ワタリドリの手帖

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 こんにちは、何かにつけてスタバに入り浸りがちなワタリ(@watari_ww)です。
 
 アニメ10話の恋雨は原作5巻37話の後半~39話いっぱいと9巻67話後半のエピソードを組み合わせたものでした。
 今回は店長を誘って古本市で過ごした1日と、その後の店長の本への執着を匂わせるエピソードが描かれました。


直接言葉を交わさずとも

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 横浜の赤レンガ倉庫にて催されていた古本市にいこうと誘い、あくまで友達として店長から本を教えてもらおうとするあきら。たまたま会った店長の旧知の本屋さんにも気張って友達と自己紹介するあたりが微笑ましい。

 この古本で溢れた空間に身を置く店長の声はどこか高らかで、子供のようです。平田広明氏の演技はキャラクターの心情を自然と映し出していて、さすがベテランだと思わされます。
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 つい夢中になってしまってあきらそっちのけで本を読みふける店長。その一方であきらは、本屋のおっちゃんから小説家の夢を志していたことを聞きます。

 店長が買った本のおまけに選んだ古葉書には「忘れることのできないものは無理に忘れることはない」との言葉が書かれていました。これはもちろん、あきらから店長へのそれとない励ましを思わせますし、それを良い手紙だと告げた彼の心の在りようも感じ取れます。あきらだって親友との仲直りを望んでいる。昔の誰かが誰かに宛てた手紙を媒介にして、あきらと店長のコミュニケーションが交わされているようですし、それぞれの持つ夢への執着と元に戻りたいという気持ちが示唆され、暖かく見守りたくなります
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 ヴィクトル・ユーゴーの1文字の逸話は、あきらと店長のメールにも当てはまりますし、インスタグラムらしきSNSの「いいね」ボタンにもかかっているみたいです。3年生の追い出し会の写真を見たあきらはきっと後ろめたい気持ちを抱いたから最初は「いいね」を押さなかったのではないかと思います。着実に部活動は変化しているけれど、あきらはそこに加われない。喜屋武も他の投稿にはあきらの「いいね」がついているのに、その投稿にはついていない事に思うところがあったようです。
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 忘れられない部活への想いはネガティヴなものだったのかもしれません。でも、あきらは古葉書にある言葉によって、今の気持ちを前向きに捉えられるようになったから、「いいね」を押しました。それを目にした喜屋武も「いいね」を押し、言葉にしない二人のコミュニケーションが交わされました。店長に見せた古葉書も、「いいね」を押したSNSの投稿も、本人が明確に言葉を語らないからこそ、受け取った側の気持ちが反映されるのが面白いですね


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小説と両想いでいたかった店長にとっての救い

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 雨降りしきる中、立ち寄ったラーメン屋のテレビに映るちひろは「小説は自分にとって恋人のようなもの」だと語ります。

 店長にとって小説とは離れたくても離れられないもの。堂々と両想いの関係と呼べるものではなく、そこには店長からの一方的な想いがあるだけ。小説を書いてはいるけれど、それを周囲には告げていないし、経済的な利得も生じません。円満な作家 九条ちひろを前に、自分の境遇にどうしようもない諦念を感じはするけれど、メモをとったり、原稿を書くことはやめられない。彼はどうやったって想いを断ち切ることができないんですね。そんな彼の姿を見ると、本当に悲しい。
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 小説を追い求めることでおそらくは妻との関係も悪化してしまい、勇斗とも離れ離れになってしまった。「誰も救うことができないのか」というモノローグが過去を直接語らずとも、何があったのかを考えさせますね。
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 ちひろの言葉が店長に向けられたものであったならまだ反発してしまえるだろうけど、誰に当てたのでもない悪意のない言葉であるから余計に心に響いてしまう…というのも切ない。

 あきらが店長に見せた夏目漱石の「それから」は親にパラサイトして生きる無職の主人公が描かれています。彼は裕福な親の安全な傘に守られているといってもいいです。最終的に愛する相手と駆け落ち、世間に出ていく…かいつまんで言うとそんな話です。裕福な家は、雨も凌げて居心地がいいけど、日は当たらない。その生活を捨てた彼は外に放り出され、これからつらい事も待ち受けているでしょうが、成るように成るのだと心に思う。「それから」という題はその主人公の結末を表しているのです。

 そこに挟まれる四つ葉のクローバーは、幸福を表す定番の意匠。4つの葉はそれぞれ、希望、誠実、愛情、幸運を意味するらしく、それをついばむ形になっているツバメがなんとも含意的。

 店にあった雨をしのぐツバメの巣、そして飛び立たない雛鳥。それは即ち、二人の現況のメタファーでしょう。諦めによって現状を維持することは好ましくない。だから、常に自分にとって良いと思えるものを選んだほうがいい。そんなメッセージが含まれているのではないかな、と思いました。日光にあてると浮かび上がるツバメの模様は、雨の当たらぬ場所にいると薄れてしまう店長の小説への情熱なのかもしれません。

 あきらが最後に「本当に諦めたツバメは、空を見上げることも忘れてしまう」と恥じらいを感じさせる表情で語っていたのも印象的です。今は雨をしのぐ場所=ガーデンにいたいというあきらの意思表明なのでしょう

 3話の最後に「自分の何気ない一言が誰かの心を揺らしている」と心の中で語っていた店長ですが、今回の話では彼があきらの言葉によって救われているようです。当初はあきらから店長への一方通行のような関係が、着実に相互影響しあうものになってきていると考えると、この変遷は感慨深いですね。

 「そんな店長だからです」と告げるあきらは、店長にとって何よりも有難い存在ではないかとも思います。相手に高望みをするのでもなく、低く見るのでもない。ありのままを受け入れて、言葉に耳を傾けてくれる人が傍にいてくれると、救われるはずです。
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原作との違い

 冒頭の月を見上げるあきらは、原作にはありませんでした。スーパームーンではないけれど、あれから月に興味を傾けるようになったのは、店長に出会った日に励まされ、空を見上げたのと重なります。

 ヴィクトル・ユーゴーと「それから」のエピソードは全くのアニメオリジナルでした。かなり自然に溶け込んでいるので、アニメで観たときは気づかなかったぐらいです。

 喜屋武とあきらの「いいね」のコミュニケーションにしても、原作では相手の内情を掴めない不安を感じさせる描写でしたが、アニメでは希望を感じさせるものに変わっています。アニメだとあきらの「いいね」を見た喜屋武はそれに答えるかのように自身も「いいね」を押していましたが、原作では物憂げな表情でそれ見る所で話が終わっているのです。
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 また、今回のツバメのエピソードは丸っきり9巻の話を先んじて5巻の話にくっつけています。その結果、店長の抱える夢への執着心がツバメの話で暗に示され、そんなことを語る店長をあきらが肯定するという流れが出来上がっています。「そんな店長だから」というのは原作では、あきらが出会い頭に放った言葉でしたが、アニメのほうは話し込んだ末に出てきました。観る側も店長に耳を傾けて、あきらの言葉に共感できるため、説得力が生まれていたように思います。

P.S.あきらのジト目がカットされたのはちょっとだけ残念でした。。。こういう細かいところも違いがあるので、アニメだけじゃなく原作もいいですよ!
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(C)眉月じゅん・小学館/アニメ「恋雨」製作委員会
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