記憶し、語り継げば、人は生き続ける『リメンバー・ミー』レビュー【ネタバレ】

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こんにちは、ワタリ(@wataridley)です。

今回は数々の人気作を世にお送り出してきたピクサーアニメーションスタジオの最新作「リメンバー・ミー(原題:Coco)」をレビューします。

ピクサーといえば、「トイストーリー」「モンスターズ・インク」「ファインディング・ニモ」といった作品が老若男女問わず不動の人気を得ており、毎作期待を寄せるしかありません。

「リメンバー・ミー」に関しても、

  • 上記の人気シリーズとは異なり、久々の完全新規作品
  • メキシコを舞台にしたエキゾチックな作風
  • 本国では昨年に公開済みでRotten TomatoesやIMDbで高評価
  • アカデミー賞長編アニメーション部門最優秀賞獲得

などの前情報を耳にして、期待値もきわめて高いものでした。

さて、実際に観た感想を率直に述べると、「リメンバー・ミー(Coco)」は、美麗に賑やかに描かれた死者の世界で心温まる家族の物語を見せつける傑作でした。

以下に今作を見て感じたことを書き記していきます。

ネタバレを交えながら書いておりますので、未視聴の方はご注意ください。


82/100

ワタリ
一言あらすじ「Remember me.」


家族より大切なものはない

主人公のミゲルは、プロのミュージシャンになることを夢見るギター少年。音楽を封じこめようとする家族の目を盗んでは憧れのスター故エルネスト・デラクルスの曲目を真似する日々。

ギターを弾く細やかな指の動きや音楽へ寄せる憧憬を浮かべる表情がとても印象的であり、切実な願いを実現させようともがく彼に肩入れせずにはいられません。

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(C)2018 Disney/Pixar. All Rights Reserved.

 死者の国で出会った死者のヘクターは、家族に会いたい一心で生者の国へ渡ろうと奮闘する役どころ。

骸骨のボディを分解して警備員を軽やかに避けたり、自分の手を人型に見立てて人形劇を演じて見せたりと、仕草がとことん面白おかしい。

そんなコミカルな挙措とは裏腹に、悲しい過去と切実な想いを抱えているというギャップがあり、心から身を案じてしまいました。

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(C)2018 Disney/Pixar. All Rights Reserved.

ピクサーの作品では珍しく、ミゲルとは子供と大人のコンビを組んで死者の国を旅することになります。フィクションにおける大人と子供の接触というと、どうしても擬似親子に寄ってしまう傾向があります。そういうのも心温まりますが、この映画における2人の関係は、真実が明らかになるまで、特定の呼称を用いれられる様ではないのが新鮮でした。

自分を縛る家族から逃れたいという一心で動くミゲルと家族に会いたいがために必死になるヘクターは目的もまるで別方向だというのに成り行きで2人は共に旅をする。途中に訪れるミゲルのミュージシャンとしてのスタートもヘクターは見守ることになり、ダンテの導きで2人でひとつの音楽を奏でもする。音楽は家族を引き裂くものだという呪いに悩まされるミゲルと、実際にそれを経験してしまったヘクターが、音楽を通じてひとつになるミュージカルシーンには大きな意味がありました。

ヘクターは、ミゲルにとってミュージシャンとしてのキャリアを後押ししてくれた人であると同時に、血の繋がった家族でもありました。そして、そのヘクターは結局は夢のために家族を置いて旅立ちながらも、家族を忘れられずに、四苦八苦している。

そんな彼を目にしてミゲルが思ったのは、家族と夢を秤にかける思考がいかに不条理であったのかということ。最終的にミゲルは「家族より大切なものはない」とイメルダに告げるあたりからも、夢を追っても家族に回帰してしまう自分の心の在り様を理解しているようでした。

これらのキャラクターには、家族への愛情はどんな形であれ、忘れてはならないという精神性が見て取れます。リヴェラ家が音楽を封じていたのは家族が離れ離れになることを恐れるが故のものでありましたし、ヘクターは遠く離れていても家族を想う気持ちを「リメンバー・ミー」に託していました。

夢を見るあまり盲目的になったミゲルが、ヘクターという実際のサンプルを目にして、家族愛の大切さを再認識するドラマとして非常に優れていると思いました

 

2度目の死は誰にとっても恐ろしい

今作で何よりも目が引かれたのは、死者が生者同然に生きているという大胆な設定です

見た目は骸骨ではあるものの、飲食はする、祭り事は開く、音楽は嗜む、事務仕事はする、といった我々と何も変わらぬ生活を営んでいます。死者の国の出入国にしても、現実世界の空港のような関門が設けられており、「死者の日」限定ではあるが、気軽に往来が可能という有様。

今作はこの通り、「死」そのものは全くおっかなく描かれてはいないのです。それどころか、死んだ後に行く世界がこれほどまでにコミカルで色鮮やかならばきっと楽しいだろうなと観客に想像させるぐらいの魅力を持っています。

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(C)2018 Disney/Pixar. All Rights Reserved.

しかし、死者の国にも「死」は存在する。生きている人間に存在が忘れ去られた時に、死者の肉体は滅び、どこへともなく消えてしまう。死んだ人は肉体は滅べど、概念上は生きていると言えますが、忘れられた時には存在そのものがなくなる。

我々はそのことを理解しながらも、忘れた時になると実感できないが故に、このテーマは表現し難いものでした。今作では、死者を形在る者として具体化したことで、忘却の恐ろしさを共有させることに成功しています。

この2度目の死は、生きている我々にだって切実な関心ごとでしょう。人が家族をなすのも、地位や名誉を得ようとするのも、他者との関わりをなにかしらの形で持ちたいと考えているためです。

死ぬ時に誰からも看取られない孤独死の問題は、少子高齢化の進む日本では、悲劇としてみられています。「俺は将来ビッグになる」という志を持つ人は、2度目の死に対する恐れをポジティブな方向に使えているとも言えるかもしれません。誰だって忘れられるのは恐いのです

死者の国では、そうした足跡を残せた人間は末永く生きながらえることができ、残せなかった者達は光当たらぬガラクタ小屋で過ごしている過酷なギャップも映されています。

中盤に出てくるヘクターの友人チチャロンは、生者から忘れられ、消えてしまいました。死者にとっての生命の根源は、生者から記憶です。この映画における「幸せ」とは、人に記憶されること。それを目指すヘクターのドラマは、観客も抱えている恐怖からの脱脚、願望の実現を描いているために、目が離せないのです。

メキシコの情緒ある死者の日の風習に、独創性溢れる死者の国を繋げ、そこで2度目の死という普遍的概念を取り扱った物語の構造は、ピクサーらしいオリジナリティとメッセージ性の両立を遂げていて、素晴らしいです。

 

死を悼む、その普遍性

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(C)2018 Disney/Pixar. All Rights Reserved.

特定の季節に故人を懐古するメキシコの「死者の日」は、日本で言えばお盆に当たるのでしょう。肉体の消滅はどうあがいても避けられないからこそ、せめて記憶の上では語り継いでいこうという考え方は、昨年に日本公開された「KUBO/クボ 二本の弦の秘密(以下、クボ)」においても示されています。

「リメンバー・ミー」と「クボ」の2作品には、死者の弔いに関して多くの共通点を見出せます。

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「クボ」では、亡き父に会いたいと願う少年クボが、お盆で手を合わせ祈っても父との邂逅が実現しないことに苛立ってしまう姿が序盤に描かれています。困難と喪失を伴った旅を経て、最終的には、故人に想いを寄せる行為の意味が明らかになっていくという話なのです。

「リメンバー・ミー」においても似通ったシーンがあって、主人公のミゲルは自分の夢が否定された時の激情に駆られて、祭壇に写真を飾り、死者を弔う行為を否定してしまいます。奇遇にも、死者の日の風習は死者にとっても家族と再開するための条件になっていたことを知り、家族の絆を目の当たりにすることで離れていても想い合う行為の意味を実感するに至りました。

どちらにも共通して言えることは、自分の気持ち次第で離れた場所にいる大切な人を生かすことができる、ということ。死んだ人間と交信できない状況で、それでも人が誰かを悼むのは、その人が生きていた頃の記憶を持ち続け、自分が生きていく糧にもできるからです

定期的に故人を偲ぶことは、宗教上の意味を超えて、実利的な行いであることが、終盤のママ・ココからも感じ取れると思います。彼女は晩年には大切な家族を忘れかけ、話を聞くばかりの置物のようになっていたけれど、思い出すことで生命を取り戻したようでした。

 

素晴らしきメキシコ風音楽

お馴染みのシンデレラ城が映り込むディズニーの表示からしてメキシカンな音楽が流れたのには驚かされました。この映画は、全体的にメキシコの匂いを感じさせる音楽も耳に残ります

冒頭の家族の歴史について語るパートからして、背景にはマリアッチが奏でるような管弦楽器の音楽が流れています。霊体になってしまったミゲルが、パニックを起こし、走り回る場面においては、激しいトランペットの音が焦燥を煽るようにして効果的に用いられています。

何よりも、本編で挟まれるミュージカルの曲目もスペイン語混じりの音楽だったりしま印象に残ったところでは「ウン・ポコ・ロコ」「哀しきジョロリーナ」ですね。

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(C)2018 Disney/Pixar. All Rights Reserved.

「ウン・ポコ・ロコ」では、ミ・アモーレ(愛する人)というスパニッシュ表現を入れ込みながら、軽快なリズムに乗せて、ミゲルが自身の音楽を初披露する場面で使われました。曲名はスペイン語で「少しおかしい」といった意味であり、空の色を赤と形容して見せたり、靴は頭の上置くのだという型破りなミ・アモーレ(愛しい君)を、この歌は歌っています。

それを歌うミゲルもまた、音楽をしてはいけない家でありながら音楽を奏でるミュージシャンであり、紛れもなく型破りの人物。今まで人前で歌ったことのない少年が精神的にも一歩踏み出すシーンになっていて、爽快感を覚えました。

このシーンではヘクターはタップダンスのような踊りを披露しているのですが、その足には靴がないんですよね。靴といえばリヴェラ家の家業は靴作りでした。ヘクターは暗にリヴェラ家からつまはじきにされてしまったという表現にも取れます。

しかし、ここでは骨の足がステージの板をタップすることで打楽器のような音を鳴らして、ミゲルの演奏に華を添えているわけです。これはメキシコの「サパテアド」というダンスであり、キャラクターの成長や関係性を暗示させつつ、メキシコ文化を発揮したシーンになっていたんですね

「哀しきジョロリーナ」では、音楽から離れていたイメルダがヘクターのための写真奪還作戦の中で歌うという所に大きなカタルシスが生み出されています。手違いからステージ上に立たされた彼女が、SPから逃れるようにしながら、音楽を楽しむ本性をチラつかせる様は、コミカルでありながらも音楽愛を感じさせます。ヘクターの存在と音楽を封じていたけれど、結局忘れることなんて出来ていなかったのですね。

 

変化するリメンバー・ミーの意味

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(C)2018 Disney/Pixar. All Rights Reserved.
2回目に鑑賞した際には、デラクルスが披露する「リメンバー・ミー」が滑稽に映るようになっていたことに感心させられました。明らかになった真実によると、デラクルスはヘクターから盗作した音楽で成り上がったのであり、そこには作曲者本人のニュアンスが汲まれていません

「リメンバー・ミー」の原語版には、吹き替え版では無くなってしまった伏線があります。楽曲の“Remember Me”の歌詞にさりげなく隠されていました。

英語版で重要になってくるフレーズが“I sing a secret song to you each night we are apart” 、およびに“Each time you hear a sad guitar”です。

訳は前者が「離れ離れの毎夜、君へ密かな歌を歌う」、後者が「君が悲しいギターの音を聞くたびに」。

このsecret(密か)とsad(悲しい)は、冒頭デラクルスが「大衆に向けて堂々と」「陽気に」歌っていた様とは明確に矛盾していて、彼が作詞者の意図を拾いきれていないことを意味しています。盗作したが故の綻びがここに表れているわけです。

原語版では伏線めいた表現がさりげなく含まれていて、終盤にココへ宛てたa secret songである事実が明らかになるという話の流れが実に綺麗でした。  日本語吹き替え版だとこれらの表現は存在せず、この絶妙な伏線がオミットされてしまっていたりします。

「リメンバー・ミー」にあるこれらの歌詞に反して、デラクルスのパフォーマンスは終始アップテンポで陽気な色合いの曲に仕上がっていました。序盤では、過剰とも言えるぐらいのバックダンサーや舞台装置が備えられ、物質が溢れ、ゴチャゴチャしています。

ところが、「リメンバー・ミー」は本来はヘクターが娘のココただ1人に向けた曲であり、大衆のためではありません。過去を回想しながら歌った時、記憶にあった景色は殺風景な部屋であり、見つめる先にはココがいました。歌の終わりにはココも歌い出し、2人はデュエットを奏でてもいます。

デラクルスは大衆に向けたウケのいい色調へと変えてしまいましたが、元の曲は素朴で伝えるべき具体的な対象がいたのです。この対比表現はうまく効いていて、唸らされました。

 

高評価な一方で気がかりな部分

「リメンバー・ミー」は素晴らしい作品だと言えます。一方で、作品で示される家族が「血縁上」であったり、「夢を追う」ことを「家族」より上に置く価値観が描かれていないきらいがあり、どうしても気がかりでした。

それについては以下の記事にて、詳細に書きましたので、併せて読んでみてください。

 

まとめ

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(C)2018 Disney/Pixar. All Rights Reserved.

前半で示された伏線や布石が終盤に向かうにつれて綺麗に解消されていく脚本の質の高さや、伝えられるメッセージの尊さからは、相変わらずピクサーの技術が優れているということを認識させられました。

それを引き立てるビジュアルやキャラクターも愛着が湧きます。彩り豊かでメキシコの建築用式を反映した死者の国に、表情豊かで滑稽な動きをするガイコツ人間、夢を追い求め飛び出してしまう少年、家族に会いたいという切実な願いを抱える青年。観ている最中はこの世界とキャラクターに釘付けになり、見終えた後も彼らの幸福が続くことを願いたくなりました。

多くの人に突き刺さるメッセージ、チャーミングなキャラクター、既存の文化と独自性溢れる世界観、ハイクオリティなアニメーション、口ずさみたくなる音楽などどれを取っても一級品です。

ずっと心に持ち続けたい家族の物語です。

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