。

ヤマケンに諭されたあのシーンは、春と関わることで対人関係を知った雫が、確実に変わっていることを示していたと言えるでしょう。

一方、春の方はというと、雫に厳しい言葉をかけてしまった翌日にはけろっとしながら、校門の前で雫を待っていました。彼からすると、雫に家族関係について干渉されることは、自身の領域に土足で踏み入られるようなことでありながらも、一旦主張した後には、また元の関係を望んで自ら仲良くあり続けようとしていました。厳しい言葉をかけた後に、雫と疎遠になる道もあったはずですが、彼はそれを選ばなかったのです。

このように他者との関わり方は複雑なように見えながらも、自分の考え方次第でいくらでも前を向いて関係を築くことができるのです

個人心理学では面白いことに、「人は誰かを嫌う時、それは嫌いになる原因に基づいているのではなく、嫌いになるという目的のために理由を探すものである」という考え方が含まれています。雫が母親と連絡を取らずに勉強に打ち込んだのも、自分と異なる境遇の春に心を閉ざしたのも、対人関係で傷つくのを恐れて自己防衛を取ったように思えてきます

ただし、前述したように、このマインドは、変えることができます。「他人が自分をどう思うか」の一点は自分の力ではどう足掻いてもコントロールできない課題である一方、「自分が何をするか」は自分の裁量で変えられるのです。

雫が母親に電話をかけたように、春が自分の心に向き合って雫の元へ帰ってきたように、そして雫が春へ一直線に抱きついたように、自ら歩み寄ることで、対人関係は確実に現状から変わっていくものです。

今作は万人が直面する対人関係の悩みを、思春期における恋愛に当てはめて描いたという点で、今までの少女漫画実写化作品と一線を画していると言えるでしょう。


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今作に抱いた不満点

浜辺美波に救いは無いのか?

上記に述べた通り、登場人物はみな、対人関係に悩みを抱えています。

メガネをかけているというだけで委員長に推薦され、損な役回りを任されてしまった大島もその一人でした。
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(C)2018映画「となりの怪物くん」製作委員会 (C)ろびこ/講談社

風変わりな言動でみんなの注目の的になっている春に対しては、もとから想いを募らせており、学園祭の準備作業で気にかけてもらってから益々恋に染まっていく彼女の姿は、とても美しかったです。

演じた浜辺美波はメガネも似合うし、真面目で控えめな雰囲気を体の芯から醸し出していたように思います。バレンタインデーに、春への想いが叶わぬものであると悟った時に見せる一瞬の表情の強張りと、震える瞼と切ない瞳。それらを抑えて健気にも明るく振る舞う彼女のことを目にして、心が締め付けられるような気持ちにさせられました。

春の恋路を応援し、周囲から任された役割も果たしていた彼女が、最後まで報われないことには、後味の悪さを通り越して、義憤すら湧いてくる始末です。お互いに寄り添う関係性を紡いだ雫と春、夏目と佐々原のように、彼女もまた成果を与えられて然るべきではないでしょうか。

大島は、自分を犠牲にして他者に尽くすという精神性を見せながらも、少なからずそれに徹しなければならないことに不満もあるようでした。しかし、作中では彼女の問題が解決する様子は一切描かれず、他者に尽くすだけ尽くして、何も跳ね返ってこないという損ばかりなキャラクターになってしまっています。

さらに言うと、これは作品そのもののテーマにも反してしまっているようにも思います。雫が他人に対して心を閉ざしていたことを、最終的には至らぬ点として扱うことで、逆説的に「対人関係に向けての勇気」を肯定していますが、大島は最後の最後まで勇気を示してはいません。自分のしたくないことを「したくない」と表明することや、春への恋心を明らかにすることは、自己中心的などではなく勇気なのです。

大島というキャラクターの登場時間がそもそも少なかったことを考えると、そこまで重要なキャラクターではないのかもしれません。恋愛ものでは必ずと言っていいほどいる当て馬のようのキャラクターなのかもしれません。

それでも、作品が対人関係の重要性を訴えている以上、こうしたキャラクターを生んではいけないと思います。誰にだって心はあるのですから。


会話シーンが非常に退屈

全体的に気になったところで言うと、会話をする時に集中力が持たなかったです。カメラワークにしろ、演出にしろ、台詞回しにしろ、興味を引く工夫が感じられず、極めて単調に映りました

派手な言動や演出で飾り付けられている吉田春が出てくるパートはまだなんとか見られた方ではありますが、春が出てこないシーンは退屈の骨頂でした。

春を除いた登場人物は、基本的にふつうの人です。(キャストは美男美女ですが、それは置いておき)とりわけ目立った外見的な特徴や、仕草、言葉遣いはありません。

そんなふつうの人が、ただ突っ立って言葉を交わすだけの画が広がると、なんの面白みもないのです。
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(C)2018映画「となりの怪物くん」製作委員会 (C)ろびこ/講談社

特に後半部分は春が失踪してから、静かなトーンで進行するのと相まって、眠気を誘発されてしまいました。

ヤマケンが雫に告白するシーンなんて、今まで散々目にした校門で2人が向かい合って淡々としゃべるだけのため、せっかく重要な場面だというのに、台詞が頭に入りにくかったです。

登場人物の関係性を示すような立ち位置にしたり、台詞回しを工夫したり、カメラのショットに変化をつけてみたりすると、もっと改善されると思うのですが、これはしばしば邦画に感じる問題点なので、とやかく言っても仕方ないかもしれません。


意味不明な春の失踪

雫に自分の境遇を理解してもらえず、家を飛び出してしまった春。恋愛モノの作品で、恋仲の相手が突然消えてしまう展開自体はありがちですよね。「植物図鑑」でもありました。


しかし、この作品での春の失踪はまるで意味がわからなかったです。これ必要か?と本気で思いました。

海外の研究所に行っていたという話がちらっと語られていましたが、優山の誕生日パーティで父親の知り合いから聞かされていた程度の話でしたよね。さほど興味を示していたわけでもなく、確か進路相談では「マグロ漁船に乗る」と言っていたはずで、ものすごく取ってつけた感じの設定に思えてしまいました。

そういえば、「マグロ漁船」の話を先生がした時、雫もその場にいたのは突っ込みたくなってしまいましたね。「ちはやふる -結び-」でも「教師が他の生徒の進路を主人公にペラペラ喋る」というシーンがあったのですが、生徒のプライバシーぐらい最低限守ってあげなよと思いました。

話を戻しますが、春の失踪は、無理やり仲直りさせるために脚本が仕組んだようにしか映りませんでした。

雫と仲違いしたことにより、距離を置きたくなるという春の気持ちはわかります。しかし、戻ってきたらものの数分語り合ってハッピーエンドになってしまったために、登場人物の内面的な成長がすっ飛ばされてしまったように思います。

決定的なまでに関係に亀裂が生じたのだから、それを修復するまでも丁寧に書くべきではないでしょうか。「自分は望んでも家族円満ではいられなかった」という過去の傷を抱える雫と「過度な期待と望まぬレールを強いる家族から逃れたい」という春の衝突が描かれたにもかかわらず、一体どのようにして折り合いをつけたのかがまるでわかりません。

相手が消えたことによる悲しみと帰ってきたという喜びとで全てが誤魔化されてしまったようにしか思えませんでした。


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まとめ

女子中高生が喜びそうなイケメンの男の子と恋愛する定番の少女漫画実写化作品……と思いきや、対人関係にまつわるエピソードを真摯に描こうとした内容にはなかなか眼を見張りました。ティーンが主体の作品にありがちな、容姿端麗なキャラクターとの関係を通して自己顕示欲を満たすという矮小的な恋愛話を避けて、普遍的なコミュニケーション問題を扱ったのは、とても意義があることです。
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(C)2018映画「となりの怪物くん」製作委員会 (C)ろびこ/講談社

人気キャストを起用してはいますが、適材適所に配置されており、どのキャストも個性を発揮されていたと思います。

問題として挙げた大島の扱いや春の失踪に関しては、原作を2時間の映画に変換する過程で生じたのでしょう。実写化作品では付いて回るものですね。

ただ、会話シーンがものすごく単調だったのは、やっぱり気になるところです。映画は大スクリーンで観る以上、大なり小なり画面には娯楽性が求められます。流行りのキャストと人気の原作を使って映像に起こせばそれでいいというわけではありません。今作に限らず、元が漫画やアニメの実写化作品であっても、映画の武器である映像表現には頭からしっぽまで工夫を凝らしてほしいと感じた次第です。

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