ワタリドリの手帖

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もうじき公開されるブレードランナー 2049に備えて
丸の内ピカデリーにて上映されていた爆音のブレードランナー ファイナルカットを鑑賞。

筆者は大学生ですので当然リアルタイムで観れるべくもなく、
題名と主演のハリソン・フォード、サイバーパンクもののハシリである事などしか
知りませんでした。

日本だとアニメ攻殻機動隊が似たような世界観を描いているし
スターウォーズやインディジョーンズで見知っているハリソン・フォードが出てる
これは面白くないわけない!と思いつつも35年前の作品だし…古いかな~という
先入観から手が伸びなかったんですよね。

しかし、続編が既にアメリカで公開され、
辛口のレビューサイトRotten Tomatoesで高評価を獲得しているとの情報や
ツイッターのタイムラインにて流れるファンによる熱い盛り上がりにあっさり感化され鑑賞。

黒澤明の映画を初めて観た時よろしく、圧倒されました。

爆音上映特有の音の響きと合わさり、大スクリーンで広がる近未来のロサンゼルスにすっかり入り込みました。
そういう意味では、自宅のテレビで済ませてしまうより映画館で初めて見れて良かったと思いました。

今回はその冷めやらぬ興奮を感想としてしたためていきます。

ブレードランナー ファイナルカット

80/100

一言あらすじ《人造人間レプリカントを追う特別捜査官ブレードランナーを通じて生命を描いた暗示的哲学映画》

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タイトルの意味
初っ端、えらいこと言わせてもらうと自分がこの映画に名前をつけるとしたら
《ブレードランナー》なんてクールで大衆受けしそうなタイトルにはしないと思うんです。

というのも、鑑賞前にポスターや出演者のハリソン・フォード、そしてタイトルから
勝手にアクションSFもの、と想像して今回鑑賞に至ったわけです。

ところがどっこいアクション、SFはそれがこの映画の見せ場ではないときた。

2017年の今に見ても全く古びない世界観ビジュアルと未来を先取りしたかのような
空想上のテクノロジーや登場キャラクターが則る哲学は、まさしくそれがこの映画を
名作たらしめ、今もなお語り続けられている理由なのだと直感しました。

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ブレードランナーというタイトルはそもそもレプリカントを追う追跡者としての《ランナー》は
当てはまりこそすれ、ブレードは取ってつけたような単語です。


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劇中では主人公リック・デッカードは刃物は扱わず、架空の拳銃を武器として携行しています。

命名理由は元々デッカードにつける職業名を思い浮かべず、
たまたま目に入ったBlade Runnerという内容は無関係の別の小説のタイトルを拝借したのが
きっかけだそう
です。
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」よりかは
大衆向けにはこの格好良い響きは正解だったのかもしれません。



テーマは人間?
この映画がフォーカスしているのはハンソロやインディジョーンズで確立されきったアクションスター、
ハリソン・フォード=ブレードランナーが、人造人間=レプリカントを退治する勧善懲悪ではありません。

地球外の過酷な労働力として生み出されたレプリカントを追う過程で映り込む
レプリカントの寿命や役割を設定する人間たちのエゴ、レプリカントたちの生存欲求と死への抵抗
そして他者への愛。

ロイ(ルドガー・ハウアー)率いるレプリカント達は、
奴隷的な苦役から脱却し、設定された短命を直すべく地球へ潜伏し、
そこでデッカードに追われる事となります。

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彼らは強硬な手段に出て、折に殺人も犯しているため、一見ヴィランとして捉えがちです。
しかし、人間によって生み出され、有無を言わさず役割(男は戦闘、女は慰安など)を背負わされ
感情が生じてから、自らのアイデンティティに苦しみ、生きるために地球へ脱走するわけです。

ここにある事の発端は、生物を自らの都合により作り出すタイレル社、ひいては人間のエゴであり、
生み出されたレプリカントは寧ろ生まれながらに苦境を強いられた被害者とも言えます。

人間のために生み出されたものの、人間然として生きようとするレプリカントと
人間のために彼らを抹殺するデッカードが交わる事は、
極めて矛盾や混沌を抱えたシチュエーションであり、現実の問題にも通じてきます。

その結末もまた考えさせられました。
最後にレプリカントのロイとブレードランナーのデッカードが選択する行動は
リアルに起こりうる希望を提示しているのだと感じました。

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こうした現実にも起こっているドラマ偶像的に描くべく、
敢えて猥雑な未来都市を舞台にしたのではないでしょうか。



今も尚新鮮なビジュアル
舞台となる、ロサンゼルスは、常に酸性雨が降り注ぎ、
在りし日のアメリカからかけ離れたアジア色の強い風景。
人口密度もきわめて高く、街を描いたシーンでは見渡す限りの人、人、人。
室内にいても、外のネオンやライトが常に漏れ出してくる。

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ありとあらゆる物質がごった返している世界を尻目に、着々とレプリカントたちは自己保存のための闘争を続け、
デッカードも手がかりを頼りに彼らへ迫っていく不穏なストーリーが展開します。
雑音や雑踏の中にデッカードとレプリカントの話を置いた事は、観客に集中をさせるための
仕掛けだったと自分は思いました。

また、常に画面に映り込む動体によって、観客の目線を画面に惹きつけるようにも設計されています。
黒澤明の映画においては、天気やモブ、光を効果的に活用し、画面に緩急をつけることで
白黒時代であっても現代の映画以上の表現幅をきかせています。
七人の侍における土砂降りの雨や背景の百姓たちまでもがとる細やかな動きがいい例でしょう。

ブレードランナーにおいてはゲイシャが映った広告バルーンや日本語のネオンサイン、
過密な人口など、過剰なまでに画面に変化を与える仕掛けが満載です。

登場人物たちがとる独特な生活様式と仕草にも新鮮な気持ちを覚えるため、
話の面白さ以前に、絵画といったアート作品のような視覚的な楽しみがあるのです。

冒頭から日本語を話す屋台の店主がデッカードとチグハグなやりとりをするシーンが入り
観客のアメリカ人にしろ、日本人にしろ、これには不自然な感覚を得ますし、
変わり果てた未来の世界に誘われるわけです。

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↑デッカードが食べていた物。なんじゃこりゃ


レプリカントを見破るための尋問方法もレプリカントが《人間に近い存在》である事を伝えつつも
恐ろしさを見る側に植え付ける格好の演出になっています。

振り返れば振り返るほど、たんに奇をてらっただけの映画ではなく、
本筋の哲学テーマを際立たせるために緻密に計算され尽くしているということを実感しました。

ネタバレを避けながら、語るのは難しい映画なのですが、
猥雑で不潔な近未来のロサンゼルス、レプリカントとそれを追うブレードランナーのそれぞれが
《人間》を描くための最適なツールとして機能しており、
単なるSFアクションとして消費されず生き残り続けた本作の凄みと言えるでしょう。



爆音ブレラン
爆音上映で観た感想を述べると、この上映形態は映画世界に入り込むためのツールとして最適だと思いました。
オープニングで表示される主なキャストとスタッフのクレジットシーンで
音楽が低く鳴り響いていたのですが、もうその時点で体の表面が揺らされ、
ロサンゼルスが映った瞬間の音の鳴りが自分の興奮と期待を強く煽ってくれました。
意外と激しいシーンは多くないですが、恒常的に街のガヤや雨音が聞こえる世界なので
まるでそこにいるかのような感覚が強かったですね。



ブレードランナー 2049
日本でももうすぐ公開の続編『ブレードランナー 2049』はリブートではなく直接の続編として作られているため
本作を観てから臨むのがいいでしょう。
予習として鑑賞したのですが、寧ろ四六時中作品の解釈に頭を使ってしまっているぐらいです。
ファイナルカット版は劇場公開版にあったナレーションが全てカットされているようなので
わかりやすさはありませんが、故に受け取れる意味の幅が広く、とても対象年齢が高いと思います。

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2049の主演、ライアン・ゴズリングはララランドで若い女性ファンが増えたようですが、
観に行ってから理解しにくいという感想が出ないかだけちょっぴり不安ですね。
作風が対照的ですから…。



ネタバレ後日追記予定
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